世間話
「あー……」
四時間目が終わり、まるで生ける屍のようになった大河が気の抜けた声を出した。
「お前、どれだけ注意されれば気が済むんだよ……」
三時限目の数学で四回、四時限目の英語で六回起こされていた。教師から警戒されていることもあり、大河が眠りに着いた瞬間、的確に注意される。
ここまで来ると、彼が起こされるのも退屈な授業中の楽しみの一つになってくる。
「あー……夜はちゃんと寝ているんだけどさ、七時間くらい。けど、授業になるとどうしても寝てしまうんだよ。癖になってるんだな」
「大丈夫なの? 大河君。このままだと追試……もしかすると留年しちゃうんじゃない?」
呆れた表情のハル。たしかに、あり得ない話ではない。こいつは塾には殆ど毎日通っているものの、この通り、学校の授業は全く聞いていないため、定期考査の成績も赤点だらけで、評定も見ていられないことになっている。……そもそも、こいつは公務員志望だ。塾で勉強したところであまり意味ないだろ。それならば内申点に影響する学校の授業を受けることに全力を尽くしたほうがよっぽどいい。
「あー、そのときは学校辞めるわ」
何でもないことのようにサラッと言う大河。こいつにとっては、高校に通うことはたいして大切なことではないのかもしれない。……ただ単に、『さすがに留年だけは逃れられるだろう』と余裕を持って構えているだけなのかもしれないが。
「そ、そう……」
大河の返事を聞いて、ハルはこれ以上の会話は無駄だと察したようだ。
「そうならないように頑張っているんだけどなぁ……」
少し前にも同じことを言っていたので、そのときは『自分の進路と勉強法を見直して、塾を辞めて学校の勉強にだけ集中すれば?』と、アドバイスしたのだが、親が許さなかったらしい。『成績不振=塾に通わせておけば治る』とでも思っているのだろう。……大河自身も意識が足りないが、大河の親も考えが足りていない。
「せめて授業では寝ないように頑張れよ……ってか、お前、今日は食堂じゃないのか?」
普段なら既に剣道部員たちに連行されている時間だ。
「おう、今日から、昼休みに公務員講座が始まるんだよ。あまり時間はないから、コンビニで買ったパンを食うことにしたんだ」
そういえば、この高校はそんな事もやっているんだよな。……たしか、月、水、金曜日の週三日だったはずだ。公務員志望の生徒はこの講座を強制的に受けさせられる。ちなみに、この講座を受けていない生徒は、この高校からは公務員試験を受けることができない。学年集会か何かでこの話を聞いて、公務員志望ではない俺でさえ、『マジかよ……』と衝撃を受けたのを覚えている。そうか、今日からだったのか。
「お前、大丈夫なのか……? ただでさえ成績的に危ないのに」
「でも受けなかったら公務員試験を受けさせてくれないだろ?」
本当にそれでいいんだろうか……学校を辞める事になったら元も子もないだろ。
「……燐斗、お弁当は?」
……ああ、そうだった。たしかに、このままだと話が長引きそうだし、大河が飯を食う時間も要るだろうから、この辺で止めよう。
「ああ、ごめんごめん」
鞄から弁当を取り出してハルに渡す。
「さて、俺もパン食うか」
大河も鞄からコンビニ袋を取り出す。
「あれ? お前、まだ飯食ってなかったのかよ!」
教室のドアから丸坊主が一人入ってきた。剣道部主将の空林君だ。
「そらりんはもう飯食ったのかよ!」
空林君、通称、『そらりん』は関東大会でもトップ16に入るくらいの実力で、成績も常にトップ10を保っており、更に、学年代表も務めているという、『文武両道』を体現しているような人だ。人あたりも良く、男女人気も高い。
「お前が遅いんだろ……」
まだ授業が終わってから五分も経っていないので、空林君が食うのが速いというのも間違いではないだろう。もしかすると食べる量を少なくしたのかもしれないが。
「ああ、空林君、俺がこいつと話していたせいで食うのが遅れたんだよ。ごめんな」
フォローを入れておく。俺が話しかけなければ今頃はパン一個くらいは食べ終えていただろうし。
「あ、そうなのか。それなら気にしないで」
「いや、それならってなんだよ」
大河がツッコミを入れる。この二人は仲がいい。
「……ハル、食べないのか?」
ハルを見ると、まだ弁当の蓋を開けてすらもいない。
「……」
ジーッと俺を見るハル。
「……ああ、俺が食べ始めるのを待っていてくれたのか」
「……うん」
ゆっくりと頷くハル。二人がいるから話しづらいのかもしれない。
「はは、今更照れなくてもいいだろ、倉科さん。皆知っているんだし、休み時間でもイチャイチャしているんいってぇ!」
空林君が大河の頭を軽く叩く。
「お前がそんな事を言わなくていいんだよ。……ごめんな、二人とも。他の教室に連れてくわ、こいつ」
「あ、いや、連れて行かなくても大丈夫! ……そうだよね! 昔からこうなんだし、照れなくてもいいよね!」
照れくさそうに笑うハル。『ね?』と、俺の顔を見るその仕草が可愛い。
「……でも、付き合っていないんだよなー」
ため息を吐きながら俺の顔を見る二人。昨日も言われたぞソレ。
「はは……」
俺は笑って受け流しながら、弁当の蓋を開ける……今はまだ、決める事はできない。
「そろそろ付き合えよ! もうカップルみたいなものかもしれないけどさ!」
「急かすなよ大河……まあ、俺も、二人はお似合いだと思っているけどな」
「えへへ……」
ハルも照れ笑いをしながら弁当の蓋を開ける。
「あ、空林君、最近の剣道ってどんな感じなんだ? とびきり強い人とかいるの?」
露骨に話を逸らす。俺も少しだけ剣道を習っていた時期があった。強くなりたくて、剣道の有段者であるハルの祖父に教えてもらっていた。しかし、俺だけの個別指導だから、ハルの祖父以外とは試合をしたことがないので、誰が強いなんて事は全く知らない。
「露骨に話を逸らしたよ……」
「露骨に話を逸らしたね……」
「露骨に話を逸らしたな……」
三人から冷ややかな視線で見られる。……ああ、そうだよ悪かったな!
「あー、関東の人で、全国的に見てもとびきり強い人はいる。……借神狩禍 屶っていう女子が。ちなみに、同学年だ」
「すっげえ名前だな!」
「何それ気になる!」
「そんな人が居るのかよ!」
話を逸らす目的で聞いたのだが、興味が湧いた。
「結構有名でさ、先祖代々のイタコ一族で、剣道の名家でもあるらしいんだ。俺も試合を見る機会があったけど、相手が誰であれ、瞬殺なんだよ。一試合に二発しか打たないんだ」
相手が誰であっても一撃で仕留めているというわけか。……そういう人もいるんだな。
「……じゃあ、その人が女子の全国一位?」
「去年はそうだったんだけど、今年は違うんだよなー! 俺は全国大会に行った事ないから実際に見たわけではないけど、九州にもつっよいのがいるんだ! これが!」
「九州の人達は強いって聞いたことがあるな……」
「ああ、福岡には自由の里高校があるからな……もちろん、それ以外の高校も強いけど」
自由の里高校……昨日、ルナが言っていた天才が集まる高校だな。天才以外にも才能溢れる生徒ばかりがいるんだろう。
「自由の里高校かぁー」
ハルが受験に失敗した高校でもあるのだが、ハルの表情や声色は『ああ、そんな高校もあったなー』というような感じだ。……気にしてはいないみたいだ。
「そう、その、自由の里高校の、徳間 瑠香っていう一年の女子が……っと! もう講座が始まるな。この話はまた今度で! 行こうぜ大河!」
「おう! ……むぐ」
パンを口に詰め込んだ大河と空林君が教室から出て行く。
「楽しい話だったね!」
「ああ、さっきみたいな、滅茶苦茶凄い人の話は聞いててワクワクするな!」
おそらく、ルナが言う『天才』という人たちなんだろう。特に、借神狩禍って人は、俺みたいに、人ならざる者を見たことがあるのかもしれない。……イタコと聞くと、以前の俺ならば訝しんでいただろうに。
やっぱり、変わったんだな、俺も。