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感謝する青年

 あと少しで学校に着くのだが、ハルの家を出てから会話をしていない。あんなに恥ずかしそうにしているハルは初めて見たし……気まずい。

 いや、このままじゃ駄目だ……何でもいいから話を振ろう。

「……本当に、朝から色々あったなー」

 同意を求めるようにハルの顔を見ると、微笑みながら俺の顔を見ていた。……てっきり、口を尖らせているものだと思っていたのに。

「えっと……俺の顔に何か付いてる?」

「それなら黙っていないですぐに教えるでしょ?」

 ジトーッと俺を見るハル。……しまった。機嫌を損ねてしまったか?

「……ああ、分かった。挨拶だろ? ハルの家を出たときの」

 まあ、よく考えればそうだよな。今まで一度も言えなかったんだし。

「うん。その、よかったなー……って」

「……ああ」

 俺は、家族が死んでから二週間ほど、精神が衰弱していたのでハルの家に預かってもらっていた。……そのときも、『行ってらっしゃい』とか、『おかえりなさい』と言ってもらえていたのだが、俺は返事を返せなかった。

 自分の居場所を、感じることができなかったから。倉科一家が、俺に居場所をくれたのに、あの頃の俺は、自分の家族以外を自分の居場所として受け入れることができなかったから。

 不思議なもので、幼い頃の気持ちと言うものは、例え記憶が薄れようとも、心の奥底にこびりついて取れない。だから、いつまで経っても、倉科一家を自分の居場所として受け入れられないでいた。

「いつまで経っても、ぜんっぜん、言えなかったもんね」

 笑いながら言っているが、俺に心配をかけさせないように無理して笑っているのがわかる。……おばさんと違って、分かりやすいな、ハルは。

「ごめん」

 ふと、何か言葉が俺の口から零れ落ちた。

「ちょっと! なんで燐斗が謝るの!?」

 ……俺、謝っていたのか? だとしたら、理由はこれしかない。

「……ハルが、無理して笑っていたから」

「なぁんだ! 私は平気だよ。燐斗が平気なら」

 そんなことか! というように、今度は本当に笑うハル。……本当に、素敵な幼馴染に恵まれたものだ。

 何で、今この段階で、ハルを受け入れることができていないのだろう。

 すぐにでも、いや、もっと早くにでも愛の言葉を彼女にぶつける事は可能だったんじゃないか?

「竜子ちゃんと、ルナちゃんに出会って、何かが変わったんでしょ? ……二人に感謝しないと!」

「ははっ、そうだな! 二人には感謝の気持ちでいっぱいだよ!」

 笑っている場合じゃないだろ、俺。どうして俺は……

「……けど、ルナちゃん、凄い子だったなぁ!」

「ああ、本当にごめんな、ハル。迷惑をかけてしまって……」

「いやいや、大丈夫だって! それに、燐斗に何回も謝られたくないしー」

 口を尖らせてイジワルな口調でそう言うハル。たしかに、俺が何度も謝っているのはただの自己満足で、それこそがハルの迷惑になっているのかもしれない。

「あ、ああ……ごめん」

「あっ! また謝ったっ! もーっ! 楽しい話をしようよーっ!」

 駄目だ。無意識に謝ってしまった

「楽しい話か……ルナ、凄かっただろ? けど、竜子も別ベクトルでアレと同じくらいヤバイところがあるんだよ」

「……ホントに?」

「ああ、実を言うと、あまり二人と会わせないようにしてたのは、こういうところがあってだな……みんなを心配していたんだよ。実際、今日は朝から大変な事になってただろ?」

「あははっ! たしかに! ……けど、大丈夫だよ、燐斗。たしかに、あの二人は色々と凄そうだけど、仲良くできそうな気もするから」

「……リビングでのアレを思い出すとちょっと不安なんだけど」

「そ、ソレは思い出しちゃ駄目っ! 絶対っ! ……というか、燐斗? 燐斗はああいう事、されてないよね?」

「ああ、流石にあんなのはされた事ないよ」

 しようとは確実に思っている筈だが。された事はないが、されかけた事は山程ある訳だし。

 俺の貞操は今のところ無事ではあるが、ピンチを迎えた経験が無いわけではないし。

 ……ちょっと、不安になってきたな。

「うん、それならいいけど……ん、話してるとあっという間ねっ!」

「ああ、そうだな!」

 気づけば、校門の前だ。

 楽しいし、早く着くように感じる。一石二鳥とはこのような事を言うのだろう。

「それにしても、ルナちゃんと竜子ちゃんって、楽しい人たちなんだねっ!」


 そう言うハルの表情は、とても分かりやすかった。

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