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喪女と聖夜とトナカイ頭











 夢を夢と理解できる夢がある。

 人はそれを明晰夢と呼ぶ。




 一人暮らし部屋。

 テレビからはクリスマスソングが流れている。

 缶ビールを片手に、つまみ兼晩飯の骨付きチキンをもう片手にと完全装備。

 そんな私と対峙するのは可愛らしくデフォルメされたトナカイ……の、被り物を頭に被った男。


「べっつに彼氏欲しくないってわけじゃないんだよ?私だってそれなりの年になったわけだし親だって何にも言わないけど、いい人いないのか?みたいな空気かもしだしてくるし、何よりこういうイベント時はなんだか惨めな気持ちになってくるしぃ!!」

「あー……そう」

「そう!そうなのよ!!でもね、やっぱり今更彼氏作ろうとか無理なもんは無理なの!今更も何も彼氏できたためしがないけど!」

「へー……」

「そもそも友達すらいないコミュ障ぼっち喪女に!!彼氏なんぞできるはずもなく!!ですよ!!」

「ふーん……」

「だから、だからこそ!トナカイさんにリア充にしてもらいたいの!!」

「おー……」


 酔っ払い女がくだを巻き、トナカイ頭の男がおざなりな相槌を返す。

 男のその頭しか聖夜に似つかわしいと言えるところがないこの光景に突っ込みを入れる者は残念ながらいなかった。

 もし素面の状態であったならば、私は間違いなくこう言っただろう。

「なんだこれ」と。


 今まさに、私は明晰夢と言うものを見ている真っ最中だ。











 12月25日、聖夜。

 恋人どころか友達すらいない独り者()は今年もむなしく孤独なクリスマスだ。

 予定などあるはずもなく。仕事終わりに居酒屋へ直行し一杯どころか何杯も酒をひっかけそりゃあもうぐでんぐでんに酔って一人暮らしの我が家へ帰ってきた。

 そして居酒屋で呑んだだけでは飽きたらず。

 帰りがけに購入したチューハイのプルタブに指をひっかけたのは記憶に新しい。


 酔態を極めた酔っ払いのテンションは高い。

 適当にチャンネルを合わせたテレビから流れる定番の歌(クリスマスソング)に妙な合いの手を入れ、踊り、凡そ妙齢の女性とは思えないような大笑いをしだす始末。

 知り合いになどとてもじゃないが見せられたもんじゃない風体だが、シングルクリスマスなうな今現在そんなことを気にする必要などない。


 一瞬、我にかえったようにむなしくなる瞬間もあったりもするがそれを認めてしまえば更に惨めな気持ちになるだけなのは分かりきっている。

 その都度、気付かないふりをして冬季限定の味のチューハイとともにのどの奥に流し込んだ。


 そして。

 次々と空き缶を作り出し、もうそろそろ意識も朧気になりだした頃。

 チューハイ、缶ビール、おつまみとが乱雑に入ったビニール袋を漁っていたら紛れるようにあった一枚の紙を見つけた。


「あっ」


 そう言えばもらったんだった。

 と、今までさっぱりと忘れていたその紙を手に取る。

 カードサイズの白い紙。その真ん中にはファンタジーな漫画やゲームにありがちな魔方陣らしきものが描かれていた。


「まほーじん、ねぇ……」


 若干呂律の回らなくなった口でそう呟いて、私はじっくりとその『魔方陣』が描かれた紙を見つめた。




 これをもらったのは居酒屋の帰りがけ、よし次は宅呑みだ!と諸々をスーパーで購入し意気揚々と店を出るときだった。


「メリークリスマス♪」


 自動ドアをくぐった瞬間、紙を差し出され驚きつつも反射的に受け取ってしまった。な、なんだ?と思いつつも紙に一瞥をくれたあと、これを差し出してきた人物へと視線を向ければ。

 そこにいたのはミニスカボインなきゃわゆいサンタっ娘だった。

 肌を刺すような寒さの中、ミニスカに肩出しのサンタルックだ。よくやれたものだと感心する。これが若さ故って奴なのか。谷間とか本当にごちそうさまですうへへ。

 魅了的なサンタっ娘の登場に驚きのまま固まっていた顔は思わず自覚できる程度にやに下がった。

 クリスマスだし何かの企画か?と疑問に思いつつも簡単にお礼を言ってその紙を無造作にビニール袋に突っ込んだ。その様子を見ながらきゃわゆいサンタっ娘はそれはそれは楽しそうににこにこと笑って。


「願いを叶える魔方陣。あなたが強く願うならぁ、きっとあの子が叶えてくれるよぉ」


 師走の風は痛すぎる程に寒い。早く帰ろうと足を進めたのだが

 、ふわふわとしたワタアメのような甘い声でそう投げ掛けられた。

 意味がわからず振り返れば、そこにはもうミニスカボインなサンタっ娘の姿はどこにもいない。

 どこいった。

 ミニスカボインサンタっ娘の言葉にもその消息にも首を傾げたが、寒さに堪らずその疑問も何処かへふっとび帰路についたのだった。




 そんなことがあったのだが、これを再び見るまでは一切思い出さなかった。

 まぁ、酔っ払いの記憶力なんてたかが知れているのだから忘れていたのも頷ける。


 それにしても、あのサンタっ娘は本当に可愛かったなぁ、と再びやに下がる顔を感じながら紙に書かれている魔方陣を指の腹で撫でてみた。

『願いを叶える魔方陣』

 サンタっ娘が言っていた言葉を思い出す。


 こんなものが本当に願いを叶えてくれると言うのだろうか?

 常時ならばそんなものは物語の中だけで現実では有り得ないと歯牙にもかけないのだろうが、なんせ今の私は酔いに酔ってる酔っ払いだ。

 テンションとノリと勢いだけで構成された酔っ払いに物語も現実も関係などなく。


 魔方陣の紙を高く掲げ、酔っ払いは回らない舌で近所迷惑も考えず声を張り上げた。


「ほんとぉにほんもののまほーじんならぁ、わたしのねがい、かなえなさいよぉ!」


 すると。


「えっ!?」


 あろうことか、紙に描かれた魔方陣が光だしたのだ。


 ちょ、ま、なにこれぇぇぇぇぇ!?

 部屋を照らす蛍光灯の白い光とは異なる青味をおびた光が魔方陣を中心に広がっていくのに驚嘆し、思わず掲げていた紙から手を離してしまった。

 しかしまた驚くべきことに。

 支えを失ったはずの紙は重力に倣うことなくその場にとどまったままだった。むろん、青い光を放ちながらだ。


 え?なにこれ?マジ?マジなの?

 ガチで魔方陣だったの?

 これなんか起きるの?

 何かでてくるの?

 願い事とか叶えてくれたりすんの?

 出てくるとしたらなんなの?

 龍?龍とか?

 あらやだ私龍の玉なんで全部どころか1つも持ってないよ?

 なのに願いを叶えて太っ腹だねシェンロンさーん


 混乱を極めた酔っ払いの思考回路はもはやショート寸前。

 何かできるはずもなく、ぽかんと間抜けに口をあけながら取り留めもなく意味もないことをつらつらと考えるのは、所謂、現実逃避である。


 クリスマスだし、どうせならサンタさんとかトナカイさんとか出てきてくれたら嬉しいなぁ。

 あっもしサンタさんならさっきのきゃわゆいボインなサンタっ娘希望です。

 今まさに青が部屋を埋めつくさんとしているのを尻目になおも続く現実逃避。

 一瞬、視界を青一色に染められたその後に、眩むぐらいの青が徐々に消えていき再び私の部屋であることを確認できるぐらいに視界が戻った頃。

 シングルクリスマスなう!な喪女の部屋に、主たる私以外の姿が浮かび上がる。

 ガチで魔方陣から出てきたらしいようだけど、どうやら私の現実逃避に影響を受けてしまったらしい。

 そこにいたのは、なんと本当にトナカイさんだった。


 ……正確には、トナカイの被り物を被った一人の男、だが。




 あ、これ夢だわ。


 トナカイ男を認めた頭は酔いが覚め少しだけまともに回りだしたのか真っ先にそんな結論を弾き出していた。


 魔方陣が突然光だしただの独りでに紙がくうに浮いただの

 どこからともなくトナカイ男が現れただの現実に起こりうることのないだろう奇っ怪な現象が立て続けに起きたのは、まさしく現実ではないからだと考えれば。全てに納得がいく。


 ……そうか、夢だったか。

 夢を夢と理解できる夢。確か、明晰夢と言ったけか。これがきっと、そうなんだろう。


 夢だと分かれば色々なことが馬鹿らしくなった。

 夢なんてなんでもありの世界なのだから疑問を抱いても仕方ないし、混乱なんてするだけ無駄だ。


「おい女」


 それにしてもいつ寝落ちたんだろうまさか路上でぶっ倒れてたりしてはいまいな、と考えを巡らせたところでトナカイ男に声をかけられ、まさか話しかけられるなんて思ってもみなかった私はそれはもう分かりやすく不自然なぐらいに肩をびくりと跳ねさせた。

 そのままぴしゃりと背筋を伸ばしてしまったのは、部屋に漂う緊張感に気付いてしまったからだ。

 これから何か大事なことが起こるような。そんな予感めいたものに、ごくりと息をのんだ。


「お前の望みを言え」


 デフォルメされた人形のような愛らしいトナカイの頭。しかして、その下にくっついているのは品のいいセーターとジーパンを着こなす成人しているであろう男性の身体。

 その姿は不気味と滑稽を綱渡りしているとしか言いようがない残念仕様だ。

 そんなサンタも仕事を放棄して逃げ出してしまいそうなトナカイの発声は流暢な人語で日本語な上、え?何それギャップ萌えでも狙ってるの?とよく分からない勘繰りをしてしまいたくなるほど素敵な声音だった。やべぇ、だいぶ好みかもと聞き惚れかけたのはここだけの話だ。

 まあそれは置いといて。


 望みを言えって。

 まさかトナカイ男が私の望みを聞いてくれるというのか。

 そう言えば、とサンタっ娘が投げかけた言葉を思い出す。

「強く願えばあの子が叶える」と、そう言っていた。

 あの子とは、このトナカイ男のことなんだろうか。

 

 この際魔方陣が願いを叶えてくれようがトナカイ男が願いを叶えてくれようが気にする必要もなし。そして考える必要もないだろう。

 どうせこれは夢だ。

 覚めてしまえば全て無にかえるものなのだから、些細なことなど捨て置けばいい。

 そして、どうせ無かったものになるのだから現実では絶対に口に出来ない望みを言ったっていいだろう。


「トナカイさんが私のお願い聞いてくれるの?」

「おう」


 問いかけに、返ってきた簡素な返事に知らず口角を上げていた。


「そっか!じゃあね……私をリア充にして!」


 恋人いない歴イコール年齢。友達と呼べる人もいない。

 人見知りで口下手で言ってしまえばコミュ障の私の回りは誰もいない。私は常に一人だった。

 一人は確かに気楽でいられて良いと言えるところもあるけれど好きでこうなったわけでもない。

 私だって友達が欲しい。恋人が欲しい。

 だから、見かける度に爆発しろと呪詛を呟きつつもそんなリア充に憧れていたのだ。

 爆発してもいい。私もリア充になりたい。


 どこか期待する胸中を落ち着かせ、暫し何かを逡巡するように俯いたトナカイ男をじっと見つめる。

 リア充が聞き慣れない言葉だったのか首を傾げながらも分かったとようやく明るい返事をして頷いたトナカイ男は私の両手を取りぎゅっと握った。

 私よりも大きな手。そのあたたかさに不覚にもドキリと胸が音をたてる。


「契約だ。俺はお前をリア充にしてやる。ただし、……望みが叶ったその暁には、お前の魂もらい受ける」


 いくら喪女でもこんなのにトキメクとか、と軽い自己嫌悪に陥る私をよそにトナカイ男は一人進めていく、が、ちょっと待て。

 後半何やら不穏な言葉が聞こえてきた気がする。

 魂をもらい受ける?


「それっていったい……?!」


 どういう意味?という質問は口から出てこなかった。

 何故なら、またあの青い光が煌々と現れたからだ。

 しかも今度は魔方陣からじゃない。

 私とトナカイ男を中心にして青い光が部屋に広がっていく。

 再び室内を青一色に染め上げたあと次第に霧散していった光に頭を傾げる。

 最初の光は魔方陣が発動したものだとして、今のはなんだろうか。


「これで、契約は結ばれた」


 私の手を離すなり満足そうに呟かれた言葉に更に首を傾げる。

 何が何やら。さすが夢、意味が分からない。


「トナカイさん、今の何?」

「契約だ」

「さっきから言ってるねぇ、それ。どういう意味?」

「女、お前はこの世に何の対価も無しに私欲を叶えるモノ好きがいると思ってんのか?」

「なるほど。取引って奴なのか」

「……まあ早い話がそうだ」


 何かを手にいれたいのならそれ相応の代償が必要と。

 夢のくせに、願いを叶えるのに契約だの対価だのと変なところでシビアだ。


 いつの間にやら部屋を漂う張りつめた空気が失せていた。

 ほっと息がもれてしまったのはよく分からない緊張感から解放されたせいか。

 それはトナカイ男も同じだったようだ。

 現れてからは仰々しく仁王立ちをしていたと言うのに、契約が終わった今、その場に腰を下ろし胡座をかくという完全リラックスモードに移り変わっていた。


「で、だ。さっきから思ってたんだがよ」

「ん?」


 そしてトナカイ男は私とお喋りをご所望らしい。

 いったい何を話すと言うのか。ってかトナカイさん可愛い顔して結構口悪そうですね。

 顔から下が人間だったりもろ好みの声だったり口悪そうだったり私の現実逃避はこのトナカイに謎の影響を与えまくってるね本当に。まあそれはいいとして。


 何でしょうか、と視線で促せばトナカイ男は首を傾げながらぽつりと呟く。


「トナカイさんって、何のことだ」


 と。


 いや、勿論あなたのことですが。

 その言葉の代わりに近くにあったスマホを手に取り写真を撮ってトナカイ男に手渡した。

「なっ……!?」という驚愕した声が聞こえる。トナカイ男よ、あんた自分がトナカイだっていう自覚がなかったのか。


「トナカイの意味は分かった……」

「トナカイでしょ?」

「全くもってな」


 はぁ、と重たい嘆息。どうやらトナカイ男には自分がトナカイだという自覚がなく中途半端なトナカイな姿なことに落ち込んだようだ。うん意味分からん。


「お前、俺を呼んだ時いったい何考えてたんだよ……」

「呼んだ時?クリスマスだしシェンロンよりトナカイさんのがいいな的なことを」


 背を丸めうちひしがれながらシェンロンって何だよと呟くトナカイ男だったが、気を取り直したように背筋を伸ばして私を見た。落ち込みタイムは終了らしい。


「それにしても、お前いやに落ち着いてんな」

「そう?」

「普通こんな珍妙なのがいきなり現れたら取り乱さないか?」

「あ、珍妙なの自覚あるんだ。確かに普通は取り乱すだろうけどねぇ……」


 人形めいたトナカイの被り物は表情の変化が読み切れない。それでも不思議そうにしているのを感じ取るることができるトナカイ男にもっともなことを聞かれて苦笑する。

 だってこれは夢だ。なんでもありえるのが普通の世界なんだ。

 夢を夢と理解しながら荒唐無稽なことに取り乱すだなんてなんだか馬鹿みたいじゃない、との言葉は飲み込んで、まあ、面白いからいいのよ、とそう笑っておけばトナカイ男は少しだけ納得がいかなさそうにしながらも騒がれないだけマシかともらして引き下がった。


「それで、」

「あん?」

「トナカイさん、私をリア充にしてくれるんだよね?」

「おう。契約したしな。ああ、でもあれだ。そのリア充ってのは何なんだ?」

「あ、やっぱり分かってなかったんだ。リア充っていうのはね……」


 案の定リア充が理解できていなかったらしいトナカイ男にリア充について簡単に説明をした。

 その際どうしてリア充になりたいのか、から始まり何故リア充になれないのか、と言うのを交えながら再びアルコール類に手を出して覚めかけた酔いが復活した結果……冒頭にいたるのである。




「トナカイさーん。早く私をリア充にしてぇー」


 甘ったるくなるような声にしなをつくったしゃべり方。平素ならばおよそしないであろう態度で強請りながらきゃはきゃはと笑う様は完全に酔っ払いのそれである。


 憐れにも絡まれ続けているトナカイはうんざりと言わんばかりに肩を落としていた。

 しかしまあ、酔っ払いがそんなことを気にするはずもなく。


「りっあっじゅー♪」

「……あのな」


 ご機嫌まっしぐらに抱き付こうとした私を片手で制したトナカイ男。その声色は呆れやらゲンナリとした心情を如実にあらわしていた。

 なぁにー、と聞き返しながらも抱き付こうとするのは諦めない。久しぶりに相手がいる酒に、気分が良くてなんだか人肌恋しくなっていたのだ。この際トナカイでも!と体が動いてしまうのは仕方がない、うん。


「確かに、お前をリア充にするっつったがな。今すぐは無理だ」

「えー?」

「そもそも俺は、物理的にしか関与することが出来ない」

「物理的ー?」

「例えば、金が欲しいと言えば貯えてある場所から奪って渡すし、誰それが邪魔だと言うならこの世から消してしまう」


 なにそれ、強盗と殺人?

 首を捻りつつも酔いで働かない頭はどーでもいーよと聞き流す。


「望みを叶えるっつったってな、俺は魔法だなんだのは使えねぇんだ。できるのはただ、この手で下せることのみ」

「?だから?」

「だから……、お前をリア充にしてやるが、俺ができるのはそのサポートだけだ」

「えー?あんな仰々しく現れておいてできることショボい!」

「るせぇ、とりあえずお前がリア充になれるように俺様が裏方で頑張ってやるっつってんだから有りがたく思え!」


 有りがたくとはなんとも偉そうなトナカイ男である。

 そもそも私をリア充にするのが契約だろうに。


「なんかムカつくから契約破棄するぞぉ!」


 ぺしぺしと床を叩きながらの抗議にトナカイ男は慌てるでもなく、相変わらず表情が読み取り辛いトナカイ面でニヤッと笑った。気がした。


「おー、別にいいぜ。契約完遂しなくても、途中破棄した時点でお前の魂はいただけるからな。……それはそれとして、いいかげん抱き付こうとすんな!」

「ぎゃふんっ!」


 実は会話をしつつも抱き付くのを諦めていなかったのだが、敵は手強くとうとうべりっと引き剥がされてしまった。うう、無念。

 そしてぎゃふんとか言っちゃう私の残念感。さながら負け犬だ。

 負け犬は負け犬らしく、人肌に未練たらたらながらもすごすごと後ずさった。

 その先にはベッドがあり、それにもたれかかる。


 明晰夢は慣れると自分の思い通りに事態を進めることができると言うけれど、この明晰夢に関してはそれに当てはまらないようだ。

 望みを叶えると言ったくせに、すぐにリア充にしてくれるわけではないし、抱き締めさせてもくれやしない。

 じんわりと視界がぼやけていく。


「なっ……に、泣いてんだよ。さっきまで嫌に機嫌よかったくせに」

「だってぎゅーってさせてくれない……」


 酔っ払いの感情が両極端にふれることなどままあること。ぐすぐすと唐突に泣き出した私に少し焦ったような声がかかる。

 自分ですらなんで泣いてるのかよく分からない。

 ただ無性にトナカイ男に拒否されたのが悲しくて寂しくてむなしくなった。その結果がこれなのだ。


 子供じみた言い訳に何の言葉も返ってくることはなく、暫く鼻をすする音だけが室内に響いた。

 その状況が流石に気まずくなったのか。


「あー……、ったく!」


 ぐすぐすぐずぐずと鼻をならしていたらふいに大きな手の平が私の頭におりた。その手はそのまま私の頭を撫でていく。

 びっくりして伏せていた視線を挙げればそっぽを向くトナカイ男が見えた。

 頭を撫でる手はがしがしと丁寧さの欠片もない、少し痛いなぁと感じるぐらい荒いもの。けれど、手の平から伝わる温もりがじんわりと暖かく沁みて。涙も鼻水もあっという間に引っ込んでいって、その代わりに口元が緩んでいく。

 先程までは急下降していた気分が急上昇しているのが自分でも分かった。

 ふふっと笑い声をもらしてしまうほどだ。


「……泣いたり笑ったり忙しい奴だなお前は」


 呆れの入った、だけれど優しさを滲ませる声。

 それがなんだか嬉しくて、私はますます笑みを深めた。


 けれど、足りない。

 もっともっと欲しい。

 人間とはかくも欲張りなものだと、なおも撫でていく手の温もりの物足りなさに実感した。

 撫でられるだけじゃ満足できない。

 もっと強く、その温もりを感じたい。


 抱きつくのは拒否られた。

 だけどやっぱり諦めきれない。

 酔っ払いという奴は、とてもしつこいものなのだ。


「トナカイさん、やっぱり、ぎゅーって、しちゃだめ?」


 当たり前だろ。そう言ってまた突っぱねられるかもしれない。その不安から少しだけ遠慮がちになる問いかけ。

 撫でる手をぴたりと止めたトナカイ男をじっと見上げると、嘆息が漏れでた。


「……勝手にしろ」


 その言葉は、つまり、良しと言うことだろうか。

 それならば、トナカイ男の言う通り、勝手にさせてもらおうではないか。


 何の躊躇いもなく、私は真っ正面からトナカイ男に抱き付いた。

 肩口に顔を埋め、隙間など無くなるようにキツク固く抱き締める。

 密着した部分から伝わる温もり。心を暖める温度。

 手では足りなかったそれが、ようやく満たされたようで。


「満足したかよ?」


 すぐ真上からふる声に顔を上げる。

 至近距離で見えるトナカイの顔。思わず笑ってしまった。


「トナカイさんも、ぎゅーってしてくれたら」

「あー、はいはい」


 もう色々と諦めたのだろうか、トナカイ男は断ることなく素直に私の我が儘にしたがってくれた。

 背中に回る腕。包み込むように私を抱き締める温度。

 それがとても心地よくて、思考がだんだんと蕩けていく。


「眠いのか?」


 いつの間にか抱き締める力が緩んでいたんだろう。それに気付いたらしいトナカイ男が聞いてくる。

 私はこくんと頷いて、微睡む意識の中トナカイ男を見上げた。


 本当は例年と同じように、一人寂しいクリスマスを過ごすはずだった。

 けれど、例え夢でも今年は寂しいクリスマスなんかじゃない。

 このトナカイ男が一緒に過ごしてくれた。

 話を聞いて、我が儘まで聞いてくれて、こうして抱き締めてくれている。

 それがどんなに嬉しいことか。


「トナカイさん、ありがとね」


 眠気で重たい身体。

 それでもどうにか動かして、トナカイ男のもふもふな頬っぺたにキスをした。

 一瞬身体を強張らせたトナカイ男が何か喚いていたようだけど、意識はすでに落ちかけており何を言っているのか一切分からなかった。




 今年のクリスマスは、いつもより素敵なクリスマスだった。

 ただの夢。されど夢。

 心を暖める温もりは、夢であれど確かに存在して私を包んでくれたのだから。

 きっと目覚めは気持ちのいいものだろう。

 そのためにも、今は深く眠ろう。

 温もりを忘れぬように。この夢を忘れぬように。

 いつかまた、トナカイ男の夢が見られるようにと、そう願って……。























「っとに、酔っ払いって奴はなに考えてんだかわかんねぇよな」


 すぅすぅと眠る私を抱き締めたまま、トナカイ頭の男はそう悪付く。しかし、言葉とは裏腹にその声は穏やかに響いていた。


「……俺が絶対リア充にしてやるからな。だから、お前の魂、寄越せよ」




 私は何も分かっていなかった。

 ミニスカボインなサンタっ娘も、光り出した魔方陣も、トナカイ頭の男も、契約も、あの抱き締めた温もりも。

 夢だと思っていたあの全てが現実に起きていたと言うことを。


 眠りから覚めてもトナカイ男が部屋にいることに驚き、夢だと思っていたものがそうじゃなかったと知り愕然とし、トナカイ男にたいして色々仕出かしたあれやこれやを思い出して悶絶する私が見れるのは、あと数時間後のことである。



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