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6/8

第六話:見え始めた終わり

 1


 銃弾は肩を貫通していた。

出血こそ今は止まっているものの、痛みはずきずきと頭の芯にまで響いてくる。

阿久津は部屋には戻らず、ロビーの椅子に腰掛けていた。

 隣においてある救急箱は、近くの空き部屋から持ってきたものだ。

阿久津は痛みに顔を歪めながら、白衣を脱ぎ、ワイシャツを裁縫用のはさみで肩口まで切り取った。

露になった傷口は、自分で見ていても思わず目を背けたくなるような光景だった。

肩口から二の腕にかけて伝った血は乾き、べったりと皮膚に張り付いている。

身体は身震いするくらいに寒いのに、傷口だけが未だに熱を持っている。

焼けるような熱さ、そして痛みが何度もこみ上げてくる。

 阿久津はガーゼを適当な大きさに切り取り、消毒液を染み込ませる。

それをまずは身体の正面の方の傷口にあてがう。


 「……っ!」


 阿久津は痛みに顔をしかめる。

止まったはずの血が再び噴き出してしまうのではないかと思った。

あてがったガーゼが落ちないように、阿久津は患部を紙テープで固定した。

すでにガーゼはうっすらと桃色に染まり、徐々にその染みを広げている。

 そしてここからが問題だった。

銃弾が貫通しているということは、早い話が体に穴が開いているということだ。

要するに、入り口があれば出口もある。

背中側の箇所にも、銃弾が貫いた傷口が残っているのだ。

だが、左腕が全くといっていいほど使い物にならない今の阿久津にとって、背中のそこは視界にも入らない。

とても自分の右腕一本だけでは傷口の場所が見えないのだ。

しかし、だからといって傷口をそのまま晒すわけにもいかない。

放っておけば化膿するだろうし、細菌感染を引き起こせばもはや自力での治療は不可能だ。

 できることなら病院でちゃんとした治療を受けたいところだが、今の状況ではそれもかなわないだろう。

医者に見せれば傷は治るかもしれないが、同時のこの傷が銃創だということも一瞬で見抜かれる。

病院側がそれを警察沙汰にせずに保留するとは思えない。

そこから事件性が発覚すれば、阿久津はもちろん日下部の身柄も拘束されざるをえないだろう。

そうなれば、もうあとは時間の問題だ。

そういう事態への展開は防がなくてはならない。

阿久津自身のためにも、何よりも日下部のためにも。


 『……そこに残された時間が、絶望的なまでに少ないと知っても、ですか?』


 赤嶺の言葉が重くのしかかる。

そうだ。

もう、残された時間はわずかしかない。

だからせめて、そのときを迎えるまでに……。


 「分かっているさ、そんなことは……」


 阿久津は自分の手を開いた。

そこは、自身の体から流れ出た血潮で溢れていた。

今まで誰の手を握ることもなく生きてきて。

知らぬ間に、数多の生命を食い散らかした。

そして、かつての友を撃ち、撃たれた手。

そんな汚れきった体にも、こうして血が流れている。

阿久津は今、確かに生きている。

 目の前の現実から逃げ出して、身勝手な驕りで生命を弄び、それでも救いたい人がいる。

そのためには、何だってやってみせる。

死は怖くない。

本当に怖いのは、まだ伝えられないたった一つの真実。

それだけが、阿久津の心を徐々にしめつけていく。


 「……」


 時間だけが過ぎていく。

阿久津の時間と、彼女の時間。

だがそれは、決して平等ではない。

いつか、お互いに終わりを迎えるときがくる。

そのとき、阿久津のその手は何を掴んでいるのだろうか。

血塗れたそのてのひらに、何を求めているのだろうか。

阿久津はゆっくりと手を握る。

まだ、答えは見つからない。

 阿久津は再びガーゼを手に取る。

首だけで背中を見てみるが、どうがんばっても反対側の傷口が見えてこない。

なんとか左腕も動かそうとするが、そのたびに肩口に激痛が走った。

そしてまた痛みに顔をしかめていると


 「……阿久津さん?」


 ふいに、通路の奥からそんな声がした。

阿久津が肩越しに振り返ると、そこには壁に手を添えながら立っている日下部の姿があった。


 「……日下部、何をしている?」


 しまったという叫びを押し殺して、阿久津はつとめて冷静に言う。

答える前に、日下部はよろよろとおぼつかない足取りで進んでくる。

それがあまりに危なっかしくて、阿久津は思わず立ち上がって日下部のところへ歩み寄った。


 「無理をするな。その足じゃ満足に歩けないだろう」

 「すいません。でも……」


 日下部は口ごもる。

そして何かを言い出そうとしたが、それよりも早く阿久津の体の異変に気付いた。


 「阿久津さん、それ……血が」

 「……なんでもない。もう血も止まった」

 「なんでもないわけないじゃないですか!」


 日下部は叫んだ。

そのことに阿久津は驚き、一歩後退する。


 「ちょっと、見せてください」

 「……平気だ。このくらいはなんでもない……」


 言い終える前に、日下部は阿久津の二の腕に触れた。


 「……っ!」


 阿久津は声を殺したが、その様子で日下部にはばればれだった。


 「全然大丈夫じゃないです! 早く手当てしないと……」


 阿久津は観念した。

さすがにもうケガを隠すなんてことは無理のようだ。

どの道自分ひとりでは満足に包帯も巻けないので、阿久津はしぶしぶ口を開いた。


 「……そこに救急箱がある」


 阿久津は指を指す。

今にも駆け出しそうな日下部を制して、阿久津は肩を貸した。

これではどっちが患者なのか分かったもんじゃない。

 日下部は阿久津に言われたとおりにガーゼに消毒液を染み込ませ、それを反対の傷口にテープで固定した。

それから脇の下を通す形で包帯を巻きつけ、二ヶ所の傷口を固定した。

応急処置に過ぎないかもしれないが、これでいくらかはマシになったろう。


 「すまない。助かった……」


 阿久津は小声で呟く。


 「いえ……。でも、どこでそんなケガを……」


 阿久津は言葉に詰まった。

バカ正直に銃撃戦をしたなどと言えるわけがない。

しばし間をおいて、阿久津は答えた。


 「古傷なんだ。昔にちょっとした事故に遭ってな。さっき外を歩いてるときに、足を滑らせて強く打った。そのときに傷口が開いてしまったみたいだ」


 どう聞いてもそれは言い訳に過ぎなかった。

古傷がそんなに簡単に開くわけがないし、よく見れば傷が真新しいものと分かる。

しかし、それでも日下部は


 「そうですか……」


 そう一言言うだけで、あとは何も聞かなかった。


 「それより、日下部こそどうした? 何かあったのか?」

 「私は……」


 手洗いということも考えられたが、そんな様子ではない。

考えられるのは、阿久津に何か用事があったということくらいだが。


 「……夢を、見ました」

 「夢?」


 日下部は小さく頷いた。

顔色は変わってないが、ひどく沈んだ様子に見える。


 「……阿久津さんが、いなくなっちゃう夢でした」

 「……」

 「阿久津さんはすぐ近くにいるのに、背中しか見えなくて……声をかけても振り返らないんです。その背中も、なんていうか……幻みたいに儚げで、虚ろで……本当はそこにいないんじゃないかなって思えるくらいで……」

 「日下部……」

 「それで、ちょっと目を離したらいなくなっちゃうんです。周りは真っ暗で、何にも見えなくて……。やっぱり、何度叫んでも誰も答えてくれなくて。目が覚めたら、急に怖くなっちゃって。でも、阿久津さんの名前を呼ぶのも怖かったんです。もし返事が返ってこなかったら……いなくなっちゃったらって思うと、怖くて……」


 日下部の声は涙声になっていた。

阿久津はその言葉に胸を痛める。

そのとき、阿久津は部屋にはいなかった。

ちょうど今いるこの場所で、傷の手当てをしていた。

 いるはずの人がいない。

それだけのことでも、今の日下部は壊れそうなくらいに脆い。

いつの間にか彼女の中で、阿久津という存在はかけがえのないものになっていた。

悪夢から覚めた日下部は、何を思ったのだろう。

壁一枚隔てたその場所に、阿久津がいないと分かったら。

彼女の心は、粉々に砕け散るかもしれない。


 「……すまない」

 「……違うんです。阿久津さんが悪いんじゃなくて、私が弱いから……」


 俯いて、日下部は無理して笑った。


 「……そんな顔をするな」


 阿久津はそっと日下部の頭を撫でた。


 「お前は、自分が思っているほど弱い人間なんかじゃない。弱い人間は、自分の弱さを認めることなんてできないんだ」


 それだけ言って、阿久津は立ち上がる。


 「部屋に戻ろう。ここは冷える」


 言って、阿久津は日下部に手を差し伸べた。

日下部は黙ってその手を握り、目元を拭って立ち上がった。

二人の足音が、廊下の奥の闇に吸い込まれていった。


 2


 夜明けが近づいてくる頃になっても、阿久津は眠ることはできなかった。

傷の痛みもそうだが、あれこれと頭に色々なことが浮かんできていた。

その大半はやはり日下部のことで、思えば思うほど、悩めば悩むほど、阿久津は自己嫌悪に侵されてしまう。

時間が巻き戻ればと、何度思ったことだろうか。

それが現実から目を背けていることだと知りながらも、願わずにはいられなかった。

 阿久津は微かに身震いした。

部屋に戻ってからずっと、暖房の一つもつけていなかった。

羽織っていた白衣は血に染まってしまい、ワイシャツも左肩から先の部分がなくなっている。

そんな格好でよく今まで寒さを感じなかったものだ。

今更になって思い出したように、阿久津はタオルケットを背中から羽織った。

その程度で寒さは紛れたりしないが、妙に気分は落ち着いている。

それも寒さのせいなのだろうか。


 「こうしている間にも、時間はなくなっていくんだよな、礼二……」


 阿久津は赤嶺の言葉を思い出す。

もっとも、それは赤嶺に言われるよりもずっと前に阿久津も気付いたことだったのだが。

それでも阿久津は、まだそのことを言い出せないでいた。

いや、言えなかった。

その言葉はあまりにも単純で、そしてこの上なく残酷だった。

それは、ただ一言。


 『お前はもう、長くは生きられない』


 ただそれだけのこと。

それゆえに、言い出せない言葉だった。

阿久津はずっと知っていた。

日下部の終わりのときが、そう遠い未来のことではないことを。

今日という日が終わる頃に、彼女の命も終わりを迎えてしまうかもしれないということを。

 言うなれば、日下部の体にはタイマーの止まった時限爆弾が組み込まれているようなものだった。

今はタイマーが止まっているが、いつ作動するか分からない。

作動してしまうと、爆発まではもうわずかな時間しか残されていない。

そして追い討ちをかけるように絶望的だったのは、その爆弾はどんな手段を用いても解除できないということだった。

世界中のありとあらゆる最先端の技術を用いても、取り外しは不可能。

延命の措置すらもままならないのだ。

これほど厄介な爆弾が他にあるだろうか。

 唯一爆弾を止めることができるとしたら、それは不発の奇跡を信じることしかない。

だが、それでも日下部は救われない。

不発でさえも、それは彼女の死を意味するからだ。

もとより、その爆弾は爆発などはしないのだから。

タイマーが作動したら、あとはカウントがゼロになるまで待つしかない。

そしてゼロの時間の訪れは、彼女の死を意味するのだ。

 では一体、なぜそんな爆弾を抱えているのか。

これに至ってはもっと残酷だ。

爆弾は誰の意思によってつけられたものでもない。

あえて誰かいるとするならば、まさしくそれは神しかいないだろう。

その爆弾は、言わば当然の結果だった。

 なぜなら、日下部はクローンだからだ。

クローン技術は確立こそされ始めているものの、完成した技術ではない。

薬品でも同じことが言えるように、必ず新薬が開発された後も安全性を確かめる時間が設けられる。

様々な段階を経て、安全だと判断されて始めて市場に出回るようになるのだ。

つまりそこに、どうしても避けては通れない副作用や反作用、反発などが生じる。

 日下部の抱えた爆弾は、まさにそれだった。

彼女はクローンの体であるゆえに、いつ死ぬか分からないという爆弾を抱えてしまった。

確かに普通の人間でも、誰も自分がいつ死ぬなんてわかるわけはないだろう。

しかし、前兆はある。

長く生きれば寿命が近づくし、重病や不治の病などなら宣告によって知ることができるだろう。

 だが、クローンである日下部にはそれがない。

クローンが病気にならないというのではない。

逆に、どれだけ健康な体で病気の一つを抱えていなくても、ある日タイマーが作動してしまえば何もできずに死んでしまうのだ。

なざならそれは、すでに決められた結末だからだ。

クローンとして生まれた瞬間に、全てのクローン体はその爆弾を抱えてしまうのだ。

 だから、そこには誰のどんな意思も存在しない。

それどころか、爆弾と表現はしているものの、実際に爆弾そのものが仕掛けられているわけでもない。

ゆえに、取り外しも解体もできない。

こんな言葉で言い含めるのは科学者の端くれとしておかしいことだが、まさしくそれは運命と呼ぶしかないものなのだ。

 それが変えられる運命ならいいだろう。

だが、これだけは絶対に覆ることはない。

何があろうと、定められたそのときを迎えれば彼女は死ぬ。

抵抗も何もできないまま、ただ死んでいく。

なぜならそれは、あらかじめ決められていた終焉だからだ。

 そして、阿久津は知っていた。

予測の結果では、日下部の命が終わりを迎えるのは、どんなに遅くても17歳に至る前だということを。

16年前に、日下部楓の遺伝子から作られた今の日下部は16歳だ。

つまり、彼女はどんなに遅くても今年が終わるまでに……死亡する。

 阿久津はその事実だけを、未だに日下部に伝えることができなかった。

言葉にすれば、本当に短すぎるものなのに。

……言えない。

言えるわけがなかった。

決して望んで生まれてきたのではない日下部が、すでに終わりを決められて生きてきたなんて……。


 「……俺には、できない……」


 自分はもう、日下部に対してどれだけの罪を重ねてきただろう。

そして彼女には決して望んだ未来が手に入らないことを知りながら、今もこうしている。

それは、もはや罪を通り越している。

そんな自分が生きて、なぜ何の罪もない日下部が死ななくてはならない?

どうしてこの世界は、そんな理不尽な運命を受け入れることができるのだ?

彼女はただ、望まずに生まれてきただけなのに。

何も悪くないというのに。

 阿久津は己の無力さを思い知る。

全てが自分の責任だとは思わない。

そうは思わないが、だからといってそれを理由に見捨てることなどできるわけがない。

阿久津でなくても日下部を救えることはできない。

それだけは絶対だ。

 もしも奇跡なんてものがこの世界に存在するのなら、阿久津は何を犠牲にしてもそれを手に入れるだろう。

そして日下部を救うことをためらいなく選ぶだろう。

彼女に生きる道を示せるのならば、それこそ悪魔に魂を売ったって構わない。

その手で数え切れない人だって殺してみせるだろう。

なんだってやってみせるはずだ。

その先に、確かな未来があるのならば。


 「……」


 阿久津は机の上に置いた拳銃を握る。

銃弾はあと5発装填されている。

だが、もうこの銃を誰かに向けることはないだろう。

阿久津は決めていた。

そしてもう、後戻りはできない。

赤嶺の命を奪っていないとはいえ、友に銃口を向けた時点でそれはもう手遅れだった。

人の命を奪う道具を人に向けたその時点で、もう阿久津は誰も救えはしない。


 『お前には誰も救えはしない』


 その通りだった。

どれだけ否定しても、結局は行き着く先がそこだった。

本当はずっと前から……多分、日下部を連れて逃げる前から、阿久津はその言葉に気付いていたのかもしれない。

そして同時に、決めていた。

日下部が終わりを迎えたそのときに、自分もそこで終わりを迎えようと。

だからもう、この銃は誰も傷つけない。

 阿久津は弾を一つだけ残し、残りを抜いていく。

最後の一発は、彼自身を終わらせるためのもの。

やがてやってくるであろう、そのときに。

自らの頭を貫く、断罪の銃弾。


 「日下部、決してお前一人では死なせない。俺も、一緒だ……」


 夜が明ける。

残された時間は、阿久津が思うよりもずっと少ない。

彼女は今日も、彼と同じ月を見上げることができるのだろうか。

その答えは、誰も知らない。


 3


 何となくだけど分かっていた。

阿久津さんは気付いているかどうか分からないけど、彼は嘘をつくのがヘタだ。

普段からあまり表情を変えないせいか、そういうときになるとすぐに分かってしまう。

阿久津さんが嘘をつくということは、それはまだ私が知らないことがあるのだろう。

 だけど私は、それを無理に知りたいとは思わなかった。

まだうろ覚えな部分もあるけれど、少なくとも今に至るまでの記憶はある程度取り戻した。

阿久津さんの話してくれたことにも嘘はないと思う。

それでも、私の中にある記憶なんていうものは本当にちっぽけなものだった。

時間に言い換えるなら、まだ3日程度のものだ。

 結局私は、自分が生まれたそのときのことを覚えていない。

クローンだということは理解してるし、事実なのだということも分かっている。

けれど、やはり実感が沸かない。

遺伝子から作られたとはいえ、見た目も中身も人間そのものなのだから。

ただ、私の場合は生い立ちがちょっと普通ではないだけの話。

阿久津さんの話を聞いて、私は私自身をそう改めて認識した。

だって、どんな理由だろうと私はこうして生まれて生きているのだから。

 それは確かに、望んだものではなかったけれど。

でも考えてみれば、誰だって望んで生まれてくるわけじゃないのだ。

そう考えれば、私は生まれるべくして生まれたわけではないけれど、それでも生まれたことに感謝すべきなのだ。

 そして生まれたからには、精一杯生きようと思う。

今の私が置かれている状況は、決していいとはいえないものだけれど。

私は今、一人じゃないから。

この先にあることなんて、私の目には映らないけど。

それでも私は、一人じゃない。

阿久津さんがいてくれる。

そう思うと、私の心はふわっと軽くなる。


 「……これって、やっぱり……」


 口には出さずに、私は心の中で小声で呟いた。

好き、なのだろう。

そうだと思う。

まだはっきりとしない部分は多いけれど、それでも私は阿久津さんに惹かれている。

考えただけで夜も眠れなくなる、とまではいかないけれど……。

それでもやはり……。


 「……好き、なんだろうな」


 それは確かに、私達の置かれた状況がそうさせているのかもしれない。

追われる身として一緒にいるからなのかもしれない。

でもきっと、やはりそれだけじゃないと思う。

うまく言葉にはできないけど……そういうものがあるんだと私は思う。

 私は枕に顔を沈めた。

眠気はもうなくなっていたけど、こうして目を閉じれば眠ることはできるかもしれない。

眠れない原因は、阿久津さんのことだった。

さっき見たあの肩のケガ。

阿久津さんは古傷が開いたと言っていたけれど、どうなんだろう。

私は医者でもなんでもないから、傷の度合いとか何が原因とかは全然分からない。

だけど……。


 「あの匂いは……」


 阿久津さんに包帯を巻いたとき、かすかに鼻先をかすめたその匂い。

絶対の確信は持てないけど、あれは多分……。


 「火薬……」


 正確にはそうではないかもしれないけど、煙のような匂いがしたのは確かだった。

そして、暗がりでよくは見えなかったけど、阿久津さんの脱いだ白衣の内側に銀色に光るものが見えたような気がした。

もし、もしも。

あれが拳銃だったとして、煙の匂いが火薬だとすると、それはつまり……。

 そこまで考えて、私は考えるのをやめた。

それ以上は考えてはいけないような、そんなブレーキがかかったのだ。

楽観できるケガではなかったけど、阿久津さんが無事だったからそれでいいと思うことにした。

でも結局、そのことがあとを引きずって全然眠れない。

今こうして横になって、わずかに眠気が訪れてきたのは幸運だった。

私はその眠気に身を任せて、そのまま眠りの中へ入っていった。

だけど、私は本当は分かっていたのかもしれない。

 阿久津さんは拳銃を持っていて、私が知らない間にあのケガを負うような何かがあったのではないのかと。

あの肩の傷は、銃で撃たれたものなのだろう。

そうでなければ、あんな風に二ヶ所に傷口ができるはずがないのだから。

 でも今は、それを知るときじゃない。

阿久津さんも自分から口を開くことはないかもしれない。

だったら、それでもいい。

今は寝てしまおう。

何もかも忘れて寝てしまおう。

明日になれば、きっと……。


こんにちは、作者のやくもです。

やや時間がかかってしまいましたが、どうにか六話まで書き終えることができました。

どうやら自分で思っているよりも、残された話は短いものになるかもしれません。

なにはともあれ、物語はもうすぐ終わりへと向かいます。

私としても、年内にこの物語を完結させたいなと思っています。

ですので、皆様もうしばらくお付き合いくださいませ。

それではこの辺で。

次回でお会いしましょう。


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