ボウイの場合 ーボウイー
動物病院の前にたどり着くと、すでに閉まっていたが、中の照明はついている。
「すみません。お願いします!」
大声をあげながら、ガラス戸を叩く。これを二度三度繰り返したところで、中から若い看護師の女性が現れた。
「どうかされましたか?」
「この猫が……」
そういったまま言葉が続かず、抱きかかえた猫を見せる。
「先生を呼んできます」
看護師は、僕を治療室に通すと、医師を呼びに行った。
「どうしました?」
白髪で小太りの医師が白衣を着ながら現れた。
「えーっと、猫が……」
そういったまま、何も説明できない。医師に猫を渡すと、治療台の上に横たえた。猫は、呼吸しているものの、相変わらずぐったりとしたままだ。
「あなたの猫ですか?」
「えーっと、あの……そうです」
とっさに、自分の猫だと言ってしまった。
「とにかく診ましょう」
看護師が持ってきくれたタオルで頭を拭きながら、治療の様子を見ていた。体に傷がないかを確認し、聴診器を当てる。
「少し呼吸と脈が少し弱いですが、大丈夫です」
そういって医師は、口を開けて中を覗いたり、腹に指をあててみたりして、診察をつづける。看護師がタオルで猫の体を優しく拭き、温めると、猫はうっすらと目を開け、また閉じた。
「おっ」
診察台の横で見ていることしかできないもどかしさから、つい言葉が漏れ出てしまう。
「レントゲンを撮りましょう」
「はい」
別の看護師が猫を抱き上げると、医師と一緒にレントゲン室へ入っていく。
「では、その間に、猫ちゃんのこと、教えてください」
看護師が問診票を持ってくるが、何も書くことができない。名前はおろか、性別すらわからない。知っているのは目の色だけだ。
「えっと、実は、あの猫とは知り合いというか、友だちというか。たまたま通りかかったら、公園で場所に倒れていたものですから」
「そうなんですね。仮でいいので、名前を付けてあげてください」
「名前ですか……」
僕は、猫と出会ってから今までのことを、天井で激しく光る電球色のLEDを見つめながら思い返してみる。絆というほど深くはないけれど、偶然というほどあやふやなものでもない。お互いにそこにいることを認めている、そんな関係だ。
「うーんと……じゃ、ボウイで」
「ボウイですか?」
「デヴィッド・ボウイみたいな目をしてるんですよ、あいつ」
「女の子ですよ……」
看護師がそう言ったとき、ようやく笑顔を浮かべる余裕ができた。
医師が戻ってきた。すばやくレントゲンのフィルムをシャウカステンに差す姿がスマートだ。淡い紫と黒のモノトーンで浮かび上がった猫の骨格に、何もわからないけれども、ついつい見入ってしまう。
「骨にも異常は見当たりませんね。熱もないですし、脈も呼吸も安定しているので、命には別条はないと思います」
「よかった」
医師は、軽く口を尖らせながら、再度、脈や呼吸を確認している。
「公園で倒れてたんですよね? うーん……理由がよくわからないですね」
「そうなんですか」
「一週間後にもう一度来てもらえますか? 血液検査の結果がでるので」
「わかりました。無理言って、すみませんでした。ありがとうございます」
会計で八千円を請求されたときには、ぎょっとしたが、表情に出さないように支払いを済ませた。僕はボウイを抱いて歩きながら、困ったことになったと思った。猫なんて飼ったことがない。飼っちゃいけないアパートだし。猫って鳴くよなとか、トイレのしつけってどうするんだろうとか、こまごましたことを考えると、余計なことをしてしまったかなという思いがよぎる。でも、これでいいのだ。




