ボウイの場合 –オッドアイの猫–
じっとりと体にまとわり付く汗で目を覚ました。三日ぶりに雨が上がって、窓から西日が差している。きしむ関節が痛い。けだるい気持ちを奮い立たせて立ち上がる。
シャワーを浴びるべきか、ランチを買いに行くべきか。こんな日は、そんなことすら大いなる悩みになる。しばらく考えた末、寝癖を押さえながらコンビニに向かった。久しぶりの青空だ。
ビニール袋を指先に引っ掛けて店を出る。店内と外気の温度にギャップがありすぎてため息が出た。会社を辞めてそろそろ二か月になる。何かを始めなければ、何も始まらないのは承知している。しかし、キビキビと決めたことをこなしていく自分を妄想しては、それだけで時間が過ぎていってしまう。そして、一日が終わる頃に自分の無力さに酷く落ち込むのだ。今の僕には夕暮れの太陽すらまぶしい。ずっと梅雨空が続けばいいのに。雨だけが自分を肯定してくれるような気がする。
導かれるように近くの公園に足が向かう。公園の入り口近くのベンチに腰を下ろし、袋から牛乳とサンドイッチを取り出す。うまくもまずくもない。ただ、生理的にサンドイッチを口に運んでいた。
視点を定めず遠くを見ていると、いつの間にか一メートルほど離れたところに猫がいた。野良猫だろうか。僕の正面にこちらを向いて座っている。毛の色は白地に黒で、顔の右三分の一が黒く、少し汚れている。
僕は、普段からあまり猫に気をはらうことはしない。猫は、こちらが構ってやろうと思っていても、その気がなければ、こちらの姿が見えないかのように無視を決め込むか、魔物にでも出会ったかのように、一目散に逃げて行ってしまう。そんなときには、手を差し出したことすら損をした気分になる。だったら、最初から構わなければいい。
しかし、この猫は、その辺にいる猫と変わらないのだけども、何だろう、違和感がある。ベンチに座ったまま、僕のことなどまるで気にも留めないその猫を凝視した。
「ん?」
久しぶりに声を出した。この猫、右目が緑、左目が黄色だ。好奇心のままに、ゆっくり、音をたてないように上体を前に倒して、顔を近づけてみる。
「デヴィッド・ボウイみたいな目だな。ほれ。もう少し、近くに来いよ」
残ったサンドイッチを手にそっと立ち上がると、猫はすばやく翻り、あっという間に姿を消した。
次の日、雨は降っていないけれども、重たい雲が空を覆っている。ひどく蒸し暑く、どんなに扇風機の風に当たっても、纏わりつく湿気をはらうことができない。昨日の怠惰な過ごし方を反省し、午前中に起きて履歴書を二枚書いた。ちょうど区切りが良いので、ランチを買いにコンビニに向かう。
グループ会社への出向を求められたとき、「いらないと言われたのに、それに甘んじてここに行くわけにはいきません」と大見得を切って会社を辞めた。人生を自分の力で切り開いてやろうと固く誓ったのは本当だし、今でもそのモチベーションを持ち続けているつもりだ。しかし、いくらやる気があったところで、それに見合った結果がなかなか出てこないのだ。焦るほど空回りして、無駄に日々が過ぎていき、経済的にも追い詰められて、身も心も貧しくなっている。
「なんとかしなきゃな……」
コンビニから自宅までの帰り道、昨日の公園を覗いてみた。すると、昨日の猫が、昨日と同じ位置に座っている。それだけのことだけれども嬉しくなって昨日と同じベンチに座った。
「よぉ」
猫は、僕の動きを全く気にせず、同じ位置でこちらに顔を向けて座ったままだ。コンビニの袋からおにぎりを取り出し、猫の気を引くために、大げさに見せつけるようにして食べてみる。すると、猫は鼻をひくひくさせながら、緑と黄色の目でこちらを見上げた。
「欲しいか?」
おにぎりから小指ほどの米の塊をちぎって猫に向かって投げると、猫の右五十センチほどのところに落ちた。猫はゆっくりと米の塊に鼻を寄せ、匂いを嗅ぐと、興味なさそうに顔を上げた。
「腹減ってねぇの?」
今度は、おにぎりの鮭を少しちぎって指先で飛ばしてやる。すると、猫は臭うこともせずに食べた。
「おめぇ、現金な奴だな」
二か月ぶりに、僕は笑った。
強い風が吹いてきたと思ったら、黒い雲から大粒の雨が落ちてきた。食べかけのおにぎりを口にねじ込んで立ち上がると、猫はすばやく茂みに身を隠した。




