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わたしはねこ

作者: 猫餅

 わたしはねこ。あの子がそう呼んだ時から、わたしはずっとねこである。


 わたしは様々な者たちの生き様を見守って来たねこだ。時に王族の、時に貧民の、時に竜の傍に生きるねこなのだ。


「ねこ、ねこ」


 今の主がわたしを呼ぶ。なので、わたしは主の元へ向かわねばならない。ねことは、そういうものであるらしいので。


 三角の耳に、しゅるんと長い尻尾。四足で、爪は鋭い。だが、その爪で主を傷つけないように出来る、偉いねこ。それがわたし。良い子である、ということだ。


 わたしの主となる者は、大抵がわたしに甘くてわたしを傍に置きたがるので、ねこであるわたしは彼らの願いをいつも叶えてやっている。ねこは優しいのだ。


 今の主は、とあるお屋敷の屋根裏に押し込められた女性だ。彼女はこの家に嫁いで来たそうだが、旦那には他に愛する女がいて、既にこの屋敷に住んでいたという。


 使用人もほとんどがその女の味方で、本来屋敷の女主人として家の一切を取り仕切るはずの彼女は、薄ら暗い屋根裏部屋で寝起きしている。


「ねこ、ねこ」


 わたしを呼ぶ彼女の傍に寄って、額を頬に押し付けてやる。そうすると、大抵の者は喜ぶからだ。彼女も例外ではなくて、嬉しそうにわたしの体へ抱き着いて来た。


 ねこは良い子なので、わたしに縋りつくしかない彼女を突き放したりしない。彼女の味方は実家から連れて来た少しの使用人だけである。


「わたくしのねこ、愛しいねこ」


 彼女は、嘗て大輪の薔薇のようだと褒めそやされていた彼女は、その愛情をわたしにだけ注ぐ。旦那などとうに見切っていて、だけれど実家にも帰れやしない子なのだ。


 ねこは、可哀想な子にも優しくあるので、自慢の毛を涙で濡らされても怒らない。嘘、ちょっとやだ。


「あなただけよ。あなただけを愛しているの。結婚なんてしたくなかった、ずっとずっと、あなたと二人でいたかった。ああでも、あの女がいて良かったわ。だってわたくし、こうしてあなたと一緒にいられるのだもの」


 彼女は青い瞳にうっとりとわたしを映してそう言う。彼女付きの使用人たちも、「良かったですね、お嬢様」と微笑ましく見守ってばかりだ。何も良くはないと思うのは、ねこだからだろうか。


 旦那は自分の嫁に見向きもせず、平民の女を囲って楽しそうである。最低限の義理としてか、屋根裏部屋ながら部屋の中は暖かく、ベッドもふかふか。ねこが寝るにも丁度良い。


 食事も出されるが、彼女が食卓に呼ばれることはない。この屋根裏部屋で、わたしを眺めながら楽しそうに食事をしているので、まあ、良いのかもしれないけれど。


 ねこはいつだって主の味方なので、旦那もあの女も好きではない。主はわたしと共にいることが出来て幸せだと言うが、人間というのは、一つの部屋にずっと閉じ篭っていると、頭が変になってしまうことは知っている。ねこは賢いのだ。


 彼女は出会った時からこんな調子だったので、多分まだ頭が可笑しくはなってないのだろう。わたしの傍で本を読んで、太陽の光は窓を開けて浴びているお陰かもしれない。


 だが、ほとんど運動さえさせて貰えない彼女の体は、そんな日々が続くに連れて、食べる量も体重も減って行く一方だ。


 これは宜しくないと、わたしは知っている。このままだと、彼女は立ち上がる力もなくなって、この寂しい場所でわたしを撫でることも出来なくなるのだ。全く、そんなことも分からないとは、忌々しい旦那と女である。


「ねこ、ねこ」


 彼女がねこを呼ぶ。なので頬を舐めてやると、嬉しそうに、少女のように笑うのだ。きっとあの旦那も女も彼女のこんな表情は知るまい。


 ねこは情が深いので、主を傷つけられることに敏感だ。本当なら、この屋敷で彼女を傷つける者全員の顔を引っ掻いてやりたい。それを我慢してやっているので、とても優しいだろう。


「ねこ、ねこ」


 はいはい、ねこだよ。わたしを求める彼女の頬に、肉球を押し付けてやる。これをすると、大抵の者は喜ぶので。そして、例に漏れず彼女もまた嬉しそうに笑った。その顔は痩せて来ているが、美しさは損なわれない。


 たまに部屋の中で追いかけっこをしているので、そのお陰もあるだろう。ねこは、主の健康状態にも気を使えるので。このくらいは朝飯前、というものなのだ。


 最近、屋根裏部屋の扉の前にあの旦那がやって来て、結局ノックも出来ずに去って行っている。意気地なしめ。


 そしてその所為で女の方は苛立っているようだが、あの旦那の前でも使用人の前でも心優しいワタクシを演じて来たから、彼女に嫌がらせをすることも出来なくて歯噛みしているようである。まあ、そんなことはわたしが許さないのだが。


「ねこ、最近扉の前で物音がするの。怖いわ、怖い。ねこ、ねこ。あなたのことは、わたしくしが守るから安心してね」


 それは旦那だよ、と言っても彼女にはねこの言葉が分からないので、適当に鳴いておく。あんな不審行為を繰り返しているから、彼女が怖がっているではないか。次に来た時は見てろよ。


 そして、またやって来て扉の前で無駄に腕を上げ下げしている旦那の姿を見つけたので、その背中に思い切り頭突きをしてやる。すると体勢を崩して扉に額を思い切りぶつけ、気を失ってしまった。弱っちいものだ。


 物音に驚いて、でもすぐに無音になり、暫くそれが続いたのでゆっくり扉を開いた主が、扉の角に旦那の頭をゴツンとぶつけた。あ、痛そう。だが、旦那はまだ起きない。


「ま、まあ……こんなところで、何をなさっていらっしゃるの? ……あ、あら? もし、もし? 寝ていらっしゃるのですか……?」


 彼女は困惑している。まあ、そうだろう。今まで影も形も見せなかった旦那が、自分の部屋の前で気絶しているのだから。それにしてもこんなところで寝るものか、わたしの主はちょっとお馬鹿な子なのかもしれないという、新発見もあった。


「ね、ねこ。ねこ、わたくしのねこ。どうしましょう、ええっと、今皆出払っているのに」


 わたしに聞いても、ねこの言葉は分からないでしょうに。混乱し切りで可哀想なので、ベッドの上に乗って、尻尾でシーツを叩く。とりあえず寝かせておけばそのうち目覚めるでしょう。


 しかし、か弱い彼女一人で運べやしないことは分かるので、それはわたしがやってあげよう。ねこは、主に獲物を持って来てやるのだから。これは一応獲物ではないけれども。


「ありがとう、ねこ。ああ、一体どうしたのかしら。離縁の申し出? でも、それならわたくしの実家へするのでしょうし……」


 この馬鹿な旦那は、今更になって自分の嫁のことを思い出して、この屋根裏部屋へやって来たのだ。だが、わたしがそれを態々伝えてやるつもりはない。そもそも伝えられないし。


 暫くして、旦那は目を覚ました。「ここは……」じゃないでしょ、どう考えても自分が嫁を押し込めた屋根裏部屋だよ。


 だがしかし、ねこはこういった時に空気を読める存在なのだ。そっと部屋の隅に座って、事の成り行きを見守っていたが、うむ、少し席を外しても良さそうである。


 さて、ねこは獲物を狩るモノなので、狩りに出ねばならない。そう、彼女を苦しめる悪い者を狩るのだ。例え先に屋敷に入り込んでいたのがあの女であろうと、結婚相手は彼女である。


 本来ならば大人しく諦めて身を引かねばならぬのに、この屋敷に居座って毎夜毎夜あの旦那に魅了の魔術をかけ続けた女の暗示を解くのに苦労させられた。


 何せ、ねこの最優先は主なので、彼女の眠っている時間にしか自由に動けないのだ。彼女は必要とする睡眠時間が少なく、屋根裏部屋に押し込められてからはその最中でも目を覚まして「ねこ、ねこ」とわたしを求めるようになってしまった。何もかもあの女の所為である。


「ひっ、いやっ、いや! 来ないで、来ないで化け物!」


 失礼な女だ。わたしはねこ、愛らしいねこ。そんなわたしに対して化け物なんて、酷い物言いである。


 領主に魅了魔術をかけ続け、使用人には暗示魔術を使い続けて来た女。全く、碌でもないことに労力をかけないで欲しい。わたしが迷惑するだろう。


 さて。あの旦那の、領主の魅了魔術は毎夜毎夜解いて、少しずつ抵抗力を上げる魔術をかけておいた。もうほぼ解けている頃だろう。使用人への暗示はもっと楽だ。なので、今ささっと解いてしまう。


 女が呑気にお茶を楽しんでいたテラスには、もう誰の姿もない。


 ねこもまた、ここには用がなくなった。


 彼女はもう主ではなく、わたしは誰のねこでもない。だから、次の主を探しに行こう。


 わたしはねこ。あの子がそう呼んだ時から、わたしはずっとねこである。


 不幸を糧にする、ねこである。


 故に、不幸でなくなったのなら用済みなのだ。

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