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第7話 交渉


 七月中旬、午後五時。

 伊南島、高千穂家の社には海神と島神の絵が飾られている。

 

「二人ともお疲れ。あとは自由に見て回って良いよ」

 

 金吾からの許可を得て、浬は走り出した。

 

「おい! 丈一、早くいくぞ! たこ焼きだ! たこ焼き! こう言う時じゃないと全然食えないんだぞ!」

 

 島の中ではたこ焼きを売る店はない。

 しっかりとしたたこ焼きを食べたければたこ焼き機を購入して家で焼くか、祭りの日に食べるかしかない。

 そして、穂波家にはたこ焼き機は備わっていない。

 

「分かったって」

 

 浬を追いかけて人混みの中に入っていく。この祭りは島民総出で行われるもので、今日はここに多くの人間が集まっていた。

 

「今度はりんご飴だ!」

 

 浬は屋台を見つけては走り回り、食べ物を買い漁っていた。

 

「おお、こっちにはケバブとな!」

 

 普段の生活では滅多にお目にかかれないものが多数だ。丈一も浬に振り回されている様に見えるが、この祭りを楽しんでいた。

 

「俺も焼きそば買おうかな」

 

 色々と見て回っている間に丈一も食べたいものを自然と声に出していた。

 

「なら私は焼き鳥買ってくるぞ!」

 

 そう言って、それぞれの目的の物を買おうと一旦別れる。

 

「焼きそば、焼きそば〜」

 

 丈一が屋台に近づこうとした。

 

「……っ!?」

 

 瞬間、彼は背後から襲われた。


「やめ、離っ……んぐ、んむっ!」


 口元を押さえられ、声が出ない様にされて運ばれる。必死に抵抗を試みたが、解けない。

 鍛えられた身体の持ち主である男数人による犯行。

 丈一は単なる人間でしかない。特別優れた力のない男子高校生だ。力で敵うわけがなかった。

 

「すまない。これも海神様に海に戻ってもらう為だ」

 

 運び込まれたのは祭りの喧騒から離れた、ボロ小屋の中。

 

「……あなたは」

 

 古い椅子に縛り付けられた丈一が顔を上げれば立っていたのは、高千穂家の手伝いをしていた時に浬に迫った漁師の男だ。

 

「誰ですか?」

 

 しかし、名前を知らない。

 父の武陽ならばもしかすれば知っているかもしれないが。

 

「漁師の山田和夫だ。そっちにいるのも俺の漁師仲間だ」

 

 和夫は名前を名乗ってから語り出す。

 

「君とは前もあっているな。高千穂さんのところで」

「……ですね」

「こっちにも事情があってね。私の仲間の酒蔵が熱心に海神様に海に戻るよう説得しても聞き入れてもらえなかったと」

 

 酒蔵が誰のことを言っているのか、丈一にも何となく推察できた。

 

「だから、神に戻ってもらう為に少し強硬手段に出ることにした」

 

 それが丈一の誘拐なのだ。

 

「酒蔵からは海神様は君と一緒にいる所をよく見ると聞いてね」

 

 こうすれば浬も話を聞いてくれるはずだ、と和夫は考えた。大事な人間が人質に取られたなら、きっと海神様も助けようと動くだろう。

 

「安心してほしい。海神様が海に帰るのなら君は自由にする」

「海に……?」

「そうだ。本来、海神様は島にいるべきじゃない。海にいなければならない」

 

 海に帰る。

 丈一だって、何度も口にしてきた事だ。

 自分は孤独ではない。寂しくない。だから、浬はもう海に戻っても良いのだと。何度も断られた。ずっと、断られた。

 彼が『帰っていい』と言えば、浬は『嫌だ』と返す。

 そんなやりとりが当たり前になっていて。帰っていいの一言が冗談になっていて。

 

「…………帰る?」

 

 ピンと来ない。

 

「海神様が海に帰れば全員が幸せだ。君は自由になって、私たちは漁師としてしっかりと稼げる。海神様も故郷が恋しいだろうから」


 それは。


「……違う」


 何かが違う。


「君は自由になりたくないのか?」

 

 全部、決めつけでしかない。

 丈一が自由になるのが幸せだなどと、自分たちで拘束しておきながら。海神が、浬が海に戻りたいなどと勝手に。浬の口から聞いていないというのに。

 

「────和夫さんっ! 海神様を連れて参りました!」

 

 小屋の中に二人が入ってくる。

 

「ああ、酒蔵か」

 

 丈一の考えた通りの男と、もう一人。ひどく不機嫌そうな顔をした浬が立っていた。

 

「お待ちしておりました、海神様」

 

 深々と、和夫はお辞儀をする。

 最大限の敬意を示す、九十度の丁寧な礼だ。

 

「ぜひ、あなた様に海に戻っていただきたく、話し合いの場を用意させていただきました」

「……話し合い、だと?」

 

 浬はピクリと眉を動かした。

 

「はい」

 

 丈一の直ぐ傍に大人たちが寄る。

 

「話をしましょう」

「こんな事をして、話だと?」

「こんな事をしなければ、話にも応じていただけないだろうと思ったのです」

 

 睨みつける浬に対し、和夫は真剣な面持ちで対話を続ける。

 

「私たちからの要求は一つです」

「……………………」

「海に戻っていただきたい」

 

 浬は答えない。

 

「では、こうしましょう」

 

 和夫が他の者たちにアイコンタクトを送る。丈一の近くにいた二人と、研二が頷く。そして丈一に暴行を加え始めた。

 顔を殴りつける。腹を蹴り付ける。

 

「っあ……ぐ、ぅ」

 

 丈一が痛みに喘ぐ。

 彼の鼻から血が溢れる。唇からも垂れている。

 

「お願いします、海神様」

 

 どうか、海に戻っていただきたく申し上げます。

 そう言って彼は再び、深々と頭を下げる。


「どうか、我々をお救いください」


 こんなものは交渉でもなんでもない。

 脅迫だ。浬は拳を握りしめ、ギリギリと歯を軋ませる。下唇を噛みながら、声を絞り出した。

 

「…………るな」

 

 低い声が小屋の中で響く。



* * *



 丈一と浬の付き合いは六年になる。

 願いのために少年が海に身を投じた日から六年だ。浬が今まで誰かと一緒にいる事はなかった。

 これまでに彼女は人間として生活した事はなかった。

 数百年の中の、たかだか六年。

 最初の一年は丈一が海で幼馴染を取り戻そうとするのを防ぐため。現実から目を背けようとする子供を見守るための一年だった。

 

『…………かいり』

 

 丈一の父母から浬という名を貰った。

 

『どうした?』

『…………』

『寂しいか?』

『…………』

『仕方ない、一緒に寝てやろう』

 

 一緒に寝て、一緒に遊んで、一緒に笑った。人間のように過ごした。姉弟のように過ごした。

 怪物も段々と家族に染まっていく。

 寂しさを覚えていたのは丈一だけではなかった。

 

『浬。ゲームやろ』

『ふむ、良いぞ』

『お父さんに買ってもらったから』

『手加減はせんぞ?』

 

 誰かと過ごす中で、海底で神として崇められるだけの生に寂しさを覚え始めていた。人間と交友を持ってしまったから。

 始めの目的は、そうだ。

 丈一が海に身を投げないと自信を持って言えるようになっていれば良かった。

 

『このゲーム、面白いぞ。丈一』

『俺にもやらせて』

『ああ。ほら、一緒にやるぞ。ここに座れ』

『おう』

 

 気がつけば、浬は人間のように生活していた。ゲームを楽しみ、海の底にいた時よりも笑っていた。

 穂波家での生活に、丈一との日々に心地よさを感じていた。

 

「ふざけるなよ」

 

 だというのに。

 

「海神様?」

 

 丈一は椅子に縛り付けられ、血を流している。暴力を振るう手を止める様子はない。

 

「…………」

 

 浬は目の前に立っている和夫に鋭い視線をぶつける。

 

「海に戻れ、だと?」

 

 浬は静かに言葉を紡いだ。

 少女とは思えないほどの低い声。厳かさを感じさせる声が発せられる。

 

「対価は……どうした。要求を通したいというのに、対価がないとはどう言う事だ。私がどんな神であるかをお前たちは知らないとでも言うのか」

 

 一度も求めた覚えがないというのに。

 ここで初めて、浬は。海の神は生贄を要求した。

 

「それではこの少年を────────」

 

 和夫の言葉を「ふざけるな!」と一喝して、最後まで聞くことなく止める。

 

「丈一を生贄に、だと」

 

 彼らの行動が浬の怒りをより一層の物にしていく。

 

「それは、既に私のモノだ」

 

 丈一の身はあの日に生贄として捧げられた。島の神にも言った通りに。目を見開いて怒りを露わにして彼女は続けた。

 

「お前らの中で決めろ。誰が贄になるかを」

 

 和夫が尋ねる。

 

「それでは何故、あの少年は生きているのですか?」


 贄として捧げられたというのに。


「それが……お前らに関係あるのか? 生贄をいつ食うかは私が決める」

 

 少女が一歩詰め寄る。

 

「おい、貴様ら。いつまで、私のモノを嬲っている。その汚い手を止めろ。私のモノから離れろ」

 

 小屋の中が重圧で満たされる。

 動きが制限される。逃げることも出来ないほどだ。原因は浬から放たれる怒気だ。

 

「ぁ……っく」

 

 呼吸も苦しくなるほどに。

 目の前にいるソレは人間の姿をしていながら、人間ではないのだと。和夫たちは思い知る。

 

「お前らの狼藉を私は赦さない。許容しない。報いを受けさせる」

 

 和夫を殴り飛ばす。

 小屋の壁に向かって吹き飛び、勢いよく衝突した彼は意識を手放した。

 

「あ、ああ……っ!」

「ま、待って! 待ってください!」


 恐れ慄くも逃げることは出来ない。

 他の男たちも足が竦み、その場で腰を抜かしてしまっていた。


「次はお前らだ。私のモノに傷をつけたんだ。相応の覚悟は出来ているんだろうな?」

 

 神の不興をかってもおかしくない。


「い、嫌だ! 待って!」

「話せば、話をしま、はな…….!」


 聞く価値がないと言うように人の姿をした怪物が短く息を吐く。そして、一人一人確実に殴り飛ばした。

 片付けはたったの十秒にも満たなかった。

 浬は椅子に向かう。

 

「……丈一、すまなかった」

 

 丈一を縛り付けている縄を解いた。

 殴られ続けていたからか、彼の意識はなかった。

 

「家に帰ろう」

 

 祭りどころではない。

 浬はあの日のように丈一をおぶり、連れて帰る。

 

「…………家に」

 

 今はどこに帰るべきだろうか。

 心の中に迷いはありながらも少女は歩き始めた。

 

「……帰るべき、か」

 

 海を前にして彼女は溢した。


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