表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

好きだとずっと言いたかった

作者: 毛蟹葵葉

勢いで書きました

1


 垂れ目を隠す黒いアイラインとハイヒールさえあれば、私は誰にも負けないと思っていた。

 実際のところは、虚栄心の塊の私は我の強さを押し通すことが本当の強さだと勘違いしていただけだったのだ。


 本当に大切なものはなんなのか、私にはわからなかった。


 手塚友雪と初めて出会ったのは会社でだ。


 彼とは同期で同じ部署で同い年で、何かとお互いに張り合っていた。

 いや、張り合っている。というのは少し違う。


 私が手塚のことが羨ましくてつい嫌な態度を取ってしまうから、向こうも同じような態度になってしまうのだ。


 お互いに少しだけギスギスとしているが、私は彼のことを友達だと思っているし、おそらく彼も同じように思っていると感じていた。


 それが壊れることなんてないと、私は思っていなかった。


「なあ、俺のことどう思っている?」


 いつものように、些細なことで言い合いになりその流れで飲みに行った末の質問に私は思わず瞬きした。

 今まで一度たりとも考えたことなんてなかった。

 手塚のことは、ライバルでもあり……大切な友人だと思っている。

 それ以上でもそれ以下でもなく、どちらかに恋人ができたら距離を置くことになるだろうけれど。

 あっさりとした関係だと思っていた。


「えっと、それってどういう意味?」


 質問を質問で返すのは気が引けるが、手塚の意図を理解できなければ答えを返しようがない。

 手塚は私の質問返しに、不機嫌そうな顔をした。

 

「……そのままの意味だけど」

「うん……?」


 そのままの意味とはどういう意味なのだろうか、友達だと思っていると言えばいいのか。

 けれど、本能的にそう返してはいけないような気がした。

 

「ここまでくると本当に、杏奈」


 ため息混じりにちゃっかりと名前を呼ばれて、今度は私が不愉快になった。

 下の名前を呼ぶのは友達としての線を超えている。

 

「名前で呼ぶのやめてくれる?気持ち悪い」


 ただ、それをはっきりと言えないのは、手塚がまとう空気のせいだろうか。

 変に意識してしまう。と、言ったところで彼は茶化すことはしないけれど。

 

「うわ、本当に可愛げがない」

「そんなものあって何が面白いの?」


 さりげなく話を逸らすと、手塚もこれ以上は何かを言うのをやめてくれた。

 また、いつも通りに戻る。そう思っていた。

 

「……大概だよな。気がついてない?」


 手塚の射抜くような目に私は思わず息を呑んだ。


「……っ」


「俺、杏奈の事」


 これは、絶対に続きを聞いてはいけない!

 続きの言葉がたとえ冗談であっても、事実であっても自分にとっては不都合になるものだと瞬時に私は判断する。

 いや、手塚の性格上こういった冗談を言うはずがないのだけれど……。


「ストップ!今、私凄く酔っ払ったの!気持ち悪い!」


 私は必死になって話を逸らした。

 とりあえず今この場をどうにかして切り抜けたら、なんとかなると思っていたから。


「うん、わかったよ」


 手塚は、苦笑いを浮かべてそれ以上は何も言わなかった。

 その場しのぎだけれど、何とか話を切り上げることができて、とりあえず私は胸を撫で下ろした。



 関係が壊れるのは案外呆気ないことが多い気がする。

 私と手塚の関係も壊れかけていた。

 ……というよりも、気まずさから一方的に手塚を避けてしまっていた。


「ちょっといい?」


 会社でいつものように声をかけられるだけで、私の身体は強張り顔が熱くなっていく。

 

「あ、何?」


 目を合わせて話さないといけないのに、気まずさに目線を彷徨わせてしまう。

 いけないとわかっていても変に意識してしまう。それがとても気恥ずかしくて、気付かれたくなくて、つい、そっけない態度を取ってしまう自分がいた。


 この気まずさは時間が解決してくれるものだと私は思っていた。


 きっと、手塚が言いかけていたのは、距離が近すぎたせいで何か思い違いをしていたのだろう。と。


 けれど、曖昧な時間はすぐに終わりを告げた。


「話があるんだけど、二人で話さない?」


 仕事を終えて、急ぎ気味で帰り支度をしていると手塚に声をかけられた。


「あ、何?ここじゃダメなの?」


 気まずさに顔をちゃんと見ることができない。

 それに、二人きりになるのは変に意識しそうで怖い。

 私は、できればその場で話を終わらせたかった。

 

「静かに話せる場所がいい」


 いつになく真剣な表情に、私はそれを無視してまで断る理由を探すことができなかった。


「話って何?」


 手塚に連れて行かれたのは落ち着いた居酒屋で、予約をしたのだろうか個室だった。

 二人きりという圧迫感から私は早く解放されたくて、すぐに本題に入った。


「とりあえずゆっくり飲もうよ」


 言われるままに、手塚によって酒が注がれる。

 口をつけると、途端に顔が熱くなる。

 しばらくの沈黙の後に、手塚から口を開いた。


「俺さ、異動することになった」


 突然の報告。私はどう反応すべきか悩んだ。

 この気まずさのままずっと顔を合わせる事をしなくて済むことに安堵すればいいのか、それとも寂しがるべきなのか。

 

「え?どこ?」


 私はそれを顔に出さないようにして、どこに異動なのか聞くことにした。

 

「本社、この前の企画が良かったみたいでさ」


 私たちのいる支社と本社はかなり距離が離れている。

 たまに会おう。ということもできなくなるだろう。


 ああ、寂しいな。


 もう会えないだろう。という、別れを感じて、私は初めて寂しさを感じた。


 先を越されたとか、そういった気持ちがないのは嘘になるけれど。

 

「……おめでとう」


 何とか唇に乗せる事ができた「おめでとう」という言葉はあまりにも小さくて、思っていた以上にショックを受けていることに気がついた。


「この際だから、はっきりさせときたい」


 手塚はいつになく真剣な表情で私の手を握った。


「俺のことをどう思ってる?」


 先延ばしにした答えを手塚は求めてきた。

 なぜかわらないが、イライラした。

 その理由は私に答えを求めてくるくせに、手塚は何も言わないからだ。


「だから、どう思ってるってどういうことなの?」


 苛立ち混じりに質問を返すと、手塚はため息を吐いた。


「悪い。卑怯だった」


 手塚も、何も言わずに答えだけ求めてくる事を悪いと思ったようだ。


「あのさ」

 

 不意に手を握られた。

 驚いて手塚の顔を見ると、熱く濡れた目が私を見ていた。


「俺、杏奈の事が好きだよ」


 手塚の視線がまるで糸のように私の体に絡みつき、身動きが取れなくなっていくような気がした。

 

「……」


 何も言えず黙りこんでいると、手塚は見かねて口を開いた。

 

「何か言ってくれよ」


 手塚はどこか傷ついた顔をしているように見えた。

 私は、どう答えたらいいのかわからなかった。

 手塚のことは嫌いではない。好きだと思う。けれど、それは恋愛感情からきている物なのか、ただ、友人として好きなのか判別がつかなかった。


 けれど、手塚への思いがたとえ恋愛感情だったとして、確実に破綻するものを選ぶことはできない。

 怖いのだ。たくさん好きになってしまったら、離れる時が辛くなるから。

 

「私は……、ごめん。手塚の事そんなふうに見れない」


 ようやく出た断りの言葉に、手塚は目を見開いてかなりショックを受けていた。

 

「嘘だ」


 手塚はなぜ嘘だと思ったのか。

 わからない。

 私たちの関係にそういった甘さを孕んだものなんてなかったはずだ。

 

「嘘じゃない。本当に友達としてしか見ることができない」

「……じゃあ、俺の勘違いだったんだな」


 自嘲気味に笑う手塚に私はなんと声をかけたらいいのか。

 いや、何も言わないのが正解なのだろう。


「悪かったな。戸惑うようなこと言って、もう会わないから早く忘れろよ」


 手塚はそう言って、寂しげに微笑んだ。

 私は彼の屈託のない笑顔を見るのが好きだった。けれど、もうそれは二度と見ることはできない気がした。

 

「うん」


 お互いにポツリポツリと話をしてそのまま解散になった。

 タクシーに乗り込む手塚を見送りながら、やっと終わった。と、どこか私は安堵していた。


 ……そして、私は手塚と二度と会うことはなかった。


 その日の夜。手塚は事故に巻き込まれて帰らぬ人となってしまった。



 それを知らされたのは会社でだった。


「手塚が亡くなった……?」


 私はそれを知った時、嘘だと思った。

 けれど、それは現実であることを同僚が突きつけてきた。


「お通夜は、今日の18時からだから」


 その日は、何も手につかなかった。

 お焼香は、同僚と一緒に行くことにした。

 嘘だと。まだ信じられない気持ちが大きかった。

 葬儀場に着いたら手塚が待っていて、「驚いただろ。嘘だよ」と、笑っているような気がして、まだ、現実だと受け止められずにいた。


「……」


 葬儀場に到着すると、そこには手塚なんているはずもなく、私は視線を彷徨わせた。

 彼の姿を見たかったのかもしれない。


 ご遺族に挨拶をすると、「最後に挨拶でも」と言われた。

 断る理由もなく。私は手塚の顔を見た。

 最後のお別れのつもりで。


「……っ」


 手塚の顔に大きな損傷はなく、死化粧のおかげなのか、まるで眠っているかのようだ。

 今にも瞬きと共に手塚の長いまつ毛が動き出しそうだ。と、私はぼんやりと考えていた。


 何もかもが全部嘘だと。思いたい。けれど、全てが現実だと受け入れなくてはならない。


 それが、自分にできるだろうか。


 わからない。もう、何も考えたくない。


 そこから、私の頭の中は真っ白になった。

 気がつけば家にいた。


 『もう会わないから、忘れろよ』


 手塚が私に言った言葉が頭の中に響いた。

 本当にもう二度と会えなくなるなんて、私は思いもしなかった。

 私は手塚のことを忘れられるのだろうか。


 わからない。きっと、指に刺さった細くて小さな棘のように、滅多なことでは抜けずに時折り痛みを思い出しそうな気がした。


 でもきっと時間が全てを解決してくれる。と、私は思っていた。

 でも、それは間違いだった。


 少しずつ自分がすり減っていくような気分を感じていた。

 それは、会社で手塚の姿を無意識に探してしまうところや、普段なら許せた誰かのミスを許せなくなっている自分に気がついたから。


 手塚がいなくなって寂しいから、そうなっていったのだと思う。

 それは時間が解決してくれる。と、信じていた。


 会社で手塚との思い出の残り香を探して、深い喪失感を覚えるたびに私は深い後悔に包まれる。


 あの時、なぜ手塚を拒んでしまったのか。


 認めたくないけれど、認めるしかない。私は手塚のことを好きだったのだ。

 この想いに気がついた瞬間、私は底なし沼のような絶望に囚われていた。


 夢で何度も手塚の姿を見る。

 彼は変わらずみずみずしいままで、私は少しずつ枯れていくように顔や手に皺が刻まれていく。


 いつのまにかたくさんの年を取っていた。

 夢の中の手塚は何一つ変わらない。それが、また、苦しい。

 どれだけ仕事で努力して出世しても何一つ嬉しくなかった。


 周囲は結婚して幸せな家庭を築いているのに、私は他に目がいかない。


 ゆっくりと死を迎えるように、ただ、手塚と会える日を待つ生活をしていた。


 いつものように、下を向き出社していると、不意に顔を上げたくなった。


 その時、私はあるものを見た。


 赤信号を渡ろうとする子どもの姿が見えたのだ。

 クラクション音が響く。

 私は気がついたら走り出していた。


「危ない!」


 車から引き離すように子供を押した時、目に入ったのはしわくちゃの自分の手だった。

 強い衝撃と痛みと共に、私の意識は真っ黒に染まった。

 私が消える時やっと手塚に会える。と、どこかで安堵していた。


 消えた。と、思っていた私は目が覚めるかのように、意識が戻っていた。


「俺のことをどう思ってる?」


 そこにいたのはあの時のままの手塚だった。

 彼はいつになく真剣な表情で私を見つめていた。

 これは、夢なのだろうか?あるいは走馬灯なのか。


「……やっと会えた」


 最期に手塚に会えるなんて私は思いもしなかった。


「何言ってるんだ?」


 その反応。あまりにも私の知っている手塚のままで、だんだんと腹が立ってきた。

 待つのがあまりにも長すぎたのだ。


「嫌いよ!アンタのことなんか!」


 私は勢いよく手塚の手を叩いた。

 今気がついたが、私の手も手塚の手もみずみずしい。

 まるで若返ったようだ。


「うわ、ちょっと、なんで俺叩かれるの!?」


 手塚は、突然手を叩かれたというのに、怒るよりも戸惑っている。

 それも、私が知っている手塚のままだ。

 そんなことよりも、手塚の手の感触があまりにもリアルなのだ。

 まるで、肉体を本当に持っているかのように。


「ど、どれだけ、どれだけ私は……」


 ずっと、好きだと言いたかった。あの日から、会えなくなって。

 ただ、その一言が言いたくて、もう二度と言えなくて、とても苦しい日々を過ごした。


 私の両目から大粒の涙がこぼれ出てきた。

 そういえば、手塚が亡くなってから一度も泣いたことはなかった。

 自分にそんな資格なんてないと思っていたし、まだ、彼の死を受け入れてなかったからだ。


「あ、泣くな。おい、落ち着け」


 手塚は、突然情緒不安定になった私を怒るどころか、慰めようとして必死だ。


「うっ、くっ」


 大丈夫だ。と、言いたいのに、口から出てくるのは嗚咽だけだ。


「もう、話なんかできないな。帰ろう」


 手塚は、泣き続ける私に、困った顔で微笑む。

 やっぱり、私の知っている手塚だ。

 

「一緒に帰る」


 手塚一人で帰したら、きっと、あの時と同じようになる気がした。


「わかった。同じタクシーに乗ろう」


 手塚は、慰めるように私の肩を撫でた。

 一緒にタクシーに乗るどころか、彼を安全に送り届けなければいけない。


「一緒に手塚の家に帰る」

「……!」


 手塚は急に固まって、なぜか顔を真っ赤にさせた。

 タクシーが来ても、私の涙は止まらない。

 これじゃあ、手塚が私を泣かせているようにしか見えないじゃないか。

 止めよう。止めよう。と、思うのに止まらない。

 なんだか、本当に生きているみたい。

 あまりにもリアルだ。


「泣きすぎ。いつになったら涙が止まるんだよ」


 口調は呆れているのに、手塚の温かな手が私の目尻を優しく拭った。

 もしかして、これって現実なのでは?

 私はそう思いかける。


「……止まらないよ。きっと、一生分流れると思うから」


 これが、もしも現実だとしても、私は確かに手塚を失ってたくさんの月日を過ごした感覚は残っている。

 その喪失感と後悔はいまだに胸の中にある。


「待ってるよ。泣き止むまで、泣き止んだらちゃんと答え聞かせてくれよ」


 手塚は、困った顔で微笑んだ。


 私は「うん」と返事をして頷く。


 今度こそちゃんと好きだと言おう。

 思いを伝えられたら、きっと、今死んでも後悔なんてしないから。

お読みくださりありがとうございます


オチは、想像にお任せします

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ