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隣のウメさん

作者: 星野紗奈

どうも、星野紗奈です。

暖かくなったり寒くなったり、忙しない春の日々ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

季節柄に合わせるつもりは別になかったのですが、ちょうどタイミングが良さそうなので、「梅」をテーマに書いた作品を投稿してみます。

雰囲気も他と比べて軽めであたたかい感じになっていると思いますので、お気軽にほっこりしていってください。


それでは、どうぞ↓

「くっそ、こっちのほうが騙されたっての……! あんな男、こっちからお断りだわ!」


 あたたかい日差しに包まれ雀が呑気に鳴き声をあげるとある日曜の午後、路上で鼻をすする女が一人。一瞬悔しさでぐっと立ち止まりかけたが、苛立ちを動力に一歩、また一歩と帰路を進んでいく。


「アプリのチャットはそれなりによくて、電話もそれなりによくて、いざ会ってみた時の最初の印象も悪くなかった! なのに! マスク外した途端、『あ~、なんか思ってた顔とちょっと違うわ~』みたいな微妙な反応すんなよ! マスク詐欺はお互い様だろ⁉ んでもって、それを馬鹿正直にこっちに言ってくるとかほんとにあり得ないんだけど⁉」


 ぜえはあ息を切らしながら、怒りに任せてずかずかと足を動かす。心の内で耐え忍ぶことも出来かねて、恨み言は止まらない。ぶつぶつと文句を言っては大きくなっていく声量にはっとして、また小声で同じことを繰り返し始めるのだ。

 そしてたどり着いたアパート一階の一室。鍵を差し込もうとして、手が止まる。あの部屋の中で呑気に笑っていた過去の自分さえ、なんだか憎たらしく思えてきた。


「お嬢さん、どうしたのお?」


 突然そんな声が横から飛び込んできて、粗ぶっていた思考が瞬時に落ち着く。振り向くと、背の丸まったちんまりしたお婆さんが、買い物袋を携えたまま不思議そうにこちらを見つめていた。


「なんだかご乱心ねえ」

「……はは、聞こえてました?」

「そりゃあもう、ばっちりよお。こう見えて、まだ耳は老いていないのよお。うふふ」


 冷めきった頭で先ほどの行動を振り返り、気まずくなって目をそらす。しかし、お婆さんはそんな様子がちっとも目に映っていないようで、のほほんとした雰囲気で口を開いた。


「そうだわ。お嬢さん、良ければうちに来ない?」


 お婆さんの指さした方に目を向けると、「久保田」と刻まれた標識が飾られている。確か、大きな梅の木がある家だったな。アパートの自室から見える景色を思い返しながら、和やかで可愛らしい感じのお婆さんの姿になんとなく納得する。梅の家の人、久保田さん、と考えて、勝手に「梅さん」なんてあだ名を内緒でつけてみる。


「えっと……久保田さんのお家に?」

「そうそう。爺さんが死んじまってから独り身で寂しくてねえ。話し相手を呼ぼうにも、こんなご時世だったじゃない?」

「それはまあ、そうですね」

「それでね、来週ようやっと娘と孫が遊びに来るっていうから、お話の練習に付き合うと思って……ねえ?」


 初対面の相手の家に突然お邪魔するのはいかがなものかと思って、ううんと唸る。すると、梅さんはマスク越しでもわかるほどにこやかに口を開いた。


「お嬢さんも、話さないとやっていられないようなことがあるんでしょう? 一人で抱え込むのは体に毒よお」

「…………じゃあ、お言葉に甘えて」

「うふふ。そうこなくっちゃねえ」


 がらりと戸を開けて、梅さんの小さな背中がひょこひょこ進んでいく。おずおずとその後をついて行くと、懐かしい木の匂いがした。玄関をくぐり、短い廊下を進み、ちゃぶ台の置かれた居間に案内される。畳にこすれる脚がこそばゆい。梅さんはいかにも和風といった感じの引き戸を開けて、別の場所へと歩いて行った。取り残された部屋に、梅の匂いが香った。

 少しして、お盆を持った梅さんが戻ってきた。その上には、ジャムが入っていそうな形の瓶と、透明なグラスが二つ。


「お嬢さん、お酒は飲める? これ、家で作った梅酒なんだけどお」

「お酒は、まあ、はい。……というか、昼から酒ですか」

「うふふ。こんな年寄りにはお酒くらいしか楽しみがないのよお。付き合ってくれる?」


 とぽぽ、と酒を注ぎ、そっと差し出される。沈黙は肯定、というのは案外どこでも通じるもので、黙ってグラスを受けとると、梅さんが嬉しそうに笑った。カン、と縁をぶつけると、またほのかな梅の香りが鼻腔をくすぐった。

 マスクを顎に下げ、ためらいがちにグラスを傾けると、液体が緩やかに流れ込む。酸味が先導して、やがて甘さがゆるりと踊る。


「……おいしい」

「ふふ、よかったわあ。さ、お嬢さんの話を聞かせてちょうだい」


 酒の熱から人の熱、瞳に日が射し梅も咲く。茶の間に開く、会話の花。ふと、隣に座っていた梅さんが橙色の雲を見つけて、小さく口を開く。


「あら、随分話し込んじゃったわねえ。ついつい楽しくて、ごめんなさいねえ」

「いえ、私で相手になれたんなら、よかったです」


 梅さんはよいしょ、と腰を上げ、空になったグラスと中身の減った瓶をお盆の上にのせ直す。


「一人は寂しいけれど、こうして人と話す時間の大切さは、おかげさまで身に染みるわねえ」

「それってご時世的な話ですか?」

「それもあるけど、もっと一般的な老後の話よお。うふふ」


 ちょいちょいと手を折り曲げる仕草をして笑うと、梅さんは畳の上をひょこひょこ肩を揺らしながら歩きだした。


「この梅酒なんだけどねえ、ちょっと作り過ぎちゃったのよお。貰ってくれると助かるんだけど、どうかしらあ」

「そういうことなら、まあ……お言葉に甘えて、いただきます」


 それから数分後、がらがら、とん、と戸が閉まる音が背後で響く。やや強引に家に誘われたとは思えないあっさりした解散だった。

 梅さんから貰った梅酒の瓶を片手に、徒歩五分もない道のりを歩く。コ、と膝に瓶がぶつかる。マスクの内側は、先ほど舌鼓を打っていた梅酒の香りでまだ満たされている。ついぞ怒り狂っていたはずの苦々しい恋の味は、いつの間にか梅さんの柔らかな色に塗り替えられていたようだった。


 後日、今度は和菓子の入った紙袋を右手にインターホンを鳴らす。先日いただいた梅酒の瓶はすっかり空っぽだ。しばらく待っていると、想定していたのとは違う声が返ってきた。


「はい。え、っと……どちら様でしょうか?」

「あー……私、隣のアパートに住んでいる者でして。以前、う……久保田さんに梅酒をいただいたので、そのお礼に」

「そうでしたか。お母さんにそんな知り合いが……あっ、少々お待ちください」


 ぷつ、とスイッチの切れる音がして、すぐにぱたぱたとあの木造の廊下を急ぐ足音が聞こえてきた。がら、と控えめに開かれた扉の先には、梅さんより若い女性がいた。


「お待たせしてすみません」

「いえ、こちらこそ突然お伺いしてしまってすみません。あの、久保田さんはご在宅で……?」


 そう問いかけると、女性は気まずさげに目を下にそらし、小さな声で言った。


「母は、つい先日、亡くなったんです」

「え」

「今週やっと会えるね、って電話で話していたのに……。結局、このご時世で会えずじまいになってしまいました。それで、自分でも結構ショックを受けていたみたいで。遺品整理とかはまだなんですけど、母の過ごしていた家だけでも見に行きたいって、一人で来たんです」

「そう、でしたか」

「……って、すみません! 初めてお会いする方に、こんなお話……」


 菓子袋を提げた指が僅かに軋む。もしかすると自分は、梅さんの家に上がっておしゃべりをした最後の人になってしまったのではないだろうか。

 この上ない、気まずさ。お礼の品だけ渡してさっさと帰ろう、と思って顔を上げる。


「……話、聞きますよ。私でよければ」


 口をついて出たのは、そんな言葉だった。瞼の赤み、瞳の潤み。こんなに愛されている人が、羨ましい。少しだけそんなことを思ったかもしれない。


「え? でも……」

「久保田さんがおっしゃっていましたから。『一人で抱え込むのは体に毒』だって。私も久保田さんとお話した時のことをお伝えしたいですし……よろしければ、久保田さんのお話、もっと聞かせていただけませんか」


 女性が目元を拭う仕草が見えて、一瞬ぎょっとする。しかしすぐに、女性は嬉しそうに目を細めた。梅さんとよく似た笑い方だった。


「……ありがとうございます。あの、では、上がっていかれますか?」

「お邪魔でなければ是非。……あ、初対面で素性も知らない人を上げるなんて、普通おかしいですよね……⁉ えっと……私、こういう者です」


 何か自分の身元を証明するものを、と思って、慌てて財布から名刺を取り出し、差し出す。女性はそれを両手でおずおずと受け取ると、申し訳なさそうに首を傾げた。


「『右』に『馬』……えっと、ウマさん?」

「いえ、ウメと申します」

最後までお読みいただき、ありがとうございました……!

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