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第62話「蒼炎」

 62 蒼炎

 初瀬が駆けつけると同時に、攻撃は激化する。その波を掻い潜って渦中を見れば、大きな犬のようなスペクターがいた。怒り狂うその姿に初瀬は息を飲んで一歩下がった。弾雨と血潮が跳ね、瓦礫がガラス細工のように魔力と咆哮に捻り潰される。

(今まで見た中で、一番攻撃的だ)

 これでは時間稼ぎもままならない。三笠は初瀬よりも先に発ったと聞いているが、ぱっと見つけられる場所にはいないらしい。あの目立つ銀色は視界のどこにもいない。それが分かるや否や、初瀬は周囲の確認をした後に引き返そうとする。それを引き留めるものがいた。

「手伝ってください」

 思わぬ声に顔を上げれば、そこには佐上音乃がいた。彼女は袖についた砂ぼこりを叩きながらスペクターを指す。

「体力があるんだろう。なら、アレから見える位置で走って。あたしが攻撃は相殺していきますから」

 グローブを直しながら彼女は初瀬に指示をした。何が何だか、と言いたいところだったが、初瀬は息を飲んで駆け出した。魔力を解放できずとも、動き回る何かが気になったのだろう。赤い瞳がこちらを見た。瓦礫と弾雨を縫って彼女は反対側へ抜けていく。こちらは避難が済んでいるのだろう、人の姿は見られない。呼吸を整えながら次の経路を探し出そうと視野を広げる。その時だった。

「──え」

 一瞬だけ、音が途絶える。初瀬はその音を知っていた。銃声だ。

「誰が、撃たれ……」

 その言葉を言い終わるより早く、被弾した人物を見つけた。血だまりの中で倒れ伏している人物が一人。銃声は一つ。彼で違いない。

「三笠!?」

 煤けた銀色はみるみるうちに赤を吸っていく。

「ボーっとするな! 邪魔だ!」

「う、なっ、」

 佐上が初瀬をどついた。文句を言う間もなく攻撃の雨が降り注ぐ。目の前で赤黒い花が咲き乱れた。身体を強い衝撃が襲う。気が付けば、軽く数メートルほど吹っ飛ばされていた。

 遅れてやってきた痛みに顔を顰める。息が詰まりそうになったが、呼吸をしっかりと捕まえて離さないように努力する。空になってしまった両手を地について体勢を持ち直す。先の衝撃でお守り代わりに持っていた刀はどこかへ飛ばされたらしい。再度スペクターの方を見る。怪物の悲鳴と共にその身体が作り変わっていくのが分かった。骨が折れる音、肉が剥がれ、皮が伸びるさまを初瀬は目撃する。怪物の見る方向に佐上がいるのだろうか、苦し気な唸り声と共に、怪物は攻撃をする。

「あ、あぁ、なんで……!?」

 見覚えのあるその攻撃に、初瀬は嫌な予感がしてならなかった。

 あの時に、もっとフォローをするべきだったのか、などという後悔が溢れようとする。相方の安否は不明、対峙する怪物の正体は、おそらく知っている。何を優先すべきか。何かを掴もうと手を握るが、震える指は何も拾うことができない。

(誰を助けるべきか、わたしは何をするべきか)

 光よりも早く答えを打ち出す。

 一つ、鼓動が高鳴る。刀は手元にはない、しかしその動きをすることに意味がある。身体に染みついたその動きは、火打石となって──花を咲かせた。

 胸の内に焼けるような、抉れるような痛みが走る。

 虚空上消えゆくばかりだった火花が、これまでどんな形も得られなかったそれが今、形を得る。何者をも引き寄せない高温の花が咲き乱れた。青白く、瞳を焼き付けるそれは──初瀬が魔術師として完全に覚醒したことを意味していた。

 迫りくる斬撃を軽やかな足運びで躱していく。初瀬の元で生まれる炎は跡形もなくスペクターの攻撃を焼き尽くしていく。

(けど、ここからどう攻撃に切り替えれば)

 刀が手元にないことを初瀬は悔しがるしかない。有り余るこの力をどう使えばいいのか、さっぱり分からないのだ。

「初瀬渚!」

 攻めあぐねていた初瀬の背に声が投げかけられる。

「使え!」

 佐上はそう叫びながら何かを投擲する。咄嗟に伸ばした初瀬の手はそれをしかと掴み取った。己の使い慣れた、あの刀だ。

 スペクターが吼える。次の攻撃が来る、直感がそう告げた。自然と足は駆け出していた。肉体強化も、防御魔術も、何も知らない。ただただ、力いっぱい殴りつける方法なら、初瀬は知っていた。富士がやっていたように、東がやっていたように。白刃が青い炎を反射してその目を輝かす。腕を振るう。まずは一撃、その大きな腕を狙う。

「まだ、まだッ!」

 有り余る魔力が耳元で爆ぜていく。

 実に荒々しい魔力の使い方だ。何一つ洗練されていない。ど素人丸出しのそれである。魔力が、炎が己の身をも焼かんとする。完全に扱いきれていない。しかし、しかしそれでも、生み出される魔力は超一級。スペクターの意識は全てそれに奪われる。

 その目を初瀬は穿った。必死になってスペクターに食らいつく。これ以上暴れさせるわけにはいかない。これ以上の苦しみは必要ない。それでも、一撃で倒す術を自分が持っていないことが悔しくてならない。こんな方法でしか、初瀬にはこのスペクターを倒せないのだ。手当たり次第に切りつける。刺す。抉る。鋭さを失っていく刃を無視して、その脈を力ずくで断つ。

 腕を振るう、白刃についた肉が落ちる。熱く煮えたぎる血液が頭上から降ってくる。

「邪魔だ、一旦退け!」

 佐上の声にいち早く反応して引き下がる。直後、黒い影が怪物の胸元へと飛び込んだ。

 光と魔力を纏い、大剣となったそれを佐上は振るう。

 怪物の悲鳴が耳をつんざく。

(あと一押し!)

 自然と身体が動き出す。考えるよりも早く、その手で終わらせようとする。

「そ、こ、だ──!」

 初瀬が、佐上が斬っていった、先。浮き出るあばら骨の中に赤く輝く何かが見える。小さな小さな、初瀬の拳大のそれをしっかりと掴み取る。命を潰す嫌な感覚がする。ぐじゃりと何かが弾けた。


 ──怪物が、動きを止める。


 悲鳴も、涙もなく怪物は眠りについた。

 初瀬はそれに触れることよりも、倒れた三笠を探すことを優先した。しかしどこを探してもあの銀髪は見当たらない。

「どこに……!?」

 泡を食う初瀬はその勢いのまま佐上の元へ行く。

「佐上さん……っ! 三笠は、アイツどこに──」

 取り乱す初瀬を一瞥した佐上は小さくため息をついた後に、その拳を振るった。

「っ、たぁ……」

 初瀬は思わず己の頬を押さえる。戦闘直後とはいえ、初瀬もそれなりの格闘技の使い手だ。真正面から佐上の拳を受けたものの、その姿勢を崩すことはない。それを見た佐上は少し驚いたが、すぐに険しい顔に戻る。

「黙れ。……あなたが取り乱してどうするんですか。三笠さんなら、春河さんが拾って病院へ駆け込んでいます。あたしたちは安全確保を進めた方がいいんじゃないんですか」

 佐上の言葉に初瀬は呆然とする。が、すぐにそれは消え去った。

「あ、ああ。ごめん。やろう、すぐに。わたしは柳楽さんに報告を」

「分かりました。じゃあ、あたしはあっちの方を見てきます」

 そう言い残して佐上は駆けていく。その背を見送りながら、初瀬は携帯を取り出して、電話をかけようとする。

「……あ」

 しかし先程の戦闘が激しかったせいだろう。携帯は破損し、一切の反応を示さなくなっていた。これでは連絡ができない。初瀬は静かに息をついて、その場にしゃがみ込んだ。

 顔を上げればすぐそこで、怪物が瞼を閉じて臥せっている。

(……いや、でも、たぶん。この人は、あの時山で会った人なんじゃないか)

 別に精霊を連れているわけではない。彼女を特徴づけるものも見受けられない。しかし、あの時食らった攻撃には覚えがあった。脈打つ血の花を、初瀬は知っている。

「あー、最悪だ」

 一言だけそう呟いて、絡まった感情を噛み砕こうと面を伏せた。


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