第54話「虫の知らせ」
よっこらせ、と口に出しながら柳楽は座布団の上に正座する。
「急に呼び出したりなんかして。珍しいですね」
某日、柳楽は珍しい呼び出しを受けて赤屋室にいた。安来市と日南町の県境にある、元村落だ。少し入った場所にあるその室に友人が住んでいることは随分前から知っていた。ただ、呼び出されることは無かった。いつもであれば、彼から出向いてくれるからだ。
「でしょ? だから早く来てくれたの、結構助かったかも」
呼び出した張本人はにこにこと笑いながら茶菓子を差し出す。
──津和野勇武。外見は女性のように華やかでかわいらしい。ハイネックで隠されて分かりにくいが、しっかりと喉仏がある。津和野家のご機嫌な次男、そんな風にされた昔の自己紹介を柳楽は思い出していた。適当に菓子を開封しながら、勇武は話を切り出す。
「最近さ、変だと思わない?」
「おや、藪から棒に。随分と曖昧な言い方ですね?」
「いやいやぁ。魔術師の第六感、みたいなものだからそりゃあ曖昧にもなるなる。でも安心して、ただ雑談をするために呼んだわけじゃないから」
そう言って勇武は分厚いファイルと紙束を机の上に置く。揺れる湯飲みを一瞥してから、柳楽は一つ一番上のものを手に取って開いた。
「今回はれっきとした相談だよ。ちゃんと証拠も集めたんだから」
「別に疑っているわけでも、あなたが下らない話をするのだとも思っていませんよ」
半ばつっけんどんに柳楽は言い返す。その言葉を聞いた勇武は満足げに目を細めて頷いた。
「それで、本題は」
「最近強いスペクターとか、動かなくなっても消滅しないスペクターの出没例が増えてるでしょ?」
「ええ。よく聞きますね。市街地のみならず、東は大山、西は三瓶の方でも目撃情報があります」
零課の引継ぎがいきなりだったとはいえ、柳楽も東部の状況は把握していた。西部ではそれらのスペクター目撃情報はない。資料に全て目を通してはいるが、いまいち理解しきれていないというのが現状であった。津和野勇武は資料を指し示しながら説明を加える。
「それ、異常事態なんだよ。天はスペクターは詳しくない……よね」
「ええ。魔術師はともかく、スペクターについては今回初めて受け持ちますね」
「強い個体が頻出するのはともかく、殺せないスペクターが出るのは異常なんだ。なんてったって、特殊な個体だからね。普通に発生するものじゃないんだ」
とんとん、と資料の端を整えながら彼は言った。話を仕切り直して一つ、勇武は言う。
「今日の本命。一つ、これらの異常事態は、これから起きる大災害の予兆であること。二つ、その大災害を止めることはできない」
指を立てたまま勇武は言い切った。柳葉色の瞳が丸くなったのを見て、彼は少し強引に話を続ける。
「おおっと、言いたいことはあるだろうけど、まぁ聞いてよね。おれだって、黙って見てるわけにはいかないって思ったんだ。だからこそ、天を呼んだわけで」
「……そうですね。とりあえずあなたの報告を聞きます」
訊きたいことを飲み込みながら柳楽は一つ頷いて見せた。
「助かるー! まずさっきも言ったスペクターの様子がいつも違うってところね。遺体が消えないスペクターは十中八九転華病を患っている」
「なるほど……?」
「厳密にいえば普通に殴るだけじゃあ殺せないんだよね。ちゃんとした手順を踏んで──やっと無力化できる類でさぁ。レアケースだから、知らない魔術師の方が多いかも」
「ふむ、だから今の時点でその転華病? の報告が無いのはおかしくないということですか」
知らないのであれば、そう判断することもできない。報告書や駆除の際の情報が『不可解なスペクター』の域で話が終わっているのは、致し方のないことなのだと勇武は言う。後々に説明が加えられたが、勇武のいる室はその『ちゃんとした手順』を生業の一つにしているらしい。
「そゆこと。んで、その転華病は感染症とかじゃなくて、色々な要因が関係して『誰であっても発生する』んだよ。魔術師の方が発生率が高いってだけで、魔術師ではない人でも発症してスペクターになる可能性はある。ごく稀、かなり低いけど……ってことね」
慎重に言葉を重ねつつ勇武は言い切った。柳楽はうんうん、と頷きながら言葉を咀嚼する。その最中、見つけた違和感に思わず首を傾げる。
「……あれ? その言い方ですと、転華病になった人間がスペクターになっている、ということですか?」
「その通り。スペクターには二種類いてね。元々スペクターとして発生したモノ、そして人間が何かしらの要因でそうなってしまったモノ。見た目に違いが無いから見落としがちではあるね。殺してみないと分からない」
それでも記録は多少ある、と勇武はファイルをめくって見せる。近代に入ってからの記録がほとんどらしいが、スペクターの記録が連綿と綴られていた。その中に赤の付箋が付いたページを彼はピックアップする。
「百年近くある記録の中でも、確認されたのは三件だけ。相当なレアケースってことは分かるでしょ」
「そうですね……ですがその記録も、全て記録しきっていると言うわけではないのでしょう? 記録されていないだけで、実際はもっとたくさんある……なんてことはありえないのですか?」
「そこを突かれると、答えにくいなァ」
「すみません、分かってはいますが」
「いいよいいよ。大事な視点だからね。いくら津和野家と言えど、この地方全てをカバーはできないから。百年、って言ってもその空白は大きい。文献史料の限界は重々承知してる。けど、手がかりはこれしかない」
「……とはいっても、それを止める術はないのでしょう?」
勇武の主張に同意しながら柳楽は訊き返した。初めに、勇武は阻止の手段がないことを提示してからこの話を始めた。彼の言葉を素直に受け取るのならば、ただ静かに終わりを待つことしかできない。彼は柳楽の想像通り首を横に振った。
「ないね。竜脈は大自然の一部だ。おれら──いち生物がどうこうできる規模の話じゃない」
絶望を認め、津和野勇武は希望を示す。
「けど、被害を小さくする方法はある」
※
四月七日、昼頃。津和野武治は、じっと正座をして襖の方を見つめていた。自ら確かめるのだと言い張って呼び出したはいいものの、なんと話を切り出すべきか。手汗を誤魔化そうと服の裾を触り続ける。視線は変わらず襖の方へ向けたまま、時間が過ぎるのを静かに待っていた。
どのくらい経ったのか、緊張し切っていた津和野はスマホを自室に忘れたことに気が付いた。まだ来ないのであればさっと取りに帰ろうか、そう迷った矢先に床板が鳴った。まもなくして襖が静かに開く。廊下に立っていたのは津和野武治の実兄、津和野勇武だった。今日はラフなスタイルの気分らしい。シンプルなTシャツにジーパンを身に着け、長い髪を下ろしたままにしている。
「ごめんごめん、迷っちゃって。ここ、こんなに入り組んでたんだねぇ」
そんな具合に断りを入れつつ、彼は津和野の目の前に座った。二人は机を挟んで向かい合うことになる。
「呼び出すなんて、珍しいじゃん」
口調はいつも通り、ではなかった。どこか仄暗さと警戒、敵意を感じさせる。
「別に、そうでもないだろ」
「だってハルはさ、基本通話で済ますでしょ?」
「そうだね」
「わざわざ呼んだってことは、大事な話、するんでしょう?」
肩をすくめながら勇武はそう言った。言葉も仕草も可愛らしいものだが、その目は少しも笑っていない。一度も見たことのない兄の表情に、津和野はぐっと息を飲んだ。
「勇武兄、禁則破りしたよな」
震える声はその罪を告げた。
魔術史編纂を家業とする津和野家には一つ、絶対に破ってはならないルールがある。それは『津和野家が持つ情報を元に自ら他者へ干渉をしてはならない』、というものだ。事態の改善を図ることはおろか、悪化させることもまた禁則破りとなる。他の魔術師の家から魔術の情報を提供されている以上、津和野家は他家よりも厳しく秘密保持に気を配らなければならない。魔術史というものの性質上、魔術の記録は絶対だ。どこに対しても敵対しない、味方しない。そのための規則──不可侵のルールである。
「うちのデータを元に、人へ干渉をするのは、明らかなルール違反だ」
破った者にはよくて破門、最悪死が待ち受けている。
「ふーん、解ったんだ」
勇武は静かにそれだけ言った。言葉に反して彼の表情は冷たく視線は鋭い。それにやや怯みながら、津和野は小さな声で言い返した。
「……隠す気も無かったくせに。なんで俺に仕事回したの。記憶の解凍なら兄さんだってできただろ」
なんで、の意味を勇武は理解したのだろう。神妙な表情のまま津和野を見つめ返した。
「さて、何でだったかな。いつも通り忘れちゃったから覚えてないな」
いつもの口調も、明るさもかなぐり捨てたその姿に、どこか艶っぽさを感じてしまう。そのはずなのに、津和野の胸の内はどんどんと冷えていく。どこかで『お前の思い違いだ』と否定してくれ、淡い願いを自ら否定しながら話を続けた。
「──転華個体の遺体は、要石の強化に使ったんだろ。あの刻印なら、それも可能……だと思う」
印をつけ要石と紐づける。非常に簡単かつ合理的で、効果の強い強化方法だ。転華個体であれば身体の一部だけで十分だろう。どうやったって死にはしないのだから。臓器一つ、手足一つ。それだけで時間稼ぎはできる。
「うん、それで?」
「後でどうするつもりなのかは知らないけど、今思いつく中では、確かにそれが一番効率がよくて確実だ。ちょうど、赤屋室にいるんだし。好都合なことこの上ない。まぁ、兄さんがあのデカい遺体抱えて東部を走り回れるとは思わないけど」
そのはずだろ、と言わんばかりに目を向けてみれば、勇武はにこりと笑って頷いた。
「ん、そ。大体当たってる」
「大体、ねぇ……倫理的にアウトじゃないの?」
「倫理的って言ったって、もと人間ですーって科学的に証明できなければ、あれはただのスペクターでしかない。それは重々承知しているだろ? 内臓も血液も人のものからすっかり作り変わっちゃうんだから」
勇武の言葉に津和野は黙って頷いた。生前の特徴が受け継がれる可能性は限りなく低い。身体的な特徴がアイデンティティだった場合は、改めてスペクターの身体として作り直されるケースが多いからだ。
「ま、一つ誤算だったのは、初瀬幸嗣が自害できちゃったことだね。この儀式、自害したものは使えないんだよ。当人も分かっててやったんだと思うんだけどね」
勇武の言葉に思わず目を丸くしてしまう。
生贄の条件があるだろうと予測はしていたが、まさかそこに繋がるとは。
(ともすれば……初瀬幸嗣は、この条件を知っていた、のか?)
にわかには信じがたいが、結果だけ見ればそう捉えることもできる。当人がすでに亡くなっている以上確認することはできない。おそらく記憶を探っても、その真相は見つかりはしないだろう。しかし、これが本当ならば非常に厄介なことになる。
「そんな条件があったのか……それで、室に運び込まれたものは、なおのこと都合がいいってことね」
津和野の推測に勇武は穏やかに頷いて見せた。
(もう王手か)
これ以上長話はできそうもない。緊張はピークを越えた。こんな状態に話をしている間に、すっかり慣れてしまった。
「兄さんはいち早く気付いて……何らかの方法で協力者を得て、転華したスペクターの遺体を集めた。そしてそれに印を施して……要石の強化に使った」
口には出せないが、おそらく協力者は零課の関係者だろう。向こうの構成員を全把握しているわけではないので、これ以上の追及は無謀だ。勇武が何をしたのか、それさえ分かればいい、と言い聞かせて好奇心を宥める。
「捜査資料に載せたのは、俺に見せるため? なんで回りくどいことをしたのか、そこだけ全然分からないんだけど」
「その辺は……事態に気づかせるため。共通点があるとなれば、零課は事件性を見いだせるからね。おれ自身の安全は無いにしても、次に繋ぐことはできる──要点は抑えてるんじゃない? それで、どんなふうに父さんに報告するの?」
挑むように、青竹色の瞳が鈍く光った。答え次第では殺される。彼の手札を知っていてもなお、そう思わせられる凄みがそこにあった。
「しない。そんなことしたら俺も殺される」
津和野の返しを聞いた勇武は目を丸くして硬直した。
「今日ここに、勇武兄を呼び出したのは禁則破りを咎めるためじゃない。力を貸してほしいんだよ。俺だけじゃ何もできない……!」
そう言って津和野はその場で蹲る。その行動に勇武の混乱は頂点に達した。わたわたと無駄に動きながら、彼は目の前で蹲ってしまった弟の方へ行く。
「えっ、何? 状況が理解できないんだけど」
弱々しい声を発し、足に縋りつかんとする津和野を宥めながら、勇武は目を白黒とさせた。
「お、俺もさ、気付いてはいたんだよー」
津和野武治は、竜脈の異変、そして覚醒の予兆を察知していた。勇武と違ったのはその後に取った行動である。彼は察知した後、すぐに要石とその警備を強化するよう匿名の書簡を各所に送付した。しかし。
「そ、それが特定されてさぁ……バレないように打ち込んで指紋もつかないようにして封もしたのに」
それが三笠、初瀬が勇武から記憶の欠片を受け取った日である。
友永に調査へ連れ出された津和野は満身創痍の状態で帰宅した。玄関扉を開けてすぐに異変に気が付いた。誰もいないはずの家の中に、侵入者が一人。今でも思うが、家を出るときに電気をつけっぱなしにしておけばよかったのだ。カーテンを閉め切っているせいで、日没前であったにも関わらず津和野の自室は非常に暗かった。
「持っている情報を全て寄越せ。我々に協力しろ」
黒い犬に首を咥えられながら聞いたその言葉は、今でも背筋を震わせる。
「わ、かった……から、こ、殺さないで、ください」
必死に吐いた言葉はなんとも情けない命乞いの言葉だった。喋る度に喉に触れる生ぬるい舌が、牙が気持ち悪くてしょうがなかった。今思い出しても特に捻りのない、大変つまらない言葉である。
その言葉を聞いた犬は、ふとその牙を離した。が、すぐ近く、いつでも食い掛れる場所に控えている。その時にやっと、津和野は黒い犬の大きさを捉えた。よくいる中型犬より大きな図体。闇に溶け込む黒いその姿に既視感を覚えたが、空廻る思考では正体を看破することはできなかった。必死に死を遠ざけようと口を開く。
「け、けど……時間が要る」
無言の圧力に負けながら、津和野は床に這いつくばった。それでも彼はしゃべり続ける。
「俺が持ってるデータは膨大だし、貴方たちの欲しいものは、まとまってあるわけじゃない。だから、抽出してまとめ上げないと」
必死に紡がれた言葉を聞いた侵入者は小さくため息をついた。
「この機器ごと持って行けばいいでしょ」
「このアナログがよ……」
思わず飛び出た悪態を侵入者は聞き逃さない。一瞬牙を離していた犬が、勢いよく津和野の肩口に噛みついた。その勢いを彼は殺すことができず、されるがままに床に押し倒された。痛みと緊張、恐怖が呼吸を浅くする。視界が次第に狭まっていくのをじわじわと実感させられる。今この場で、己は獲物であって、決して対等ではないのだとやっと理解した。
「悲鳴の一つも出さないなんて、感心したわ。あなた思ったより我慢強いのね」
じわじわと温かいものが身体の下に広がっていくのが分かった。指先と思考は冷え切っているのに、肩口と腹の下は温かい。そのちぐはぐな状態に、眩暈がしてきそうだった。
「あ、はは……そう、だな…………」
どくどくと思考が脈打つ。
「あの、ですね」
「何かしら」
「ここに在るデータって、個々で管理してるから、膨大なんです。そりゃ機器ごと持って行けば世話ない、ですけど。持って行った先で動かせるほど、軽いモンでもないんです」
「どういうこと?」
「このアパート、俺が貸し切ってるのは、そこの機械が電力を食いつくすからです」
真っ赤な嘘を堂々と口にする。本来は津和野が近所付き合いをしたくないから貸し切っているだけだ。しかし、あんなアナログなら、もしかしたら。そんな僅かな筋を無理やり通していく。
「ブレーカーが落ちるって迷惑だって言われるんでね……熱も発するし。だから持って行くのはおすすめしない。けど……小さなデータに分けてあんたらに渡すことはできる。できます」
最大の賭けをする。まだ、まだまだ。
「だから……俺はここで、データの抽出をします。でも、事務所の方にも同じデータがあります」
「……急に何の話?」
「おたくらは、俺の持ってる情報が欲しいんでしょ。なら、事務所にある物は消した方がいい。後々捜査の手がかりになるはずだから。今夜は宿直もいないはずだ、から……事務所を破壊するにはもってこい、だと思う」
暗がりにいる侵入者の表情は見えない。しかし、息を飲む音は聞こえた。
「堂々と仲間を売るのね。居心地悪かったの?」
「……別に、最後の最後に意趣返しがしたいだけ」
彼女は特に返事をすることは無く、静かに津和野へ歩み寄った。失血のせいか、緊張のせいか。視界が狭まっているせいでその顔を拝むことは叶わない。
「事務所の方は手配したわ。簡単に逃げられると思わないで」
牽制の言葉と視線を背に受け、津和野はPCに向かった。傷は痛むが、そこまで深いものでもないらしい。この時ばかりは部屋が暗いことに感謝した。いくら己の物とはいえ、この状態を目にすればあっさりと気絶してしまいそうだったからだ。
静かにキーボードを叩いてUSBを挿し込む。データダウンロードの代わりにロックをかけた。中身は空のUSBを取り出して、振り返る。その時ようやく、津和野は侵入者の顔を見た。一瞬だけだったが、若くて可愛らしい顔が見えた。同い年くらいだろうか。分かったのはそのくらいである。
「これ」
そう言ってUSBを差し出した。
彼女が手を差し出し、USBに触れたその一瞬。大きく出されたチャンスに津和野は魔術を捻じ込んだ。袖口に隠していた竹札をに魔力を流し込む。勢いよく光と熱が弾け飛んで、濃い魔力が両者の視界を覆った。
(このまま、逃げる!)
それと同時に一切の躊躇なく津和野は二階の窓から飛び出した。隠し持っていた切り札を静かに切って、彼は日の沈む街に逃げ込んだ。
(戦えたら、もっと強い手がかりが掴めたかもしれない、のに……!)
逃げながらそんなことを考えて歯噛みする。胸は混沌とした感情でいっぱいいっぱいで、口からは嗚咽が漏れ出るのみだった。足も手も、未だに震えている。痛みのせいではないことを、彼は自覚していた。
そのまま津和野は敷宮白根の元へ飛び込み、事態の説明をした。それと同時に事務所炎上のことも知ったのである。その後、仮設事務所が決まるまでの時間稼ぎとして、津和野は輸送護衛部隊に紛れることになった。本来津和野は市内の警備に当たることになっていたのだが、敷宮白根が直前になって変更を加えた。事情を知らない富士は驚いただろう。
しかし護衛戦闘の最中、津和野は例の黒い犬を目撃する。あろうことか取り乱して逃走してしまった。そしてそれを友永に咎められた、のである。いよいよ落ち込んでいた津和野に、敷宮白根は「チャンスだ」と言って反乱を起こすよう指示した。案の定敷宮白根は津和野の裏切りに本気で対処をし、『津和野武治が離反行為を行った。そのため事務所員である三笠冬吾が対処。予見されていた最悪の事態は免れた』と零課に報告をした。そして津和野は庭へ身を隠すことになったのである。これが、津和野武治を襲った事件の顛末だった。
津和野の話を聞いた勇武は、どんな顔をしていいか分からず、肩に手を添えることしかできない。
「…………だから、俺も禁則破りはしてる。それがバレるのが怖くて、匿名で送ったのに、何の意味もなかった。それどころか、皆の足を引っ張る結果になった。俺どうしたらよかったんだろう」
ぐっと眉間に皺を寄せて、津和野は呟いた。戦えれば、この結末は辿らなかっただろうか。臆病でなければ、戦う決心さえできれば向こうから情報を引き出すこともできたのではないか。在り得た未来が彼を責め立てる。
「三笠はああ言ってくれたけど、俺本当にここにいていいのかって、まだ」
苦し気に弱音を続けようとした津和野の背を、勇武は軽く叩いた。
「オッケー、とりあえずそこまでにしな。おれだって、禁則破りが怖くて黙ってたんだ。でももう、一人じゃない。おれらはおれらで、やるべきことを、できることをやろう。武治だって、止めたいんでしょ?」
勇武にそう問われた津和野は、目を伏せたまま頷いた。
(本当は泣きたいくせに、よくもまぁ強がっちゃって)
どこか寂しさを覚えながら彼は津和野の手を掴んだ。
「なら、おれらの手で変えよう。歴史通りの結末ばかりじゃあないってところ、証明しよう。結果次第で後はどうにでもなるさ」
若竹色の瞳が答えるように鈍く光った。




