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第46話「合流」

 どたばたと足音が聞こえる。

 敷布団を通じてもなおはっきりと聞こえるそれで、三笠は目を覚ましてしまった。眠気ではっきりしない目を擦りながら、時計を探そうとする。

(あ、無いんだった)

 携帯も紛失したせいで三笠の手元にはそれらしきものが一つもない。そのことを思い出した三笠はのそのそと布団から這い出した。そのタイミングで勢いよく襖が開く。

「三笠ぁ、起きろー! お客さんだぞぅ」

 若干気だるげな声の主を、目を細めながら見上げる。その顔がおかしかったのだろう。今にも噴き出しそうになりながら津和野はその場にしゃがみ込んだ。

「寝起き?」

「見れば、分かると思うけど……」

 だろうね、と彼は笑う。先日の様子から一転、年相応の津和野の笑顔を三笠は初めて見た。

「色々と話があるから早めに起きてくれって、富士が」

 その名を聞いた三笠は勢いよくその身を起こした。津和野は突然の三笠の動きに大きく肩を跳ねさせる。

「五分で行くから」

 廊下で腰を抜かしている津和野を放って、三笠は襖をぴしゃりと閉めた。


「すみません、遅くなりました」

 身支度を済ませ、三笠は仮設事務所の客間に上がる。六畳の狭い部屋だ。そこでは富士と津和野が茶菓子を挟んで談笑している。

「あ、三分で来た」

 三笠の到着に気が付いた津和野は、スマホの画面を一瞥してそう言った。

 三笠は空いていた座布団の上に座って一息つく。超特急で準備をしたせいで、どこか変なところがあるのではないか、と不安になってしまった。落ち着かない様子の三笠に対し富士は頬を緩めて口を開く。

「なんだ元気そうじゃないか」

「はい、おかげさまで……お師匠さんにもお世話になってしまいました……」

「いやまぁ、師匠は好きでやるからいいんだろうけどよ」

 肩をすくめて富士はそう言った。

「……あの、富士先輩。ご心配とご迷惑をおかけしてしまいました。僕もすっかり油断していて……本当にすみません」

 そう言って頭を下げる。

 富士と津和野は思わず顔を見合わせた。

「なんだそのことか」

「まぁ確かに、大事ではあるけど」

 暢気な反応を見せる二人に三笠は困惑する。

「え、えぇ……だって、え? えぇ……?」

 事態はそれなりに深刻なはずだ。音信不通になった挙句、やむを得なかったとはいえ一戸の建物を破壊した。即指名手配、即逮捕……といった事態になっていてもおかしくない。富士だってその責任を問われたはずだ。それなのに彼らは肩をすくめている。

 眉を下げてオロオロとする三笠に対し、富士は口を開く。

「いやまぁ、最初は慌てたが……なぁ、初瀬さんよ」

「そうですね。そこそこ心配はしましたが、どうせ面倒なことに巻き込まれているんだろうな、という予想がついたので」

 背後から聞こえた声に三笠はぎょっとして振り返る。ちょうど初瀬が襖を開けて入ってきたところだった。

「は、初瀬……」

「わたしは別にいいけど、他はそうでもないぞ」

 そう言いながら初瀬も空いた席に座る。

「警察内では見つけ次第射殺もオッケーって言われてるんだったか」

「えぇ、そうなんだ」

「おれら魔術師は一応危険人物扱いだからなぁ。特に抵抗されなくても、撃った後だったら何とでも言える。そうだろ?」

 富士の問いかけに三笠は眉を下げながら頷いた。初瀬も津和野も黙って追従する。結局のところ、登録制度はその理屈で運営されている。最初こそは「ありえない」と思っていた三笠だが、どう足掻いても力関係では魔術師の方が有利になる。証拠も残らないことを考えれば、警察側が半ば強引にこう出てくるのもおかしくはない。そんな具合に今では納得している節があった。

「──てな冗談はおいておいて」

 新たに会話に乱入してきたのはなんと松島だった。まさか彼女まで出てくると思っていなかった三笠は、慌てて後ずさる。

「まっ、松島さんまで……!?」

 そんな三笠が面白いのか、松島はけらけらと笑いながら初瀬の隣に身体を捻じ込んだ。

「全く、みーんな暢気なんだから。三笠君は偉いねぇ、ちゃんと自分が置かれている状況を把握してるんだから。それにしても久しぶりね。三笠君、元気?」

「は、はい……おかげさまで……その、お久しぶりです」

 小さく頭を下げた三笠に対し、松島は笑いながら手を振った。

「いやいや。そういえばそうだね。久しぶりに会ったと思えば、まさか誘拐されているなんてねぇ」

「あ、あはは……すみません」

「って言ってもしょうがない話じゃないかな。避けられたはず、なんていくらでも言えるし……とりあえず全員お疲れ様って感じかな?」

「ああ、命あっての物種だな。色々なことが起き過ぎだ、全く」

 一同は一斉に頷く。

「色々あったよなぁ、な、津和野」

「あ、あぁ……うん、あったねぇ」

 微妙な反応を示す津和野に、松島と富士は苦笑する。

「んじゃ、おれらはおれらで情報交換すっから、そっちはそっちでやっておいてくれや」

「はー、それじゃあまた後で」

 そう言って富士は津和野の服の襟を掴んで引きずっていく。ぽかんとする初瀬と三笠に対し、松島は向き直ってから話を続けた。

「ごめんね。津和野君、人見知りしてたみたいだから」

 くすくすと笑いながら松島は茶菓子を手に取った。初瀬もそこで察したのだろう「なるほど」と小さく呟いて頷いた。

「そういえば変に黙ってましたね」

「そそ。私あの子と話す機会があんまりなくってさぁ。ま、お互い何があったのか共有しておいた方が今後のためにもなるでしょ?」

「確かに。情報共有は大事ですね。それじゃあわたしから」

 初瀬の言葉に三笠は頷いて返す。

 次の瞬間、初瀬の思考の流れと共に暴力的な量の情報がなだれ込む。三笠は目を白黒とさせながら左右に頭を振った。

「えぇと……今、つまりどうなってるの?」

「あ、ごめん。一気に話し過ぎた。まだ混乱しているかも」

 初瀬は目を泳がせながら頭を下げる。

「整理がてら、一から考えたらいいんじゃないかな。私もこんがらがってきたし」

 松島の進言に従って、初瀬は鷦鷯明里にコピー用紙を持って来てもらった。

 そこにまず一つ、竜冥会と大社の名を書き込む。

「えっと、まず去年末のところまで遡ろう。ここからずっと続いてるせいで訳が分からなくなってる気がする」

「確かに……竜骨の所有権を巡って対立してたんだよね。そこの二つは」

「そうだな。ここで問題なのが、竜冥会がそれなりに大きな組織だってこと。とりあえず出雲支部って書いておくか……」

 初瀬はそう言いながらどんどんと書き込んでいく。

「そこに現れたモズ、もとい第三勢力が竜骨を奪取した。竜冥会としてはその状態を一瞬でも作ってくれればオッケーだったんだよな」

「うん。そのはず。その間に大社が隠していたもう一つの竜骨を見つけて晒せたらいいから……だけど、事が済んでも竜骨からモズが退去しなかった」

 恐らく二者の間では『今後竜骨を隠匿しないことを約束すれば解放する』という契約が交わされていたのだろう。しかしその通りにはならず、交渉も決裂。

 これが昨年末の出来事である。鯨出現に関してはこの組織図への影響がない。それは初瀬も三笠も分っていたので、黙って次へ進む。

「んで、結局竜骨は大社の所有物となったままなんだ。当然竜冥会も反発したけど、犯罪者の手を借りていた手前、派手に反論することができない」

「誰もモズだってことを知らなかったんだっけ」

「確かそう。まぁ、見た目じゃ分からないし……しょうがないとは思うけど、かわいそうだとも思わないな」

「あはは、厳しい」

「あんたねぇ……」

 三笠が笑って相槌を打つと彼女は目を細めてみせた。

「えぇと、それで……お互いに弱みが晒されちゃったから、二者が徹底的に火消しをしたんだよね。おかげで世間の人は鯨のことしか知らないし、多分竜冥会の末端もその程度のこととして認知してる……って感じかな」

「だといいけど」

 竜冥会の上層部と出雲支部、そして大社の間だけで起きた出来事のはずなのだが、第三者のモズが暴れまわったせいでとんでもない出来事に発展してしまった。

「それで、今年に入ると」

 初瀬はぴっと横線を引いて「2016」と書き込む。

 その先にまた、竜冥会を配置した。

「えー……ここはどうなってるんだっけ」

「あ、ここは僕の方が詳しいかも。魔道具の値段が上がったせいで、室が敵視されるんだよ」

 三笠は初瀬からボールペンを受け取り、室を書き込む。

「敵視しているのは……不特定多数の魔術師だから、なんて書こう。水ナシでいいかな」

 三笠の確認に初瀬は頷いて返す。

 鯨の件を『室の陰謀』と考える魔術師は一定数存在する。正直なところ、今回の件で一番面倒なところでもあった。

「僕らの事務所が燃えたのもこの辺が関係あるよね。元々恨みは買っちゃってたみたいだし……そこに室の件が関わってきたから、実行に移されたんだろうなぁ」

「……そういえば、あんたの事務所ってなんで警察と協力関係結べてるの?」

「あ、それは敷宮所長が元警察関係者だからなんだって」

 敷宮白根は元警察官である。彼は零課の創設にも深くかかわっていると聞いたが、詳細については三笠もよく知らない。それもこれも全て、三笠とかの人が話をする機会が全くなかったせいなのだが。それはさておき、初瀬は納得した様子で頷いた。

「あぁ、そういうこと。確かにそれなら、ある程度話は通してもらえそうだな」

「おかげで僕らも仕事があるんだよね。えー、話を戻すと……」

「わたしの呪いの話だな。ここからが今の話。兄が仕掛けていたのか、竜冥会上層部が勝手に作ったのかは知らないけど──室と、初瀬家が鯨の件、それから今年に入って起きている転華病流行の黒幕という噂を流した」

 初瀬の言葉に三笠は目を丸くする。

「え、えぇ……? そんなの、ある?」

 言ってしまえば全部初瀬家が悪いから、ぶっ潰してやろうぜという流れが発生していることになる。それに対し、当事者は首を横に振って見せた。

「そうなってるんだからどうしようもない。わたしはそんなことになっているなんて微塵も知らなかった」

「そ、そりゃそうだよね……初瀬は魔術師じゃないし」

 視線を落として一つ頷く。知っていたところで、人の口に戸は立てられない。どうしようもなくそれを理解しているせいか、三笠は酷い虚無感に襲われた。

「……ここについては、まだ原因分かってないよね」

 話を仕切り直して『転華病流行』の文字を三笠は指す。

「うん。犯人がいないことを祈るしかないか」

「いないとは思うんだけどな……感染症じゃないし」

「だといいけど」

 二人は黙って紙に視線を落とす。元々三笠たちが動いているのは『転華病流行』の解明のためだ。刻印が原因なのではないか、という説もあったが、結局それも分からずじまいである。そう考えると当初の目的達成に近づくどころか、遠のいているかのような気もしてきてしまう。

「で、あんたを誘拐したのは?」

 変な空気になりかけたところで、初瀬が仕切り直す。三笠もそれに合わせてペンを持ち直した。

「そうだ。ここで僕の話に繋がってくるんだ。えーとね、水ナシの方かな。でも竜冥会と協力してる感じはあったから……単体じゃない、な」

 そう前置きをしてから三笠は周防たちの置かれているであろう状況を話す。初瀬はそれを黙って聞いていた。

「だから、向こうも分裂を起こしているんだと思う……それで、残った方に皆はついていくんじゃないかな」

「なるほどな。まぁ妥当か……にしても、あんた携帯盗られたんだよね?」

「え? あぁ、うん」

「じゃあ、電話をしたのと、メールを送ってきたのは別と考えるのが妥当か」

「そうだと思う。たぶん……メールは周防だと思う」

 確か彼は三笠のメールアドレスを知っていたはずだ。どうやってログインしたかはさておき、やろうと思えばいくらでもできる。ログイン済みの端末である携帯が無くても、それが可能なのは彼くらいだろう。しかし初瀬は彼のことを知らない。不意に出てきた人名に眉をひそめた。

「周防?」

「えぇと、もう一人、僕と殴り合って運び込まれた人……」

「何で? 殴り合う……?」

 状況が想像できない、と初瀬はますます眉間の皺を深くした。

「えぇと、端的に言えば向こうは僕を殺したかったみたいでさ」

 色々と入り組んだ事情があるが、今は余計な情報だ。後で説明するから、と三笠は視線で訴える。初瀬は少しだけ納得がいかない様子だったが、現状整理に集中するためにと飲み込んでくれた。

「じゃあ、殺したかったのに邪魔が入るような真似をしたってこと?」

「……それは、確かに」

 彼女の指摘は最もだ。連絡をした時間帯を考えれば、もっと早くに三笠が見つけられてもおかしくはない。メールには所在地に関する情報は載っていなかった。しかし初瀬が言うには、誘拐現場が監視カメラに映り込んでいるなど、分かりやすい手がかりは多くあったらしい。

(逆にそうだから、場所は入れないっていう変な調整をしたのかな……)

 情報の出し方に関して、三笠にはどことなく思い当たる節があった。

「……何でだろうな」

「分からないの?」

「うん、まぁ。それなりに仲がよくても、理解できないことはある……よね?」

「あるな。この辺は本人に訊くこともできるかもしれないし、いいか。どうせその背景に関係あるんだろ?」

 じと、と浅縹に刺される。

「ごめんって、いや、本当に」

「別にいいけど……自分が結構マズい立場にいるのは忘れんなよ」

 厄介な友人がいると思われたのだろう。三笠は苦笑いを返すほかない。

「んじゃ、ここが繋がって……」

 竜冥会と水ナシが線で結ばれる。対立する場所へ三笠は新たにvsと書き込んだ。

「うわ……つまり、室と僕ら対竜冥会と水ナシって感じかな」

「──だろうな。大社は竜骨があるから関わろうと思わないだろうし。最近は活動も消極的だって聞いた」

 資源が豊富にある大社は高みの見物を決め込んでいるらしい。それもそうだ、と三笠は思った。大社はあの街自体の守りも担っている。昨年末の騒動に巻き込まれてからそれなりに消耗しているはずだ。そこまでする必要がないのもそうだが、仲裁に入る余裕ですらないのだろう。

「それじゃ、こうか……」

 その中心へ三笠は『竜骨』と書き込んだ。

(そうとなると、あの人は的確に有力者を攻撃していったんだ……これも計画の内だったのかな)

 三笠はそんな予想をする。しかし答え合わせのしようのないことだ。それに該当する記憶はおそらく焼け落ちていた。すぐに思考の隅へと追いやって、話を続けた。

「これ、警察はどうなの?」

「あ……確かに」

 三笠の質問に初瀬は首を傾げた。ちら、と松島の方を見てみれば、彼女はにやりと笑って返す。

「知りたい? 私は去年の時点でしか語れないけど」

「大丈夫です。わたしはほとんど把握してませんし。お願いします」

「そうだね、実は警察内部でも意見が割れてるんだよ。魔術師排斥派と協力派。私は零課の人間だったし、もちろん協力派ね。ただまあ、昨今の状況を見て判ると思うけど、排斥派の声が大きいかな。なんせ上層部がほとんどそっちだからさ」

「な、なるほど……それは容易に引っくりかえせませんね」

「そうだね。零課の需要があるうちは協力派も消されはしないだろうけど。ただまぁ、私が退いちゃったし、今は協力派は下火なんじゃないかな」

「じゃあ……警察はこの両方を抑え込もうとしていると、考えた方がいいですかね」

「そうだね。ただ、敷宮さんの協力関係があるから、敷宮側に強い力はかからないと思う」

 松島と初瀬の会話を参考に、三笠は図に警察を書き加える。アンバランスな三角関係が出来上がった。

「これは……警察が味方って言いきれないのが、何とも……」

「そうだねぇ。警察がこちらに与してくれれば、かなり状況はよくなると思うんだけど」

 三笠の言葉に頷きながら、松島は頬に手を当てた。

(この人、すでに手を打ってそうだな)

 二人は松島の態度からなんとなく察してしまう。そうとなれば、自分たちにできることに集中するべきだろうか。ちら、と視線を送った三笠に、初瀬も気が付く。

「ああ、じゃあ、わたしたちはできることをやればよさそうだな」

 そのやり取りを見ていた松島はふと思ったことを口にする。

「いい信頼関係になってきたねぇ。最初デコボコだったのに」

 意外そうに言われたその言葉に、二人はきょとんとして見せた。

「いや……どうなんですかそれ。わたしはコイツほどちゃんと考えちゃいませんよ」

 うんうん、と三笠は頷いて見せる。

「初瀬は頭の回転の速さに任せて喋ってるもんね」

「その言い方、何か引っかかるな。……まぁ否定はしない」

「でしょ」

 そんな二人のやり取りを見た松島は「ふーん」と言って思考に耽ってしまった。何を思ったのかは分からないが、ろくなことを考えていないのは確かだろう。

「……おやつにでもする?」

 それを察した三笠は湯飲みを手に取った。

「まぁ、好きにすればいいんじゃない」

「せっかくだし、久々に紅茶でも淹れようかなぁ」

 そう言いながら三笠は台所へと引っ込んでしまう。取り残された初瀬は菓子器から茶菓子を適当に取り出す。それを見ていた松島も、思考を止めて身を乗り出してきた。

「これ何が入ってるのかしら」

 その問いかけに答えるべく、初瀬は菓子器の中を漁る。入っているのは小さな袋に入った一口サイズの和菓子類だった。饅頭に、どら焼き……その他数種類の菓子が入っている。

「えぇと……スーパーでよく売ってる茶菓子の詰め合わせ、ですかね?」

「本当だ。私このどら焼き好きなんだよねー」

 松島は菓子器からどら焼きを一つ摘まみ上げて封を切る。

「おいしいんですか?」

 早速それを口に放り込んだ松島が、あまりにも幸せそうな顔をしたので初瀬もそれを手に取る。

「うん。これが一番好き。初瀬さんはこういうの食べないの?」

「あんまり食べないですね。お菓子類は特に」

「ふうん……なるほど、納得だわ」

「まぁ食生活って肌に出ますよね」

 高いものは別として──チョコレートや、クッキーなど菓子類を多く摂取していると肌も荒れ気味になる。高校の時の友人で肌荒れの原因がそれと判明した子がいた。その時のことを思い出しながら初瀬は相槌を打ったつもりだった。

「え、ちょっと、その言い方だとー」

 しかし松島は少し意地悪に笑ってこう返す。初瀬はそれで、失言だったことを察した。

「あっ、違います。松島さんのことを言ったわけでは……」

「本当にー?」

 新たに取った菓子を片手に松島は初瀬をからかい始める。ひとしきりからかった後に、松島は腰を落ち着け直した。

「それ、富士にも言ってみたいわね」

「……? そんなにでしたっけ、あの人」

「すごいよ? そうそう、三笠君ってさ、今みたいに進んでお茶淹れしてくれるでしょ?」

「そういえばそうですね。好きなんでしょうか」

「うん、敷宮の給湯室は彼が支配してたからねー。でもね、三笠君はぜーったい富士にお茶は淹れないのよ」

 その言葉に初瀬は目を丸くした。

「……珍しいですね。そんなに嫌われるようなことをしたんですか」

 彼はなんだかんだ言って素直だ。好き嫌いは態度に出やすい。とはいえ、普段のやり取りを見るに三笠はそこまで富士のことを嫌っているようには見えない。むしろ好意的に思っているように見えるのだが。

「まぁ、富士はなんにでも砂糖を入れるからね。紅茶コーヒーはもちろん、緑茶とか」

「緑茶、ですか……」

 紅茶はまだ分からなくもないが、緑茶はどうなのだろうと初瀬は思ってしまう。たぶん、同じ茶葉だから問題はないのだろう。しかし初瀬は入れたことがない。それは松島も同じらしく、微妙な顔をして頷いていた。

「しかも普通じゃない量を入れるからさ。さすがの私らもドン引きってわけ。あ、私はそんな入れないよ? 必要最低限で済ませるからさ」

 手をひらひらとさせながら松島はまた菓子器に手を伸ばす。

「でも松島さんも結構入れますよね、ミルク」

 そこへすっと、三笠が会話へ入ってくる。手には湯気の立つカップを乗せた盆を持っていた。久々のそれにテンションが上がっているのだろう。どこか楽し気な声色だ。

「あら、三笠君。お眼鏡にかなう紅茶はあったの?」

 一方松島はそれで手を止めて、一瞬で話を逸らす。

「あ、はい。未開封のものがあったので、使いました。誰が持って来てくれたんでしょうね、あれ……」

 そう言いながら三笠は盆の上に乗せたカップをそれぞれの前に置いていった。目の前に来たそれの中には綺麗な色をしたストレートティーが入っている。

「確か鷦鷯妹だったかな。三笠君が落ち込んでるだろうからーって言ってたよ」

「え、じゃあ後でお礼を言いに行かないとですね。ちょっとテンション上がっちゃいましたよ」

 三笠がよく分からないテンションで話をしている間に、初瀬はカップを手に取る。正直マナーなどはよく分からない。適当にやっても三笠は怒りはしないだろう。

「熱……」

 その中身の熱さに驚きながらも、何度か息を吹きかけてようやく紅茶を口にする。

(……何だろう。良し悪しが分からないからなぁ)

 飲み物なんてそんなものだろう、そう思いつつ初瀬は菓子を取って一息入れる。


「うん、ちょうどいいな」


 ※


「よっす。情報交換は順調か?」

 調子のよい声と共に富士が顔を出す。その後ろでは小さくなった津和野が控えめにこちらを見ていた。

「終わりましたよ」

 一足先に茶休憩に入っていた三人はめいめいに頷いて返す。それを見た富士は満足げに頷いて、元座っていた場所へ座る。

「富士先輩の方はどうですか?」

「こっちも共有できた。モズの報告書も確認したし……あとはそう、これはこっちにも伝えるべきことがいくつかあってな、まず初瀬幸嗣の死因について分かったことがある」

「え、分かったんですか?」

 三笠は茶菓子に伸ばした手を止めて話題に食いつく。初瀬も緊張した面持ちでそちらに反応した。今にも身を乗り出しそうな二人に対して、富士は両手を上げて落ち着くように促す。

「まぁまぁ、ちっとばかし説明が面倒だから、ゆっくり聞いてくれ。三笠、湯飲みはどこにある?」

「先輩のちょうど後ろです」

 そう言えば富士はちら、と背後の棚に目をやった。

「ん、助かる。んじゃ津和野、頼んだわ」

「えー!? 俺ぇ!?」

「お前にはもう話したからいいだろ。二度も同じ話聞きたいのか?」

「別に暇ってわけじゃないんだけど……」

 ぶつくさと文句を言いながら、指示を受けた津和野は湯飲みを片手に台所へ引っ込んでいった。富士はそれを見送ってから話を切り出す。

「まず、他殺ではなかった。だが事故とも言い難い」

 その言葉に初瀬は首を傾げる。

「……なら、自殺ということですか?」

「そうなるな。しっかしその方法が、単純なものではない。何も知らない他人の手を借りたものだったんだ」

 その言葉にピンとこない三人は眉根を寄せた。

「そうだな、要は手の込んだ自殺ってことなんだが」

 その言葉で三笠はあの時の光景を思い出す。まだ脳裏に焼き付いているその光景は、あまりにも異様だった。彼が何を思って、そんな行動に出たのか。

「ヒルコは高温に弱い。だが……思い出してほしい。ヒルコが火に触れた時、どうなってた?」

「確か、結晶化していましたね」

 昨年のことを思い出しながら話しているのだろう、初瀬は中空を見ながら相槌を打つ。

「その通りだ。火の性質を持った魔力に触れたヒルコは結晶化していたな。雑賀を殺したときも結晶化していた。だが最後は違った。完全に液体化していたな」

「そうですね……もしかして、急激な温度変化と緩やかな温度変化では反応が変わってくるのでしょうか」

 三笠も思考を回す。

 殺しに使う時は冷やしてから一気に温度を上げて硬化させていたのだろう。

(ん、でもその場合ヒルコって死んでなかったってことなのかな)

 浮かんだ疑問を解決するより早く話は進む。

「おそらくそういうことなんだろうな。緩やかな変化、かつ死に至る温度だとああなるんだろう。旭も二森も同じ結論を出した」

「じゃあ硬化させたものは死んでいなかった可能性が高いんですか?」

「あぁ、それだが……おそらくはほぼ死んでいるけど、どうにかすれば蘇生できる状態、だったんじゃないか。スペクターだし、本来は死んだら消えるだろうからな」

「そうか、転華病だから消えなかったんですね。あれ、それじゃあ変じゃないですか?」

「ん、そうなんだよ。そこがこの話のややこしいところでな。でもここは単純に死に方が二通りあると考えたらいいぞ」

 初瀬はそれで納得できなかったのか、首を傾げたまま返事をする。理解するにはもう少し時間が欲しいと言ったところだろう。少しの時間をかけて初瀬は咀嚼していく。

 まず、ヒルコが死ぬ条件に『適温から高温になる』もしくは『高温に触れる』というものがある。

 その温度変化の速度によって死亡した際の形態が変わる。急激な変化はヒルコを硬くし、緩やかな変化はヒルコを液体にさせる。前者は水とヒルコの入った鍋をコンロにかけるイメージだと富士が付けくわえた。後者はそのまま火の中にヒルコを放り込むのである。通常のヒルコであればどちらにせよその状態になったら霧散するのだが、今回の場合、初瀬幸嗣は転華病にかかっていた。その影響で機能停止という形に落ち着く。

「そうですよ、それなら死んでいるとは言えないじゃないですか。だから引っかかるんです」

「それか。それに関してなんだが……自殺だったせいか、当人に蘇生を受ける気が無かったらしくてな。蘇生手順を施しても、蘇生はできなかった」

 その答えに一同は沈黙する。

「それじゃあ、初瀬幸嗣は数ある死に方の中から、他者の手によって死ねる方法を選んで……他殺、もしくは事故を装ったってことですか?」

「そうなるな。そうしたところで、アイツになんの得があるのかは分からないがな。記憶を見た限りでも、それに該当する個所は無かった。おそらくだが計画の内一つだったんだろうな。それで焼け落ちたと考えられる」

「拘留されることも予想していたんでしょうか……」

「それは分からないが……ヤツ自身相当なダメージを受けていたみたいでな。通常のヒルコよりも耐久力が低かったのは事実だ。ヤツが仕組んでいようがいまいが、夏になったら死んでいただろうな」

「なる、ほど……避けられなかったということですか」

 初瀬は静かにそう言った。特にショックを受けている様子でもない。

「これはやっぱり当人が自覚していたかそうでないかによって話が変わってくるな」

「自覚している場合っていうのは、何か変わってくるんですか?」

 初瀬の疑問に三笠は重々しく口を開く。

「転華病は自覚した瞬間に死亡率が跳ね上がるみたい。自分がスペクターなんかになってしまうなんて、って認められなくて……魔力とかが制御できなくなっちゃうみたいでさ」

 なってしまえば最後、苦しい死が待ち構えている。矜持よりもそれが怖くてたまらないのだ。

「だから、あの人は……自分自身が怪物であることを肯定して戦い続けてたってことになると思う」

 その生き方に誰もが口を閉ざした。

「そこまでしてでも、魔術師社会をぶち壊したかったってことなんだ……」

「うん、正直分からないよね」

 三笠もぽろりと本音を零す。仮に完全な記憶を見ていたとしても、その憎しみは理解できなかっただろう。それは紛れもなく初瀬幸嗣だけのものだ。他者が簡単に解るものではないと、三笠は知っていた。

(怪物であることを肯定し、誰よりも怪物になろうとした……って感じだったな)

 目を伏せてそんなことを考える。とても正気だとは思えなかった。

「んで、次。二つ目。いずもさんが縁視であの日の八雲山に誰が居たのか見てくれた」

「縁視ですか」

「初瀬、あれだよ。いづみさんが使ってたやつ」

「あれそういう名前だったんですか」

「まぁ、本人はあまり言わないしな……」

「でもなんであの日の八雲山にいた人を探すんですか?」

「初瀬幸嗣に関連する人物を探し出したくてな。本人が死んだ以上、彼に関係のあった人物に当たるのが普通だろ? まだ何かしら仕掛けを残しているだろうし、去年のことだって完全解決とはいっていない。あの山にいた魔術師は、初瀬幸嗣しか逮捕できてないからな」

「……そうでしたね。その後の鯨のせいで取り逃がしてしまいました」

「そういうことだ。んで結果から言うと……一部発見できた」

「あら、全部、とまではいかなかったんだ」

 松島が少し意外そうにそう言った。

「初瀬幸嗣本人に使えたらよかったんだが……どうにも一方的な縁が多くてな。全部が全部炙り出せるわけじゃないし、いずもさんは不得手な方だから完全ではないって言ってた。その点はしょうがないだろう。魔術だって完璧じゃあない」

「ま、そうだねぇ。んで? どこまで分かったの?」

「あの日山にいたのは少なくとも八人。だけどな、すでに五人は死んでいると考えた方が自然だな」

「それは……」

 初瀬が険しい顔で反応をする。それは「誰が」というところに帰結するものだろう。富士もそれをよく察したらしい。首を横に振って報告を続ける。

「結果がそうと出た。八人以上いたと考えるのが妥当だろうが……とりあえず、今現在ヤツとの繋がりが深かった人物が三人いるわけだな」

「三人ですか……あ」

 オウム返しの最中、記憶が一気に引きずり出された。あの時、そう、周防が銃撃を受けた後。東が乱入する直前。恨み言のように吐かれたあの言葉を三笠は思い出す。

「そういえば、周防と仲間割れを起こした人……幸嗣さんが、って言ってました」

「え?」

 一同は目を丸くして三笠の方を見やる。その視線に少し驚きながら、少しずつ思い出した言葉を並べていく。

「あの時、本当に死ぬかと思ったので細かくは覚えてないんですけど……『あなたさえいなければ、幸嗣さんは死ななくてよかった』と……」

「となると、やっぱり関係者が何かしらやってるのか……」

「待ってください。それはおかしいですよ」

 そこで初瀬が話を止めた。彼女は焦っているのだろう、カップを握る手に力が籠っている。

「兄の死は、公表していないどころか警察署内でも零課と一部の上層部しか知らないはずです。ってなると──」

「内通者の可能性が出てくるね」

 松島の言葉に初瀬は頷いた。確かに、そもそも初瀬幸嗣が警察署で拘留されていること自体知る者は限られていた。

「それか、ヤツが何かしらの方法を使って外部へ己の死を報せたか……だな。まぁ、こっちはちょっと無理がある気もするが」

 あの警備の中で外部への連絡を成功させるのは難しいだろう。それこそ、内通者が居た方がやりやすいはずだ。やはり問題は内通者の存在へ行きつくことになる。

「──止め止め。今こんなところで疑心暗鬼の素育てたって意味ないし」

 そう言って会話を断ったのはなんと、津和野だった。手には湯飲みを二つ持っている。彼は右手に持った方を富士の前に置きながら話を続ける。

「内通者探すよりも、縁視で判明した三人探す方が無難だろ。どうせ零課は人数多くないんだし……って何? おい、富士、いや、別に何かさ、そういう……何で黙るの」

 黙り込んだ三笠たちの視線に津和野は一瞬でたじたじになる。ほんの数秒前まであった冷静さは影も形も無くなってしまった。それを見た富士は心底感心したような顔をして津和野をつつく。

「いや、お前が大局観持ってると思ってなくて」

「は? この中で一番情報持ってるの俺だけど……って、とにかく。内通者については一旦忘れたら? どうせ分かんないんだしってこと!」

 半ば放り出すようにそう言って彼はそっぽを向いてしまった。慣れないことをした、などと呟く声が三笠の耳に届く。彼なりに現状を気遣っての台詞だったらしい。松島もその意見に賛成らしい。彼女もまた頷いて話を続けた。

「ま、確かにね。変に内輪揉めして自壊したら……それこそ向こうの思う壺かもしれないし。ミスリードの可能性も否定できないかな」

「ま、そうだな。やることを増やしても敵わん」

 津和野はそれ以上何か言うわけでもなく、勢いよく頷いて松島と富士の意見に賛成する。初瀬も三笠も、特に反対意見はなかった。

「……じゃあ、内通者については津和野に任せるとして」

「俺!?」

「お前も何だかんだ怪しい。んで、呪いの方はどうなった? こっちも何とかしておきたいんだが」

「それなら鷦鷯君が協力してくれたから大体固まってるよ」

 松島は湯飲みを傾けながらそう言った。

「解呪の儀式は失敗したけど、呪いの根元になっているものは見つかったからそれをどうにかするだけの段階だね」

「ふーん、最近見ねぇと思ったら、お前そんなことしてたのか」

「まぁね。所長さんに冗談で『無職だから暇なんですー』って言ったら、色々と頼まれてね」

「それは松島が悪い。あの人冗談をわざと真に受けるんだから」

「そりゃそうなんだよねぇ」

 二人のやり取りを横目に、三笠は小声で話しかける。

「ねぇ初瀬、松島さんって結局無職だったってこと?」

「わたしも今初めて知ったよ」

「そりゃあ何も言わずに抜けたんだもの。知らないのは当然よー」

 二人の会話に松島が割り込んだ。

「ま、どれも私にしかできない仕事だったし、所長さんもそれを分かってたんでしょうね。憎い人だわ、本当に。とにかく、初瀬さんたちが次やるべきはその楔のところに行って何とかする! よ!」

「も、もうそこまで済んだんですか!?」

「俺ならできる」

 とん、と襖を静かに開けて鷦鷯が顔を出した。

「普通は呪いに逆に取り込まれるがな。何だっけ? 呪い特化の水中ソナーみたいな魔術があるんだろ?」

 富士が横髪を触りながらそう言う。鷦鷯はそれに対して静かに頷いて返した。

「ええ。なので楔の方も俺に気づいている可能性がありますが……生物かどうかもはっきりしてません。ただ、警戒は必須ですね」

「なんだ? 何かあるのか?」

「この呪い、単に噂を発生させるだけでは上手く機能しません。少なからず呪いを対象に指向する……ある程度コントロールする役が要ります」

「ん、ならちょうどいい。三笠も行ってこい」

「え? いや、僕は……」

「お前くらいしか手が空いてるのが居ねぇんだわ。呪いと戦うにしても、全く知識のない初瀬さん一人より、知識のあるお前がいた方がずっといいだろ?」

「た、確かに……」

「その間に誘拐云々の後始末については考えておいてくれ。一応怪我のこともあるしな。こちらもそれに合わせて動けるようにしておく。公的な処理はこちらが請け負おう」

 しっかり考えておけよ、と言わんばかりに富士の視線が三笠を射止める。三笠は黙って何度も頷いた。どうするべきか未だに決め切れていないが、時間をくれるということだろう。

「それで、その楔の場所ってどこなんですか?」

 三笠が鷦鷯に訊けば、彼は眼鏡の縁に手をやりながらはっきりと答えた。


「初瀬家だ。初瀬さんの父の方の家だな」


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