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第44話「視界」

 三笠保護の連絡があった後、諸々の処理と片付けをした初瀬は二十一時ごろに帰路へついた。もう少し居残ってやりたいことがあったのだが、柳楽に「後は任せてください」と部屋を追い出されたのである。あんなやり取りをした後だ、柳楽から敵意を向けられてもおかしくない。そう思っていたのだが、予想に反してかの人は一つも態度が変わらなかった。

(排斥派の筆頭、っていうのは嘘なんじゃないか)

 そんな疑問を確かめる間もなく、初瀬は家路につくことになったのだが。

「……ん?」

 耳に飛び込んできた怒号に、初瀬は顔を上げた。そちらの方を見て見れば、小さな人だかりができている。

(何事?)

 ただならぬ雰囲気のするそこへにじり寄りつつ、様子を伺う。新たに聞こえてきた声に初瀬は顔をしかめた。

「……ちょっと、すみません」

 初瀬は静かに怒号を飛ばす一団と一人の男性の間に割って入った。

「ここは公共の場です。騒ぎ立てるのはあまりよろしくないかと」

「……なんですか? 急に」

 リーダー格らしき男が初瀬を睨む。

(面倒だな……)

 あまり事を荒立てるのは向こうも望まないはずだ。そう思い、初瀬は自分の警察手帳を掲げながら再び警告をする。

「もう一度言います。ここは公共の場ですので、あまり騒ぎ立てないでください」

 初瀬の手元のそれを見た男たちは渋々と引き下がっていく。魔術師の活動に反対する者たちだ。そして彼らに責められていたのは──

「あの、大丈夫ですか」

「あ、えっと……大丈夫、です」

 猫背の女だった。ぱっと見ただけで彼女の正体を知ることはできない。しかし彼を責めていた一団に初瀬は見覚えがあった。魔術師反対派の人たちだ。毎朝ここで活動しているから、どうしても覚えてしまっていたのだ。この女がどちら側であるかは定かでないものの、巻き込まれたことに変わりはない。

(まぁ、警察は表上反対派の肩を持っているし)

 そう考えると初瀬の行動はなかなかにアグレッシブなものだったかもしれない。もちろん、場合によっては、の話だが。まだ怯えているのか、おどおどした様子の女に初瀬は頷いて返す。

「それならいいのですが。この辺はああいう方々が多いのでしばらくは避けて通った方がよいかと」

「……そうですね」

 静かに女は返事をした。一体どんな言いがかりをつけられたのか、初瀬は見ていないので分からない。もしかすると彼らと知り合いだったのかもしれない。何度も言うが魔術師とそうでない人はぱっと見て判るものではないからだ。

「あのう。少し怖いので、少しだけ一緒に歩いてくれませんか」

 初瀬が少しばかり失礼なことを考えていると、女性はおずおずとそんな申し出をする。

「構いませんよ。わたしも仕事がありますので、少しの間だけですが」

「ありがとうございます」

 見回りの帰りだったのだ。特別急ぐ必要もない。本来ならば自宅で休んでもいいのだが、何もしていないことが初瀬にとっては一番の苦だ。

(結局こうしちゃうんだもんな)

 少しばかり二人並んで歩く。女が歩く速度がかなり遅いので、初瀬もそれに合わせざるを得ない。

(何かあったときに後ろだとやりにくいし……にしても鈍いな)

 そんな具合でゆっくりと歩いていく。

「すみません、こっちの角曲がるんです。突き当りまで行ったら大丈夫だと思うのでいいですか?」

「あぁはい。大丈夫ですよ」

 そのままつま先を目的の角へと向ける。数歩、その内を進んだときだった。

 風を切る音と共に何かが振り抜かれたのが分かった。直感と反射。それらは初瀬をしゃがませる。その勢いを維持したまま立ち上がって身構えた。

 じっと見やった女の手には、いつの間にか鈍い光を放つ刃物がある。

「……」

 何事か。全く理解が追い付かないが命の危機に変わりはない。息を飲んで初瀬は相手を伺う。しかし女性は呼吸を荒げたままその場から動かない。

「どういうつもりですか」

 初瀬が問いかければその人はびくりと肩を震わせた。

「お、お前のせいで……」

「……なに?」

「お前のせいで、何もしてない魔術師が、転華して死ぬんだ」

「────は」

 思わぬ方向からの誹謗に初瀬は目を丸くした。

「そんな言いがかりをつけるのは止めなさい」

 一瞬呆気にとられた初瀬だったが、このまま相手にペースを掴まれるのは面白くない。巻き返すべく初瀬はそう言い返した。女はそれでまた、身体を震わす。

「ほ、本当だ。アンタを殺せば懸賞金が手に入る、し、転華病の拡大も止まる。お前が魔術師を呪って回っていると、な……! 室出身の人間は全部敵だ……」

(室出身? いや、それはない)

 室が市内にもあると言うのなら、完全に否定はできない。しかし先日三笠から聞いた特徴と照らし合わせるとその確率は限りなく低いだろう。どこかで間違った情報が流布しているのだろうか。それとも、初瀬自身が知らないだけか。

「それは騙されてるんだよ。わたしは魔術師じゃないし、呪いなんて知らない」

「いや! お前は呪われている!」

 女は声を張り上げて初瀬の言葉を否定した。その勢いで初瀬を再び切りつけようとするが、その手はいとも容易く掴まれ、阻止される。

「わ、わたしがかけて回ってるってさっき言ってただろう。言っていることが無茶苦茶だぞ」

 少し引きながら初瀬も言い返す。

「どっちでもいい! お前のせいで人が死んでいるんだ、お前のせいで市内の魔術師が転華していってるんだ。知らないのか! お前と組んでいる魔術師もそろそろ人を辞めるってなぁ!」

 恐怖と暴露をする快感。それが女の中でぐちゃぐちゃになっていく。その言葉を耳にした初瀬は雷に打たれたように、女の胸倉を掴んだまま動きを止めた。

(ッ!? ほどけない!)

 固く握られたままの手を引きはがそうと藻掻くが、その抵抗も空しく初瀬は軽々と彼女を投げ飛ばす。

「それは……どういう……」

 動きは正確かつ、冷静なものだった。しかし、彼女の口から零れる言葉は震えている。

 痛みに呻きつつも、女はチャンスを得たとばかりに反撃の手を取る。それを初瀬は軽く流して距離を取る。女が騒ぎ立てたせいだろうか。段々と、人々の意識がこちらへ寄ってきているような気がした。

(違う、こんなのただの錯覚だ。パニックになるな、落ち着け)

 自分を諫めるべく呼吸を深くする。流れ落ちていく冷や汗をそのままに、この後どうするべきか初瀬は思考を回そうとする。

「っ!?」

 突如二人の間に何かが割り込んでくる。いち早くそれを察知した初瀬は勢いよく後ろに下がった。白い煙が視界を満たす。

(煙幕!? なんで)

 状況を飲み切るよりも早く、初瀬の肩を誰かが叩く。

「こっちこっち」

 反射的に振り返って、初瀬は目を丸くした。肩につくかつかないか、そのくらいの長さの栗色が揺れる。驚いた様子の初瀬の顔が面白かったのだろう。その人は口の端を吊り上げて見せた。

「え、なんで」

 にっと笑うその人物は──かつて、初瀬を零課へと招き入れた人物・松島月子だった。


 ※※※


「初瀬さん、大丈夫?」

 浮かない顔をする初瀬を気遣って、松島は近くの自販機でホットコーヒーを買ってくる。初瀬はそれを受け取りながら緩く頷いた。

「大丈夫です。……ありがとうございました。まさか松島さんが助けてくれるとは思ってもいなくて」

「ふふ。そうかな。うーん、そうかも。私はほとんど出張らないし。珍しいことこの上ないかな」

 そんな具合に松島はにこりと笑って見せた。少しいたずらっぽいその笑みは相変わらずだった。煙幕を利用してその場を離脱した二人は、少し周辺をうろついた後に道端のベンチに腰を落ち着ける。少しだけ肌寒く感じるのは、きっと気のせいではないのだろう。

「それで、浮かない顔の正体はさっきのことかな?」

「え、まぁ……そうですね。どういうことなんでしょうか、あれは」

 確かあの女は『お前のせいで転華病が流行っている』と言っていた。言っていたことが支離滅裂だったせいか、それなりの衝撃を受けてしまったからなのか。初瀬の記憶に彼の言っていたことはあまり残っていなかった。

「あまり覚えてないんですけど」

「んー、それがね。どうも厄介なことになってるみたいでさ。魔術師たちの間……主に竜冥会を中心に、そういう噂が流れてるみたいで」

「……噂ですか」

「ええ。もう察したとは思うけど、それに扇動された人が少なくないみたい」

「噂の発生源は分かるんですか?」

「えーと、確か聞いた話によると手紙、だったかな。匿名で出された手紙にそれが書いてあったみたい。無責任にも程があるけど」

 そう言ってから松島はメモを初瀬に見せる。そこには例の手紙を要約した文が書いてあった。初瀬幸嗣がすべての元凶であること、その血縁者もまた事件に関わっている、室出身者であり水ナシを追い詰める敵であると。それが紆余曲折あって、初瀬の命を狙うということに繋がってしまった。

「……正直、ここまで来ると沈静化は難しいかな」

「そう、ですね……ことが収まれば自然と消滅しそうですが、もう暴走してますよね」

「ええ。残念なことにこうなったら人の意志が介入できるとは思えない。武力を以て制するにも、限度があるからね」

「これ、竜冥会が中心にあるんですっけ」

「そうだね。変な話だけど」

 そう、竜冥会は昨年の鯨出現にも一枚嚙んでいる。

「昨年の件に関わっていたのは上層部と出雲支部だけ。それ以外の会員は知らないと考えた方が自然かな。だからこそこうなってるんだと思う。それこそあの時は水ナシも関与しているのではないかって説だったけど、今ではそれも否定せざるを得ないかな。あそこまで大きな騒ぎになったのに、実際に動いていた人物は少なかったってこと。竜冥会の思う結果が得られなかったイコール失敗した、ということだからね。つまりは──スケープゴートにされてる」

 初瀬は静かに腕を組んだ。手紙の出どころは竜冥会上層部と考えるのが自然だろう。そうでなければ、上層部の情報リテラシーを疑わざるを得ない。そうでないとすれば、誰かがこの状況を知っていて、意図的にこうしたと考えるしかないだろう。これはいよいよ、転華病の捜査どころではなくなってきたな、なんて他人事のような呟きが内に出る。

 そんな初瀬の内心を見抜いたのか、松島は神妙な顔のまま話を継いだ。

「でも危惧するべきはもっと他にあってね」

「まだ何かあるんですか」

 彼女の表情の硬さから初瀬は、軽く受け止められるものではないと察する。嫌なことにならないでくれと願うしかできない。

「噂を話題にしているのが魔術師だからね。噂通りの呪いがかかってる可能性があるかな」

「そんなこと……あるんですか?」

「あったんだよ。過去に。だからこれから色々対処していこうと思うんだけど、いいかな」

「分かりました」

「よし、それじゃあ、こんなところでずっといるのも何だし……うちにおいでよ」

「え? あ、はい」


 松島に案内されるがまま、初瀬は彼女の家に招き入れられた。

「ま、おいでと言っておいてなんだけど……こんな家だからさ」

 そう言って松島は靴を脱ぐ。連れてこられたのはとあるマンションの一室だった。2LDKの部屋にはシンプルな家具が置かれている。彼女はどうも、家具類に拘りがあまりないらしい。そのどれもが白色で、どこか無機質に思えてしまう。慣れぬ空間に初瀬がそわそわしていると、松島はさっさと奥の方へ行ってしまう。そのままその場に立ち尽くしていると、すぐに彼女が戻ってきて手招きをする。

「ちょいちょい、そうそういえばご飯食べた?」

「まだですね」

「んー、なら何か食べるものは……っと。あぁ、荷物下しなよ。その辺座っていいからさ」

 そう言いながら彼女は戸棚からカップ麺を引っ張り出してきて、皿と水の入ったコップと共に机の上に置く。机のすぐそばにあった湯沸かしポットのスイッチを入れて、ようやく松島は腰を落ち着けた。

「もしかしてぇ、初瀬さんは自分のテリトリーじゃないと落ち着けないタイプ?」

「存外に神経質だったり?」と言いながら松島はカップ麺を開ける。

「そうかもしれませんね……すみません、急にお邪魔してしまって」

「いいんだよ別に。あのまま直帰してもよくなかっただろうし」

 かやくを取り出しながら彼女は微笑む。ふわ、と胡椒が舞った。松島の言葉に初瀬もうっかりしていたことに気が付いてしまう。

「え、本当ですね。大丈夫なんですか?」

 目くらましに発煙筒を使ったとはいえ、あの場には他にも人がいた。その中に彼と同じような魂胆の者がいてもおかしくはない。彼らに松島家の所在がバレるのはよくないのではないか。初瀬の思い当たった不安は、松島にもあったらしい。彼女は一瞬だけ眉を下げたものの、すぐに首を横に振った。

「大丈夫。うちには優秀な番犬が数頭いてね。今日一日くらいなら平気」

「そうなんですか……?」

「塩ラーメンと味噌ラーメンどっちがいい?」

 返事の代わりにカップ麺が二つ、目の前に差し出される。ごく普通のそれに初瀬の意識はぐっと持って行かれた。夜食にすると少しだけ足りない。そんな量のものだ。差し出された二つを交互に見て、初瀬は左のものを指した。

「……味噌で」

「はいはーい。あ、お箸お箸……」

 そう言いつつ彼女はまた冷蔵庫の方へ向かう。とてもではないが、楽観的にいられるような状況でもない。それでも松島はいつも通り──いや、いつも以上にご機嫌にキッチンの方から戻ってくる。そんな彼女のテンションに初瀬は困惑しているが、それに気づいているのかいないのか。松島は左手に割り箸二本を、右手にラップで包まれた小さめのおにぎりを持って戻ってきた。

「これ、今朝作ったおにぎりあったわ。組み合わせとしてアレかもしんないけど……カップ麺だけじゃ足りないよねぇ? というわけで、おかかと……こっちはなんだっけ、じゃこだったかな。どっちも醤油だァ」

「本当ですね」

「どっちがいい?」

「え、えーと……おかかがいいです」

「はぁいどうぞ」

 にこりと笑って松島はおにぎりを差し出した。それを二人してカップ麺の蓋の上に置き、人肌に温めようとする。いつの間にお湯が沸いていたのだろう。松島に気を取られていたせいだろう、初瀬は全く気づいていなかった。

(思ったより疲れてんだな)

 疲労を自覚し、なるべく考え込まないようにと思考を止める。蓋の隙間から上がっていく湯気をながめることにした。そんな様子の初瀬が気になったのだろう。松島は首を傾げた。

「……大丈夫? やっぱり何か気になることでも?」

「あ……そうですね」

 初瀬は自分の表情に気が付いて、頬に手を当てた。いつもこうだ。よくない方向の感情表現ばかり上手くなってしまった。それを若干恥ながら、初瀬は頷く。

「まぁじゃあ、お姉さんに言ってみなさいな」

 ふんす、と鼻を鳴らしながら松島はそう言った。

「いいんですか?」

「いいよ別に。暇だし」

 そう言って彼女は手元のカップ麺を指して見せる。確かにあと二分ほど、暇な時間がある。なら、と初瀬は口を開いた。

「今こんな時代に、魔女狩りなんてあるんだなって思いまして」

「って言っても貴方、八年前にも見たんじゃないの?」

 松島は少し意外だったのか目を丸くして大げさに反応する。

「それは、そうですけども。自分が対象になるとやはり違う感じがします。こんな時代でも起きるのかって感覚が強くて」

 目を伏せ、水を一口飲む初瀬の前で松島は顎に手を当てて小さく唸った。彼女もさすがに自分がその対象になったことはないらしい。少ししてから、首を傾げつつ彼女は話を続ける。

「うーん、確かにそうかも。でもそうね。少し厳しいことを言うのだけど……それは思い上がり、かな」

「へっ?」

 初瀬は勢いよく顔を上げる。予想外の言葉だった。それに対し松島はふっと表情を緩めた後に、これまた真面目な話を続けた。

「どれだけ技術が進もうが、どれだけ豊かな生活ができるようになろうとも、人自身が変わったわけじゃないのよ」

 松島の言葉に初瀬は目を丸くする。確かにさして大きな変化はしていない。腕が増えたり、足が増えたりしたということもない。松島はスマホを手に取って初瀬に見えるように掲げる。

「これを使えばいくらでも情報は手に入る。そうでしょ?」

 スマホを下した彼女は、次は自分の頭を指して見せた。

「けど、その情報を受理する私たち──人間の頭はここ数百年で大きく変わったわけじゃないの。というかほぼ変わっていないと言うべきかな。だから、魔女狩りは中世の遺物ではない。条件さえ揃えばいつだって、どんな状況でも起きうると考えるべきだわ」

 松島の話に初瀬は目を伏せるほかなかった。思い上がりは事実だろう。文明も技術も発達した現代で起きるはずがないと無意識のうちに考えていた。過去の遺物だと思っていたのだ。しかしそれがどうだ、実際はそんなことはなかった。

「なんというか……ちょっと悔しいですね」

「そう? まぁ、そうかもね。こんなに豊かでも本質は何も変わっちゃいないなんて、あまり認めたくないことではあるかしら」

 小首をかしげながらさらりと松島はそう言った。

「なんというか、身体を張って守ったのに後ろから刺された感じがします」

「……実際そうではあるよね。複雑?」

「ええ。確かに間違っちゃいないんです。わたしは純粋な魔術師ではありませんが……ただの監視官、と言うにはあまりにも特異だという自覚があります。だからその、なんと言いますか。わたしって立場と性質を考えればかなり矛盾しているな、と」

 先日から感じていた違和感の正体はこれらしい。完全に境界上に立つ存在と化している。それが今の苦しみを生んでいるのは事実だ。

 監視官でありながら、普通の人とは一線を画す。しかし、魔術師と全く同じというわけでもない。魔術師からも初瀬は一線を画した存在である。

「確かに。市民からすれば、守ってくれるはずの人が魔術師と似たようなことができるって見えるわけだもんね。逆にそんなことができるのに、魔術師からすれば敵対している感じになってしまう。別にそんなつもりはないのに、周りが勝手にそう取ってしまう。それが苦しい……って感じかな?」

「そ、うです。そうです。……だから、わたしはあまり、わたしが信じられなくなってきました」

 そんなことはあってはならない。それを一番理解していたはずなのに、言葉にしてしまった。いざ周りから言われると、こうも自信がなくなるものなのか、と初瀬は肩を落とす。

 よくないことだというのは、分かるのだが。

 直面すると何も言えなくなる。呪いの話も、竜冥会のことも、何もかもが一度に起きたせいか半分くらい頭に入っていない。重ね重ねの感情はよく分からない色を帯びていく。

「そうだねえ……難しいよね」

 松島もこれについては思うところがあったのだろうか。

 少し伏せられたその目に、初瀬は少し驚く。彼女のことは知らないことの方が多い。それは分かっていたが、どうにも悩みとは無縁なように見えていたからだ。いつも余裕のある態度がそう思わせていたのかもしれない。

「悪いけど、私から有効な答えは出せないかな。ごめんね聞いておいて。実を言うと私もそこはまだ考え中」

 そう言いながら、松島はカップ麺の蓋を開けた。塩の香りが湯気と共に立ち昇る。

「だから、もし悩んだときは私も悩んでるってコト思い出したらいいよ。信じられなくなってもいい。けれど焦らないで。手を違えてしまわないように、いつでも冷静でいましょうね──お互いに」

 松島は話を締め括って、初瀬へ箸を差し出した。

「そう、ですね。今はそれで、いいってことですか」

「そ。んじゃ、いただきます」

「いただきます」


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