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第42話「凍雪」

「……あなたは本当にそれでいいのか」

 純粋な疑問としてそう思った。話を聞く限り、義理とはいえ共に暮らす家族だろう。それなのにどうしてこんな闇討ちのような方法を使ってでも殺したい、と思うのだろう。

「構わない。もともとは他人だ」

 依頼人は静かに答えた。

「随分と冷たいな」

 その言葉に彼は黙り込む。どこか葛藤しているかのようなその態度は、とても冷たい人には見えない。こちらも黙って次の言葉を待った。このくらい訊いても許されるだろう、と思っていたからだ。

「……二人、子供がいるんだが」

「え?」

「そのどちらも魔術師になるべく育てられた。魔術のために肉体改造までされていたんだ。おれの知らないところで」

 そんなことがあるのだろうか。かなり大掛かりになるはずだし、同じ家に住んでいて目につかないなんてことが、ありえるのだろうか。

 僕は首を傾げた。

 魔術のための肉体強化にはいくつか種類がある。

 僕のように特定のスペクターを寄生させて行うものに、医療魔術と組み合わせた、根本から人体を改造するもの。例を挙げ始めたらきりがないが、たいていは被改造者の寿命を縮める。どうしても魔術というものを扱うには、この体は弱すぎるのだ。能力はすさまじい数値を叩き出す。その代わりに人を辞める確率も跳ね上がる。

 結局のところ、魔術というのは人の手に余るオーバースペックなものでしかない。

 まぁ、人の形を保ったまま、いかに限界を超えるかが魔術師の永遠の課題である。そう考えれば彼の義両親はいかにも魔術師らしい人であると言えるだろう。

 ──しかしまぁ、魔術師自体、そうでない人々に比べて寿命が短いというのに。さらに縮めるような真似をするのはやはり、狂っていると言って差し支えないだろう。

「それで? その子は身内と言えるから、助けたいと……?」

「そうなる」

 難儀なものだ、と思った。

 だってもう、話を聞く限りでは手遅れなはずだ。どうもこの人が抱える罪悪感というのはとてつもなく大きいらしい。こんなことをしたって、その子の寿命は伸ばせないのに。まぁ、さらに縮むことは防げるかもしれないけども。

「って言っても、その子供が魔術を辞めるとは限らないだろう。むしろここまでそういう生き方をしてきたのなら、離れさせるのは難しいと思うが」

 僕の言葉に、男は何も言わなかった。ただただ、願うような顔をした。

「ずいぶんと勝手だな。これまでは何もしてこなかったって言うのに、今更助けたいだなんて。しかも法を犯すような方法で。何考えてんだ」

 柄になくそんな言葉を口にする。

 でも、だって。こういう親の意思で左右される子供の身にもなってほしい。当人が納得できるほどの理由をアンタは提示できるのか。目で訴えかけるものの、依頼人は目を伏せたままだった。

「────この件を伏せておくって言うんなら、当人たちの知らないところで処理をするって言うんなら、覚悟しておけ。僕が悪者になるのは一向にかまわないけど、やりようによってはあんたはすぐにでもその子たちの悪者になるんだからな。その覚悟はしておけ。報復で殺されても文句は言えない」

 依頼人は顔を上げない。それをいいことに僕は言葉を続けた。

「母親だってもう死んでるんだろ。唯一の拠り所だった親父が、そんなことをしたって知ったらその子がどう思うかは考えたんだよな。考えたうえで僕と話しているって思っていいんだよな!? 親の勝手な考えで、それまで必死になってやってきたことを辞めさせられる身になって考えたことがあるのかよ。当人の意見は聞いたのか!? ふざけんな、黙ってやったとしても誰も得しねぇよこんなの!」

「……何故、何故初瀬さんが怒っているんだ」

 依頼人──三笠勇吾の言葉でハッとする。いつの間にか勢いに任せて僕は立ち上がっていたらしい。急に恥ずかしくなって急いで席に着いた。

「それは……あんたが知る必要のないことだ」

 依頼人との約束は──侵入脱出経路の確保。そして、警察の捜査のかく乱をすること。魔術を使う以上、科学的な証拠なんてものは敵ではない。それでも念には念を入れろと友が口うるさく言ってきた。同じように依頼をしてきた他の家も同様の動機だった。


『これ以上人の身を離れたくない』『離れさせたくない』『止めたいけれど、圧力に勝てない』


『間違っていると分かっているがこれくらいしかもう』


 そんな助けを求める声だった。藁にも縋る思いだったとはいえこんな義賊かぶれの僕らに頼む時点で、お前らも終わってるんだよな。


 ──そう思っていた。そう思っていたが。

 月明かりに照らされて、暗闇で銀色が浮いて見える。怯えた表情を浮かべたまま地に這いつくばる少年を見下ろして一つ、息をついた。出会った順が逆であればよかった。そうすれば、後ろで息絶えている老夫婦にこの所業の是非を問えたのに。

 橙の瞳が自分を射止めようとする。弱々しく、光が失われつつあるそれであろうとも、反撃の意志は失われていない様子だった。それに思わず感心してしまうと同時に、どこか悲しくもなってきた。こんなに生きようとしているのに、こいつは回復魔術の一つも使えない。扱うことができない。祖父母両親に定められたその特性で今現在苦しんでいるのは彼だ。

 父親は、それでも助けたいのだろうか。とどめを刺すべく手を掲げたところで、不意に降りかかてきた熱に気が付く。反射的に飛び退けばそこを閃光が駆け抜けていった。恨みを込めてそちらを見やる。

「姉の方か」

 月光を鈍く反射する、灰色の髪をした少女がそこにいた。その色は目の前の少年のものよりも暗く、鈍い。学生服を身にまとい、鬼のような形相をしてこちらを睨みつけている。

 さすがに今から相手はできない。すでに時間切れもしている。これ以上の無茶は友の機嫌を悪くするだろう。目くらまし用の魔道具の封を切って離脱する。


 ──運の悪い奴め。ここで死ねば、そうそう苦労はしなかったろうに。


 ※※※


「──あぁ」

 妙な納得感に三笠は両手で顔を覆った。

 八年前の違和感。それが今実行犯の記憶によって紐解かれていく。モズがいつまで経っても捕まらなかったのは、警察の捜査が杜撰だっただけではなかったのだ。いわゆる共犯者が被害者の身内にいて、証拠を上手く消していた。

 捕まらないわけだ。もしかすると、自分の記憶に靄がかかっていたのもそのせいかもしれない。そんな風に三笠は邪推してしまう。

(だって、それじゃあ)

 まだ当人の口から聞いたわけではない。これもまた幸嗣の想像に他ならないと一蹴することもできる。しかし筋が通る。通ってしまう。成立してしまった真実を三笠はゆっくりと、咀嚼するためにその身を丸めた。


「……よし、報告書はこんなもんかな。やっぱ二人でやると捗るなー」

 津和野は伸びをしながらそう言った。机の上には何度も書き直した報告書の下書きが散乱している。

「結構時間かかりましたね」

 三笠は消しゴムのカスを机の隅に集めながら頷く。

「これ、毎回やってるんですか?」

「そうだよ。ま、これが俺の仕事だし」

「た、大変だ……」

 そう言いながら三笠は肩の力を抜いた。慣れないことをしたせいか、まだ緊張している。見たものをしっかりそのまま、言葉で伝えるのが大変なことだというのをすっかり忘れていた。

 三笠が見たものを話し、それを津和野が質問して具体的に書き留めていく。基本的にはこの繰り返しだった。報告書という体裁上、端的で曖昧な表現を避けた文章にしなければならない。しかしながら、書き起こすのは記憶だ。どうしてもそういった表現は必要になる。そこで津和野と共に工夫を凝らしに凝らしてそれっぽいものを作り出した。

「僕何か淹れてきますね。甘いのとか大丈夫ですか?」

「むしろ大歓迎ー」

 津和野の返事を背に三笠は台所へと入る。冷蔵庫の中にはちょうど、未開封の牛乳があった。三笠はそれを開けて砂糖を取り出す。

「それで、答えは見つかった?」

 暇を持て余しているのだろう、津和野がいつの間にか台所へ入ってきていた。彼は三笠の手元を見ながら首を傾げている。答えというのはもちろんアレの事だろう。

「え、えぇ……それなりに。あの、気になったんですけど」

 相槌を打ちながら鍋に牛乳を入れて火にかけた。

「あの記憶、途中途中……ていうか結構な頻度で抜けがありますよね。これは不備か何かなんですか?」

 そう、三笠が見た幸嗣の記憶にはかなりの頻度で抜けがあった。夢のように急に違う場面同士が連続したり、結末が分からない状態でその後一切触れられることがなかったり。言ってしまえばバラバラかつ山も落ちもない短編集を見ているかのような気分だった。痛みや苦しみなどの感覚的苦痛よりも、そういった無作為な場面の連続の方が三笠にとっては苦しかった。

「あぁそれ」

 津和野は少し残念そうに眉を下げる。

「これはこの魔術の仕様上しかたのないバグというか……当然というか」

「当然ですか」

「うん。この記憶抽出魔術は、魔術を中心とした記憶しか取り出せない。まずそこね。だから日常生活とか単調な繰り返し、それから魔術から縁遠いことは抜けやすい。次に、当人が強い感情を抱えている部分は基本焼け落ちる」

「焼け落ちる……」

「そそ。人っていうのは無意識のうちに記憶を改変する。それが最も強く働くのはよくも悪くも強い感情を抱いた時ね。だから今回抜き出せたモズの記憶も、ほとんどが焼け落ちていると考えるべきだ。あの人は強い感情で自分を焼き続けたんだろうね」

「それで、あんなに……」

 牛乳が温まる。三笠は砂糖を摘まんでから鍋に視線を落とした。くるくるとかき混ぜられるそれに思考は促される。

「じゃあ、僕にも焼け落ちている記憶があるってことなんですかね?」

「じゃない? 当然俺にもある。誰にでも基本あるものって思ってくれればそれで。今回は異様に多かったという話ね」

「便利だと思いましたがそうでもないんですね」

「まぁね。抽出だから臓器の摘出と何ら変わらんし。抽出された側に影響が出るから、生きている人には使えないし。……こういう感じでしか結果が出ないから事件の捜査とかには使いにくいだろうなぁ」

「ですかね……あ、ホットミルクできたのでそこのカップ取ってくれますか?」

「はいはーい」

 三笠は津和野が持ってきたマグカップにホットミルクを注ぐ。目分量だったがちょうど二人分ぴったりのそれが出来上がった。

「これが何かの手がかりになればいいけど」

 津和野はそう小さく呟く。月のように真っ白なマグカップの中身が、不安げな彼の顔を映し出した。


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