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第37話「vs周防」

 静寂と殺意が同居する。

 そんな独特の空気感に三笠はめまいを起こしそうだった。

「最後に何か、言いたいことは」

「……僕は、確かに後悔をしなかったと言えば嘘になる」

「……?」

「辞めたいことはあったし、死にたいと思ったこともあったよ。こんな世界無くなればいいと思ったし、魔術だって今すぐ消されればいいって思ってた」

 なら、と周防は言おうとする。それを遮って三笠は続けた。

「けど、でも、それでもここまで来た僕のことを悔いるよりも、誇れるようになりたい。間違ってもそれを踏まえて僕はここまで歩いてこれた。何度も諦めそうになったけど、繋いでこれた。それがすごく誇らしい。愚かでも、何度同じところで間違えても……それでも信頼を受けながらここまで来れた、僕は今の僕を誇れるよ」

 率直に、自分の考えを三笠は伝える。拙い言葉ではあるが、言いたいことは言えた。

「同じ間違いを何度しても、だって? 自分の間違いを忘れてたって、こと?」

 きっと、真面目な彼のことだ。二度と間違わぬように、と文字通り肝に銘じてきたのだろう。

(誰かと似てるな)

 三笠は少し口元を緩ませる。それを不気味に思ったのか、周防は半歩その身を引いた。

「うん。悪く言えば忘れてるってことだけど、よく言えば何度も挑戦できたってことでしょ。怖いって思ってると、不思議と身を引いてしまう。けどそれを忘れれば、僕はまた全力で挑戦する権利を得られるから」

「バカだ。正真正銘のバカだ」

 三笠を見上げた周防は、どこか眩しそうな眼をしながらそう言った。

「それでいいよ」

 愚かさを肯定し、三笠は身構える。初瀬に教わった基本の構え方だ。

 周防もそれに呼応するように身を固くした。

(って言っても今の僕は丸腰……春日雨ですら一回か二回しか使えないだろうし。切り札なんて問題外だし)

 隠し持っていた魔道具も全て没収されてしまっているようだった。組んでおいた魔術式もほとんど解体されている。すべて解体するには時間が足りなかったのだろうか。その数が多かったせいか、いくつかの魔術式と決戦術式は健在だった。そのくらいは問題ないと見逃されたのか、幸か不幸か。それは定かでないものの、今は幸運だと噛みしめておくしかない。

 再度周防を見据える。

「なら、なら!」

 周防は声を張る。想定外に行動に三笠はぎょっとして彼の方を見た。

「この魔術で殺してやる。最後の最後に魔術なんかやめときゃよかったって後悔しながら逝けばいい」

 憎悪に火が付く。それと同時に周囲の魔力の色が変わった。埋火のように、陰りながらも熱を持つ。

「眼下燃ゆる、浮雲の──」

 三笠の知る詠唱が始まる。

(来た!)

 身構えていた三笠もすぐに対応するべく口を開く。

「藤枝濡らすは、夕立つ柱。開け、励起『春日雨』!」

「塞ぎ惑わすは己が心。心火共鳴、幻符『篝火狐鳴』!」

 一瞬にして視界が煙る。それと同時に開かれた魔術式から魔力弾の群れが飛び出していく。

(持久戦になったら確実に負ける! だったら僕がやるべきなのは!)

 悪い視界の中三笠は思い切って飛び出した。

「開け、開け開け──!」

 重ねて『春日雨』を発動させる。これでもう『春日雨』を使い切った。視界が悪かろうが、肉薄すればそれは意味を成さない。勇み足になっても構わない。そんな決死の覚悟は怯えを消し飛ばす。自身が放った弾幕に被弾する。

 視界が悪かろうが関係がない。勢いさえあれば、彼の戦意を削ぐことができる。必ずしも当てる必要はない。

(ただ、当たれば上々!)

 一縷の望みに懸けて、三笠はもう一つ魔術式を展開する。

「改良式、応用反符『斜月鏡』ッ!」

 大亀との戦いの後、鷦鷯の手伝いを受けて改良された、無名『三凌鏡』。それらに向かって弾幕は走る。

 魔術式に当たった魔力弾は一斉に跳躍する。横に広がりゆく弾幕と、それと交差する跳弾。格子状に展開された魔力弾が周防を絡めとろうとその手を広げた。

「開け! 豪符『心火光明』」

 周防の眼前で光と魔力が散る。防御魔術で多くの魔力弾が弾かれたのは確かだった。命中弾はある程度確認できる。それが彼の戦意を削るに至らないのは当然のことだろうか。しかし三笠にとってそれは些事だ。本命はこの後叩き込むつもりだからだ。

「やってやる──」

 飛び込んだ先で三笠は拳を振るう。

 ──振り抜いた拳が幻を捉えたことを直感が告げた。目の端に捉えた周防は不敵な笑みを浮かべている。

(『不知火』だ!)

 危機に反射的に反応する。が。

 悪い癖が出た。

 跳躍による回避を、周防が見逃すはずがない。彼は無防備になった三笠の頭部目掛けて鋭い蹴りを放った。

 強い衝撃が突き抜けていくのが分かった。勢いと共に意識も持って行かれそうになる。目の前に星が散るとはこういうことか、などと考える間もなく三笠は派手に地面に落ちた。

「うっ……ぐ、ぅ」

 視界がはっきりとしない。なんとか立ち上がろうとするも、方向感覚がはっきりとしない。どちらが天でどちらが地なのか。ぐらつく頭ではそれも定かではない。ぐるぐると回る視界、頬を冷や汗が伝い落ちる。何かしらの魔術が施されていたのだろう。衝撃が尋常ではない。意識を飛ばしてしまわなかっただけまだマシなのだろう。

「馬鹿だね。なんで逃げ先のない宙に逃げたの」

 冷たい声が上から降ってくる。

 痛みで朦朧とする頭は言うことを聞かない。何かできることがあるわけでもなく、三笠は短く息を吐いた。

「そっちが不利なのは十分に分かってる。三笠の戦い方も知ってる。もちろんそっちが、こっちの戦い方を知っているのも了承済み。だから肉弾戦ですぐ終わらせたいんだよね。でもね、こんなところで俺は持久戦なんてしない。だって乱入者がいたら自分が困るんだから」

 周防の予想は概ね当たっている。

 そして三笠の予想は最後の一点において大きく外れていた。周防の魔術は三笠を一撃で葬れるものがない。もちろんそれは三笠の知る限りの話だが。と、なれば。魔道具などの補助を得られない三笠のスタミナが切れるまで逃げ続ける。それが周防にとって一番いい戦法だと考えていた。だからそれを崩すために三笠は突っ込んだのだが。

 しかしどうだ。

 彼は乱入者がいては困る、というのだ。

「そ、うか……そういう、ことか」

 痛みで息も絶え絶えな三笠から周防は距離を取った。ようやく身体を起こそうと立てた腕に力が入る。

「そういうことか……」

 埋まらぬ断絶を理解させられる。視界が徐々に戻っていく中で、三笠の考えも段々と固まっていった。

(となれば、回避行動をとりつつ、こちらの隙ができた瞬間に切り込んでくる)

 先程のようなことは二度とできない。それに、詠唱破棄をする魔術式がどこに設置されているかも分かっていない。

 先程殴られた頬が痛む。

(確実に歯が折れたか欠けるかした気がする……)

 痛みによって歯を食いしばることもままならない。襲い来る痛みは指先を震わせ、視界を歪ませる。それを忘れるために三笠はまた駆け出した。

「突っ込むしかできないよなぁ! 『不知火』!」

 今度は三笠でもはっきりとそれが設置されるところを捉えられる。

(きた! やっぱりある程度の目印はある!)

 周防を取り囲む三方に設置されたそれを三笠は遠慮なく踏み抜いて突っ込んでいく。

「は!?」

「初春呼ぶは一つの浄火、咲け、広がれ──『燎原之火』!」

 腹から声を出すとともに拳を振り抜いた。三笠を中心に火種から大きな炎が咲いた。二人は業火に取り囲まれる。周防は三笠の詠唱を合図に拳を躱し、その腕を強く掴み返す。

「──捕まえた。『流星火』」

 直上から光が降り注ぐ。派手に爆炎と煙が上がる。その中から先に抜け出したのは周防だった。彼はじっと火の方を見つめながら思考する。

(……頑丈さにここまで自信を持ってるとは思ってなかったな。ガンガン突っ込んでくるとなれば、こちらが待つことなく消耗する、だろうけども。いかんせん向こうの切り札を防ぐ術が俺にはない)

『竜哮一閃』をしのぐにはとにかく距離を取るしかない。かの魔術は離れれば離れるほど威力が減退していく。もしくは逆に限界まで近づくかのどちらかだ。

(と言っても……あの魔術の有効射程は馬鹿みたいに長い。今俺が走って逃げたところで逃げ切れるはずもない。それにいくら向こうに回復手段がないからといって悠長にできるわけじゃない)

 しかし、三笠は周防に向かって切り札を使わないと宣言したのだ。そうとなれば本当にぎりぎりまで三笠は使ってこないだろう。それこそ、命の危険を感じる程に追い詰められるまで。

(そうとなれば必ずその手で殴り掛かってくるはず──!)

 炎を掻いて三笠が飛び出してくる。多少なりとも負傷をしているようだが、それに全く怯んではいない。その目を見て、戦意喪失は程遠いことを周防は悟る。

「化け物じみてるね」

「これだけが取り柄だから。周防もそれは知ってるでしょ」

「……」

 とん、と三笠は己の胸を叩きながらそう言い切った。指先ですら震えていない。彼の強靭さを今一度理解させられる。挑発、はたまた嫌味か。そのつもりで放たれた言葉を三笠はものともしなかった。いやおそらく、気づいていないのだ。そんなこと、気にも留めていない。

 その上──

「うん、そう。僕は平気なんだけど。もうヤバいだろ、周防は」

 三笠は挑発をし返した。

「っ……! 怪符『埋火』!」

 仄かな光が彼の胸元で生まれる。それと同時に周防の動きが止まった。それをチャンスに三笠は再び動き出した。切り札を切ろうとする。

「──なんて」

 しかし。

 周防は『埋火』を使わなかった。

(な、そんな自殺行為を!?)

 それでも構えた魔術式の展開はもう止まらない。手の内で火種が咲く。

「『熾火』」

 励起された魔術式が光を放ったその瞬間。


 息が詰まった。


 喉は乾き、張り付いて痛みが走る。照準を合わせるために伸ばした腕は反射的に引っ込められた。部屋中に走っていた炎が一瞬にして姿を消す。そして。

 派手な音を立てて窓ガラスが飛散した。

 雨あられと降り注ぐそれを三笠は身を丸めてしのぐ。

「……怪符『埋火』」

 周防はその最中、静かに魔術式を励起した。符に書き込まれた術式が魔力に反応して活性化する。

「っ、くそ……げほっ、うぐ……」

 地面に伏せたまま三笠は歯を食いしばった。悔しさのあまり涙も出ない。

「俺だって自分の魔術の弱点くらい理解してる! なめるなッ!」

 声を裏返しそうになりながら周防は食らいつくような勢いでそう言った。瞬く間に周防が受けていた傷は回復していく。

 それでもなお、立ち上がった三笠に対して周防は冷たい視線を向けた。

「勝ち目がないって分かんないかな!」

 周防が吼える。三笠も彼の勢いに乗せられて声を大きくして言い返す。

「そんなこと! 最初から分かってる! この戦いで僕に有利なところなんて一つもない!」

「はぁ!?」

「だからこそ!」

 三笠は再度構え直して周防を見据えた。

「こうやって無茶苦茶を無理やり通し続けて、何かが起きることを期待して祈ってるんだよ……!」

 背水の陣。勝ち目が薄いからこそ普段やろうとも思えない無茶を平気でやれるようになる。そこにある、わずかな勝ち筋を掴むためになんだってする。そんな気迫を込めて三笠は再び攻勢に出る。

(僕にはまだ克服できていない悪癖がある!)

 癖を強い意志で抑え込み、逆にしゃがんでみせる。周防は一瞬ぎょっとした顔を見せたがすぐにそれは消えた。なぜなら今、三笠は彼の懐に潜り込んだ状態だからだ。そうとなれば周防にとって不利な点は一つも無くなる。彼が拳を握ったその瞬間に、三笠は思い切り体当たりをした。しゃがみこんでから弾みをつけられた当て身は見事に周防の軸を捉える。

「何を!」

 三笠の狙いは彼が転んだその先──壁にあった。

 そして。

 やっと掴み取ったそのチャンスを必死に引き寄せる。大きく出来上がった隙はきっと最初で最後だろう。

「貫け、ぶっ飛ばせ──!」

「んなっ!? 馬鹿、やめ──」

 持てるすべての魔力を解放する。

 周防の制止する声はもはや届かない。形を得る前のそれは火の粉となって三笠の周囲を舞う。熱く流れる血潮が勝利を確信させた。右手を天に向けて力を込める。

「一陣の風、打ち鳴らすは星の鼓動ッ! 暁の竜は我が胸に、我が魂食らえて奔れ、『竜哮一閃』!」

 いつもより早く、しかしその発音ははっきりとさせて。幾重にも展開された魔術式が光と熱を放つ。形作られた光の槍はいつになく鋭く、洗練されていた。直上は魔術式設計の想定外であるにも関わらず、だ。

(早く撃たねば、魔術式が瓦解する──!)

 三笠の狙いはその後ろ、建物を貫き、支える──柱だった。隙を鋭く穿った流星は強い光を放って建物の柱を貫く。派手な光と煙が三笠たちの視界を覆う。



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