第32話「決裂」
「てことで手紙はしっかり出せたわ。後は向こうの反応待ちってところかしら」
暗いバックヤードで二人は話をしていた。今日はいつもの集会ではなく、香住は一人報告をするためにここへ来たのである。例の手紙を全て出し終えたという香住の報告を聞いた石見は、無表情のまま頷いた。
「それはよかったです」
寂しい机の上に、出した手紙の下書きを並べて香住は話を続ける。
「この内容、幸嗣さんはどういうつもりで書いたのかしらね……」
「さぁ、そこまでは。確かに貶めるような内容にも見えますが……事実、そういう扱いを受けてきたってことでしょうし」
首を横に振って石見は答える。会話にしては淡々としているが、この人物との会話はいつもこうだ。慣れ切った香住は訊きたいことを遠慮なく訊いていく。
「そういう話、聞いたことあるの?」
「一度だけありますね。詳しくは知りませんが」
「そうなのね。まぁ、あの人自分のこと話したがらないし」
下書きを集めてまとめながら、少しだけ初瀬幸嗣のことを思い出す。思い出されるのは己との会話と魔術のことだけだ。家族のことも、出自も。経歴も何もかも香住は知らないでいた。目の前の人物は少しだけ話したことがある様子だが、どうやって訊いたのだろうか。
(一回ものすごく怒られたけど、訊き方次第なのかしら)
どうやって知ったのかぜひ聞いてみたいところだったが、石見が答えるとは思えない。香住は好奇心を抑え、黙って頷くのみに留める。
「でも、こんなので本当に竜脈に負荷をかけられるのかしら。いえ、疑っているわけではないのだけど……いまいち仕組みが理解できてなくて」
一瞬向けられた鋭い視線に、香住は訂正を加えて疑問を提示する。
「噂を広めるのは魔術師です。元々言葉によって魔術を成立させるのが、魔術師ですから」
「だから、単なる噂であっても、そうなるように働きかけることができる。あるいはできてしまうのだとか。私が検証したわけではありませんが」
「そうなのね……でも、それだと竜脈ではなくて、室の方に呪いがかかるんじゃないの? 内容的には、そう見えるけど……」
「いえ、それで構いません。結局は潰し合いをさせるための方法ですし。一応、経過観察はしなければなりませんが……正直書き換えるにしても、どうするのが正解か分かりませんからね」
以前も話していた通り、石見であっても計画の全貌は知らないらしい。彼が知っているのは大まかなプロットと、それに伴うちょっとした知識、初瀬幸嗣の言葉だけだ。
(本当にできるのかしら、こんな状況で。できるものならやりたいけど、不安が大きいのが現状だわ)
香住がそんなことを考えていると、石見が珍しく自ら話を切り出した。
「ところで、話は変わるのですが」
「ん? 何かしら」
「例の三笠という魔術師を、そろそろ始末したいんです」
「あら? そういう話だったっけ?」
目を丸くして香住は首を傾げた。それに対して石見は首を横に振って事情説明を加える。
「いえ、今更の方針変更になってしまうのですが。味方に引き入れるには手ごわそうですし。かといって無視できるほど小さい存在でもありませんし……と考えた末の結論ですね」
石見の言葉に促されるようにして、香住も彼について考えてみる。確か、協力を求める方針だったが、そちらは音沙汰も進展もない。向こうが断り続けているのだろう。さすがに半年もその状態であるのなら、今更協力関係を取るのは難しいだろう。
「確かに、私たちの目的を考えると……最終的にその人が立ち塞がることになりそうね」
「そうです。現状あの魔術に対抗する手段は持っていません。情報収集はできるにしても、今のところ欠点が発動に時間がかかるくらいですし。その気になれば街一つを焼き払えるかもしれませんからね」
「ってなると、こっちが動く上でどうしてもその人を意識しないといけないってことね。それは確かに……煩わしいわ」
少し遠くから見ただけとはいえ、あの魔術の凄まじさはこの身に刻まれている。あの日、八雲山で見た閃光を今でもはっきりと思い出すことができる。その後の災害級スペクター駆除を見届けることはできなかったものの、伝聞で嫌というほど知らされた。
「そういうことです。現状ある全てのルートであの人とと戦う可能性が高いのは少し、問題があります。消耗が激しい戦いは避けたいですし」
「協力ができれば避けられたものだしね」
「ええ。ですが幸嗣さんのこともありますし、三笠は協力を取り付けるよりも殺すのが早いでしょうと思いまして」
ガタン、と廊下から音がする。二人は一斉に身構えた。
「ちょ、ちょっと。聞いてた話と違うんですけど……!」
慌てた様子で会話に割り込んできたのは、なんと周防夏彦だった。彼を一目見た石見は、警戒を解いてうっとおしそうに目を細める。
「周防君、今日は特に約束してなかったけど……」
「少し忘れ物を取りに来たんです。それより石見さん、その話本当ですか」
香住には目もくれず、周防は石見に食い掛る。
「……本当ですよ。なんでこんなところで嘘をつかなければいけないんですか」
彼の淡々とした肯定に、周防は目を丸くして勢いよく続けた。
「協力を求めるんじゃなかったんですか!? そういう方針でしたよね……!」
「方針は絶対に変わらないものではありませんよ。それに、その話が出たのは一月ごろでしょう。居候させている間に、説得するとおっしゃっていましたが……進捗はいかがですか」
「……っ、まだ、時間が要ります」
交渉役である彼は眉間に皺を寄せてそう言った。進捗は芳しくないらしい。石見からすれば期待するところでもなかったのだろう。静かにこれだけを返す。
「お話になりませんね」
しかしそれで周防が怯むことは無く、彼は続けて追及をした。
「だからといって、殺すっていうのはあまりにも短絡的じゃないですか! 第一、アイツは幸嗣さんを殺しちゃいません。石見さんが殺意を持つ理由もないじゃないですか」
「我々が知らない手札を持っている可能性だってありますよ。魔術師ですから、そのくらい容易いことであるとあなたも理解しているでしょう?」
「そうかもしれませんが……! それでも、アイツの力を失うのは惜しいです。あの力は、魔術師のために使われるべきものなんですから。それなのに、こちら側から切り捨てるような真似をして、どうするんですか」
苦し気に、それでも食い掛る周防を見て香住も思わず目を伏せる。確かに彼からすれば、止めない理由はないだろう。しかしこうとなった石見が譲ることはあまりない。石見は小さくつま先で机の脚を蹴っていた。
「……何を言っても方針は変わりませんよ。もう時間が無いというのは、言わずとも分かるでしょうに」
そう言い捨てて石見は踵を返す。周防はまだ言いたいことがある様子だったが、それ以上口を開くことは無かった。香住は小さく謝罪の言葉を口にして石見の後を追う。暗い廊下の奥で、朱色の瞳がずっとこちらを見送っていた。
「いいの? あんなに突き放すようなこと言って」
気の毒ではないか、香住は思わずそう指摘した。石見の機嫌が悪くなることは承知しているが、それでも親友を殺される周防の方がかわいそうだ。そんな意図が伝わったのか、石見は苛立ちを露わにしてこう返した。
「別に構いませんよ。私元々あの人好きじゃありませんでしたし」
「ま、まぁ……言ってたわね……」
過去に何度か、本人のいないところで言っていた記憶がある。周防夏彦は初瀬幸嗣から信用されていたらしい。手紙の下書きも、彼が一つだけ所有していたから復元できたのだ。逆に、周防から幸嗣に対しては、そこまで深い信用は無かった──と香住は感じていた。数度しか二人が話しているところを見かけていないため、これは頼りない所見に過ぎない。
それでも初瀬幸嗣を慕っている石見からすれば、彼の存在と態度は面白くないことこの上ないだろう。その部分の認知の差から、この二人は事あるごとに互いに噛みつき合っていた記憶がある。ともすれば、この結果は想像に難くなかった。
(先に何とかしておくべきだったな。報告だからって、油断しすぎてたんだ)
立ち聞きされるような隙を作ってしまった自分を恨む。そんな香住の意識の外から衝撃的な言葉が飛び出してきた。
「──まとめて始末しましょうか」
「え?」
何を言われたのか、どういう意図で言ったのか。何もかもが分からずに香住は裏返った声で訊き返してしまう。そんな彼女の反応に少し驚いたのか、やや間を開けた後に石見は首を横に振った。
「いえ、さすがに無理がありますね。冗談として流しておいてください」
そう言いはするものの、全く撤回されたように思えない。本気でそう言ったとしか香住は感じられなかった。思わず足を止めて問いかける。
「ちょっと、本気? 周防君がいなかったら手紙も出せなかったのよ?」
「ええ、そうですね。目的は幸嗣さんの計画遂行──復讐ですから」
そう返す石見の声色は暗く冷たい。先ほどの言葉が冗談であるなど、香住には到底信じられなかった。足止めた香住には目もくれず、石見は歩き去っていく。
(でも、そんなチャンス無いだろうし……私の前なら、なんとか止められる、のかな)
黒く滲む不安を忘れるように、香住は小さく首を横に振った。




