第27話「春日なる」
「あ、お疲れ様です」
友永と初瀬の送迎を終え、仮設事務所に戻ってきた春河を三笠は出迎える。てっきりそのまま帰るとばかり思っていたのだが、彼はわざわざ出かける前に「戻ってくるから帰んな」と言い残していったのだ。珍しいと思いつつ三笠は大人しく待機していた。
「あ、お茶淹れておいたので……よかったらどうぞ」
三十分ほどで戻ると聞いていたので、三笠はせめてもの労いとして湯を沸かしていた。ポットの蓋を少し開けてみれば、いい香りが立ち昇る。色鮮やかな茶を差し出せば、彼は驚いたらしく動きを止めた。
「え、暇だったのか」
思わぬ言葉に、三笠は時計を指してこう返す。
「完全に業務時間外なので」
「んーまぁそうか」
そんなやり取りをしながら二人はソファーに腰かけた。
「お菓子はないですけどね。とりあえず、さっきはありがとうございました」
「あぁ、別にそれは気にしなくていいの。なんだかんだこっちの問題だしさ」
「原因はこちら側にあるんですけどね……」
「どうしようもないでしょ、アレは」
そう言いながらティーカップの中身を一口飲んで、春河は目を丸くする。
「紅茶の良し悪しは分かんねーけど……これが美味いのは分かるな」
「え、ありがとうございます」
「別に。紅茶を褒めたのであって、三笠を褒めたじゃないっての。んで? さっきのはどういうこと? 一応あの場にいた第三者からも話聞きたいんだけど」
至極真面目な顔で春河進一は三笠に尋ねた。少しばかり威圧感に怯みながら、先程の出来事を思い出して言葉に直していく。
「それは……えっと、ですね」
春河の求めに応じて三笠は先程の違和感についてできるだけ客観的に話す。同意を共感と捉えていたこと、気持ちの整理をつけるのが早いせいで友永に共感しづらいこと。それを春河は黙って聞きこんでいた。茶菓子もないのに、話は進む。ひとしきり話した後に、二人はカップを傾けながら息をついた。
「なるほどねー。そりゃ納得できちゃうって」
「初瀬は何か言ってました?」
「渚ちゃんは進みながら治すタイプでさぁ。でも、友永ちゃんみたいに、立ち止まって向き合うのも大事だって分かってはいるっぽい」
「あ、あー、なんかそんな感じしますね」
猪突猛進、というと少し違うがするが、その言葉に似たものを三笠は感じ取っていた。止まる方法を知らないのか、止まる必要がないのか。
(そうだよな。お兄さんのことだって、もっと落ち込んでもよかったはずなのに)
勝手な思いであることは重々承知しているし、彼女が兄と関りを断たれていたことも知っている。それでいても、どうしてか初瀬の対応はドライで、あまりにもさっぱりしすぎているように見えてしょうがなかった。
三笠の内心を知らぬ春河は話を続ける。
「でも明日仕事が休みってワケでもないし、かといって渚ちゃんの手だけで解決できるものでもないし……って感じだったな」
「なんか……そこに責任が絡んでくるの、初瀬らしいですね」
「かねぇ。ま、必要っちゃ必要だし、一応社会人だしなぁ。あー、難しい話はオレの専門外なんよ」
やれやれ、と言わんばかりに彼はそう言って腕を組んだ。
「あはは……そういえば友永さんの方はどうだったんですか?」
「んー、渚ちゃんに気を遣わせてしまった……って言ってて。あー、違うんだよとは思ったけど」
春河の話してみた感じだと友永は初瀬の重荷になることを特に嫌がっているらしい。全体の進行を邪魔したこと、堪えられなかった己の幼さ──などなど。掘れば掘るほど、彼女の後悔は溢れて止まなかったという。
「だからそーね、かんっぜんに……」
すれ違ってるなぁ、二人の嘆息が重なる。三笠は、自分の分のカップを手に取って覗き込んだ。眉の下がった、頼りない己の顔が映り込む。
「これは、困りましたね……」
これがもっと余裕のある状況であれば、と思う。そこは春河も理解しているのだろう。いつもの楽天的な言動を放り出して大きく頷いている。
「まぁ、状況がよくないのは同意するよ。事務所燃えてるし、連続失踪事件の手がかりはないし……そんな時の仲間割れだもん。オレも焦ってないとは言えんからなぁ」
「とはいっても、初瀬も先輩としての責任感を放棄はできないでしょうし」
「ま、そうだと思う。実際そこを放棄してもいいよとはオレも言えない。だからと言って、友永ちゃんの……自責の念? も簡単に晴らせるものじゃないし。あの子のコト、オレまだよく知らないしなぁ」
「僕もですね……」
思えば、かなりピンチな状態である。敷宮は本拠地である事務所を喪失し、敵が増えた。これから戦いが増えていくのは必至だろう。三笠は考え直して少し、焦りを覚える。
(いや、こんなところで焦ったって意味はない、し)
変に空回りしかかった思考を元に戻そうと首を軽く振る。
「にしてもちょっと意外だわ」
春河は思い出したようにそう付け加えた。三笠もゆるりと頷きながらカップを手に取る。
「確かに、何でもできそうな感じがするのに……こういうところもあるんですね」
正直何でもできる人だと思っていた。少し態度が冷たいのは特に問題に思ったことはない。しかし実際は後輩との接し方に困るくらいに不器用な人だった。彼女の周りに手本になるような先輩はいなかったのだろうか。そんなことを考えていると春河は首を横に振る。
「違うし。三笠のことだって。オレからすれば、そっちがそういうところに首突っ込むイメージなかった」
「え、あ、そうですかね……?」
思わぬ飛び火に三笠は目を丸くしながら返す。
「うん。お前のことはド級のヘタレだと思っとるけん」
「えぇ……」
方言を滲ませながら春河は話す。
「違うん」
「いえ、否定はしない……ですけど」
八束にも似たようなことを指摘されたことがある。全く否定できないでいるのは自他ともに認めてしまっているからだろう。三笠の返答を聞いた春河は肩をすくめながら話を続けた。
「でしょ? 渚ちゃんがどうなのかはともかく、オレ的にはそっちの方がびっくりしたって話。まぁー……渚ちゃんの方はそうだなぁ、オレもどうしようもないってーか。手助けはしていくけどさー」
首を横に振りながら春河は腕を組んだ。
「当人たちが解決せんと、意味ないコトだし」
その言葉には三笠も思わず頷いてしまう。これは当人たちが動かなければどうにもならない。手助けはできるだろうが、あくまで人間関係。他人が上手く取り成せるものではない。三笠も春河もそこは同意見だった。
「ていうか、渚ちゃんが人間関係で不器用なのは分かり切ってたことなんじゃないの?」
「自分の方が不器用だと思ってたので……あまり気にしたことがなかったですね」
三笠は肩をすくめてそう返す。
コミュニケーションエラーがあっても、それは自分に何かしらの問題があるのだと考えてきた。これは初瀬だけに思ったことではない。何かしら問題があれば、それは自分にある。相手に問題はない前提で三笠は考えていた。
「ふーん。オレは別に、三笠が特別不器用だとは思わないけどね」
そんな三笠の考えを聞いて、春河は一気に紅茶を呷った。そしてとん、と机の上にカップを置いて席を立つ。三笠が止める間もなく彼は事務所のドアに手をかけて、振り返った。
「他人と衝突しないようにすんのって結構大変だと思うけど、オレは。こういう気遣いもできないヤツはできないぜ」
ごちそうさま、そう言って春河は帰っていく。
三笠は目を丸くして、春河が去った後もドアの方を見て唖然としていた。結局彼が帰宅したのはその三十分後である零時ごろ、だった。




