第25話「不和」
「ちょ、ちょっと! 津和野さんってば! どこに行くつもりなんですかぁっ……!」
友永は必死に足を動かし、ようやく津和野を捕まえる。集落入り口からはさほど離れていないらしい。ひときわ大きな破裂音が響いた。
「んなっ、離せって!」
上着を掴んでいる友永の手を津和野ははがしにかかる。しかし気弱な友永とて柔道の有段者だ。掴む力は一般的な女性のそれではない。肉体的には平均以下の津和野にそれが引きはがせるわけもなかった。
「放しません! どこに行くつもりなんですか、第一、自分の仕事を放って──」
「はぁ! 何様のつもりで言ってんの!? お前だってここに来るまで何か仕事したのかよ!」
「し、してますよ!」
ここに来るまでずっと運転していたのは自分だ。友永は反射的に言い返す。津和野も言った後で気づいたのだろう。少し怯みながら頷かざるを得ない。
「う、ぐ……それは、そうだ」
それをチャンスと見た友永も、負けじと彼の仕事ぶりについて突っ込みを入れる。
「一斉攻撃が鍵だって富士さんも仰ってたじゃないですか! なんでそんな──」
「うるさいな! お前、それが当然だみたいな顔してるけどさぁ、俺は兵士じゃないの! 訓練もしてない、ただちょっと魔術が使えるだけの人間! こうやってあんたの手を振りほどけるほどの力もない! それなのになんで、お前は俺に戦えなんて言えるんだよ! お前だって、自分の仕事を嫌々やってるくせによく言う。本当に嫌なら俺のこと放っておけよ。それで俺が死ねば辞める理由にもになるんじゃねーの!? なんでここにいんだよ!」
「……は!? 不本意ですよ! 私だって! こんな、場末の課に配属されて、バディはすぐ逃げるし、何もしないし……! ふざけないでくださいっ! それに、そんな簡単に辞められるわけないじゃないですか! ここまで頑張ってきたっていうのに、そんな簡単に投げだすなんてできませんよ! 津和野さんはそういうのが無いから分からないんでしょ……うけ、ど………」
最後の方はやや声を擦れさせながら友永は言い返した。気が付かぬうちに涙が頬を滴っている。こちらに背を向けたままの津和野の表情は見えない。それが今唯一の救いだった。手汗がにじむ。
(こ、これじゃ、ただの、八つ当たりじゃ)
ぱっと、掴んでいた手を放す。彼が動き出すことはなかった。ただ静かに、そこで立っている。やりきれなさと自己嫌悪で友永はその場にしゃがみ込んだ。
※※※
私という人は、そこまで頭がよくない。けれど人一倍、人の顔色には敏感だった。四桁の暗算をするよりも、人がどうしてほしいのか読み取る方が得意だった。
友永千鳥の生まれにおいて、特筆するべき点は何一つない。本当に、普通がよく似合う経歴だ。魔術師にも一度だって関わったことはない。ごく稀に遠巻きに眺める程度。
と、いうより。そもそもの話、友永の近くには魔術師も魔術に関係した人物も全くと言っていいほどいなかったのである。それが普通だ。この日本という国に住むほとんどの人が謳歌する『ふつう』である。
「都市伝説みたいなものだよね。たまーにおっきく言われるけど……見たことないし」
いつぞや友人がそんなことを話していた。ましてや山陰地方だ。この土地は本州の行き止まり。陸の孤島であり、人の出入りも激しくない。都心部ではそれなりに彼らに関心を持つ人がいるが、この地方都市においては全くと言っていいほど人々は感心を持っていない。だってそもそも、見たことが無いのだから。想像力にも限界がある。
「ね、千鳥は警察になるんでしょ? かっこいいなぁ」
クラスメイトは友永の夢を応援してくれた。
友永千鳥には二人の妹がいる。両親は共働きで家にいる時間は多くない。それもあって、友永は早く自立して職を手に付け、親孝行がしたいと考えていた。
「おねーちゃん、おかあさんが帰る時間早くできそうだって」
夕食のカレーを頬張りながら、小学生の妹が話す。
「え? ホント?」
「うん。だからご飯もカレーの回数減らせるって!」
「よかったー。そろそろアレンジのネタ尽きちゃうところだったからさ」
「おねーちゃん最近悩んでたもんね」
そうやって返せば妹たちも笑って返す。それくらいでちょうどいい。このくらい普通な方が自分には合っているという自覚があった。決して裕福ではないし悩みもある。苦しくないわけではないのだが、この苦しみにどこか愛おしさを感じている節があった。多少暗い記憶はあれど、それですべて否定するなど友永にはできなかったのだ。
「あのね、お母さん。私警察官になりたい」
そう切り出せば母はにこりと笑って背中を押してくれた。父の説得には少し苦戦したが、最終的には大手を振って応援してくれるようになった。
だから交通課でも、よかったのだ。
警察という組織の中で、人に尽くす。それさえできれば友永としては満足だったのだ。仕事をしていれば収入も得られる。実家にいることで、母や妹たちを支えながら働ける。そのはずだったのに。配属先は零課。微塵も知らない魔術師に関連する課で、全国でもその数は少ない。島根県にあるのは、その土地柄故らしいが詳しい理由は分からなかった。
「おかえり、今日はどうだった? 配属先が分かるんでしょ?」
母のらんらんとした目が痛かった。
「うん、やっぱり交通だったよ。ちょっと安心、かな」
するすると玄関先で考えた嘘が口から出る。胸が痛んだ。母に嘘をつくなんてこと、今までほとんど無かったのに。こんな大事なことで嘘をついてしまうなんて。友永の胸は苦しくてしょうがなかった。テレビからはまた魔術師関連の話題が取り上げられている。
「……あの人たちは、どういうつもりでやっているのかねぇ」
母の声にあったのは明らかな嫌悪だった。自分の平和を乱す存在への尖った感情。
(言えない。言えない。そんなの、なおさら言えない。父さんにだって言えるわけない。こんなこと言ったら、余計に心配をかけてしまう)
特に母は先月にあった健康診断で異常が心臓に見られた。ここで負荷をかけるわけにはいかないのだ。友永は色々な感情も真実もひっくるめて、丸ごと飲み込んだ。




