第8話 四徹限界女
いまだ異常事態の渦中にある想像主迎賓館の施設内。
その廊下、黒い怪物の死体が液状化して広がった床を避けるように、二人の女性がいた。
どちらも特徴として似ているのは深紅の髪色、そして山羊のような角を持っているという事だ。
「お母さーん!」
「よしよし」
目の下にクマを作った女性が母と呼んだ女性の膝に縋りついて泣きついている。
「私お姉ちゃんたちと一緒に頑張ったんだよぉ! 装置いじって転移事故を起こしたり、救助のために囮になったり!」
「うんうん。イイシャはえらいわ、よく頑張ったのね」
「お母さああん!!」
母親がイイシャ、と呼ばれた女性の頭を撫でる。
その表情、優し気な手つき、二人の見た目がよく似ていることもあってまるで親子のようだった。
「ふむ、ところで緊急事態ですし、そろそろ現状についてお伺いしても?」
だが次の瞬間、先ほどと同一人物とは思えないほど印象の違う声で母親が口を開いた。
「…………」
同じようにすっと表情を変え、頭を上に向けて真っすぐと相手を見あげるイイシャ。
「ふー、すごいですね、『フタタ』さんこれ、お金取れますよ……」
「それはどうも」
イイシャの母親の姿が、黒いローブを羽織って中に軽装の鎧をつけた冒険者風の人物に変わる。その顔には歯車を模した装飾が施された仮面があった。
母親の正体はフタタだった。
彼はイイシャに出会った直後、色々と限界だった彼女の頼みで彼女の母親の姿となっていたのだった。
姿を元に戻したフタタにイイシャが気だるげな声で問いかける。
「引かないでくださいねー……?」
「引いていませんよ」
「私もねぇ……? すごい大変だったんですよ、さっき言いましたけど……
そうしたらフタタさんに出会いまして、『ローエンド・デザイア』の想像主さんじゃないですか?
擬態とはどんなもんだと試しに母になってもらったら、それはもう娘の私からして本物と見まごうものをお出しされるもので、じゃあちょっとこの溜まり込んだ狂気を発散してみようかとなるじゃないですか……?
大体私もう、こんないつ死ぬとも知れない場所でろくに寝もせずに四日、四日ですよ?
四徹限界女なんです」
「引いていませんよ」
実際フタタは別に引いてはいなかった。
人にはたまったストレスを吐き出したい時があるのだ。
「人は追い詰められると親の温もりを求めるものです。修学旅行の時のヒイロもそうだった……」
自分の母親に擬態してくれと頼まれるのは初めてではなかった。
「あぁ、こんなことになるなんて、やっぱり案内人ってリスクがある仕事ですよねぇ……
金持ちで顔のいい想像主とお近づきになって、ワンチャンあると思ってなきゃやってられません……
あー、気を抜くと意識飛びそう、寝たい……」
長い前髪に隠れがちな目に、困ったように下げられた八の字の眉。ささやくような声色の彼女。
しかしおとなし気なダウナー系の様相に反して、言っていることは俗物そのものだった。
イイシャがそんなことをぼやきながら寝返りをうつように首を横にすると、その視界に怪物だった黒い液体が映る。
「あー……」
しばらくそれを眺めていた後、イイシャはすっくと起き上がった。
「でもまあ、まだそれが許される状況ではないですねぇ……」
肩をコキコキと鳴らしながら振りむき、表情と言葉遣いを怜悧な物へと切り替える。
「手短にご説明します」
イイシャはザックリとこの想像主迎賓館の置かれた状況について説明する。
強力な灰魔族に襲撃を受けたこと、姉たちと一緒に想像主の転移場所をズラして殺されないようにしたこと、などなど。
フタタも自分が持っている情報、今期の想像主の人数などを伝えた。
「なるほどなるほど……五人ですか。それは上々。
ぶっちゃけここまでやって今期も想像主が来ませんでした、なんてことだったら詰みでしたので……」
ぱっぱと足元を払いながら立ち上がり、真っすぐとフタタを見据える。
徹夜で限界というのは事実のようで、目の下に濃いクマが出来ていた。
「今もこの施設内で生き残り、助けを求めている生存者は多くいます。
想像主、亜久井再様。あなたにその救助を要請します」
はっきりとした口調でそう言って、イイシャは頭を下げた。
◆◇◆
「さて、どうしようかね?」
怪物だった液体がそこら中に散らばる部屋から移動し、手近な部屋のソファに掛けたヒイロ。
早めにフタタたちを探しに行きたいところだったが、助けた少女のメンタルが心配だったのでまずは休ませる。膝を擦りむいていたようなので、光で癒しておいた。
「あげよう」
そして同じくソファに座ったミルシィと、助けた少女ーー彼女はアヤカと言ったーーに持っていたサラミを配った。
今朝、居間のテーブルに未開封の物が置いてあったのでとりあえずポケットに入れてきたものだ。
本当はもっと地球の食べ物を持ち込んできたのだが、バッグが今手元にない。
緊急事態だったため媒体だけ抜き取ってミルシィが持ってきてくれたのだ。
「あ、ありがとうございます」
「どうも」
それぞれお礼を言って受け取る二人。
空腹だったのかアヤカがパクパクと食べ始めた。
「さて、どうするかですが……」
一方ミルシィは貰った食料を小さくかじりながら、ヒイロの先ほどの言葉に応える。
「まずは別行動を取っている私の妹と弟に連絡を取ってみましょう」
「あ、そっか。ミルシィちゃんは普通に携帯デバイス持ってるんだよね」
「いえ、今この場施設では電波妨害がなされていますので、念話で連絡を取ろうかと思います。
私ももう『イデア』がかつかつですが……」
「あ、出た、イデアっ」
「ああ、地球の方には聞きなれない単語ですかね?」
ヒイロの新鮮な反応に笑みを浮かべてミルシィが問う。
「そうだね。想像主ものの漫画とかじゃ、大体『魔力』とかって書かれるから」
「大体はそれであってますね。魔法を使うのに消費する力なので」
しかし、と続けるミルシィ。
「イデアとは『想いの力』なので、その人のメンタルに大きく左右されます。
だからこんな状況ではなおさら消耗してしまっているのですが……っと、妹に繋がりました」
もうつながったようだ。特に集中した様子も見せずに行えるとは。
そんな関心の目でミルシィを見つめていると、彼女の視線がヒイロに向けられた。
「妹も想像主の方に出会えたようです。
これから隠れて生き残っている人を探しつつ、生存者が集まっている場所に移動しようと思っている、と」
「想像主! 誰かな?」
「フタタさん、という方のようですがーー」
「フタさんっ!」
その言葉に飛びつくヒイロ。
「無事なんだねっ?」
「ええ、逆にヒイロさん方は無事か? とフタタさんから」
「肩口からバッサリ切られたけど私は元気です!」
「ああ、その辺の事情はこちらで説明しておきますね……」
その後、妹や弟とも話し合って方針を決めたミルシィは改めてヒイロたちに視線を戻す。
「では、私たちも同じように安全な場所に移動しましょう。道すがら、隠れて生き残っている人たちを助けていく形で」
あ、それと一つだけ、と付け足すミルシィ。
「手短に私たちの固有魔法についても説明させてください」
「固有魔法?」
ヒイロとアヤカが首をかしげる。
「私たちが転移の事故を引き起こす行動をしながら四日間生き残れたのには訳がありましてね。
ちょっと使ってみますのでもし怪物がやって来たらヒイロさん、お願いしますね」
「?」
そう言われて一応立ち上がり、部屋の出入り口を視界に収めるヒイロ。
「では失礼して」
気負いなく発された言葉。
そしてミルシィは魔法を発動させた。
それはすごい攻撃を引き起こすだとか、そういった類のものではなかった。
発生したのは、異様なほどの存在感。
「っ!?」
警戒中だったにも関わらず出入り口から目を離し、ビクリと触覚を震わせてミルシィを凝視してしまうヒイロ。
アヤカも同じように視線が引き寄せられている。
その後ミルシィは魔法を解き、強烈なほどの存在感が綺麗さっぱり無くなる。
「今のが私たちの固有魔法『ハイド・アンド・シーク』です」
そして少し得意げな笑みを浮かべ、説明を続けるミルシィ。
「効果は私たち三姉弟の間で『気配』の受け渡しが出来るというもの。
さっきのは妹の気配を受け取りました」
「すっごく目立つ力ってこと?」
「それだけではありませんよ。逆に自分の気配を渡して無くすこともできます」
そう言ってミルシィは立ち上がると、座っていたソファの裏側へと隠れた。
そして消える彼女の気配。
そのまま姿勢を低くしてソファからひょっこりと出てきたミルシィだが、その存在感は想像主のヒイロですら注意して見ていないと気づけなくなりそうなほど希薄だった。
アヤカにいたってはミルシィの存在が完全に意識に入っていない。
「こんなふうですね」
「わぁ!?」
再び魔法を解いて、アヤカの後ろから肩を叩くミルシィ。
びっくりしたアヤカが声を上げて振り返る。
「すごっ! 私も練習したらフタさんとかと出来るようになるかな!?」
一連の実演にすっかり興奮した様子のヒイロが問いかけた。
「いえ、魂のつながりが強い叡智の悪魔という種族の三つ子だから出来ることですので」
「そっかぁ……」
残念だが種族特有の物なら仕方ない、とピョンピョン跳ねていた触角を落ち着かせるヒイロ。
「そういう訳で、これから時々私の気配が変化したりするのでフォローをお願いします。
特にまだ想像主に出会えていない弟の気配を受け取ることはよくあると思うので」
「了解っ! 任せて!」
ヒイロは胸を叩いて了承した。
そして事前にしておくべき情報交換も終わり、次の行動へと取り掛かる。
「よし、じゃあ……それで……あ、安全な場所に移動するって話だったね」
「ええ、話の腰を折ってしまってすみません」
「いいのよ。それで、その場所って?」
これから向かうべき目標地点を尋ねるヒイロ。
「この状況では絶対安全とまでは言えないのですが、比較的怪物が少ない区域があります。
最初の襲撃時に奴らは人が集中しているところに湧いて出たので、その時人が少なかったところとかですね。
備品倉庫や書類の保存室、あとはカジノなどが該当します」
候補を列挙していくミルシィ。
カジノあるんだ、とヒイロは思った。
「ここからだとルームE5、備品倉庫にしていた部屋が近いです。
想像主がやって来るのに備えて、都市から届いた大量の資材を保管していた場所の一つです」
「備品倉庫……」
その言葉にヒイロは考える。
そして現在能力の光で蓋をしているミルシィやアヤカの傷跡を見た。
「こんだけ大きい施設だし、医療所みたいなところってないの?」
「あー……医務室はあります。治療器具も、高レベルの治癒魔法が込められたイデア結晶もあります。が……」
ミルシィが角を指先でカリカリと搔きながら言う。
「今、その医務室には非常に強力な骸想が居着いていましてね。
施設内にごまんといる量産型の怪物と違って、他の人間を守りながら戦うのは想像主でも難しいと思います。
もし解放するなら生存者を別の場所で守る役と、ネクロを倒す二役に分かれる必要がある」
その言葉になるほどと頷くヒイロ。
「あー、そのためにはこっから最短でフタさんたちと合流して、守る役と戦う役に分かれないといけないわけか……
そうなると生き残ってる人の捜索は後回しになっちゃう……」
「ええ」
なるほど、それならば医務室は後回しにしようというのにもうなずける。
「せっかく医務室を開放しても、その間に生き残りの人たちが怪物に襲われちゃってたら意味ないもんね」
そう言って納得したヒイロ。
すると、今までじっと黙っていたアヤカが意を決したように口を開いた。
「あ、あのっ、私、マリちゃん……マリアデルちゃんって言う友達と一緒にここに来てたんですっ」
ミルシィはその友人の名前に聞き覚えがあった。
「今回の想像主歓迎に関わってる重役の方、その娘さんでしたね」
確か『結晶装甲のシンデレラ』の作者にどうしても一目会いたいとかで、親のつながりで施設にやってきていたのだ。
見た感じただの学生といったアヤカも、その友人という関係でここにいるのだろう。
「はい、一緒にいたんですけど、あの怪物たちが出てきた時にはぐれちゃって。
十五階のあたりだったと思うんですけど……」
この状況では、よくない想像も浮かんできてしまう。
目の端に涙を溜めながら沈鬱な面持ちで話すアヤカ。
「一緒に探そうね」
そんな彼女を安心させるように、ヒイロは笑みを浮かべてそう言うと同意を求めてミルシィの方を向いた。
「ええ、そうですね。
先ほど言った安全圏の候補、備品倉庫があるのが十階なので、アヤカさんのお友達も含め、途中で生存者を探しながら向かってみましょう」
「らじゃ、早速行こうか! アヤカちゃんは動けそう?」
「は、はいっ」
ヒイロの言葉にしっかりと頷く少女。
傷も治り、お腹を満たしたことで食べたことで気力も少し戻ったようだ。
「ここは十七階、目的地は七フロア下ですね。
イイシャたちは別棟にいるそうなので、こちらの方が早く着くでしょう」
「よしっ、じゃあ頑張ろうか!」
すっくと立ち上がり、拳を握って気合いを入れるヒイロ。
イイシャ、アヤカ、殿にヒイロが続く形で、再び怪物ひしめく施設内へと移動を開始する。
「(……フタさんは無事だったけど、他の人たちは大丈夫かな……)」
そんな中でヒイロ自身も心配なのは、まだ所在の分からない三人の仲間のことだ。
「(ルミノちゃんは……まあまず大丈夫だとして、逸見さんも大人だし落ち着いて行動してるかも。
陽太郎はどうかな……)」
しかし、想像主の力があればそうそう深刻な事態にはならないだろう。
一番心配されそうな自分が何とかなったのだ、きっと大丈夫。
心の中で無事仲間に出会えることを祈りながら、ヒイロは近づいてくる怪物を蹴散らして進んでいった。
◇◆◇
ガシャンーー
それは大きな黒い人型だった。
ガシャンーー
シルエットだけなら施設中にうじゃうじゃといる化け物とそう変わらない。
しかしその体は粘着質な肉塊ではなく、硬質な結晶のようなもので出来ていた。
放浪者のようなぼろ布がごつごつとした体を覆う。
その体表は黄色と黒、警戒色で彩られたいびつな装飾があちこちに施されていた。
「ア゛ァアアアアアアア……」
一歩足を踏み出す度、ガシャン、ガシャンと足元に細かいガラスの破片をまき散らしながら、その存在は施設の中を彷徨い歩いて行った。