第6話 作り物《フィクション》
想像主『竹町日色』
作品名『トライアルター』
『主人公だから』、が口癖である漫画家の少女『ヒイロ』。そんな彼女が想像主となってミディタリアを冒険する作品である。(ちなみに主人公と作者の名前が一緒なのは、この時代ではさほど珍しい事ではない)
自称主人公の彼女が、厳しい現実の中でも主人公らしくあろうと葛藤しながら成長していくストーリーだ。
このように架空の想像主が活躍するストーリーのジャンルは『想像主もの』と呼ばれ、異世界ものと並んで広い人気を持っている。
◇◆◇
「想像主の主役化に必要な媒体、それは主に想像主の原作品です。コミックスの単行本や、電子版などでも有効ですね」
「ミルシィちゃんは今持ってたりしない?」
「あいにく仕事用の端末には入れていませんでした。
施設内に想像主の媒体を保管してある場所もあったのですが、真っ先に襲撃されていたのでもう残っていないでしょう」
「じゃあ、こう……斃れてる人のデバイスの中からお借りするっていうのは……?」
「非常時なのでそうしたいところですが、この世界の指紋などの生体認証は、本人が死亡している場合反応しなくなっているのです。
電子媒体でアクティベートする場合は画面にその作品を表示していないといけないので、ロックが解除できないと媒体としては……」
「そっか……」
「ヒイロさんのデバイスなどは……?」
「怪物に会ったときにね、びっくりして投げつけちゃってね……バカだよね……」
どんよりと沈み込むヒイロ。
「ま、まぁ、仕方ないですよ。ヒイロさんはつい先日まで一般人だったのですから。
いきなり死体を見て、それをやった怪物に襲われて、冷静に行動しろという方が酷です」
「優しさが沁みる」
その気遣いにありがたさと申し訳なさを感じるヒイロ。
「それで、そうですね。
やはりここは、ヒイロさんの持ってきた媒体を使うことにしましょう」
「置いてきちゃったやつ?」
「ええ、特徴を聞いた限りヒイロさんが転移したのは地上十七階にあるオフィスの一画でしょう。
そこの周辺のトイレに貴女の荷物と媒体が落ちているはずです。
今私たちがいるのは地上二十階。
非常階段を使ってそこまで降りましょう」
「うん」
真剣に頷くヒイロ。
「そろそろ怪物も離れていったかも。ちょっと確認してみましょうか」
様子を見るため、ベッドから這い出すミルシィ。
ヒイロも彼女についていく。
二人でドアの隙間から顔を出し、そっと周囲の気配を探る。
あの不気味な声も、ぐちゃぐちゃと粘着質な足音も聞こえてこない。
「……大丈夫そうだね?」
「ええ、では早速行動を開始するわけですが……その前に一応の確認です」
一度首を引っ込め、ミルシィはヒイロに向き直る。
「戦いは可能な限り避けましょう。
今のヒイロさんでも一体、二体なら倒せるでしょうが、他の怪物がわんさと集まってくるので数の力で圧殺されてしまいます。
もしやるとしても、絶対に退路を確保した状態で」
「らじゃっ」
もとよりそんなつもりは毛頭ないヒイロは、強く頷いた。
そして二人はゆっくりと部屋の中から廊下へ出る。
「慎重に行きましょう。何かあればすぐに合図するので」
少し硬い声で、ヒイロに語りかけるミルシィ。
そんな彼女の先導で周囲を警戒しつつ、時折物陰で怪物をやり過ごしながらどんどん進んでいく。
「(やっぱり誰か一緒だと心強いなぁ)」
ミルシィに出会う前、一人で施設をうろうろしていた頃と比べ遥かに安心感を感じるヒイロ。
そのまま頼もしい背中に付いて行くと、通路が三方向に別れる。十字路だ。
怪物の気配がしないか、立ち止まって左右を確認していると──
「(……? なんか、声が……?)」
右側の通路に視線を向ける。
崩れかけた壁、照明が壊れていて薄暗い廊下。
その先から聞こえてくる声。
ヒイロは見定めるように目を細める。
「──────」
怪物のものではない。
だが、様子がおかしい。
「────!!」
その声には、異常なほどの怨嗟の念が感じられた。
ヒイロが囁き声でミルシィに問いかける。
「ね、この声って……?」
「……骸想でしょうね」
ミルシィは居た堪れない様子で答えた。
「『トライアルター』の作者であるあなたはもちろんご存知でしょうが、この世界では強い負の念を抱いたまま死ぬとそれが結晶となって残ることがあるんです」
ネクロという概念は地球でも有名であり、ミディタリアでの冒険を描いたヒイロの著作にもその存在は何度も登場していた。
「これだけの被害では、相当数生まれてしまったはず……
流石に人罰クラスは生まれていないでしょうが……」
「そっか、これがネクロ……」
ヒイロは沈鬱な面持ちながらも納得したような表情になる。
そしてその表情のままミルシィに質問した。
「……ミディでは、武器としてネクロを使う人もいるんだよね?」
「ええ、確かにネクロ使いは武器として用いていますが、あれは特殊な準備と才能ありきですね。
ネクロに寄生されると痛みや精神汚染を喰らいますので、一般人なら即発狂ものです。
想像主なら、毒や精神異常に対する強力な耐性があるので大丈夫でしょうが……」
「……じゃあ、ちょっと申し訳ないけど、武器として使わせてもらうっていうのは?
後でちゃんと弔わさせてもらって……」
今は少しでも戦闘力が欲しいところ。この怨嗟の声の主に会いに行こうかとヒイロが提案する。
しかしミルシィは首を振った。
「いいえ、言っておいてなんですが、やめておいた方がいいでしょう。
精神汚染に耐性があると言っても、寄生されて体の肉を食い進まれる激痛は生半可なものではありません。
痛み止めもアクティベートも無しでは、戦闘行動に支障が出ます」
なら最初から逃げ一択で媒体を目指した方が良い、と言うミルシィ。
そっか、とヒイロが頷きを返し、二人は再び歩みを進めた。
「ここです」
そうしてたどり着いた非常階段。
なんとかここまでは怪物に見つからずに来ることが出来た。
目指すは三フロア下の十七階。
音を立てないように扉を開け、二人は階段を降り始める。
十九階を通り過ぎ、十八階へ、順調に降りて行く二人。
しかし、そこで声が響いた。
「OOoooOOOoooo……」
今度はネクロではなく、あの怪物のものだ。
非常階段の空間に反響するような、不気味な声に心がざわめくヒイロ。
「み、ミルシィちゃんどうする……!? 後ちょっとだけど……」
「いえ、一旦出ましょう」
目的の十七階まであと一歩だが、ミルシィは落ち着いて判断を下した。
言うやいなや、なるべく音を立てないように非常階段の扉を開け、二人で地上十八階のフロアへ。
そして周囲を確認しつつミルシィはヒイロへ語りかける。
「狭い空間で挟み撃ちにでもあえばお終いです。
非常階段は別にもあるので、焦らずそちらに向かいましょう」
「う、うん、了解」
小声で頷くヒイロ。
別の非常階段というのはちょうど建物の反対側にあるらしく、フロアを横断しながら進むこととなった。
遠回りだが身を隠す場所も多く、堅実に進むならこちらがベストだろう。
慎重に怪物の気配を探りつつ、時折おびただしい血痕を見つけては心の中で祈りを捧げ、ヒイロたちは進んでいく。
そんな中で何度か、破壊された瓦礫が積み上がって道を塞いでいる場所を見かけた。
「結構こういう行き止まり多いね……?」
先導するミルシィに問いかけるヒイロ。
「……ええ、特にこの階は戦闘が激しかったので、こういう瓦礫が積み重なっている場所が多いんです。
逆に怪物を防ぐバリケードとして利用したりもしました」
周囲の警戒をしながら彼女が答える。
「場所は大体把握しているので、迂回しながら進んでいきましょう」
「了解」
「あー、いますね」
会話の途中で、ミルシィが姿勢を低くする。
四日間のサバイバルの経験からか、彼女は怪物の足音や声が聞こえる前にそれを察知できた。
急いで近くの部屋へと二人で引っ込み、息を潜め、気配が去ればまた歩みを進める。
そんな事を何度か繰り返しているうちに、ヒイロの触角が周囲を警戒するようにゆらゆらと動き出し、ヒイロもミルシィと同じくらい早く怪物を察知できる様になってきた。
そうしてより警戒を深めた状態で目標へと向かっていた時──
「っ、隠れましょう……!」
何度も繰り返されたように、ミルシィがヒイロに声をかけ、近くの部屋に飛び込む。
いつもならすぐさま後ろをついて行き、巣に隠れる小動物の如く部屋の奥へと引っ込んでいたヒイロ。
だが今回に限っては部屋に入ってすぐ位置で立ち止まり、廊下側に意識を向けていた。
そして一言、
「……多くない?」
次第に聞こえてくる怪物の粘着質な足音。
ドチャドチャと幾重にも重なるそれは、怪物が複数体いることを伺わせた。
タッ、タッ、タッ、タ──
そしてその中に、人間の走っている様な音が──
「はぁっ、ぅぐ、はぁっ、はぁっ……!!」
あっ、と声を漏らしたのはどちらだったのか。
視界の先の角から真っ先に現れたのは、学生服姿の少女だった。
それからほどなくして、間隔をあけて計四体もの怪物が続く。
もはや頭を完全に廊下側に出してしまっていたヒイロだったが、怪物はこちらに視線もくれなかった。
「……っ」
自分と一緒に事の顛末を見ていたミルシィが、その顔をしかめる。
「……ミルシィちゃん、あっちって?」
その反応から大体予想がつくが、口に出して確認するヒイロ。
ミルシィは今までと違い、こちらを真っ直ぐと見ないで答えた。
「………………行き止まりかと」
その発言に込められた感情。
それが暗に、助けに行くことが無理だと告げていた。
「…………」
◇◆◇
瞬間、時間が引き伸ばされたようにゆっくりと感じ、ヒイロの脳内で大会議が始まる。
議題は、『おそらく無理筋だろうが女の子を助けに行くかどうか』である。
ヒイロの中の悪魔が囃し立てる。
──無理無理! 助けられっこないって! そりゃ一体、二体だけなら可能性はあるだろうけど? 戦ってるうちにどんどん追加で増えていっちゃうってミルシィさんも言ってたじゃん! 逃げ道もないのにどうやって切り抜けるのさ? まさか施設中の怪物がいなくなるまで戦い続ける気?
ヒイロの中の天使が反論する。
──でも子供だったよ! 可哀想じゃん! 絶対絶対助けた方がいいと思います! 今から追いかけて後ろから不意打ちしよう! 混乱に乗じて女の子と戻って来ればいい!
──四対一でいっぺんに片付けられる!? 無理だって! 絶対時間かかって追加の敵がじゃんじゃん来るよ! ミルシィさんと出会った時だって、すぐに新しい怪物が入ってきたじゃん!
──あれは大声で叫んじゃったからでしょう!? 静かに戦えばすぐには来ない!
──あの知能があるかも分からない怪物が、てーねーに静かに戦ってくれるとでも!!?
──やってみなきゃ分かんないじゃん!
──分かるわバカっ!!
──バカじゃない!!!
とうとう取っ組み合いの喧嘩を始めてしまった天使と悪魔。
その凄まじい心の葛藤にヒイロは狼狽えるばかりだ。
(あ、あわわわわ、どうしようぅ……)
どうしよう、どうしよう、ヒイロの頭の中で同じ言葉がぐるぐると回る。
こんな時、主人公なら……『トライアルター』の主人公である『ヒイロ』だったなら、どうするだろうか。
(主人公の『ヒイロ』だったら、悩んで、怖がって、でもやっぱり勇気を出して助けに行く……はず)
確かに自らの命を顧みず、殺されかかっている少女を救いに行くという行為はいかにも『主人公』らしい。
でもここは現実、死んだら終わりだ。
(そんな中でいつも正しく行動できるわけじゃないし……やっぱり現実は厳しいし……物語みたいには……)
その時ふと、目の前に輝きが見えた気がした。
──……
ヒイロがそちらへ意識を向けると、そこには『トライアルター』の主人公がいた。
鎧とドレスを合わせたような純白の衣装の『ヒイロ』が立っていた。
彼女は少し寂しそうな表情を浮かべて言った。
──『所詮は作り物』なの?
「そんなことない」
◇◆◇
「ごめん、行くわ」
現実に引き戻されたヒイロは、一言つげて走り出した。