第5話 ぽんこつの切り札《ジョーカー》
ヒイロが部屋の奥にあったゴミ箱を空けると、その中には赤い髪に角を生やした女性が入っていた。
「…………」
「…………」
見下ろすヒイロ。見上げる女性。
しばし無言で見つめ合う二人。
「……あの……どうも」
女性が先に静寂を破った。
「っあ、はい、どうも。
……あの、ここの職員さん……ですか?」
彼女の制服姿からそう予想したヒイロ。
「はい。
そういうあなたは…………っもしかして!?」
突然蓋を開けてきたヒイロを推し量るように見ていた女性が、突如として立ち上がる。
「あっ、私『トライアルター』の想像主で、竹町日色……って言うんですけど……」
「ヒイロさん、想像主……」
呟き、その意味を理解するにつれて彼女の表情が歓喜の色に染まる。
「ぃやったっ!
やったやったやった! 引き当てた! 切り札!」
ゴミ箱から出てヒイロの肩を掴み、声を抑えながらも喜ぶ赤髪の女性。
「え、あ、はい……?」
事情の分からないヒイロは困惑するばかりだ。
「あっ……と、失礼いたしました」
そんなヒイロの様子を見て肩から手を離し、一旦落ち着く彼女。
そして胸に手を当て、自己紹介をした。
「私はミルシィ・ブライタスクと申します。
想像主の方々のサポートを任され、案内人として当施設『イルカム』に派遣されました」
その所作は道に入っており、それだけで彼女がプロフェッショナルであることを伺わせた。
「え、ガイドさん……!?」
ガイド、それはとんでもない倍率の試験に合格した優秀な者しかなれない職業だと聞く。
目の前の彼女がそんな頼れる存在だと知り、心が軽くなるヒイロ。
早速彼女に事情を話す。
「あ、あのっ、私、変な怪物に襲われて、トイレで人が大勢死んでて、あ、変な場所に転移したんですけどね?」
そう思ったが、伝えたいことが次から次に出てきて話が二転三転してしまう。
「順番にお話しします」
そんなヒイロを落ち着かせるように、ミルシィは説明を始めた。
「まず怪物のことですが……当施設が何者かに襲撃を受け、職員も襲われました。四日前の事です」
その言葉にヒイロの桜色の瞳が大きく見開かれる。
施設の惨状を見れば分かることではあったが、はっきりと言葉で告げられると改めて衝撃を受けた。
「……襲撃って、そんなの誰が?」
「ヒイロさんは灰魔族、という種族はご存じですか?」
ディノーエム、もちろんミディオタクたるヒイロには知識がある。
「えっと、灰色の肌と白い髪で、身体のどこかに宝石みたいなのが埋め込まれてて……あと、アドラースを含む中央の国々を憎んでるっていう……?」
「おおむねその認識であっています。襲撃してきたのはそのディノーエムです」
「…………」
先ほどの女子トイレ、そしてここまで来る途中での惨状を思い出すヒイロ。
長年に渡って良好ではない関係ということは知っていたが、まさかここまでとは……
「……急になんでこんなことを?」
ヒイロの疑問にミルシィは首を振る。
「敵の事情はわかりません。
確かなのはわざわざ想像主のやって来るこの時期に、この施設を襲撃したこと。
そして怪物を生み出して使役する者、爆破の力を操る者、最低二人の強力な存在がいることくらいしか……」
どうやら施設にはびこる怪物は敵の能力によるものらしい。
「そっか……じゃあ私が変な場所に転移したのも、敵の仕業ってこと?」
「いえ、転移事故は私達が意図的に引き起こしたました」
「え?」
予想外な返答に、ヒイロが目を丸くさせた。
「事故を起こした……ってどうして?」
「あなたたちが死んでしまったら一巻の終わりなので」
ミルシィは言葉を続ける。
「こんな時期にここを襲撃してくるなんて、目的は間違いなく想像主です。
そして敵は想像主を確実に仕留めるため、召喚の間に転移した直後を狙い撃ちにしてくると読みました。
実際、ヒイロさんも転移直後に爆音と施設全体の揺れを感じたでしょう?」
ヒイロは思い出す。
確かにあの時地響きのように大きな音と揺れを感じ、尻餅をついた。
「確かに……」
おそらく遠くで起こったであろう余波があれなのだ、もし直撃を受けていたらと思うと……
「……ミルシィさんって、恩人?」
「いえ、こちらも助けて貰うつもりでやったことなので、ギブアンドテイクです」
冷静に言ってのけるその様に、ヒイロの彼女への信頼感は大いに増した。
しかし、自分が彼女を助ける、と聞いて少し疑問に思う。
「……私もミルシィさんの力にはなりたいけど、役に立てるかな?
あの怪物めちゃくちゃ強そうだし、私の攻撃にもびくともしなかったし……」
「え?」
その自信なさ気な独白に、今度はミルシィが疑問の声をあげた。
彼女はヒイロの全身を上から下まで見回して、
「あの、ヒイロさん……見たところ『主役化』していませんよね?」
そう指摘した。
「え?」
キョトンするヒイロ。
「アクティベートですよ。
想像主がその力を十全に発揮するには、『媒体』を使ってアクティベートしないとでしょう?」
その言葉で、ヒイロはようやくハッとして気づいた。
「…………あ! ああ〜! そうか! すっかり忘れてた、そうだった!」
慌てすぎて咄嗟にデバイスを投げつけて逃げてきたヒイロは、完全にそのことを忘れていた。
どうしてこんな重要なことを……あるべき頭のパーツが戻ってきたような気分だ。
だがそれも仕方ない、
「地球じゃ想像主の力を使っちゃダメだから、もちろんアクティベートもした事なくって……」
「ああ、地球では規制が強いですからね。
でもいくら想像主と言えど力を身につけたばかり、更にアクティベートも無しでは厳しいでしょう?」
「そうだよね……ちゃんと媒体も荷物に入れてたのに完全に忘れてた……はは……」
うっかりにも程があるだろう、と自分の失態を反省する。
そんなヒイロを僅かに口角をあげて見やるミルシィ。
見つめ合う二人。
そして緩やかに、空気が冷えていった。
「…………」
「…………」
口を閉ざす両者。同じように無言だが表情は対照的だ。
ヒイロは視線を合わせていられず冷や汗をかいて目を泳がせ、ミルシィは嘘でしょう、と言わんばかりにヒイロを凝視している。
しばしの静寂を、ミルシィが破った。
「………………その、手荷物などは?」
「…………」
その言葉にまた少し目を泳がせ、しかし真っ直ぐ向けられた視線からは逃れられず、ヒイロが事情を話し始めた。
「…………あの、私も、人生で初めて残酷な遺体を見て、その後すぐに見たこともない化け物に襲い掛かられたもんで、テンパってた……っていうか……」
言い訳をするようにしどろもどろになったヒイロ。
次第に両手で顔を覆い隠し、懺悔するようにボソリと口にした。
「トイレに全部置いてきちゃった……」
「…………」
ぐらり、と目眩がしたミルシィ。
死に物狂いで足掻いてようやく掴んだ命綱が、ミシリ、と嫌な音を立てて千切れ始めたような気分だ。
「ごめんねぇ……こんなぽんこつ引き当てさせちゃって……」
しかしミルシィもここまで生き残った生存者。
「…………いや、いやっ……落ち着きましょう、まだ──」
その心はこれしきの事では折れず、泣きそうなヒイロを励まそうとし──
ガコンッ!
その時、静寂な部屋の中に異音が響いた。
二人がすぐさま音の発生源に目を向けると──
「OooOOoo……」
天井の通気口から、グニュリ、と真っ黒の化け物が這い出そうとしていた。
「ぴ゛アアアアアアああッ!!!?」
ヒイロが珍獣のような叫び声をあげ、倉庫に保管されていた近場の物を手当たり次第に投げつけ始める。
光で強化されたそれらは多少のダメージを与えているようだが、這い出す怪物を止めるには至らないようだ。
「あ、あああ! もっとッ! もっと鋭利なものッ! 鋭利なものを投げてッ!」
「え、え、どれ、どれッ!? これッ!?」
「はいっ!」
大恐慌の中、ミルシィに竿のような長物を手渡されたヒイロ。
それを光で強化し、
「ああああーッ!!!」
渾身の力で投擲する。
長物は通気口からはみ出た怪物の体に深々と突き刺さった。
「よしっ! 今のうちに……」
苦しげな声をあげてもがいている怪物を尻目に、部屋からの脱出を図る。
が、
グチャリ──
「OOOOooo……」
騒ぎを聞きつけたか、目指していた部屋の出入り口から第二の怪物が現れた。
「うぁあああああどうしよううううう!!」
ただただ叫び声を上げる一般人のヒイロ。
その一方ミルシィは倉庫に保管されていた電気スタンドの先端をぶっ壊し、長細い鉄パイプを作成していた。
完成品をヒイロに手渡す。
「これをッ!!」
「え!? あっ、え、うん!」
鉄の槍を装備したヒイロ。
早速光を纏わせ、部屋の出口から侵入してきた怪物に向かう。
「こ、こいやーっ!」
「OOOoooOo……!!」
黒い侵入者は無防備なほどにドチャドチャとヒイロに走り寄り、その鋭利な鉤爪を振りかぶった。
「うぐ……っ!」
淡く光る槍を使い、なんとかそれを受け流す。
そしてできた隙を狙って、鋭利な槍の先端を怪物の胸へ。
「ぜえいッ!!!」
「OOOoooOo……!?」
胸に槍が突き刺さり、大きく怯んだ怪物。
「今です!」
その隙に、ヒイロとミルシィは部屋の外へ。
そのままガイドの先導で施設を駆け抜けていく。
「はぁ、はぁっ……こっち、にっ……!」
四日間のサバイバルの影響か、ミルシィは息も絶え絶えな様子だ。
「ミルシィさん、脚っ!」
「っ……?」
そんな彼女の脚に手で触れるヒイロ。
溢れた光がミルシィの脚部を覆う。
すると、
「……っ、速っ!?」
グン、と音がするほどスピードが増し、彼女は血痕と破壊の跡が残る廊下をあっという間に駆け抜けた。
ヒイロも同じように光で強化をし、並走する。
そうして怪物をかなり引き離したところで、急激にスピードが元に戻った。
「今はっ、人にやるのはっ、このくらいまでみたいっ……!」
白桃色の頭をなびかせ、息継ぎの合間を縫って語りかけるヒイロ。
「いえっ、大変助かりますっ……!」
ミルシィも走りながら礼を言う。
「(効果時間は10秒ほど……しかしこの強度を他人に付与できるとは……
)」
そして勝手に巡り出した頭が、その力の有用性について検討をしていた。
思考を巡らす中でもミルシィの先導は続き、二人は一つの部屋へと逃げ込む。
このあたりは居住区画だったのか、中は職員の誰かの私室のようだった。
そこにあった大きなサイズのベッド。
その下の空間にミルシィが身を滑り込ませ、ヒイロもそれにならう。
ベッドの下の僅かな空間で身を寄せ合いながら、息を潜める二人。
「ふぅ、ふぅ……ここなら多分、見つからないでしょう」
「もし入ってきたら?」
「死にます」
「そんなぁ」
不安気な声を上げるヒイロに、ミルシィは僅かに笑って返す。
「冗談です。奴ら感覚は鈍いので、大きな音を立てずに隠れていれば、しばらく見つかりません。
本当は通気口の穴も塞いでおけば……通気口内部から光が見えなければさっきの場所で一体目が入ってくることも無かったんですが……
頭が回ってなかった……」
息を整え説明をしながら、自らの失態を悔いるミルシィ。
「しょうがないよ……」
慰めるように彼女の肩にポンと手を置くヒイロ。
なんか急に距離を詰めてきたな、と思うミルシィ。
だが不快ではなかった。
「それで、どうしようか、どうしようか……」
触角をゆらゆらさせながら、今後についての展開をヒイロが問いかける。
「……アクティベート無しでもこれだけ出来るなら、やりようはあると思います。
……あ、ちなみにヒイロさん以外に想像主の方っていますか?」
「四人」
「四人!?」
器用に小声で叫ぶミルシィ。
「そんな数が……」
確かに近年は想像主が少なかったが、反動がそこまでとは思わなかった。
「……………………」
考え事をするように、沈黙するミルシィ。
ヒイロがしばしそれを見守っていると、彼女がこちらに顔を向けた。
「……その人達と出会えれば心強いです。
しかしどこにいるかも分からない以上、闇雲に探し回るのでは命が足りません。
そこでもっと確実性のある方向で行きたいのですが……」
うんうん、と相槌を打つヒイロ。
「ヒイロさんは、しばらく一人で待つのと私と一緒に行動するの、どっちがいい──」
「一緒がいい」
食い気味に答えるヒイロ。
「分かりました。
……そうですね、そちらの方がリスクが低くはあります」
苦笑しながら頷くミルシィ。
「じゃあ、一緒に取り戻しに行きましょうか。
『トライアルター』の主人公の力を」
そうして、二人になったヒイロ達の生存戦略が開始された。