第4話 ミディタリアでひとりぼっち
パッと、周囲の空気が変わったのを感じる。
抱き締めていた母の温もりが消えてしまったことも。
「…………」
さて、せっかくの晴れ舞台だ。泣き顔で望むわけにはいかない。
ヒイロは意図せず強奪してしまった母のセーターをしまい、赤くした目元を拭って、待ち構えているであろう歓迎の人々の為にキメ顔で顔を上げた。
キリーン!
顔を上げたヒイロの視界に飛び込んで来たのは、専門の職人が長い年月をかけて手掛けた美麗荘厳な『想像主召喚の間』……では無かった。
「へ?」
ポカンと口を開けるヒイロ。
どこだここは?
目に見えるのは中央にある大きなテーブルとその周りの椅子。そしてホワイトボードに、壁に備え付けられたモニター。
広さは人が十人ちょっと入れるくらい。
少し広めの会議室か何かだろうか。
ヒイロはその会議室らしき部屋のテーブルの上で、独りぼっちでつっ立っていた。
一緒に転移したはずの仲間もいないようだ。
「……歓迎の人々は? え、ていうかフタさん達は……っぅわっとっ?」
疑問の言葉を呟きながらペタンと尻餅をつくヒイロ。
そして尻に敷いたテーブルから振動が伝わってくるのを感じた。
さらに周囲に意識を向けるとズズズズ……と地鳴りのような音が聞こえる。
どうやら施設全体が揺れていて、自分はそれで転んでしまったようだと遅れて理解したヒイロ。
「…………どゆこと?」
彼女の疑問はますます深まった。
◇◆◇
「うーん、ちょっと見てみたけど誰もいない…………電話するか」
とりあえず部屋の周囲を軽く調べた後、なんの成果も得られずに帰って来たヒイロ。
こういう時はまず大人に連絡を取るべきだと、二十歳のヒイロは考え、ポケットのデバイスから通話をかける。
「フタさーん……」
床にちょこんと体育座りをし、左手で触角を握りながら耳にデバイスを当ててしばらく待つ。
しかしどうにも繋がらない。
一度コールを切りディスプレイを見てみると右上に圏外の文字が。
「……そりゃあ地球の通信会社の電波が別世界まで届くわけないや」
うっかりしていたヒイロ。
しかしそうなると、どうすればいいのか自分で考えなければいけない。
首を傾げて悩む。
「うーん……日本の集合場所で転移したら、『アドラース』の召喚の間に出るって話だったけど……」
言いつつ、簡素な部屋内を見渡す。
先達の想像主が口を揃えて豪華豪華と言っていた、かの召喚の間とは似ても似つかない。
「……まぁ、とりあえず誰か人探してみようかな?
ここじゃ特に手がかりないし。
想像主が変な場所に転移するなんて聞いたことも──」
その時、ヒイロの脳細胞が自己の発言に対し反論を主張してきた。
「……いや、ある!」
天啓を得たように閃き、触角もピンと伸びる。
ミディオタクである彼女の記憶には、思い当たるものがあったようだ。
そのまま手元のデバイスを操作する。
「確か保存してファイリングしてたのが…………あった!」
電波こそ通じないが端末そのものに保存していた情報は参照可能だ。
見つけ出したのは、今起きていることと似通った過去の事故の情報だった。
「そうそう、『想像主の転移事故』!」
疑問の答えに辿り着きパシパシと膝を叩くヒイロ。
「そうだそうだ。
装置の事故かなんかで、想像主が施設内のバラバラの場所に転移しちゃったってやつ」
まるで関係ない場所へ、しかも仲間とはぐれての転移。
状況はまさに一致していた。
「うんうんそっくり……きっとこれだ、今の私の状況は」
突如としてイレギュラーな場所に転移し、しかも一人。
そういった状況に不安も感じていたが理由が分かってしまえば何も恐れることは無い。
「なるほどそういうことかもね。
じゃあやっぱりスタッフの人でも探して案内してもらお」
一転してあっけらかんとした顔で立ち上がり、荷物を持って部屋を出て行こうとしたヒイロ。
その途中で、彼女はふと声を上げた。
「あ」
不安がなくなったからか急に思い出したのだ。
「そういえば私、もうミディタリアに来たから『能力』使ってもいいんじゃん!」
そうだ、そのお楽しみがあったのだった。
思い立ったら即行動。
ヒイロは少し戻ってテーブルに荷物を置き、ワクワクしながら能力の試運転を開始した。
「よーし……」
意識を集中させる。
すると、淡い光の粒子が現れてヒイロの脚部を包んだ。
「おお……よっ」
そのまま軽くジャンプ。
ピタ、と身長の倍以上はある高さの天井にタッチできた。
「おお〜! すごぉい!」
楽しくなってそのままぴょんぴょんと人間離れした跳躍を繰り返すヒイロ。
「あはははは! 楽しーっ!」
ゴンッ!
「きゃぶ!」
興奮で周りが見えなくなっていた彼女は、勢い余って天井に頭をぶつけてしまった。
口をへの字にし、しゃがみ込んで頭を押さえる。
「……私には保護者が必要だ…………早く誰か見つけに行こう」
自らを正しく理解している彼女は荷物を持ち直し、部屋の出口から施設内へと繰り出した。
道が分からないので、とりあえず適当な方向へ。
「誰かいませんかなー」
時折そんな呼びかけをしながら、ヒイロは想力を動力とする明かりに照らされた廊下をてくてく歩いていく。
しばらくすると、前方にそれぞれ赤と青の人型が描かれたプレートを見つけた。
「あ! トイレのマークが日本そっくり!」
昔のミディタリアには想像主の文化はなんでも取り入れようという風潮があったらしく、それはこうして現代まで繋がっているようだった。
そのことに面白みを感じるヒイロ。
「行っとこうかな」
何気ない足取りでヒイロがトイレの入り口に立つと、センサーが反応してドアがスライドする。
そうして見えた女子トイレの中に、何人もの死体が転がっていた。
「はい?」
◇◆◇
薄暗く、壊れかけた照明が時折明滅する室内。
その部屋の前で、ヒイロは立ったまま静止していた。
それがほんの数秒だったのか、数分のことだったのかは分からない。
いつの間にかかいていた汗で、着ている服が肌に張り付く不快な感触を覚えた。
「え?」
停止していた脳がようやく機能を取り戻し、目の前の光景を処理し始める。
壁中にこびりついた血痕。
半壊して水を撒き散らす洗面器に、床に散乱する大小様々な瓦礫。
そして何より目を引くのは、いや、目を背けたくなったのは、無惨に切り裂かれた死体だった。
この施設の職員と見られる制服を着た、いくつもの死体。
切り裂かれた断面から溢れ出したであろう血が、洗面器の水と混じり合い、ヒイロの足元まで広がっていた。
さあっ、と彼女の顔から血の気が引いていく。
「は、え……救急車?」
もう明らかに生きてはいないと分かる遺体を見て、デバイスを取り出すヒイロ。
地球用のそれがミディタリアでは繋がらないと、先ほど確認したにも関わらず。
それほどまでにヒイロは混乱していた。
それ故、
「OOooOOoo……」
自分の真後ろに立たれるまで、それに気づけなかったのは仕方のないことかもしれない。
「ッ!!?」
触角がびくりと跳ね、危ないと思うより先にヒイロは転がるようにして真横に倒れ込む。
ブオンッ、と空気を切り裂く何かが自分のすぐ上を通過。
肩にかけた荷物の持ち手が千切れ、床に転がる。
ヒイロはそれを気にする余裕もなく、すぐに立ち上がって顔を上げた。
襲撃者の全貌が視界に納まる。
「OooOOOoOOoOOo……」
真っ黒の化け物だった。
三メートルはありそうなデカい人型。
体が黒く蠢く肉塊のようなもので構成されている。
腕の先端は鋭利なかぎ爪になっており、ヒイロに向かって振るったのはそれだろう。
顔に空いた空洞のような目が、こちらを見下ろしていた。
「わあああぁあッ!!?」
驚いたような怯えたような、自分でもよく分からない声を上げるヒイロ。
その手から光の粒子が溢れ出し、彼女は持っていた物を咄嗟に投げつけた。
光によって強化されたそれは、弾丸のように一直線に怪物の頭部へ。
見事命中したそれが鈍い音を響かせる。
「OOooOO……」
黒い頭部から黒い液体がこぼれ、襲撃者はわずかにフラつく。
だが、
「あ、あんまり効いてない……?」
そういえば今投げつけてしまったのは自分のデバイスだった、と気づいたのも束の間、不気味な声をあげて向かって来る怪物。
「OOOoOooo……」
ぞわりと肌が粟立ち、ヒイロは一目散に逃げ出した。
「ハァッ、ハァッ……何アレナニ何なにあれッ!!!?」
ショッキングな惨殺の現場を見た後すぐの、謎の怪物の襲撃。
あれをやったのはあの怪物なのか、そうに違いない、どうしよう、ヒイロの頭は大パニックに見舞われる。
そんな中でも無我夢中で通路を右へ左へ走っていると、後ろから追ってくる足音が段々遠ざかっていっているのに気づいた。
「(想像主になった私の方が足が速い!? じゃあこのまま……)」
バァンッ!
突然前方の扉が弾け飛ぶ。
「OooooOoo……」
そしてその中から出てきた同じ姿の怪物。
「(いっ……たいじゃないんかーい!!?)」
一体目の追手の足音も次第に迫る中、大急ぎで方向転換して別の道に進むヒイロ。
「(うわ……うわうわうわうわっ!!?)」
施設の奥へと走れば走るほど、血の跡や破壊の後、そして死体がいくつも現れる。
「(あ、ああああああ……どうするどうする!? どうしよう!!? ていうかここ何処!? 何処に行けばいいんだろう!?)」
頭の中に溢れる疑問に答えてくれる者はいない。
扉を抜け、階段を登り、怪物の気配を察知すれば方向を変え、ヒイロは現在地も目的地も分からぬまま必死に走り続けた。
◇◆◇
物陰に身を潜める、赤髪有角の女性。
「(……よしっ、よしっ、今のところはうまく行ってる……!)」
内心の興奮を抑えながら、これからの自らの行動について思考を巡らせる。
「(もう想像主も施設のどこかに転移してきたはず……なんとか出会うことができれば……)」
だが、そこからが難しい。この広大な施設でどうやって出会うか。
「(落ち着こう、ここからが生き残れるかの分水嶺……方法を考えないと──)」
そんなことを考えている彼女の耳に怪物のものとは違う、人間の足音が聞こえてきた。
◇◆◇
キョロキョロと不安げに辺りを見回しながら、小走りに移動するヒイロ。
追手の方はなんとか撒けたが、いつまた見つかるとも限らない。
「(……い、一旦どっかに隠れて落ち着こう)」
このまま当てもなく彷徨っていても事態が良くなるとは思えない。
考えを整理するためにも、目についた一つの部屋にそっと入る。
中は雑多なものに溢れた倉庫のような場所だった。怪物はいないようだ。
「(これとかいいんじゃない?)」
適当に選んだ、新品だろうかやけに綺麗なゴミ箱の蓋をパカリと開ける。
するとその中で身を縮こめていた、赤い髪に角を生やした女性と目が合った。