第1話 想像主になっちゃった!
もし、自分が書いた物語の『主人公の力』が手に入るとしたら────
どんな物語を描く?
◇◆◇
『トライアルター』。
週刊漫画雑誌で多くのファンを持つ大人気タイトルであり、現在アニメ第三期の制作が進行中の作品だ。
そんな『トライアルター』の作者であり、今をときめく大人気漫画家の竹町日色。
彼女は、
「けほっ……げほっ、ごぶっ!?」
血を吐いていた。
自室での原稿作業中に体の異変を感じ、うずくまって咳き込んだのがついさっきのこと。
とっさに口元を押さえた手から血がこぼれ、腕を伝って床に滴り落ちる。
「はぁ、はぁ、うぅ……」
涙に滲む視界には、真っ赤に染まった両手が写っていた。
「(きゅ、救急車……? あ、家族を呼ばないと────)」
驚きと困惑で鈍った思考を巡らせていると、さらなる異変が起こった。
小さな小さな光の粒が、彼女の手の平から湧き上がったのだ。
視覚にも異常をきたしたか、と一瞬考えがよぎったが粒は次から次へと溢れだし、ほどなくして夜空に浮かぶ星々のような光の奔流を作り出す。
「…………」
ポカンと口を空け、見惚れるようにそれを眺めるヒイロ。
しばらくして、彼女はゆっくりと立ち上がり、
「や…………」
体を震わせ、大きくガッツポーズをとって叫んだ。
「やっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっったぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
◆◇◆
漫画家、小説家、映画やアニメの脚本家などなど……
世に数多く存在する、物語を書くことを生業とする職業。
その中でも特に強い人気を得ていた『物書き』たちが、突如としてーー
消えた。
「ありがとうございます。お名前はなんて書けばいいですか?」
「あ、あ、炭芽ほのか、でお願いします……!」
「炭芽……ほのかちゃん、ねー、はい!」
「あ、あの! 私『リタの幸福論』、WEB時代からずっと見てて、ずっとファンで……あ、私の彼氏もファンなんですよ、同じ作品を好きな同士で知り合ったっていうか…………あれ?」
あるものはサイン会でファンと交流している真っ最中に。
「あー!!! 終わらない終わらない終わらない!!!! どうして毎回締め切りギリギリまで手をつけないんだどうして学習しないんだ自分はぁあああ!!! あー!! も……」
あるものは締切に追われ、必死に原稿を書いている途中で。
「やはり……章の結末なんですけど、このキャラが死んでしまうのはちょっと……」
「えー…………でもそういうふうな感じなんですよ?」
「読者にも強い人気のキャラですし、どうにか生きる方向で書けないものでしょうかぁー…………先生? あれ、先生?」
あるものは担当の編集者との打ち合わせの最中に、消えた。
原因不明の集団失踪事件。
警察や作品のファンなど、世界中の人たちが探し回ったが手がかり一つ見つからない。
原作者が消えてしまったので、一緒に仕事をしていた出版社や映画業界なんかは大赤字。ファンの人たちもひどく悲しんだそう。
でも悲観に暮れても作者たちが見つかることはなく、何の進展も無いまま時間が過ぎていく。
大人気だった作品も、続きがなければしょうがない。ファンだった人たちも、だんだんと新たな作品に興味を移していった。
そうしてそのまま、消えた作者たちは作品と共に忘れ去られていく。
そう思われた時、さらに社会を騒然とさせる出来事が起きる。
消えた作者たちが突然戻ってきたのだ。
神隠しと諦められていた事件に新展開が起こり、世間は再び大混乱。
帰ってきた者たちに世界中の人々が興味と関心を向けた。
誰もが口々に問いかける。
『いったい今までどこに?』
その質問に帰ってくる答えは、こうだったーー
『私たちは、別の世界に行ってきた』
ーーと。
それが『始まりの想像主』の話。
それから彼らが行っていた別世界ーーモンスターや魔法などが溢れるファンタジー世界との交流が始まる。
世界を揺るがす新要素に様々なトラブルや事件が勃発。
時には戦争なんかが発生して文明は衰退し、人類は滅亡の危機に瀕していた……。
なんて時代もあったみたいだけど、それすらもうずっと大昔の話。
長い年月が流れた今では別の世界との交流もかなり進んで、こっちの世界でもちょっとした魔法が使えるようになったり、向こうの世界の種族の血を引く人も増えてきている。
昔は神隠しだなんて騒がれていたけど、今では人気を得た物語の作者が、その作品の『主人公の能力』を得られるのなんて常識。
そうなった存在こそが『想像主』であり、彼らは第二世界『ミディタリア』へと転移させられる。
今の時代、こことは違う異界に飛ばされると分かっていても、想像主にあこがれて漫画家や小説家を目指す人は多い。
だって漫画やアニメの主人公の能力を手に入れて異世界で活躍できるのだ。
憧れないわけがない。
私、竹町日色もそうだった。
小さい頃に見た、ミディタリアに行った想像主が書いた自伝作品。
作者の実際の冒険を元に書かれた物語に、私は心を奪われて夢中になった。
『ふぉおおおおおおお……!!』
そして『自分も想像主になってこんな冒険がしたい!』と夢を持ったのだ。
幼い私はすぐさま想像主になる方法をママと調べる。
いまだに謎の多い想像主化の現象だけど、その条件はある程度判明していた。
条件その①
バトル要素のある作品を書くこと
条件その②
その作品が強い人気を得ること
それを知った私は、すぐさまお気に入りのクレヨンで物語を書き始めた。
時が流れ、クレヨンがペンに、ペンが電子タブレットとPCに変わり、季節が何度も巡っていく。
才能が無いかも、ネタが思いつかない、自分よりデビューの遅い人が想像主になった……そんな類の不安や挫折はいくらでもあったけど、書き続けた。
寒さが身にしみる冬の日も、うだるようなクソ暑い夏の日も、
書いて、書いて、書いてーー
そして、ついに……
◇◆◇
「ハァ、ハァ……フフフ……」
竹町家のリビングに、満足げな様子の女性が大の字で仰向けになっていた。
うっすらとした桃色のロングヘアー。
長く伸びた頭髪の間から顔をのぞかせるのは、リボンとも帯ともとれる形状の一対の『触角』。
街に出れば多くの人間が目を奪われるであろう可憐な顔立ちをしている。
想像主になったことを家族に報告し狂喜乱舞して家中を飛び跳ね回った彼女、ヒイロは、未だ喜びを抑えきれないとばかりにニコニコと頬を緩ませ、触角をぴょこぴょこと揺らしていた。
嬉しさのあまり、先ほどまで地に落ちたセミの如く奇声を上げて床をのたうち回っていたので、未だ呼吸が荒い。
「…………シャワー」
血まみれのシャツのままはしゃぎ回る奇行で家族を怯えさせてしまった。まずはこの服を着替えなければ。
ヒイロは立ち上がると浴室でシャワーを浴び、血で汚れた服から適当な部屋着に着替え直す。
その後リビングのソファに座ると、携帯端末で通話をかけた。
家族の次に真っ先に報告したい相手は、自分の漫画の担当編集である木下ゆかりだ。
「ふふふ、もしもし?」
喜びを隠しきれず笑みをこぼすヒイロ。
彼女の頭の中は、想像主になったことを褒めてもらうことで一杯だった。
『こんにちはヒイロ先生! 今週の原稿はもう出来ました?』
「………まだですごめんなさい」
しかし開口一番の確認に眉が下がり、しゅんとした様子で謝罪の言葉が出る。
先ほど想像主になった時も、ついつい後回しにしていた原稿作業を進めていた最中であり、後ろめたさからごにょごにょと声が尻すぼみになった。
『トラアルはうちの看板なんですから頼みますよー。新章も絶好調ですし、このままいけば想像主になるのだってーー』
「……あ、私想像主になりましたよ」
『え?』
不意に放たれた言葉。
毎度のように締切ギリギリのダメな子から一転、ヒイロは花の咲くような笑顔で言った。
「想像主になっちゃった!」