穢れの浄化
今日もよろしくお願いします!
イスハーク達がすぐさま警戒態勢をとる。
黒いもやは、瘴気が凝り固まったもの。そしてその真っ黒な穢れが渦を巻くように寄り集まると、そこに何かがかたちづくられていく。
それは、人の顔にも見えた。
要は表情を険しくすると、攻略対象達からさっと距離をとった。
「ごめんね、みんな。また気持ちの悪い態度を取っちゃったけど、演技だから安心して」
攻略対象は、それぞれ国祖の血を継いでいる。
おびき出すにはどうすればいいのかと考えた時、これが一番可能性の高い作戦だった。
聖女が彼らと親しげに振る舞うことこそが、何よりの逆鱗となるだろうと。
初代聖女の懸念は的中した。
大帝国の皇子の怨念は、消滅しかけていた瘴気に意思を与えた。
瘴気と少しずつ混ざり合って、力を蓄えて……そうして千年の時を経て、復活したのだ。
かつて大帝国があったという記録が失われたのは、瘴気に宿る皇子の意思が仕組んだことだった。
それは、のちに興った四ヶ国が仲違いするように仕向けるため。協力して瘴気を払った事実は諍いを起こすには不都合だった。
皇子は四ヶ国を滅ぼすことに執着していた。だから世界中に広がることはなく、ただひたすら四ヶ国内だけに悪い影響を及ぼそうとしていたのだ。
そして、皇子が最も執着していたのは――。
もやがかたどった顔が、ひび割れた咆哮のようなものを上げる。
声帯がないから声ではない。
けれど確かに、体に吹き付けたものが森をびりびりと揺らしていた。その影響か、まだ若い緑の葉が次々に枝から離れていく。
かつて植物が枯れ果てたという、未曽有の危機の再来のようだった。
瘴気の威力なのか、帝国の皇子の意思なのか。
黒く凝った瘴気が、凄まじい勢いで聖廟の入り口を目指している。恨みだけの存在になってなお、初代聖女を目指そうとしているのか。
要は、胸がざわつくのを認めざるを得なかった。
破滅し、たくさんの人達に不幸をもたらしたけれど、自分の全てを傾けることができるほどの情熱は、羨ましいとさえ感じる。
思えば、要と帝国の皇子は、少しだけ似ているのかもしれない。
愛情を得ようと、同じ失敗を何度も繰り返す。なぜ清らかな聖女の優しさに心を動かされたのに、金やものを使って振り向かせようとしたのか。
――本編に、帝国の皇子が救済されるルートがあればよかったのに。
聖女と結ばれるまではいかなくても、どこか遠い地でやり直せていれば。
最期は民衆に処刑されたとあったが、それは公正に罪を裁く行為ではない。法的機関を通した処分でないのなら、怒りに任せた私刑と何ら変わらないではないか。
命を軽んじられた国民の気持ちは理解できる。
けれど、要の中にはどこかやりきれない気持ちがくすぶっていた。
その時ふと、初代聖女の手記を思い出す。
あれはこう締めくくられていた。
【できることなら私の代わりに一発殴ってやって。それからあとはどうか……自由にして】
要は一心に聖廟を目指す瘴気に向け、すっとこぶしを構えた。
初代聖女の眠りを妨げるわけにはいかない。
その上で、多くの実害を被ったであろう初代聖女が自由にしていいというのなら……要なりの救済ルートを作ってしまえばいいのだ。
聖なるこぶしから、清らかでありながら鮮烈な光がほとばしる。
強く。これまでより、もっともっと強く。
闘気を……いや清浄な力を溜めながら、要はイスハーク達を振り返った。もしかしたらこれが最後の戦いになるかもしれない。
「あと、何度も利用したことも……ごめん。謝って済むことじゃないし、もうやり直しもきかないって分かってるけど……ごめんね。それでも私は日本に、家族のところに帰りたいの」
苛烈な黄金の光が全身から放たれれば、もはや誰一人として近付けない。
本当に、身勝手なさよなら。
それでも要は今度こそ瘴気に向き直る。
祈りを込めて強く握り締めると、禍々しい瘴気に怖気づくことなく繰り出した。
「――――黄金の聖女パンチ‼」
要の渾身の右ストレートがうなりを上げる。
どごぉぉぉぉぉぉぉぉぉんんんっっっ
森中が悲鳴を上げるように、揺れた。
四ヶ国全ての問題を解決してきた要のレベルは高いはず。だからといって瘴気よりも悪役めいた威力なのはどうしたことか。
黒いもやは清浄な光を受け、星屑のように細かく砕けて散っていく。淡い燐光を発しながら爆発四散していくそれは、幻想的ですらあった。
ただ消滅させることもできたのに、要はあえてそちらを選ばなかった。
瘴気を、恨みつらみを、全て浄化する。
我が儘皇子と書かれていた人物が、せめて暗い感情から解放されるように。
瘴気だったものの欠片が頬に触れた。
その瞬間、要の視界が真っ暗になる。周囲にいたはずのイスハーク達の気配が感じられず、幻覚でも見ているのかと戸惑った。
暗闇に、ぴしりと小さな亀裂が入る。
卵の殻が割れていくように、亀裂は空間全体へと広がっていく。それに従い、だんだんと視界が明瞭になっていった。闇の向こうは明るいらしい。
ふと、遠くに佇む人影を見つけた。
金色のゆるい巻き毛をした、まだ十歳に満たないくらいの子ども。
億劫そうに要を振り返った少年は、いかにも高貴な身分といった容姿をしている。整ってはいるが、不器用さと頑迷さが窺える、あどけない顔立ち。
もしや、彼が帝国の皇子なのか。
思い至ると共にどこかで得心する。
世界を救う聖女を閉じ込めようというのは、皇族としても人としてもあまりに軽率だ。そもそもが幼く未熟だったのなら理解できる。
初代聖女は手記で、それほど悔いがないと言い切っていた。死を目前にそう思えるのは彼女の強さゆえだが、帝国の皇子を憎みきれない気持ちもあったのではと思う。
あれほど幼い子どもを相手に本気で怒りをぶつけるのは、現代の感覚があれば難しい。
世界の混乱を助長させた本人の罪は重いが、それをいさめられなかった周りの大人達に罪はないとどうして言い切れる。
――あぁ……あの言葉には、そういう意味もあったのかもしれない……。
手記の結びには、続編聖女に選ばれてしまった要の自由にしていいという意味合いもあっただろうけれど、きっと祈るような気持ちも籠められていた。
どうか……自由にして。自由にして差し上げて。




