どこにも居場所なんてないのに
よろしくお願いします!
「聖女を取り込みたいというのは、我々秋華国の思惑。勝手な都合だ。このようにそなたを縛る権利はないというのに……傲慢だ」
「逸白……」
もしかしたら、ただ眠って過ごすというのは、彼なりの反抗だったのかもしれない。
聖女がいれば国はより栄える。
緑萌え、恒久的な実りに繋がる。それは初代聖女の偉業からも読み取れること。
いつ危急の事態が起こるかも分からないからこそ、安寧を欲するのもまた人の性。逸白はそれを理解しているし、国を統治する上では必要な考え方だとも思っている。
だから反対することなく国の方針に従った。
けれど、彼個人としては違うのだ。
聖女とはいえ一人の人間の自由を、大義名分を掲げて貪っていいはずがない。それは人の尊厳を踏みにじる行為だと――逸白の芯の部分は納得できかねているのだろう。
言葉を交わさず、互いを知ることなく過ごす。
それが、彼なりの真心だった。
要は思わず笑みをこぼした。
全く、よく気の回る子どもだ。
膝の上に乗る頭を勢いよく撫で回す。乱暴な扱いは経験がないらしく、髪を乱された逸白は言葉もなく固まっていた。
戸惑いを浮かべ見上げてくる瞳に、要は特大の笑みを返した。
憂いも迷いも、力技で吹き飛ばすように。
「傲慢なんじゃなく、みんなの愛国心がいき過ぎてるって思うことにするわ」
緊張はしていても、歓迎の宴で会った皇帝や高官達の顔は覚えている。彼らが私利私欲に走る悪人とは思えなかった。
表面的なものだろうと、要にはそれで十分。
「私も、この国が好きだから。あんたとこうしてくつろいでる時間もね」
この美しい国で育ち、官吏を志した者達の崇高な理念を、信じたいのだ。
きっと本質は、逸白と同じであると。
――まぁ、聖女の力があれば大抵の思惑をぶっちぎれるから安心っていうのもあるけど。
身も蓋もないことを考えていると、再び逸白から笑みがこぼれた。ゆっくりと花が咲き綻んでいくような、こちらまで嬉しくなる笑みだった。
「感謝する。突然聖女として召喚され、家族と引き離されたそなたの気持ちを思えば、このようなことを告げることすらおこがましいのだが――聖女は、そなたでなくば務まらなかったであろうな。要の強さこそが、聖女の素質なのだろう」
初めて名前を呼ばれた気がする。
路傍の石ほどにも認識されていないと自負していただけに、名前を覚えていたこと自体が驚きだ。
けれどそれ以上に要を揺さぶったのは……家族、という言葉。
触れ合いに温かくなっていた心が軋んでいく。
頬に、逸白の指先が触れた。
気遣わしげな眼差しを向けられ、要は強く奥歯を噛みしめた。
「私は……普通よ。いたって普通の高校生」
決して強くなどない。
平坦な声で反論する。
束の間黙り込んだのち、逸白が慎重に口を開く。
「普通……普通とは。初めて会った時のあの身のこなし、尋常ではなかったが?」
「普通よ。こっちの世界では聖女としての能力があるから特別に見えるだけ」
要は彼の言葉を遮るようにまくし立てる。
「私はありふれたことに悩む、ありふれた人間よ。誰にでも愛想よくして、人の顔色を窺って生きてきたの、今までずっと。そうしてれば変に思われないから。腫れものに触るみたいに避けられることも、困らせることもないから――」
そうすれば。
周りの人達が当たり前に持っていた、愛情を得られると思ったから――。
ささやかに触れていただけの指先が動いて、彼の手の平に頬が包み込まれる。
「要のままで、なぜいけない?」
逸白の低い声は心地よく響くから、胸の底にストンと落ち着いた。
揺らいでいた心が凪いでいく。目を見開いた要は、視界がひどく狭まっていたことに気付いた。何も映そうとしていなかった。
クリアになった視界の中、逸白はどこまでも真摯な漆黒の瞳で要を見つめていた。
「私は、要が聖女でよかったと思っている。そうでなくば一生会うこともなかった。どこかおかしなところがあったとしても、それはそなたの全てを否定する根拠になり得ない。元の世界でも、ありのままの要を受け入れている者は必ずいたはずだ」
少ししゃべり過ぎたと疲れた様子で息をつく逸白に、肩の力が抜けていく。優秀なはずなのに、やはりどこか締まらない人だ。
要は自然と、自身の根底にあるわだかまりを吐き出していた。
「私と家族は……血が繋がっていないの」
九歳の頃、肉親が交通事故で死に、要は突然一人放り出された。
血の繋がりさえないのに引き取ってくれたのは、母の幼馴染みだったという夫妻。
義母も義父も、兄となった人も優しかった。何もかもを失い、孤独に放り出されてしまった子どもを労わってくれた。
だからこそ、迷惑をかけたくない。
それなのにいつも一人でいれば、実の親が亡くなったせいで心身に問題があるのではと学校側からいらぬ邪推をされる。
だからたくさんの友達が必要だった。
積極性に欠け、何に対しても興味を示さない。部活にも入らない。それすら家庭環境に問題があるのではと疑われてしまうから、誘われれば何でもはじめてみることにした。
そこからはじまった、完璧でなくてはならないという強迫観念。
問題があると指摘されないよう、スポーツでも勉強でも死に物狂いで努力した。
けれど、周囲から称賛されるまでになると、今度は嫉妬から揉めごとが起こるようになった。衝突がひどくなればそれすら家庭に連絡がいく。
優しい家族を困らせないためには、普通でいなければならない。
満遍なく友達を作り、誰にでも愛想よく、周囲に合わせる。そうすれば疎んじられない。
愛してもらえると――信じていたから。
「私は、私が分からない。ありのままの私なんて、とっくにどこかに消えちゃった。今こうして自分のことを話していても、どこか現実味がない」
だから、急に異世界に飛ばされて聖女だと祀り上げられても、国を救ってほしいと重い責務を課せられても、混乱せずにいられたのかもしれない。
「聖女をやってられるのは、強いからじゃなく、私自身が元々薄っぺらだったから。……こんな欠陥品を受け入れてくれる人、本当にいると思う?」
誰にも打ち明けることのなかった弱音が吐けることを、心のどこかで不思議に思う。
けれどそれも逸白だからではなく、異世界の住人だから無責任に振る舞えるのだろうと、冷めた目で見てしまう自分がいる。
どこにいても結局は欠陥品。
自嘲からくる苛立ちをぶつけたのに、逸白は平然としていた。表情が変わることもないのでその胸中は計り知れない。
だが要は、もうそれでいいと思った。
異世界に来てまで他人の顔色を窺い続けることに、少し疲れた。




