フラグ潰し
今日もよろしくお願いします!
◇ ◆ ◇
それからまた一週間が経った頃。
聖神殿の回廊を、要は一人で進んでいた。
チェスターは国王の呼び出しを受けているらしく不在だ。
最近は、また同じような騒ぎが起こらないかと心配したチェスターがどこに行くにもついてくるので、久しぶりに解放された気分だった。
――何か、攻略度合いは序盤程度のはずなのに、過保護になったわよね……あんなに心配しなくても、絡んできた相手に怪我させたりしないのに。
そもそもあの一件以来、衝突は皆無だった。
リエナ達いわく、チェスターが全面的に庇ったこともあり、要には様々な意味で手を出してはならないという共通認識が出来上がっているらしい。
精神的にも物理的にも危険だから遠巻きにしているのだといい笑顔で頷かれたが、正直物理の方はよく分かっていない。王族の意向に逆らうことで物理的な恐怖に陥るということだろうか。
ふと顔を上げると、回廊の向こうから近付いてくる人影があった。
ひょろりと背の高い男性の身を包むのは、位の高い者にのみ許される法衣。王族であるチェスターより位階の高い人は多くない。
大司教だ。
穏やかな雰囲気と相まって、円柱の隙間から差し込む光に照らされた姿は神々しさえまとっているようだった。
神殿内において身分を問われることはないけれど、明確な位階は存在している。
一介の信徒が大司教とすれ違う場合、道を譲って通り過ぎるまで頭を下げるのが礼儀とされている。
要もルールにならって静かに礼をとった。――心の中で高々とこぶしを突き上げながら。
大司教の靴先が、要の前で止まる。
「――あなたは確か……カナメさん、とおっしゃいましたかな?」
雲の上の存在の目に留まれば、熱心な信徒なら涙を流して感謝するだろう。
けれど要はこのタイミングを待っていたから、いかにも純真無垢な少女が戸惑っているといったふうに演じることができた。
「え、だ、大司教様? 私をご存知なのですか?」
老年の男性は鷹揚に頷いた。
「えぇ、もちろんです。陛下からお話は伺っておりますので」
「あ……では、私の正体が聖女ってことも……」
おずおずと小首を傾げてみせれば、男性はさらに笑みを深めた。内心、扱いやすそうな小娘だとほくそ笑んでいるに違いない。
もちろん迂闊すぎるところまでが演技だ。
「カナメさん。あなたがいと高き存在であることは、あまり口外してはいけません。この場には事情を知る私しかいないとはいえ、どこで誰が聞いているかも分かりませんから」
「あっ、すみません、私ったら……」
要は慌てて口元を押さえながら、その下で悪女らしく笑った。
ようやくこの時が来た。
前回は、ゲームのシナリオ通りのことが起こると信じ切れず、準備を怠ってしまった。
だが今回は抜かりない。
チェスタールート攻略時に起きる、セントスプリング国内での問題。
それは、大司教が瘴気に操られ、戦争をはじめようとしていることだ。
大司教は何年も前から少しずつ瘴気に蝕まれており、浄化石価格高騰も実は彼の仕業だった。
あえて一つの家に独占販売権を与え、富を集中させる。あとは権力を強めた当主が、欲望のまま浄化石の値段を吊り上げてくれるという寸法だ。国内富裕層の調和を乱し、その乱れは浄化石を必要とする他国にまで影響を及ぼす。
全ては、国同士の亀裂を深めるため。
それが決定的となるのが、聖女の失踪。シナリオでは一人でいたヒロインが大司教に襲われ、監禁されてしまうのだ。
聖女失踪は四ヶ国に知れ渡り、セントスプリング国の責任問題に発展。
その後、血の気が多い上に聖女を魔物被害から救ってくれる頼みの綱としていたサマートル騎士国から、宣戦布告をされるのだ。
宗教国家であるセントスプリング国は戦に慣れていない。攻め入られ、すぐに窮地に陥る。
あわやというところで閉じ込められていたヒロインを救出するのがチェスターだ。
彼は戦争のさなかにあっても、愛する聖女を必死に捜索していた。
そうして助け出されたところで、ヒロインは大司教が瘴気に憑りつかれていることを見抜き、浄化。両国を疲弊させるだけの戦争を食い止めるというシナリオだった。
その戦のどさくさでイスハークが死んでしまうとんでもない展開が待ち受けているのだが……そこは割愛しよう。
ようは、戦争がはじまる前に、大司教を正気に戻しておけばいいのだから。
だからこそ要はこの時を待ちわびていた。大司教がキャラクターデザインと変わらぬ容姿をしていて本当に良かった。
ゲームではともかく、まだ悪事の尻尾すら出していない彼にこんなことをするのは正直心苦しいが、先手必勝。
要はしっかりこぶしを握ると、そこに浄化の力をまとわせはじめる。
「え? カ、カナメさん?」
余裕のある表情を困惑に変えた大司教に、無邪気で邪悪な笑みを返した。
「聖女パンチ‼」
まるでスローモーション映像でも見ているかのように、頬にこぶしがめり込んだ。
大司教のひょろ長い体が、ゆっくり華麗な弧を描いて吹き飛んでいく。
石畳に叩きつけられ勢いよく転がった彼は、倒れ伏したままピクリとも動かなくなった。
女の力では大したダメージにもならないだろうと全力でこぶしを振るったが、まずかっただろうか。そういえば筋肉とは無縁の痩身だった。
要は駆け寄って大司教を覗き込む。
安らかな顔を見る限り生きているし、無事に瘴気も払えたようだ。よかった。
セントスプリング国に来てからも何度か浄化の練習をしたが、要の場合攻撃をしないと力を発揮できないことが判明した。見事に伸びているし早くも左頬が腫れてきているけれど、これしか方法がなかったのだから仕方ない。
「大司教様、早く起きてください。こんなところで寝ていては風邪をひきます」
腫れてない方の頬をぺちぺちと叩きながらも、要は眉間にシワを寄せる。
ゲームをプレイしている時には気付かなかったけれど、どう考えてもこの設定はおかしい。
瘴気に侵された動物が自我を失い、魔物になるのは分かる。
引き換え、大司教の行動は不自然ではないか。
本能に抗えずたがが外れたように暴れるのではなく、行動は一貫して理性的。戦争の発端を作らんと気取られぬよう策を弄していたのだから。
人と動物、この影響の差異は何だろう。
そもそも、瘴気とは何なのか――。
「やっぱり、一度ウィンターフォレスト王国に行ってみるか……」
呟きを拾って、大司教が僅かに身じろぎする。
要はすぐに、いかにも心配していますという仮面をかぶった。
「大司教様、大丈夫ですか?」
「う、うぅん……」
朦朧としながらも、彼はゆっくりと上体を起こした。先ほどより腫れが酷くなっている。
「うん? ここは……私は一体、なぜこのようなところに……?」
「もしや、何も覚えていらっしゃらないのですか? 私が駆け付けた時、既に大司教様はこちらにお倒れになっておりました」
「そうなのかい? なぜか左頬が、ずきずきと痛むのだが……?」
「気のせいでございましょう」
やたら清々しく言い切っておく。
もしかしたら、瘴気に憑りつかれている間の記憶が曖昧になっているのだろうか。
――それは……何て私に得しかない……。
要は大司教が立ち上がるのを補助しながら、間近でとびきりの笑みを浮かべてみせた。




