皮肉屋同士
いつもありがとうございます!
今日もよろしくお願いします!
「殿下……」
騒ぎを遠巻きにしていた誰かが呟く。
チェスターは、常にたたえている穏やかな笑みを消し去り、無表情に佇んでいた。その手に握られた小石を無造作に地面へ転がす。
琥珀色の瞳からは温度が感じられず、普段との落差に誰もが息を呑む。
表情を削ぐと、無機質な美貌があまりに際立っている。だからこそ畏怖すら感じ、その場に居合わせた者は口を利くことができなくなっていた。
作りものめいた雰囲気のまま、チェスターは要を振り向く。
「カナメさん。どこにもお怪我はないでしょうが、一度診療所に行きましょう」
「え?」
突然話しかけられ意味を呑み込めずにいた要に、チェスターが近付く。
そうして有無を言わさず、気付いた時には彼の腕の中にいた。
「……え?」
再び間抜けな声が漏れる。
チェスターは、軽々と要を横抱きにしていた。
いわゆるお姫様抱っこだ。
要は、年下と中性的な容姿ということで彼を侮っていたのかもしれない。細いし身長も大差ないけれど、チェスターは間違いなく男性なのだ。
半ば呆然とされるがままでいた要だったが、視界の端に移る少女達にハッと我に返る。
王族にものを投げつけてしまった恐れ多さに震える令嬢達の中心で、フェミリアが限界まで顔色を白くしていた。周囲と同じような畏怖だけでなく、そこには哀切や嫉妬も垣間見える。
気付いた途端、要はチェスターから逃れるよう腕を突っ張った。
「い、いいです、殿下。私はどこも痛くないので、あまり大げさにしないでください。というか歩けますので下ろしてください」
「いいえ、あなたは念のため診察を受けるべきです。否やは申されませんように」
「大丈夫ですって! お願いですから、こういう扱いをされるのは……っ」
これ以上フェミリアを傷付けたくない。
要自身説明のつかない後ろめたさで、思いのほか頑丈な腕の中を必死にもがく。
焦りのようなものを感じ取ったのか、聞く耳を持たず突き進んでいたチェスターはふと立ち止まった。彼は視線だけで背後を見遣る。
そうして僅かに思案したのち、チェスターは真っ直ぐに少女達を振り返った。
「聖神殿内をまことしやかに流れている噂があるようですが、真実は一切含まれておりませんので、皆さま振り回されることのないよう、普段通りの生活を心がけてください。――そして私は現在のところ、誰かと婚約をするつもりはないと、ここに断言いたしましょう」
ゆっくりと、かみ砕くように放たれた言葉が徐々に浸透していく。
息を呑む者、顔を見合わせる者……リエナ達は申し訳なさそうに要を見つめている。
フェミリアは呆然としていた。
どのような顔をすればいいのか、分からないのかもしれない。
チェスターが再び歩き出し、彼女の姿を隠してしまう。やはり下ろす気はないようなので、要は抵抗を放棄した。
中庭が遠ざかり、辺りにひと気がなくなった頃、ようやく口を開く。
「ありがとう」
チェスターの足取りは変わらなかったけれど、多少驚いたのか沈黙が返ってくる。要はそのまま言葉を続けた。
「私がお礼を言うのも筋違いって分かってるけど。こんな噂が流れちゃってあんたも迷惑しただろうし、だから、ごめんなさい。そんでありがとう」
「……おかしなことに感謝をされるのですね。私は、噂されているような仲を、衆目の前で否定いたしましたのに」
ようやく口を利いたチェスターの声音には、冷静な口調とは裏腹に困惑がにじんでいた。要は彼の顔を見ないままに答える。
「否定してくれたんでしょ。あんたのことだから自分の思惑もあったでしょうし、私の意を汲んでくれたとまで思い上がった解釈はしないけど」
要との仲を否定した上で、フェミリアにも婚約の望みはないとしっかり線引きをした。
残酷な事実を突き付けただけにも思えるが、これが彼にできる精一杯の対応であり、誠意なのだろう。彼女の最後の表情は、しばらく頭から離れないと思うが。
それはチェスターも一緒だろう。見上げると、彼はどこか疲れた表情をしていた。
「……そうですね。聖女様と恋仲になるなどあまりに恐れ多い」
「王子だって願い下げよ」
「あなたの正体が露見せず、本当に良かったですね。今回のことを教訓に、今後はさらに慎重な行動を心がけてくだされば嬉しいです」
「セントスプリング国の信徒達に言ってくれる?」
いつものように皮肉をぶつけ合うも、今日ばかりは互いに覇気がない。それなら矛を収めればいいのに、できないのが皮肉屋の性だ。
歩かなくていい分考えごとくらいしかできず、要はだんだん気が抜けてきた。
見上げれば空は青い。
サマートル騎士国と違って、セントスプリング国の空気は穏やかだ。
今は初夏に移り変わる季節で、なぜ隣り合う国でこうも気候が違うのか、またも難問が頭を占めていく。太陽の近さは同じなのに不思議で仕方がない。
「『聖女パンチ』なるものを駆使するあなたがご令嬢方に後れをとるとは、意外ですね」
またもチェスターから皮肉が繰り出された時、思わず本音をこぼしてしまったのも、他のことに気を取られていたからだった。
「……あんたのこと考えて、動くのが遅れたのよ」
彼の歩みが止まって、要はようやく自分の発言の恥ずかしさに気付いた。
腹の内をさらさない者に本心を打ち明けてしまうほど、ばつの悪いことはない。
凝視されているのを感じながらも、要は頑なにチェスターを見返さなかった。続きを促されているのだろうが無視を決め込む。
「……カナメ様。それは夜も日もなく私に想い焦がれているという解釈でよろしいですか?」
「よろしくないわよ卑怯よ脅すなんて」
そこからは忍耐勝負だった。
口を噤み、半ば睨むように見つめ合う。
端からは恋人同士の睦まじいじゃれ合いにも見えるだろうが、二人は真顔だった。先に口を開いた方が負ける。
ぽかぽか陽気に包まれながら、先に耐えられなくなったのは要の方だった。
やはりお姫様抱っこという体勢がよろしくない。いつまでこのままなのかと気が遠くなれば、要が負けてしまうのも当然だった。