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以前厨房での茶話会時、彼女は望まぬ縁談から逃れるため聖神殿の門をくぐったと話していた。その相手は、浄化石の貿易で権威を得た男性だと。
――ってことは、このフェミリアって子の父親が、その縁談相手……?
まさかこれほど大きな子どもがいたとは驚きだが、何より心配なのは要への言いがかりに巻き込んでしまったことだ。
追手を差し向けられるかもと、慎重に生きていた彼女の心境はいかばかりか。
要にも責任がある以上、できるだけ穏便に解決したかった。不本意な言いがかりだろうと堪えることはできる。
突っ込みどころに目をつむるための時間は、少女達の目に、怯えて声も出ないように映ったらしい。
彼女達の罵倒はますます熱を帯びていく。
「卑しい異国民が!」
「よくも神聖なるセントスプリング国の地を汚せたわね! 汚らわしい!」
「あなたのような人間は殿下に相応しくない!」
「一緒にいる者も同罪だわ! 殿下との仲を後押ししようと画策しているらしいけれど、同じ国民として恥ずかしいわ!」
よくない方向に話が移っている。
このままではリエナ達までつるし上げられかねない。今は顔を伏せているから容貌も確認できないだろうが、フェミリアが父親の縁談を把握していた場合どうなってしまうだろう。
リエナ達に向きかけている注目を、要に引き付けなければ。
方法ならある。
それは人並み、ありふれているという信条を大きく逸脱する行為。
けれど――覚悟を決めたら行動は早かった。
「……私は、謝罪をすればいいのでしょうか?」
ずっと礼の姿勢のままでいた要が言葉を発する。
視線が頭頂部に集まるのを感じながら、ことさらゆっくりと顔を上げた。
まるで、上位たるものの風格を示すがごとく。
フェミリア達は動かない。要がこれから何をするのかを見極めようというのだろうが、その用心深さは衝突前に発揮してほしかった。
顔に落ちかかった黒髪を耳にかける。
要は完璧な笑みを作るべく、顔面に全神経を集中させた。
「その場合、何に対し謝罪すべきでしょう? 不愉快な思いをさせてしまい申し訳ございません。上流階級に属する方々に礼を失して申し訳ございません。それとも――チェスター殿下をたぶらかし、横から奪ってしまい、たいへん申し訳ございませんでした……とか?」
気品溢れる所作に口調。
これらはチェスターと時間を共にした結果、かなり磨きがかかっていることだろう。
「全く根拠のない噂話ですが、信じたいのでしたら構いません。話の真偽を確かめもせず騒ぎ立て、無関係の者を巻き込んで糾弾するのが、高貴な方々の流儀だとおっしゃるのなら」
要は他を圧する華やかさを意識して、極上の笑みを浮かべる。
痛烈な皮肉に、圧倒的な迫力に、令嬢達は一斉に怯んだ。
怖気付いてしまった事実を恥じた取り巻きの一人が、屈辱に顔を戦慄かせた。真っ赤になり、持っていたモップを乱暴に投げつける。
狙いを定めていなかったから要の横を素通りしていくモップだが、背後にはリエナ達がいる。用心のため、柄を回転させ難なく掴む。
しかしこうなってくると、さらに手が付けられなくなるだろう。案の定、令嬢達は虚仮にされたと思い込み、逆上している。
要はリエナ達に、視線だけで退避を促した。守るものがない方がより避けやすい。
「ば、馬鹿にして……‼」
他の取り巻き達まで、ものを投げつけはじめた。手当たり次第、石や水桶、ちりとりなど。
もちろん要はまともに取り合うつもりなどないので、持ち前の運動神経で回避し続ける。中学の時ドッジボール部に入っていてよかった。
「ひっ……何ですの、あの動き!」
「気味が悪いわ!」
「失礼な。高速反復横跳びくらい、普通ですよ」
巧みな足さばきは常人の目に追える速さではなく、まるで体重を感じさせない。両者の衝突を恐々と見守っていた第三者達まで開いた口が塞がらなくなっている。
「……普通?」
「普通とは」
リエナ達は遠い目になった。
先ほど理想の殿方とやらについて言及していたが、もし要が全力でぶつかったなら、どれほどの強者であっても紙のように吹き飛ぶのではないだろうか。それとも彼女は、やはり人ならざる者とのぶつかり稽古を求めているのか。
権力のある家の令嬢というフェミリアまでもが、小石を振りかぶりながら叫んだ。
「何であなたなんかが、チェスター殿下に……‼」
彼女の声は震えている。
暴力を受けているというのにその瞬間だけ、要は後悔した。
フェミリア達にも、もっと言葉を尽くして説明すればよかったのだ。
これらが誤解なのだと分かれば、少女の心を無闇に傷付けることもなかっただろうに。
連鎖的に、先日チェスターが覗かせた感情の片鱗を思い出す。
ひどく静謐な横顔。
あれは、心に傷を抱えた者が見せる表情だ。かけてくれた言葉は、傷を持っているからこそ発することのできる、同情に近い慰め。
だから気になる。
このような時でさえ、体が一瞬動きを止めてしまうくらいには。
フェミリアの投げた小石が一直線に向かってくる。僅かに判断が遅れたせいで避けきれるかどうか、微妙なところだった。
――まずい……っ。
要が反射的に目をつぶったのと、間近で乾いた音が鳴ったのはほとんど同時だった。
小石が寸前で食い止められた音。おかげで要はどこも痛くない。
急いで目を開けると、そこには純白の僧服に身を包んだ背中があった。そこを流れる、芸術品のごとく美しい銀髪。
ものを投げていた令嬢達が、あっという間に戦意を喪失していた。