6 黄色巨乳
世の男性諸兄に訊く。もしある日突然目の眩むような美女とふたりで暮らすことになったらどうする?
どうするったってそれなりに暮らすしかねえんだろうけど、正気でいられるか? 狼になっちまうか? それとも毎日悶々といやらしい想像をしてヨダレ垂らしてお座りしてるか?
おれは今日からこの隣で歩いている美女と暮らすことになった。張のある褐色肌を露出して、でけえ胸ゆさゆさ揺らして歩く姿は全身色気のかたまりだ。しかもペタペタスキンシップしてきやがる。男が反応しねえわけがねえ。
おれは寮を引っ越さないといけないんだが、入居先を探したり手続きをすることを考えたら少なくとも数日はベッドひとつしか寝るスペースのねえ部屋に同居することになる。
おいおい、これがただで済むのかよ。どうする、もし寝るときになって、
——床に寝るところもないし、一緒に寝ようよ。あたしは気にしないからさ。
なんて言われたらさ。それでおれもしょうがねえなあなんて言って、狭い中背中と背中をくっつけてるうちに、
——ねえ、寝返り打っていい? あんたもずっと同じ体制じゃつらいでしょ。ほら。あはは、向かい合っちゃったね。
とか言われて、
——狭いからもっとくっついてないと落っこちちゃうよ。落ちないように支えてよ。あたしはあんたの胸で縮こまるからさ。
——あははは、なんかドキドキしてきちゃった。どうしよう、このままじゃ収まらないよ。あんたのここもこんなになってるしさ、これじゃふたりとも寝れないね。
——ねえ、寝れるようにしてよ……ねえ、
——ねえ、
——ねえ、
「ねえ、聞いてる?」
「あ、ああ! すまん、ちょっと考えごとを……」
おれはクゥの呼び声で意識が現実に戻った。
いけねえいけねえ、昼間っからなんて妄想してんだ。いくら童貞だからって許されることじゃねえぞ。つうかそんな都合のいい展開あるわけねえだろ。バカかおれは。
白昼夢を見てぼんやりしていたおれだが、いまなにをしてるかというとクゥのために再び大通りに向かっていた。聞いたらここ数日ろくに食ってねえっていうじゃねえか。かわいそうでならねえよ。
おれはこの辺で一番人気の店に連れて行くことにした。値段も手ごろで量も多く、いろんな国の味がある大衆食堂で、あそこなら異国人でも満足できるだろう。
その道中おれたちはいまの状況を話していた。
「ふーん、じゃああたしたちは探索できないんだ」
「困ったことにな」
「でもさ、自分たちで団を作るんならいいんでしょ? ならあたしたちで作っちゃおうよ」
「無理だな」
「なんで?」
「ふたりじゃ仕事にならねえ。最低でも戦闘員が三人、事務と荷物運びでふたり、つまりあと二、三人は必要だ」
「ふーん……」
クゥはほんの数秒考えると、
「そっか。じゃあもう少しだね!」
「は?」
「だってあと二、三人なんでしょ? 余裕じゃん!」
「あのなぁ、ひとを集めるのってけっこう難しいぞ。おれの知り合いはみんな定職についてるからあてにできねえし、そもそもいい戦闘員を探すのが大変なんだ。ろくでもねえのならともかく、まともな戦士はとっくにどこかの団に所属してる。わかるか? 無理なんだ」
おれは探索をやりたがるクゥにそれがどれだけ不可能かを教えてやった。そりゃおれだって探索やりたいさ。家計を助けるために実入りのいい探索業を選びたい気持ちもわかる。けどできねえことをやろうとして日々が過ぎれば金は減る一方だ。クゥの家族も干からびちまう。それよりなんでもいいから早く職を見つけて、少しでも仕送りした方がまっとうじゃねえか。これが冷静な判断ってヤツだ。それなのにこいつときたら本当にお気楽というかプラス思考というか、
「やる前から無理って決めつけることないじゃない。ダメで元々やってみようよ」
と言ってにっこり笑ったかと思うと、
「そこのお姉さーん! ヒマー!?」
唐突に通行人を呼び止めやがった。なんて迷惑なことを!
「バカ! そんなやり方あるか!」
「だってやると決めたらすぐの方がいいでしょ」
「然るべき場所ってのがあんだろ! ナンパじゃねえんだから、こんなところでひと集めするヤツがいるか!」
まったく、ほかのことならともかく、いのちがけの仕事に誘おうってんだぞ。ギルドなり酒場なり場所ってもんがある。それをこんな往来で、しかも女に声をかけるなんて……
おれは呼び止められた女の元へ小走りで駆け寄り、
「すまねえ、なんでもねえんだ」
と頭を下げた。そうして顔を上げた瞬間、
——うっ!
おれは凍りついた。クゥのやろう、なんて女に声かけてんだ。あとで訊いたら「強そうだったから」と言ってたが、なるほどいい目をしてやがる。強そうなんてもんじゃねえ。
一見すりゃ細身の女。特にゴツいわけでもねえし、クゥみたいに筋肉の強靭さも感じねえ。左腰にカタナと呼ばれる細長い剣を履いているからやっと戦士とわかる。
黒いストレートの長髪に黒い瞳、黄色っぽい肌でカタナを差しているからおそらくあの島国の出身だろう。田舎の農夫が夏場に着るような半袖シャツとダルダルの長ズボンを着崩し、けさがけに背負うポーチのベルトがふたつのでかい胸のあいだを割って魅惑の山を成している。本来ならおれの視線はそこに釘付けになっているはずだが、そんなもの目に入らなかった。おれは女の目を見た途端微動だにできなくなっていた。
いったいどんな生き方をすればこんな目つきになるのか。切れ長でまつ毛が長く、かたちだけを見れば絶世の美女と呼ぶにふさわしい。しかしその眼差しの恐ろしいことといったら、たとえるなら瞳の奥の暗闇で刃がほの青く光り、ぴちょん、ぴちょんと水を滴らせ、触れるものすべてを切り裂こうとしている——そんな恐ろしい目だ。
暗く、静かで、しかしなによりも残忍で冷酷な色をしていた。
おれはいのちの危険を感じたよ。震えないようにするのが精一杯だった。いままでどんな荒くれ者にも、どんな猛獣にも怯えなかったおれがだぜ。こりゃただもんじゃねえ。おそらく剣に関しても達人だろう。力のねえやつは”気配”を持たねえ。弱えヤツがどんなに強がって見せてもなにも感じねえ。だがある一定以上の腕があると、なにもしなくても気配ってヤツが滲み出てきやがる。それは歩き方だったり雰囲気や話し方だったりいろいろだが、ともかくこれほどの気配を持つヤツが弱えはずがねえ。もっともマトモとも思えねえがな。
女は硬直するおれに、怨嗟でも込めたような声でぼそりと言った。
「たばこ……」
「え?」
「たばこ屋はどこだ……」
そういえばこの女ヤニ臭え。どうやらヤニ切れを起こしているらしい。正直これ以上関わりたくなかったが、おっかねえから道案内することにしたよ。だってよ、おれが道を口頭で説明しようとしたら、腰のものに手を添えて、
「連れてけ……」
ってんだぜ。怖えったらねえよ。そりゃおれも腕に覚えはあるが、いまは短剣しか持ってねえし、たとえロングソードを持っていたとしてもこれほどの気迫の持ち主とやり合って無事に済むとは思えねえ。つうかそもそも騒ぎにしたくねえ。
おれは背中に冷やっこい汗を流しながら女を先導した。いやぁ、生きた心地がしなかった。背後からまるで抜き身の刃を突きつけられるような感覚がビシビシ伝わってきてよ。いったいなんだってんだこの女。冗談じゃねえ。
それにしてもクゥのヤツは肝が太えのか頭がパーなのか、こんなの相手にニコニコ笑って、
「あたしクゥ。あんた強そうだね。名前は?」
なんて話しかけてやがる。女は、
「クユリ……」
とぼそっと答えたが、どうにも機嫌が悪そうだった。こんなの話しかけねえ方がいいってわかりそうなもんだが、クゥは気にしねえんだな。
「あんた仕事は? あたしら調査団のメンバー探してるんだけど、一緒にやらない?」
やめてくれぇ。こんな怖え女誘わねえでくれぇ。おれいやだァ〜。
まったく、たばこ屋が近くて助かったぜ。店に入るとクユリとかいう女は足早にカウンターに駆け寄り、背中のポーチから硬貨をわしづかみに出して、
「一番高いたばこを出せ。すぐにだ」
有無を言わせねえ口ぶりでじゃらっとゼニを置いた。店のばあさんはそりゃあ慌てて出したよ。だっておっかねえんだもの。
クユリは手のひらに収まる刻みたばこの箱を受け取ると、ポーチから素早くたばこ道具を取り出した。ずいぶんと珍しいパイプだったな。細長くて、火皿があずきくれえしか入らない大きさの”キセル”ってやつで、そこにたばこを小さく丸めて乗せたと思うと、このころまだ高価だった”獣油ライター”で火を着けた。いまだに火打ち石やティンダーライターしか知らねえ田舎者のために説明するが、獣油ライターってのはちっちぇえ鉄製の箱で、特定のモンスターが持つ可燃性の体液を中の綿に染み込ませ、フタを開けたところから出てる糸に内蔵の火打ち石で火を着けるってぇ代物だ。片手で簡単に火が着けられて、フタを閉めれば火が消えるっつうまあ便利なもんでよ。探索者ならたいがい持ってるが、油も高えし庶民の使うもんじゃねえ。たばこも高えのを買ったし、金持ってんだなこいつ。
クユリは急ぎひと口、ふた口、たばこを吸うと、
「ふぅ、落ち着いた」
と言ってあとはのんびりくゆりくゆりと煙をくゆらせた。ヤニのにおいが店中に広がっていくと同時に、クユリの背中から殺伐とした気配が消えていくのを感じた。
「すまない、気が立っていたものでな」
クユリはそう言って店主に頭を下げると、ゆっくりこっちを振り返って言った。
「ありがとう。たばこが切れると気が立ってしまってな。ずいぶん迷惑をかけた」
「え? あ、いいってことよ……」
おいおい、驚いたぜ。なにがって、さっきまで刃物みてえに鋭かったクユリの目がいまじゃ慈愛に満ちた女神様みてえになってるんだからよ。そしたら一気に魅力的になりやがった。美しさのあまり見惚れちまったぜ。おれは愛煙家じゃねえからよくわからねえが、ヤニ切れってのはそんなにヤベえのか? イライラするとは聞いてたが、こりゃ相当なんだな。
クユリは余裕ができたのか、
「それで、調査団と言ったか?」
と道中の話題を蒸し返した。そしたらクゥが待ってましたと飛び跳ねて、
「そうそう、あんた強そうじゃん! 一緒に探索やろうよ! あたしらひとが足りなくて困ってたんだよね」
「探索か……そうだな……」
クユリはゆっくりとひと口たばこを吸うと、空中に向けて細く煙を吹き、
「……そろそろどこかに腰を落ち着けようと思っていたところだ。厄介にならせてもらおう」
と、さほど悩む様子もなく言った。そ、そんな簡単に決めていいのか?
それを言うと、クユリはフッと鼻で笑った。
「どうせわたしは旅ガラスだ。たまにはまっとうな暮らしをするのも悪くない。なに、探索がなにかは知っている。化け物狩りだろう? いいヒマつぶしだ」
そうか、ならいいけどよ。クゥも大よろこびだし、戦闘員さえ見つかりゃ調査団の結成もそう難しくはねえ。やや人格に不安は残るがよ……
それにしても一気に事態が好転したな。追放を受けてどうしたもんかと悩んでいたら、半日もしねえうちにふたりも仲間が集まって、復帰が現実味を帯びてきた。
片方は海賊狩りの女。もう片方は達人の気配を持つ女。どちらも女か。しかもとびきりの美女で、目のやり場に困るような巨乳ときた。こんなことってあるか、ふつう。ねえよなぁ。それもおれみてえな童貞によ。なにかおかしいんじゃねえか?
そういえば昨日変な女におまじないをしてもらったよな。”あなたがステキな女性とそうなるように”って。まさか、”そうなる”のか? おれが? おれみてえな童貞がこんなきれいで胸のでけえおんなと……?
バカだねぇおれも。そんなことあるわけねえじゃねえか。おまじないだぜ、お・ま・じ・な・い。それで恋だの愛だのが実るのはお話の世界だけだ。ありっこねえ。
……しかし、それにしてもなんでまたこんな、なぁ。