5 褐色巨乳
今朝はずいぶんと遅くまで寝ちまった。目が覚めたら聞こえるのは往来の声ばかりで鳥のさえずりがひとつも聞こえねえ。世間様はとっくに活動してやがる。昨日はいちんち中飲んでたからな。おれも酒は強え方だが、さすがに飲みすぎたか。仕事があるわけじゃねえからかまわねえけどよ。
しかし起き上がって部屋ン中を見回すと、なんとも感慨深くなってくるねぇ。この部屋で寝泊まりするのもあとわずか。狭いひとり部屋で、最低限のものしか置いてねえから見栄えも色気もねえけど、もう居られなくなると思うと寂しいもんだ。ま、しょうがねえけどよ。
おれは軽く顔を洗うと簡単な服装に着替え、財布をポッケに突っ込んで外に出た。のどが渇いてたし、腹も減ってる。大通りのカフェでリンゴジュースでも飲みながら軽食でもつまむとしよう。部屋に水桶はあるんだが、最近水を替えてねえからな。止まった水は飲むなかれ。探索者なら常識だ。
街は今日も賑わっていた。近ごろは花も咲き終わって青葉が茂りはじめ、草木だけじゃなく人間も活動のピークに向かって熱気を上げている。
やっぱりこの時期はいいねぇ。ちょっと前までは寒い日が多くていやだった。風が冷てえとひとも活気がなくってよ。縮こまった街並みを歩くと心まで冷えてきやがる。でもお日様が元気になると人間も虫みてえにわらわら出てきて、待ってましたと言わんばかりに通りを埋め尽くして、さあ生き物の時間だ、川の氷も溶けて魚も元気に泳いでる。おれたちも負けずに街へ繰り出そうぜ! って騒いでるみてえで楽しくなってくる。
それにあったかくなると遠方の探索者も増えて、見る楽しみが出てくる。これはおれの趣味というかなんとなくやっちまうことなんだが、武装した通行人を眺めてそいつの技量を推し量るのがなんとも楽しいんだ。国によって体つきや戦略が違うからいろんな戦士がいて見てて飽きねえ。服装の違いなんかもおもしろい。
おれは大通りの軽食屋でジュースとサンドイッチを買い、テラス席でつまみながら道行く探索者を目で追った。
——お、あいつはなかなかだな。無駄のない締まった体に薄い鎧を要所にだけ着けて、動きの邪魔にならないようにしてる。モンスターとの戦いをわかってるって感じだ。得物は無装飾のロングソードか。使えそうなツラしてるぜ。
それに比べてあいつはダメだな。全身ガチガチの鎧で固めて小脇にメットを抱えてやがる。あんよもおぼつかねえし、重さに耐えるほどの筋肉がねえんだろう。守りばっかり固めて、それじゃいざってとき動けねえ。そもそも野生獣相手にフルアーマーとか団長はなに考えてんだ。キラキラした槍なんぞ持ちやがって。どうなっても知らねえぞ。
おれはなに様のつもりか知らねえが、批評家気取りで探索者たちを評価した。つっても別に声に出してるわけじゃねえ。頭ン中で考えるのは自由だ。本人に聞こえるわけじゃねえし。まあ、よっぽど驚くようなすげえヤツでも見たら声のひとつも出ちまうかもしれねえけどよ。
「おっ!」
——っと、つい声を出しちまった。だって、すんげえのがいたんだぜ。
いやすげえすげえ。女戦士だ。それも極上の。
なにがすげえってまずその体だ。褐色の四肢は細くもなく太くもなくパッと見やわらかそうだが、歩き方を見りゃ相当しっかりした筋力を持ってることがわかる。ありゃ豹みてえに柔軟で強靭だろうな。いかにも動きに自信がありそうだ。その証拠に鎧を着けてねえ。それに得物はショートアクスだ。柄の短い斧が二本、左右の腰の皮鞘に納めてある。スピード特化のパワー押したァいなせだねぇ。
服装は太ももがほとんど丸出しのピチッとしたズボンと腹丸出しのシャツか。船乗りの関係かな? 船乗りは風を感じるために上半身ははだかだっていうからな。それでできるだけ肌を出してるのかもしれねえ。しかしいい腹筋してらァ。
それに見栄えがいいのは戦士の部分だけじゃねえ。女としてもかなりのべっぴんだ。歳は二十代前半ってところか。髪は短めの赤毛で、生気に満ちたツラは凛として若々しい。それでいて表情がやわらかいからなんとも愛嬌がある。大人のかわいげってヤツだ。
それにしてもニコニコしてていいじゃねえか。空見上げるみてえに堂々と歩いてて、それだけでも好感が持てる。そのうえ美人ときてやがる。まあただちっとばかし胸がでかすぎて、いざってときに邪魔にならなきゃいいけどよ。心配はそれくらいか。
女はおれの声に反応したらしく、こっちを見て立ち止まった。あーいけねえ、だってあんまり見事だからよ。声も出ようってんだ。
女は肩に背負ったナップサックとでかい胸を揺らし、おれの前まで歩いて来た。
「あたしになにか用?」
女は姉御肌って感じの明るい声で言った。おれはやや慌てて、
「あ、いや、別に用はねえんだ。見事なもんでつい声が出ちまってよ」
「見事?」
「神が創った芸術品かと思ってさ」
「はぁ!?」
いけねえ、ついキザな言い方しちまった。これじゃまるで女ったらしじゃねえか。ああいやだ、おれはいつも言ってから気づくんだ。でも本当にそう思えるような女でよ。戦士の強さと女の美しさを両方兼ね備えたヤツなんてそうはいねえだろう。現にほかに見たことがねえ。それを話すと女は、
「あっははは! あんたお世辞がうまいね! でもいい目してるよ。あんたの言う通り、あたしは強くて美人だからね! あっはははははー!」
とざっくばらんに笑った。見た目通りの明るい女だ。気さくと言うか豪快で、なかなかにきっぷがいい。見てるとこっちまで気分が晴れてくる。こりゃあ本当に戦士としても女としても最高だ。
「でもあんたもいい体してるね」
——あひっ!
突如女は前屈みになり、おれの二の腕を揉みはじめた。こ、こんな美人がおれの二の腕を!
「あたしもいろんな戦士を見てきたけど、こんなにブっとい腕はじめてみたよ。ほら、両手でつかんでも足りない」
りょ、両手で! つーかその位置にいられると顔の傍に胸が……! で、でけえ! 近え!
「ねえ、力入れてみてよ。がっちがちに」
がっちがちに? ああ、するさ。腕をだな。腕をがっちがちにするぜ?
「わっ、かった〜! あんたのこれ、がっちがちじゃん!」
”これ”ってどっちだ? 腕か? 腕の方か? ああ、がっちがちだよ。どっちもがちがちだ。
「あたしなんかこんなもんだよ、ほら」
この女、てめえの二の腕を差し出しやがった。触れってことか? お、おれは童貞だぞ!? いいのか!? 触るぞ!?
「ほら、あんた手でかいから片手でこんなに包み込んじゃった。力入れてもこんなもんだよ。揉んでみ」
も、揉みます!
「ねー、ぜんぜんでしょ? つってもその辺の力自慢と比べたら圧勝だけどね。あたしは筋肉がやわらかいし脂肪があるから弱っちく見えるけど、これでも片手でリンゴくらいなら潰せるんだから。ねえ、聞いてる? 顔赤いけど大丈夫?」
「あっ、いや、あれかな? 昨日すげえ酒飲んだからまだ残ってやがんのか? あははは!」
”大丈夫?”じゃねえよ! 童貞がこんなことされて大丈夫なわけねえじゃねえか! あーまったく、心臓がドクドク言ってるぜ。ひー。
「酒の飲み過ぎ? よくないよ〜。命の水なんて言うけど、あたしの親父は酒で倒れちゃったからね」
言いながら女は丸テーブルの対面に座り、サンドイッチを手に取って、
「お腹空いちゃった。これ食べていい?」
と言った直後に食いはじめた。
「あ、ああ」
とおれが答えたときにはもう半分食ったあとだった。いや、別にいいけどよ。サンドイッチくらい。
「あははごめんね。あたし今朝からなにも食べてなくってさ。あ、こっちのはローストビーフが入ってる」
勝手にふたつ目……遠慮がねえな。まあいいけどよ……
女は右手のサンドイッチをかじりながら左手で三つ目を手に取り、
「あんたこの辺のひと?」
「ああ、この街出身だ」
「じゃけっこう詳しい?」
「まあな。大概のことはわかるぜ」
「わー、よかった! いやね、あたしこの街に叔父さんがいてさ、木工職人のシン・デールーっていうんだけど、どこにいるかわかんなくて」
「シン? 木工のシンか?」
「知ってる!?」
「ああ……ただ言いにくいんだが、先々週くらいに……」
「先々週くらいに?」
「死んじまった」
「えっ!?」
「腕のいい職人だったから土地の人間ならみんな知ってる。葬儀もきっちりやったし、ほかにシンって木工職人はいねえから、残念だが……」
「ウソ……マジ?」
女は乾いた笑顔でサンドイッチを食う手を止めた。そりゃ身内が亡くなったとなりゃ気もそぞろだよな。しかもはるばる会いに来たってのに。心中お察しするぜ。
「い、家は残ってるのかな?」
「さあ、行ってみねえとわからねえな」
「よかったら案内してくれない?」
「ああかまわねえよ」
おれはギルドに顔を出すつもりだったが、急遽シンの家まで女を案内することにした。おれも生活がかかっちゃいるがそこまで切羽詰まってるわけじゃねえし、たったいま不幸を知った女を放っておくわけにもいかねえからな。
道中おれはわけを聞いた。女はクゥ・オッキラという名前で、父親が長を務める海賊狩り傭兵団にいたらしい。しかし父親が倒れ団はバラバラになり、一家は崩壊の危機に立たされた。両親は母親の実家に住むことになり、元気なクゥは叔父であるシンの家に預かってもらい、探索業で生計を立てて実家に仕送りをする手はずだった。
実家は父の医療費で金欠になり、クゥに渡した路銀も家計を切り詰めてひねり出した最低限しかなく、彼女はいま無一文だという。
そんな中頼りだった叔父がこの世にいないことがわかり、このままでは住む家はもちろん、いまいっときのメシ代もない。金貸しに頼る手もあるが、体ひとつの異国人に金を貸すようなヤツでまともな商売人はいねえ。クゥもそれはわかっている。だから彼女は藁にもすがる思いで亡き叔父の家を訪ねるのだろう。
しかしこいつはこんなときでも笑顔なんだな。道中の珍しいものを見ちゃ目を輝かせ、うまそうなものにヨダレを垂らし、なにかとケラケラ笑う。下手すりゃ野垂れ死ぬってのになんともお気楽な女だ。
「海の女は強いのさ。広い海と眩しい太陽の中で生きてたらシケってなんかられないよ」
と、あっけらかんと言う。なるほど、たしかに都会じゃこんな女はいねえ。この街も栄えるにつれてキナくせえやろうがずいぶん増えた。若者も以前みたいな熱気がねえし、インテリぶってばかりでろくなもんじゃねえ。広い自然の中で暮らせば山や海のおおらかさがクゥみたいに移るのかね。なんせ最近のガキは狭い部屋の中でお勉強ばっかだしよ。道楽といったら読書だ。シケっちまっていけねえ。若者よ、海へ行け! まあ、おれは行ったことねえけどよ。
話しながら歩くうちに、おれたちはシンの工房に着いた。シンほどの職人となりゃ自宅持ちで、しかも屋内に工房までありやがる。
しかし、おれたちが見たのは工房じゃなかった。カンカンとトンカチの音が鳴り響く八割がた完成した新築だった。
さすがのクゥもこれには呆然としていた。身内だからってなんとか住めねえか期待してたのに、まさかとっくに取り壊されて別の家を建設中とはなぁ。
「あっははははは……まいったなぁ」
気まずくておれまでまいっちまったぜ。だってクゥはここで稼いで実家に仕送りしなきゃならないんだぜ。この街の調査団は余所者にきびしいんだ。紹介のねえ異国人はお断りって団が多い。むかしいろいろあってよ。絶対じゃねえが半ば鉄則に近いルールになっている。クゥは叔父がいない時点で追放とほぼ同じってことだ。
——金でも渡すか?
おれにできることっつったらそれくらいだ。つったっていまの彼女の状況はなにひとつ変わらねえし、せいぜい泊まり賃帰り賃くらいしか渡せねえ。おれもうかうかはしてられねえんだ。
——でも、なにもしねえよりはマシか。
おれはまずクゥがこの街で調査団に入れないことを話そうとした。と、そのとき、クゥは猫がおもちゃを見つけたときみてえにピンっとおれを見て、
「ねえ、あんた結婚してる?」
「いや、いい歳こいて独身だが……」
「マジ? じゃ、あたしのこと泊めてくんない?」
「ええっ!?」
と、泊めるって、こいつを!? こんな美人をおれの部屋に!?
「ねえ〜頼むよ〜。あんたしか頼る相手がいないんだよ〜」
わっ、腕に絡んできやがった! ややや、やわらけえ! なんだこのやわらかさは! こ、これは、わわわ、わぁ!
「あんた探索者だろ〜? あたしも傭兵としちゃビシビシやってきたしさ〜。きっと頼りになるから、ねえ〜。それにあたしみたいな美人と一緒に暮らせるんだぞ〜。いいと思わないか〜?」
と、とてもいいです! い、いいのか? おれは追放者だぞ? 職を失ったんだぞ? 住むところも探さなきゃいけないんだぞ? でも……う、ううう、
「わかった、泊めてやる!」
「マジ!? やったー!」
クゥは子どもみたいに飛び跳ねてよろこんだ。おかげでやっと残念ながら腕から離れてくれた。まったく大変なことになっちまったぜ。おれも緊急事態だってのによ。
蓄えはたしかにある。贅沢しなきゃひとりで二、三年は暮らせる。でも探索者ってのは引退後がネックで、将来を考えたらもっともっと貯めとかなきゃならねえんだ。それを、いくらやわらかかったからって……おれはバカか? でもどっちにしたって放っとくわけにもいかなかったしなぁ。
まったく、こんな深刻な事態になるとは思ってもいなかった。正直これからどうすりゃいいのか検討もつかねえ。ひとりだったら両手で頭を抱えてるところだ。それなのにこのお気楽女、
「あ! あんたいまエッチなこと考えてたでしょ! このスケベー!」
考えてねえよ! 悩んでたんだよ!
このやろう、ずいぶんニコニコ笑いやがって。エッチなことを考えたかだって?
そんななあ、まったく、もやもや、もやもや…………ハッ!
………………バカかおれは。