3 まな板娘は口汚く愛を叫ぶ
どこの国が最初だったか。おそらく財政に余裕のある国だったと思うが、人類は壁の向こうを見たいがために壁を掘り、そして”門”を作った。
門ひとつ掘るのになん百年とかかったらしいから、そうとう金がかかるだろう。それでもひとの好奇心なのか、それとも他国に負けたくねえ見栄なのか、壁のある国はこぞって門を作り、調査団を雇った。
門がある街を”門街”と呼ぶんだが、おれたちの国で門街はここしかない。他国じゃ少なくとも二、三カ所はあるが、金のない国じゃひとつ作るので精一杯だったんだろう。それにいまでこそ国際情勢が安定しているが、ここに門が作られた百年前は侵略戦争が多かったらしく、それも一因に違いない。
しかしひとつしかない分、金をかけている。国を渡る行商人はこの街のギルドを見てよく「大きい」と言う。それから「豪勢」とも言う。なんせ付近の探索希望者がみんなここに集まるわけだから施設はでかくなけりゃいけないし、ひと目につくから見栄も張ろうってわけだ。
どの門街もそうだが、ここは特に栄えていて、都と肩を並べるほどひとも金も集まる。門に向かう大通りはでかい宿屋や商店が立ち並び、さらに行商や屋台が許可があるのかないのか店の扉を塞がない程度に埋め尽くしている。道行くひとの三割は異国人だ。それだけこの門街に金のにおいがするってことだろう。なんたって探索者は金の入りが大きい分、探索に使う費用も、日ごろの金遣いもでかいからな。となりゃあ自然、ひとも集まるってこった。
おれは先週たまたま立ち寄って気に入った異国人の屋台で味の濃い肉料理を朝飯がわりにつまみ、酒をあおって道行くひとびとを眺めていた。別にひとを見てどうってこたぁねえ。見ていたわけでもないし、見るならなんでもよかった。ただ気を紛らわしたかった。
そもそもギルドに行くなら大通りに入る必要なんかねえ。おれは壁の傍にいた。そしてギルドは大通りの入り口の、門のすぐ傍にある。つまりおれはいっぺんギルドの前を通ってんだ。
だってよお、まだ朝飯食ってなかったんだぜ。別に今日は仕事があるわけじゃねえんだからのんびりしたってかまわねえだろうし、それによ、ちっとばかし酒が飲みたかったというか、気つけ薬が欲しかったというか……だって行きたくねえんだもの。
結局一時間近く飲んでたな。行きたくねえ行きたくねえって思ってたら、十一時の鐘が聞こえて、あっやべえ、さすがにのんびりしすぎたと思ってやっと腰を上げた。気つけ薬にしちゃずいぶん効きすぎちまって、少しだけ足がフラついてたけどな。つっても少しだけだぜ?
——しかし、あとになって思うのは、もしここで一時間飲んでなかったら、いったいおれの人生はどうなってたんだろうなぁ。
もしここで一時間飲まずにすぐマナのところへ行ってたら、あんなことにはならなかったのか。それとも一時間飲むことがすでに運命だったのか。あるいはどっちにしろ同じ結末を辿っていたのか。
ああだったら、こうしていれば……たらればを語ればキリがねえ。ともあれおれはギルドに足を向けた。
門から少し間隔を開けて右手側、大通り沿いに”豪勢”と言われる横長のバカでかい二階建ての施設——調査団ギルドがおれの目に映った。
——あいつ、もう知ってんだろうなぁ……
と、やや足がすくんだ。しかし酒のおかげでおれは半ばヤケクソな気持ちで前に進むことができた。まったく、酒は偉大だぜ。酒がなかったらおれはいつまでも足踏みしてたかもしれねえ。酒を創った神と、すばらしい酒たちに心から感謝する。これからも世話になるからよろしくたのむぜ。
おれは迷宮のようなギルドを、目的地に向かってまっすぐ進んだ。十八年も通ったんだから、どこがどうで、だれがどの担当かもすべて知っている。もっとも、それが役に立つのも今日までだが。
おれは生活課の受付の前の柱で止まり、巨体をなるべく隠して顔だけこっそり出した。
——ああ、やっぱり今日もいるなぁ。
受付カウンターの向こうにひとりの少女——マナ・ボードが書類の整理をしながら大あくびをかいていた。
おれは探索者の多くがあいつを見て「かわいらしい娘じゃないか」と笑っているのが信じられなかった。たしかに容姿はかわいいと思う。小さめの身長に、大きな瞳、お日様に当たったことがねえんじゃねえかってくらい白い肌は、触れなくても空気を伝ってしっとりしそうなほどきれいで、十四、五のころから変わらねえ整った童顔に、ざっくりしたセミロングのブロンドヘアがよく似合ってる。もしこいつが親戚だったらつい自慢しちまうかもしれねえし、お人形さんならもっと最高だ。しかし……
「あ、ゴリ!」
しまった、気づかれた!
「てめえなにそんなとこに隠れてんだ! 出てこいクソやろう!」
おれはマナの最大の欠点を浴び、観念するように身をあらわにした。そうなんだ。こいつは恐ろしく口が悪いんだ。
最初はそうじゃなかった。この娘は早くして母親を亡くし、ギルドで働く父親にくっついて幼少よりここに来るようになった。
みんなによくかわいがられたよ。お菓子をもらって笑った顔がまたかわいかった。おれもその笑顔が見たくてどれだけものをやったことか。
ただ、子育てにはあまりいい環境じゃなかったな。探索者ってのはどうしても荒っぽいやろうが多い。みんながみんなってわけじゃないが、言葉遣いが悪く、下品なヤツばかりだ。子供ってのは大人のまねをしたがるもんだから、そんなのに囲まれてりゃ口も悪くなるわな。むしろ悪いヤツらの悪い部分がミックスされて、街で一番の下品になっちまった。
てめえ? クソやろう? そんなのは序の口だ。
「早く来いクソッタレ! てめえのチンポコの両脇に生えてる棒は飾りか!」
——ああ、聞いてて恥ずかしくなってくる。おれは酒で赤らんでいた顔をさらに赤くして歩き、マナの前に立った。
「マナ、寮の退去について少し聞きてえんだが……」
「んなこたァどーだっていい! それよりてめえ、追放ってどーゆーことだよ!」
やっぱり知ってやがったか……ああ、めんどくせえ。
「追放じゃもう調査団入れねーだろ! 稼ぎはどーすんだ!」
「ああ、それも相談に——」
「てめえおれとの結婚はどーなるんだよ!」
またそれか! こいつ、どういうわけだかおれに惚れてやがるんだ。
たしかにおれは特別マナをかわいがったよ。食いもの買ってきてやったり小遣いやったり、探索でおもしろいものや、きれいな花なんかを見つけちゃ持ってきた。でもそれはこいつが妹か姪っ子のようにかわいいと思ったからやっただけで、十三も年下の娘の気を引こうなんて思うわけねえじゃねえか。まあ、世間じゃそういう結婚もあるけどよ。
そもそも違うんだ。おれはもの静かなひとがいいんだ。いくらかわいくったって、こんな下品な言葉をひと前でわめいて平気なヤツおれには無理だ。だって、こんなこと言うんだぜ。
「おれはてめえをこんなに好きなのに、いつになったら結婚するんだ! それともてめえ、インポか!?」
「はあ!?」
「こんなうら若き美女を見てどうもしねーのかって訊いてんだよ! そりゃおれは胸はねーよ! でも毎日手入れは完璧だし、そもそも世界一かわいいし、食べごろの十九歳だぞ! こんな美女が誘ってんのに反応しねーってことは、インポかホモしか考えらんねーんだよ!」
こ、こいつ……どっからくるんだその自信は。呆れてものが言えねえ。よくもまあそんな自分で言えたもんだ。いくら見た目がよくったって、心が汚れてると思わねえのか。つーかその口の汚さマジでなんとかならねえのか。
「お前、いっぺん医者に行った方がいいぞ」
「医者に行くのはてめえだインポやろう!」
「落ち着け。その言葉遣いは頭の病気だ。そんな狂った頭だからおれなんかを好きになるんだ。お前みてえな若い女はふつう、劇場の役者みてえな細くてきれいな男を好きになるもんだ。なのにおれを見てみろ。汚ねえ岩みてえなツラだし、酒飲んでばっかりだし、本も読めねえ頭ぱーぱーだ。いったいこんなヤツのどこがいいってんだ」
「ぜんぶだよ!」
うっ! 諭すつもりがまさかそんなこと言われるとは思ってもいなかった。うっかりときめいちまったよ。だってよ、おれはこいつ以外にモテたことがないんだぜ。それが”ぜんぶ”だなんてよ。まったく、このガキは、
「黙ってりゃかわいいのによ」
「えっ……?」
あっ、しまった! 頭ン中で考えてたつもりが、間違って声に出しちまった!
おれはカアっと恥ずかしくなった。なんでおれ、そんなバカな……
ああ、そうだ。酒のせいだ。酔っ払ってるから、つい間違って言っちまったんだ。ちくしょう、なんでおれはあんなに飲んじまったんだ。シラフなら間違っても口に出したりなんかしねえのに。まったく、酒はよくねえや。これからは酒ってものとの付き合い方を考えなきゃならねえなぁ。
しかし、この失敗は意外な効果を生んだ。なんとマナが黙りやがった。やろう、顔真っ赤にして、ちっちゃな口をもごもごさせてやがる。
「なんだお前、もしかしてかわいいって言われて照れてやがんのか。あっはっは!」
そう思ったらつい笑っちまった。そしたらマナのヤツ、口をむにむに動かして、
「む〜〜」
だとよ! こいつ、マジで照れてやがる!
なんだ、ホントにかわいいじゃねえか。おかしいったらありゃしねえ。おれァ余計に笑っちまった。
「あ〜、久しぶりだぜ、こんなに笑ったのはよ。あっはっは。それじゃあおれは帰るから、せいぜいがんばれよ」
おれは久々にマナを言い負かしていい気分になり、とっとと帰ることにした。だって、おれの勝ちだろう? あの口うるさいマナを黙らせてやったんだから。
しかしなにか忘れてるような気がするが、どうも酔っ払ってて頭がハッキリしねえ。なんでおれはギルドにいるんだっけ? それもわざわざマナのところに。……まあいいか! 忘れるってことは大した用じゃねえだろう。
おれは口笛を吹きながらマナに背を向け、出口に向かおうとした。すると、
「待てよ!」
マナはわなわなと震え、全身に力を込めておれを睨んだ。なんだあいつ、怒ってんのか? わざわざ呼び止めたりして、それかもしかして、おれなにか忘れ物でもしたかな? なにも持ってきちゃいねえはずだが……
「お、おれがかわいいなら、なんで結婚しねーんだ! さっさと嫁にしろ!」
まーたそれか。なんでって、
「前にも散々言ってるじゃねえか。おれは下品なしゃべり方の女はきらいなの。もの静かなひとがいいの」
「おれのどこか下品だ! みんなと一緒じゃねーか! ふつうだよ!」
おいおい、そりゃねえだろ。たしかに多くの探索者はお前とそこまで変わらねえが、お前女だぞ? 女はふつうひと前でチンポコとかインポやろうとか言わねえよ。
「ど、どーせあれだろ?」
マナは怨嗟なのか哀願なのか、おれの目をまっすぐ睨んで言った。
「おれみてーな貧乳はお断りってんだろ!?」
「はあ!?」
「どーせおれみてーなパイオツの小せー女じゃいやだってんだろ!? 口調だなんだってそれっぽいこと言って、結局は乳のでけー女がいいんだろ!? このケダモノ! だからてめえはいい歳こいて童貞なんだよ! このクソ童貞!」
「お、おれは別に胸なんか——」
「それにあれだろ!? まーたママみたいなお優しーひとがいいでちゅーってんだろ!?」
「そ、それは……」
「あーあーたいそうご立派なババアだったんでちゅねー! おっ死ぬ前にいっぺんお会いしたかったですわ!」
「て、てめえこのやろう!」
おれは母さんをバカにされてカッとなった。おれのことはどれだけ言われてもいい。でも母さんを悪く言うことだけは許さねえ!
おれは受付カウンターにがっついてマナの顔面手前まで顔をつん出した。さすがに女に手を出そうとは思わねえが、おれは吠える寸前だった。まるで犬が敵意を剥き出しにしたときみてえに牙をかみ合わせて、喉の奥からぐるぐる唸り声を漏らした。マナも度胸があるから一歩も退かねえ。どうしてやろうかと思ったが、おれは意地の悪いことを思いつき、ふっと身を引いて意地悪く笑って、
「あーそのとおりさ! おれは巨乳が大好きなんだ! 胸のない女なんか絶対お断りだね! なんだてめえの胸は? そんなぺったんこで、胸と胴体の境目があるのか? いいや、ないね! それは胸って言わねえんだ! 板っきれだ! それも潰れたまな板だ! まな板よりも薄っぺらな板にお情けでポッチがついてるだけのただの板だ!」
「て、てめえー!」
「うるせえ貧乳!」
「黙れクソ童貞!」
「貧乳!」
「童貞!」
「貧乳!」
「童貞!」
「ひんにゅ——」
トントン、とおれの肩をだれかが後ろから叩いた。おれは振り返ると、
「やあゴリ。今日も夫婦喧嘩かい? 仲がいいねえ」
背後に立っていたのはギルドの環境調査担当、ニドネル・アサオキットだった。歳は五十二。落ち着いた雰囲気と、年齢を感じさせない健康な体を持ち、若さの秘訣はよく寝ることだと言ってみんなより数時間は必ず遅れて出勤するマイペースなナイスミドルだ。今日も昼前だというのにいま出勤らしい。
おれはふと我に返り、慌てて、
「ああっと、いや、えっと……」
なにか言おうとしたが言葉にならなかった。なんせ目上のひとにあんなところを見られちゃなぁ。ああ恥ずかしい。マナも固まってやがる。
狼狽するおれにニドネルは怒るでも笑うでもなく、ごく自然に言った。
「たのしそうなところ悪いんだけど、次のひとに変わってもらっていいかな?」
「あっ!」
なんてこった。おれはまぬけだ。女がひとり後ろで待ってやがるのに、興奮して気づかなかった。ここは受付カウンターなんだから、ひとが来るのは当たり前じゃねえか。
「申し訳ねえ!」
おれは道を開けるように横に飛び退き、頭をぼりぼり掻いた。並んでいた女は静かにクスリと笑い、小さな会釈を返してきた。
なんてこった。おれのせいでこの国の人間はバカ丸出しだと噂されるだろう。このひとはかなり遠くの国から来たひとだ。見ればわかる。サラサラの黒髪に黒い瞳、灰色がかった褐色の肌に、服は肩から足首まで一枚の黒い薄布で作られたはじめて見る衣類(あとで知るが、ガラベーヤというらしい)。おそらくかなり暑い国の出身だろう。
スレンダーな手足は明らかに狩猟用ではなく、ギルドの生活課に来るとなれば調査団の事務員か、メンバーの妻に違いない。彼女は手続きを終えたあと、団と合流して話すだろう。「この国のひとってとっても野蛮ね。ひと前で女性を貧乳呼ばわりしたり、女性が大声で童貞って叫んだりして、ああいやだわ、とっても恥ずかしい国」って感じでよ。
おれは居ても立ってもいられず、
「あ、あのよ。おれたち変なこと叫んでたけど、別にみんなこんなんじゃないんだ。おれたちは仲がいいから好き勝手言ってただけで、本当はすげえ丁寧でいい国なんだぜ。だから、その、あのよ……」
と釈明すると、女はニコリと笑い、
「とてもたのしそうな国で安心しました。わたしは気にしておりませんから」
と軽く斜めに頭を下げた。その丁寧で気配りの効いたスマートな対応は、おれの下品さと恥をいっそう浮き彫りにした気がした。
おれはもうどうしていいかわからず、逃げるように、
「じゃ、お元気で!」
と言って立ち去った。視界の隅でなおも丁寧な会釈が見え、恥ずかしくて顔に火がつきそうだった。
まったく、今日は災難だった。追放されるわ、マナにぎゃーぎゃー騒がれるわ、こっぴどく恥をかくわで散々だった。こんな日は酒に限る。一応引退後に備えてそれなりの蓄えはあるんだ。今日は久々に劇場に行ってお笑いショーでも見ながら酒飲んで、夜は酒場でどっぷり飲んで、仕事探すのは明日からにしよう。それがいい。こんな日はマジメに職探しなんかしちゃならねえんだ。
そう決めると、気持ちが切り替わったのか暗い気分は吹っ飛んで足が軽くなった。これも酒の力かな? やっぱり酒はすばらしいなぁ。今日も明日もずーっとお世話になっちゃうぞ。
……しかし、思い返せば不思議な女だったな。
おれはギルドを出たあたりで、不意にさきほどの異国人の顔を思い出した。
鷹のような目をしていた。黒い肌なのに、真っ白い肌よりも透き通るような印象だった。人間なのに、どこかひとでないような半透明な不確かさで、でも紛れもなくひと肌の温かさを感じる笑みがそこにあった。
おれはなぜか、はたと立ち止まった。どうも、気になる。
……でもまあ、いいか! 異国のひとだから印象が違うんだろう! そんなことよりお笑い! そんなことより酒、酒〜!