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2 朋友は激臭とともに

2 朋友は激臭とともに


 おれは途方に暮れていた。

 もうどこの団にも入れてもらえない。となれば廃業しかない。

 ひとりで探索はできない。危険、というのもあるが、そもそもひとりじゃ仕事にならない。

 探索者の収入源はふたつある。

 ひとつは探索による環境調査報告の報奨金だ。壁の向こうの未踏地域を図面に起こし、調査団ギルドに報告すると金がもらえる。それなりの金額だが、未踏地域は未踏なだけあって危険が多いし、そもそも字が書けなきゃ報告ができねえ。

 収入にもむらができるし、これをメインに生活している探索者はほとんどいない。”探索者”といっても、まず食わなきゃならねえ。

 じゃあみんなどうやって稼いでるかというと、資源調達だ。

 壁の向こうは、外にはない特異な植物や、さまざまな体質のモンスターが生息しており、そこから取れる資源が我々の生活や技術に大きく貢献している。

 そういった資源や食材を商人たちが商人ギルドに依頼し、それを調査団ギルドが受け、おれたち探索者に向けて納品を公募する。

 ここで長期的な納品の契約が取れれば収入は安定する。実際ほとんどの団がこの契約で食っている。が、おれみたいなはぐれ者が受けられるのは完全フリーな突発依頼のみで、そういうのはたいてい安いし、毎回違う場所に違うものを獲りにいくわけだから、そのたびに装備やら準備やら集めなきゃならねえ。金も時間も体力も足りねえし、そもそもひとりじゃろくに荷物も運べねぇ。

 だからみんな団に所属してる。

 つまりおれはおしまいってことだ。

 ……つまらねぇな。あと十年はやれると思ってたが、まさかこんなことでおしまいだなんてよ。

 おれはまだ壁を見上げていた。どうしようもねえんだからさっさと仕事を探しに行きゃいいのに。たぶん、未練なんだろうな。

 そんなことを考えていると、

「ゴリ、大丈夫か?」

 背後からおれを呼ぶ声がした。振り向くと、親友のアシクが眉間にしわを寄せて立っていた。

 親友——アシク・サスギル。おれよりひとつ年上で、おれより一年遅くオーキーズに入った長年の友であり、半ばパートナーと呼ぶべき存在だ。

 背はおれに負けないほどの高身長。探索焼けの肌の下には慎ましくも実のある筋肉を蓄え、キリッとした女受けするツラは最近年齢の影が出はじめたせいかシブ味が増して、ひょっとすると男にも受けるんじゃないかと思うような色男だ。

 生まれもいいとこのガキで、野性味の中に品性と礼儀を併せ持ち、なんと趣味は読書ときてやがる。まるで女が見る演劇の主役みたいな男だ。

 おれは気落ちしていたが、つとめて笑顔で言った。

「よお、アシク」

「聞いたぞ。お前、追放されたんだってな」

 アシクは深刻な顔をしていた。怒っているような、悲しんでいるような、悔やんでいるような——ああ、きっとぜんぶだな。こいつはおれと同じで、思ってることがぜんぶ顔に出ちまうんだ。そんなヤツだからこそ、おれはこいつが好きなんだが。

「まあ、しょうがねえよ。団の決まりだ」

「なにがしょうがねえだよ。だからおれはニダイが団長になるのは反対だったんだ。お前だってわかってるだろ? あいつはおれたち古株を全員辞めさせて、自分より下の新人だけを集めて、名実ともに団長になりたいんだよ。自分よりできるヤツがいると困るから」

「まあ、そうかもしれねえなぁ」

「悔しくないのかよ」

 ……まあ、悔しいさ。なんせ探索はおれの人生だったからな。それに、おれには目的があった。おれは、アシクの悩みを解決してやりたくて……

「おれも辞める」

「え!?」

「お前がいないんじゃあんなところいたっておもしろくない。それにおれもニダイには愛想が尽きてるんだ。おれと団を組もう。追放じゃどこも入れないが、新しい団を組んじゃいけないって決まりはない。またおれと探索しよう。おれたちの探索はこんなことじゃ終わらない。そうだろう!?」

「アシク……」

 まったく、うれしいこと言ってくれるじゃねえか。相変わらず熱いヤツだぜ。こいつは一見涼しいツラしてるが、胸の中には熱い炎が燃えている。こいつの言葉には熱がある。こいつの声は魂を震わせる。眼差しは太陽のように輝いている。

 思わずおれはうなずきそうになった。が——

「うれしいが、だめだ」

「なんでだよ!」

「レイさんがいるだろ?」

 おれは知っていた。こいつがオーキーズの事務を務めるレイという女といい仲なのを。どうやらお互い好き合ってるらしいが、あと一歩のところで踏みとどまっている。というのもアシクの体に問題があった。

 完全無欠、男のおれでも惚れぼれしちまうこいつにはただひとつだけ欠点がある。それは、猛烈に足が臭いことだ。

 笑いごとじゃねえ。こいつは足が臭いせいで二度離婚している。しかもまだ童貞だというんだ。これほどのいい男が、二度も結婚しておきながらだ。

 たしかにこいつの足のにおいはヤバい。ふだんはハーブを塗り込んだ靴でごまかしているが、おれも以前探索で野営をしていたときにたまたまにおいを嗅いで、アシクには悪いがおれも女だったら同じベッドには入れないと思ったよ。

 男に生まれりゃ好きな女と愛し合いたいと思うのは当然だ。それなのに……こんな悲しいことってあるかよ。おれみたいに元々モテねえってんならしょうがねえが、こいつには本来その資格があるんだ!

 それに相手ばかりじゃねえ。このあたりの国はいまの時期なんかとくに暖かくて湿気も出てくる。くせえものが一層臭くなる時期だ。そんな中、一日履いてにおいを閉じ込めた足をベッドの上で解放したらどれだけ恐ろしいかわかるか?

 おれは最近こいつの眉間のしわが濃くなったように思う。それは果たして年齢のせいだけだろうか。もしかしたら毎晩自分の足の臭さでうなされているんじゃないのか。このしわは毎夜悪臭の作り出す悪夢に刻まれた苦しみの跡なんじゃないのか。

 おれはこいつが不憫でならねえ。おれは自分のために探索をしているが、もうひとつ目的がある。それは、こいつの足を治すことだ。

 この百年のあいだ、探索によっていろんなものが手に入った。もの、技術、そして医療。ある草を食い続けると、生まれつき咳の止まらなかったひとがぴたりと治った。あるモンスターの体液を傷口に塗ると、化膿せず、治りも早くなった。例をあげればキリがない。壁の向こうには無限の可能性がある。その無限の薬効の中にはきっと、足の臭さが治るもあるはずだ。

 ただ、残念ながらこの夢は断念しなくちゃならねえ。おれは追放になっちまったからな。

 でも、ひとつだけ希望がある。レイはアシクの足のことを知っている。ふたりの別れた女房が世間に言いふらして、いまや知らないヤツはいない。でも、それでもレイはアシクを好きでいるんだ。実際ににおいを嗅いだかどうかは知らねえが、愛し合っているんだ。

 だからおれはそれを信じて、アシクの誘いを断った。だが、

「女がなんだ!」

 アシクは燃えるような眼差しで言った。

「見くびるなよゴリ! おれは女なんかのために親友を見捨てるような男じゃない! おれたちの絆はそんなものか!? この十何年、お前がどれだけおれの命を救ったか! お前がどれだけおれの魂を救ったか!」

「それを言ったらおれだってお前に何度も……」

「そうだろう! おれと、お前と、ふたりでやってきたんだ! 魂の絆だ! 血より、愛より、友情よりも深い絆だ! それを、おれが女なんかのために見捨てると思ったか!?」

 このやろう……熱いこと言ってくれるじゃねえか。

 本当はうなずきたい。おれもまたこいつと探索がしたい。でも……

「ハーツとの約束はどうなる?」

「……!」

 約束——それは先代団長ハーツ・オーキーが死に際に残した言わば遺言だった。

 ハーツは豪快な男だった。なにごとも大雑把で、男の粗暴な部分だけを抽出したような男だった。腕っぷしが強く、気に入らないと思うとその腕力を後ろ盾に怒鳴り込むような荒くれ者で、しかしものの芯を捉えることに長けており、獣のように吠えながらもその心情には常に正義、漢気、バカ正直の三点があった。だからおれたちはどんなに恐ろしいと思っても、それ以上に信頼し、まるで父親のように慕っていた。

 あのひとが死んだのは酒が原因だった。ハーツは四六時中飲みっぱなしの男で、おれの見た限り、片手か机の上に酒瓶がないときはなかった。それが去年、四十三という若さで死んだ。唐突に胸を押さえ、苦しんでぶっ倒れたと思ったらそのまま逝っちまった。

 しみったれたことがきらいなひとだったから、生前よく”おれが死んだら葬式はせず、ひと晩おれを肴に飲んでくれ”なんて言っていた。さすがに葬式は上げたが、おれたちは遺言通り盛大に飲んだ。そうしてみんな、ハーツのことをうれしそうに、悲しそうに話すんだ。

「あの酔っ払い親父め! 神父はまだ若いのになんて言ってたが、あれだけ酒を飲んで死なねえわけがねえ。むしろ大往生だ!」

 そんなことを言って、笑って、泣いて、笑った。ほかの団のヤツらも酒場に乗り込んで大騒ぎだった。死んでもまだあのひとがそこにいて、みんなの体を借りて笑ってるみたいだった。

 そんなハーツが死ぬ三日前、唐突におれとアシクを呼び出した。団長室に入ると、いつもと違うあのひとがいた。ふだんは酒をあおって豪快に笑う山賊の大将のようなひとが、そのときだけは静かだった。

 ハーツは窓の外を眺め、なにを見ていたのか、遠い目で言った。

「もうすぐおれのガキが学校を出て、この団に入ってくる」

 ふだんならひとこと話すたびに酒を飲むのに、そうしなかった。

「せがれはかあちゃんににて頭がいい。きっといつか立派な団長になるだろう。けど、ちぃとひねくれててよ。だれかがいろいろ教えてやんなきゃならねえ」

 そう言ってハーツははじめておれたちを見て、静かに頭を下げた。

「悪りぃが、ニダイのメンドウを見てやってくれ、この通りだ」

 おれたちは慌てたよ。なんせこんな立派な親父がいるんだ。おれたちが教えることなんてなにもねえ。それを言うと、ハーツは静かに笑った。ひどく寂しそうな笑いだった。

 それから三日後、ハーツは死んだ。あとになっておれたちはハーツが自らの死期を悟っていたんだと気づいた。

 ——ニダイのメンドウを見てやってくれ。

 それは遺言にほかならなかった。

「アシク……おれは残念ながら追放になっちまったから約束は果たせねえ。けど、まだお前がいる。ニダイはこのままだと間違った方向に進んじまうかもしれねえ。そんなニダイのメンドウを見れるのはお前だけだ」

「……だが」

 アシクはおれの目を真っ直ぐ見て言った。

「お前、こんな目にあってもニダイを助けたいのか?」

「……」

「お前追放されたんだぞ。単なる退団じゃないんだぞ。言わばこの業界から抹殺されたんだぞ。恨まないのか? いくらハーツとの約束だからって、あんなやつ殺してやりたいと思わないのか?」

「まあ、恨まないわけじゃねえ」

 おれは正直に言った。

「けど、恨もうとも思わねえ」

「どういうことだ?」

「たしかにまいった。どうしようもないことになっちまった。けどよ、あいつはあいつで必死にがんばってる。正しいことだってそれなりにしてる。いまあいつは、ベテランたちの中で突然団長って立場になって、どうしていいかわからねえでいるんだ。その結果めちゃくちゃになっちまったが、しょうがねえ。なにもかも、そううまくいくわけがねえんだ。だからよ、むかしおれがハーツにそうしてもらったように、おれもあいつを助けてやりてえんだ」

「……」

「おれだってハーツに助けてもらわなけりゃ、とんでもねえチンピラだったんだぜ」

 アシクは黙っておれの目を見据えていた。それが、ふっと肩の力を抜いて小さく笑った。

「お前はやさしすぎるな」

 呆れているようにも見えた。しかし、心なしかうれしそうだった。

 アシクは女がされたら一瞬で溶けちまうような熱い眼差しで言った。

「わかった。おれはオーキーズに残る。お前の魂を、ハーツの約束をおれが果たす。男を賭ける。ニダイはおれに任せろ」

「アシク……」

 やっぱりアシクは熱い男だ。女の欲は平気で捨てても、男の約束は一瞥できねえ。おれはこいつの親友であることが誇りに思えた。

 アシクは腕を組み、やや改まって言った。

「しかし、これからどうするんだ?」

「まあ、とりあえずギルドの生活課に行くよ。新しい職を探さなきゃならねえし、寮を出ることになるだろうから、そのへんの手続きもしねえといけねえしな」

 そう言うと、アシクはフフっとニヤけ、

「マナがなんて言うかな」

「うっ!」

 おれはぐりっと心臓を握られたような気持ちがした。そうだ、生活担当はマナだ。あんまり気落ちしてたもんだからすっかり頭から抜けてやがった。別にあんなガキふだんなら軽くいなしてやるところだが、追放と聞いたらうるせえに決まってる。ぎゃーぎゃー騒いで、挙げ句の果てになにを言われるかわかったもんじゃねえ。

 い、行きたくねえなぁ……

 アシクはおおかたマナの言動を想像してるらしく、クックッと笑いを漏らし、

「いい仕事見つかるといいな」

 と他人ごとのように言いやがった。お前、ひとの気も知らねえで……

 いや、知ってるから笑ってんのか。おれが行きたくねぇってのをよーく知ってるから、そんなふうに笑ってんだよなぁ。

 ちくしょう、行くさ。行くしかねえんだから。行って、お前が安心するような仕事先を見つけるさ。でも……ああ、行きたくねえなぁ……

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