15 男は喧騒を求めて酒場に寄す
おれの生命力はひとと比べてずば抜けている。医者は一週間は不自由するだろうと言ったが、ありがたいことに三日もすると包帯越しにものを掴めるまで回復した。
そのあいだ、異国人三人組はアシクに頼んでオーキーズの探索に参加させてもらった。アシクはこんな頼もしい探索者はいないとよろこんでくれた。実際、かなり役に立ったらしい。ふだんの倍近く獲物が取れたそうだ。ベテランにも勝るいきおいだとよ。おれも聞いてて鼻が高かった。
この三日のあいだ、マナは実に献身的に世話をしてくれた。始終おれに付き添って、なにかあったらと夜もいっしょに過ごした。
おれもマナがきらいなわけじゃない。これだけしてもらえれば気持ちに応えたくもなるし、おれにだって男として生まれた欲もある。だが、ひとつの人生を預かりうる行為はそう簡単にできることじゃない。もっとも、あれ以来マナは求めてこなかった。
「てめえの世話をしてるだけでおれはしあわせだよ」
本音か嘘か、女ごころのわからねえおれには判断できねえが、そんなことを言ったりした。
そんなこんなで手をやけどしてから四日目、おれはそろそろ酒場に行かねえかと提案した。
酒場——それは男のロマンであり、男が最も癒される場所と言っても過言じゃねえ。
たしかに寮で飲む酒もうまい。ソネの料理もうまいし、そこは申し分ねえ。しかしやはり、酒というもんはあの喧騒の中で飲むのが最高なんだ。荒くれ者がでけえ声でバカ話をして、脂っこくて味の濃い肉をかじりながら飲む酒に勝るうまさはねえ。料理のスパイスは味だけじゃねえんだ。美女四人に囲まれてなんの不満があるんだって話だが、男ならわかるだろう。酒ってのはそうじゃねえんだ。男の世界、男のロマンなんだよ。
酒場に行くことにはだれも反対しなかった。マナもクゥも乗りだし、ソネもふだん食ったことのないものが食えるとよろこんだ。クユリだけは、どうでもいい、という顔をしていたが、こいつはいつもそんなもんだ。
三人が寮に戻ってひと段落し、陽が沈みかけるころ、おれたちは酒場へと向かった。
「おう、ゴリ! ひさしぶりじゃねえか!」
扉を開けた瞬間、さっそく呑兵衛たちから大声で歓迎された。
「アシクから聞いたぜ! 手はもう大丈夫なのか?」
「おいおい、追放されたんだろ。どうしたどうした」
「巨乳のねーちゃんと暮らしてるって聞いたぞ!」
おれは、立ち上がって手を伸ばすむさい男たちにひとりひとり握手しながら「ああ」だの「こう」だの言葉を返していると、
「おう、そこのねーちゃんたちがゴリの仲間かい? なんだ、マナもいるじゃねえか」
あとから入ってきた四人を見て、呑兵衛のひとりが言った。
「そうさ、こいつらが新しくできたボード調査団の団員だ。さっそく紹介しよう。赤毛の明るいのがクゥで、黒髪のクールなのがクユリ、森の民がソネだ。みんなよろしく頼むぜ」
「嬢ちゃんたち、よろしくな! げははは!」
呑兵衛たちは相変わらず汚らしい声と下品なツラで新参者を受け入れた。しかしいまにして思うと、若い女をこんなところに連れてきてよかったのか。なんせ女ってヤツは清潔感を好み不潔をきらうもんだ。ここは店中食いもんと酒、たばこの匂いが充満し、客はほとんど汗臭え男だらけ、マスターだけは落ち着いた服装でもの静かだが、数人いるウェイトレスは足や胸のはだけたセクシーなねえちゃんで、便所は男女共用だ。マナは以前から来てるからいいとして、こいつらはどう思うだろう。
と、それは杞憂だった。
「あっははは、あたしはクゥ、よろしくね!」
「クユリだ」
と、ふたりはまるで通い慣れた店のようにズカズカ入り、ほどよい丸テーブルに着いて、
「マスター、あたしエール!」
「わたしはウィスキーをもらおう」
と酒の注文までしやがった。あとで訊いたらふたりは酒場慣れしていた。クゥは実家が傭兵団なもんで日常的に男臭え酒場に入り浸ってたし、クユリも旅の中でよく利用していたそうだ。唯一不慣れなのはソネで、
「ゴリ、臭い! 汚い! 早くおいしいもの食べたい!」
とおれの服を引っ張った。
「わかったわかった、おれたちも入るぞ」
「ソネ、いっぱい食べる!」
おれたちはテーブルに着き、めいめい酒やメシを注文した。
しかしおれたちのことはけっこう話題になっていたらしい。追放されたおれが女ばかりの団を結成して、早速鹿狩りを成功させたことは、どこかしこで評判になっていた。
「そりゃあそうさ! ほとんど女のパーティーで鹿狩りなんてとんでもねえ! おれはゴリが追放されて気が狂ったと思ったぜ!」
「んだんだ、おれも下らねえ嘘っぱちかと思っただ。んだけど、アシクが言うんじゃ嘘じゃねえかんなあ」
「おいおい、お前らアシクが言うなら信用して、おれだったら信用しねえのか」
「うん」
「うんって、おい!」
おれたちは主に近況を交えながらバカ話をして、おおいに笑った。ひとをバカにしたり、自他の失敗を笑ったり、クソやらスケベやらの話をしたり、下品にもほどがあった。
しかしこれが心地いい。お上品な育ちの人間にはわからねえかもしれねえが、こういう話をして酒飲んで騒ぐのがたのしいんだ。思うにこれが本来の人間の姿なんだろうな。最近は頭の固えヤツが増えて、頭のいいお話をしましょ、いっぱいお勉強して偉くなりましょ、笑うときはお口元にお手手を添えて、お上品にお笑いになりましょ、なんてクソ下らねえことしてやがるが、冗談じゃねえ。いいか、人間ってのは、酒場でバカみてえに酒のんで、クソみてえな話をして、下品にガハガハ笑うヤツのことを言うんだ。これが人間の営みってヤツなんだ。お上品なんてクソ喰らえだ。
おれはひさびさに酒場に来たよろこびで、ついそんな演説をしちまった。するとその場にいた十数人の呑兵衛たちは大声で「その通りだ!」と拍手喝采をくれやがった。どうやらおれの考えは間違ってねえらしい。世間とズレてねえみたいで安心したぜ。
しかし飲んでいるうちに、あることに気づいた。この店はだいたい五十人前後が居座れるでかさで、オーキーズの常連も多い。が、どうも客が少ない。いまごろの時分はとっくに満席になってもおかしくないのに、まだ半分近く席が空いている。
と、そこに、
「おっ! お嬢ちゃんが来たぞ!」
「お嬢ちゃんじゃありません! ぼくは男です!」
扉を開けて男(?)がふたり入ってきた。
「おう、アシク! アラト!」
「ゴリさん!」
おれを見たアラトはお嬢ちゃん扱いされてムキになっていた顔をぱあっと明るくし、一直線に駆けてきたかと思うと、
「ゴリさん、会いたかった!」
またもやおれに抱きつきやがった。
「ば、バカ! 抱きつくなっつうの!」
「だって、ゴリさんと会えたのがうれしくって!」
だからって男同士で抱き合うヤツがあるか。おれはホモじゃねえぞ。
しかし女ってのはわからねえもんで、
「あ、いいな〜! あたしもゴリに抱きつきたいのに!」
とクゥが突然言い出して、立ち上がったかと思うと、
「えいっ!」
こいつ抱きついてきやがった! や、やわらけえ! おいおい! なにがどうなってんだ! たしかにスキンシップの多いヤツだし、ずいぶん酔っ払ってるみてえだけど、おいおいよぉ!
おれは右半分をアラトに抱きつかれ、左半分をクゥに抱きつかれ、そこに、
「て、てめえ! 男なら許すが女は許さねーぞ!」
またもや顔を赤くしたマナがプッツン切れ出して、
「ならおれはこうだ!」
と真正面に飛びついて来やがった。ど、どうすりゃいいんだおれは! なんなんだこれは!
「はははは! てめえカッチカチじゃねえか! おれに抱きつかれたのがそんなにうれしいのか!」
「ち、違え!」
「あっははは、あたしだよね。だって、こんなナイスバディ押しつけられちゃったら、男ならしょうがないよねえ。あははははは!」
「いや、だから!」
「えっ、まさかぼく……」
「そ、それだけはねえ! つうかお前ら離れろ! 酒が飲めねえ!」
おれは必死の思いで三人を振り払った。まったく、冗談じゃねえ。童貞だぞおれは。アシクのやろうも、笑ってねえで助けろってんだ。
「よお、モテモテだな」
「笑いごとじゃねえぞ」
「まあ、いいじゃないか。それよりちょっといいか?」
アシクはそう言ってカウンター席におれを誘った。澄ました顔でなにげなく言ったが、おれは不穏な気配を察した。どうやら話があるらしい。
おれは席を立ち、アシクとふたりきりでカウンターに並んだ。
「どうした?」
そう訊くと、アシクは神妙な顔をし、小声で言った。
「三十二人、追放された」
「なっ!?」
「試験を受けたのは四十八人。事務方の七人は当然受かった。おれみたいに元々読み書きのできるヤツもな。でも、戦士のほとんどが落第になってしまった。何人かは必死に勉強して及第点を取れたが、それでもこんなに落ちてしまった……」
「そんな、じゃあオーキーズはどうなる?」
「あいつ、そのために新人を三十人も入れやがったんだ。てめえの王国を作るために……!」
アシクは怒りに燃えていた。これまで抑えていたらしい感情が、おれに話した途端どっと押し寄せて火がついた。この温厚な男が言葉を荒げ、拳を握りしめている。おれは、親友の怒りと、かつての仲間たちの境遇を知った悲しみでなにも言えなかった。
「落ちたヤツらは有無を言わさず追放だ。もちろんみんな抗議した。追い出すにしたって追放じゃなくて退団にしろ、じゃないと今後別の団に入れなくて困るってな。そしたらあいつ、それは知りませんでした、もう追放処分にしてありますって言うんだ! ふざけやがって!」
「なんだと!?」
おれは怒りのあまり立ち上がった。あいつ、おればかりじゃなくほかのヤツらまで追放に!
「それを聞いてみんなどうしたと思う? ほとんどいなくなっちまった。事務方から五人、残った戦士もほとんどがオーキーズをやめちまった。残ったベテラン中堅はおれを含めて五人だけだ。あいつらは追放された連中と新しく団を作るってよ。実質、団の壊滅だ」
アシクは落ち着いたトーンでつらつらと言った。しかし冷静でないのは、頼んだわけでもない酒をカウンターから勝手に取って、コップに注いでいるのを見ればわかった。アシクはそれをひと息に飲み干し、
「ゴリ、これでもあいつを擁護するのか!?」
と、立ち上がって怒鳴った。こいつ、ひと払いした意味がねえ。冷静なはずの男が、こんなにも怒り狂ってやがる。飲む前から”シラフ”じゃねえ。いまので店内はシーンと静まり返っちまった。
おれは、全員の視線と、アシクの燃え盛る眼差しを受けながら、静かに言った。
「それでも、おれはあいつを助ける」
「ふざけるな! いくらハーツの遺言だからってこれ以上付き合ってられるか! あいつはハーツの団を穢したんだ! ハーツの魂をそぎ取ったんだ! 仲間を、家族を蹴落としたんだ! おれはもう降りるぞ! おれもオーキーズを抜ける!」
そう言ってテーブルを叩くアシクに、
「はじめからできるヤツなんていねえ!」
おれはほとんど反射的に怒鳴り返した。アシクはまるでおれにまで怒りをぶつけるように、こわい目で次の言葉を待っていた。
おれは、一拍の沈黙の中で、言った。
「……おれは、間違ったことを言ってるかもしれねえ。そんなひでえことするヤツの手助けなんかする方がおかしいかもしれねえ。でも、お前はむかしのおれを知ってるだろ? 何人も殴り飛ばした。散々盗みをやった。やってねえのは殺しと強姦だけだ。ハーツがかばってくれなきゃ、きっとおれは死罪になってた。もちろんお前は罪なんて犯したことねえから、ニダイをかばう必要なんかねえ。いやなら辞めるってのもしょうがねえ。ただ、おれからの頼みだ。あいつを……あのどうしようもねえ間違ったバカを見守ってやってほしい。だってあいつは、ハーツの残した一粒胤じゃねえか」
「……」
アシクはじっと黙った。そう、いくら遺言だからといって、罪人を助ける義理なんざねえ。ニダイはもはや罪人だ。罪もない、善なる仲間を蹴落とし、自分のためにひとをひととも思わねえ所業をしやがった。許されることじゃねえ。でも、あいつの親父は許されるはずのねえおれを救ってくれた。どんなに手をかけても暴力で返そうとするおれを、言葉で、拳で、そしてまごころで守ってくれた。なら、そのせがれが間違ってたらどんなに手間でも助けてやりてえじゃねえか。
アシクは目を瞑り、ため息とともに座った。そしてまた勝手に酒を注ぎ、ゴクゴク音を立てて飲んだ。
「……ゴリ、これは貸しだぞ」
「アシク!」
おれはパアッと笑顔になった。アシクは細い息を吐き、
「お前にそこまで言われたら、おれだっていやとは言えねえ。それに、アラトの世話もしたいしな」
「うん、うん!」
おれはうれしくって犬みてえにうなずいた。やっぱりアシクは最高だ。魂の絆だ。こいつはおれの魂を救うためならどんな苦難にも立ち向かってくれる。もちろんおれもだ。こいつのためなら手足がちぎれようとも立ち向かうさ。いまだってアシクは貸しだと言ったが、おれたちのあいだにはいくつ貸し借りがあるか数え切れねえ。男ってのは、そうでなくちゃいけねえんだ。
「騒がしてすまなかった」
アシクはふところからけっこうな金を出し、マスターに放った。
「迷惑料だ。これでみんなに酒を」
「おや、こんなに。いいんですか?」
マスターが穏やかながらも目を丸くして言うと、
「独身だと、使うことろがなくってな」
アシクは立ち上がり、
「みんな、盛り下げてすまなかった! きょうはおれのおごりだ! 好きなだけ飲んでくれ!」
途端、呑兵衛たちの大歓声がわいた。「男前!」「男の中の男!」とその場のノリでひり出た喝采がそこかしこで叫ばれた。
「さ、席に戻って飲もう。明るい話もしたいしな」
アシクはそう言っておれを元のテーブルに連れ立った。
「いいのか、あんな大金」
「いいのさ。お前だってしみったれたのはきらいだろ?」
そう言ってフッと笑うアシクは、惚れ惚れするようなシブい笑みを浮かべた。まったく、本当に男前なやろうだ。
……ところで、おごりってのは”おれ”も含まれてるのかな? ……含まれてるよな?
よーし、いっぱい飲むぞ!