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14 望まれなかった子

 ソネの解体のうまさには驚いた。あのでかい鹿をベテランよりも早く処理してしまうんだから相当な技術だろう。訊けばふだんから弓矢で狩りをし、ひとりでバラして調理していたらしい。なるほど、狩りに関してはベテランってことか。足手まといになるかと思いきや、案外拾いものだった。

 カエンツノジカはふつうの鹿と違い、肩から首の根本にかけて燃料袋という器官がある。これが首の後ろを通して角に繋がっており、火の燃料を供給している。

 この燃料が高い。鹿の肉はふつうの鹿よりクセがあり、家畜の餌にしかならないが、この燃料袋は便利さと入手の難しさが相まってかなりの高額で取引されている。

 街へ戻ったおれたちは早速ギルドに納品した。マナとアシクが書類を書き、数日遅れでギルドの調査団口座に金銭の処理が行われる。肉はついでに二束三文で扱ってもらえるが、ソネがおおいに反対した。

「ソネ、これ食べるよ! ソネ料理得意だよ!」

 おれとアシクはこんなもの食えねえと反対したが、結局持って帰ることになった。

 一応壁の向こうの植物で作れる安価な防腐剤があり、腐らせる心配はないが、食えもしない生きものの死骸を寮に置いておくのは抵抗があった。

 だが、

「う、う、うまい!」

 おれたちは今日の仕事の成功を祝って、昼、うちの寮の庭でバーベキューをした。ソネがどうしてもと言うので鹿肉を焼いてみたら、あんまりうまくて驚いちまった。

「ほら、おいしいでしょ。ソネ料理得意だよ」

 なるほどこりゃ名人だ。あんなにまずい鹿肉を、ひと切れ焼いて食っただけで味付けの方法を判断し、完璧な下ごしらえをしちまうんだからよ。おかげで昼飯はおおいに賑わった。アシクも、

「お前の新しい仲間には驚かされるな。正直女だと思ってナメていたが、強いばかりじゃなくこんな芸当までできるとは、恐れ入ったよ」

 とほめてくれた。おれァうれしかったね。こいつらはベテランに認めてもらえたんだ。なんだかおれまでほめられたような気がしてニコニコしちまったぜ。

 手の使えないおれはマナに酒と肉を食わせてもらっていた。すると、アラトがトコトコ傍までやって来て、

「ゴリさん、今日は本当にありがとうございます」

「おう」

「助けてもらっただけじゃなくて、ぼくみたいな足手まといにこんなおいしいもの食べさせてくれて」

「なに言ってやがる。おれたちは仲間だぜ」

「仲間……」

「ああ、仲間だ。団は違くても同じ探索を志す仲間だ。助け合うのは当たり前だし、仕事が終われば笑顔でメシを食う。そういうもんだろ」

「……」

 アラトはだいぶ感激しているようだった。ほほを赤くして、目をウルウルさせてやがる。別に特別なことを言ったつもりはねえんだけどな。たぶん若者との文化の違いのせいだろう。いまどきの若いもんは、仕事あといっしょに酒飲んで騒いだり、助け合ったりせず、いかにライバルを出し抜くかでギスギスしてるらしい。そういうのはドライでいけねえ。おれたち探索者はもっと気さくで、陽気で、仲よくなくちゃな。

「ぼく、ボード調査団に入りたいです!」

「え!?」

「ぼく、ゴリさんが大好きです! ゴリさんといっしょにいたいし、ゴリさんみたいに強くなりたいです! だから……」

 おれは困っちまった。たしかにこの業界、団を渡り歩くことは珍しくねえ。仕事内容や人間の絡みで移籍するなんてままあることだ。

 しかしこいつはオーキーズ期待の星で、アシクの受け持ちだ。アシクも肉に噛みついたまま固まってやがる。

「悪いが、そりゃだめだ」

「そんな、どうしてですか?」

「うちはまだひとつも契約がねえ。これからメシ食ってける保証がねえんだ。下手にひとは増やせねえ。それにお前はオーキーズがいやでそう言うわけじゃねえんだろ?」

「はい……」

「ならアシクに教われ。あいつは頭がいいし、腕もおれとほぼ変わらねえ。いまはまず慣れることだ。いいな?」

「わかりました……」

 アラトは少し悲しそうに微笑んだ。ま、おれみたいな強え男に憧れるのは当然だが、義理ってもんがあらあ。アシクも口には出さねえが、見るからにホッとしていた。

「団に入るのは無理だけどよ」

 おれは落ち込むアラトに言った。

「おれは毎晩のように酒場に行くからよ、そこでならいろいろ教えてやってもいいぜ」

「ホントですか!?」

「ああ、もちろんだ。もっとも二、三日は手が使えねえから行かねえけどな。四日後に会おうぜ」

「やったー!」

 おいおい、抱きつくな。お前はなにかっていうと抱きついてくるな。それでも男か。男ってのはもっとどっしり構えて、目と目で会話し、無言の中に真の言葉を持つもんだぜ。まあ、それをおれに教えてくれたハーツはとにかくガハガハしゃべるひとだったけどよ。

 昼メシを終えるとアシクたちはオーキーズの事務所に戻り、おれたちは団の地盤を固めるべく行動を開始した。

 おれとマナはニドネルへの報告を兼ねてギルドに向い、クゥ、ソネ、クユリは寮の整備をすることになった。

 ニドネルはおれの手を見てずいぶんと慌てたよ。

「大丈夫かい? え、鹿の角を素手で? よくそんな危険なことを……なに? 一週間もすれば治るから大丈夫だって? バカを言っちゃいけない。そりゃ君の生命力なら治りは早いだろうけど、せめて二週間は休まなくちゃだめだ。マナにもしものことがあったらどうするつもりだい? 仕事ならいいのを用意してあげるから、必ず安静にしてなくちゃいけないよ。しかしそれでどうやって生活を? なに、マナが手の代わりに? そうかい、それはよかった。へえ、下の世話まで。うんうん、ここに来る前に、うん、トイレに入って、クソの世話まで! そうかい、マナ、君は本当にいい子だね。なに、別にいい子じゃないって? 好きな男のものなら汚いものなんてない? いやいや、そう簡単にできることじゃないよ。これは大変な仕事だよ。それを笑顔でやってのけるなんて、本当に偉いねえ。ゴリ、マナを大切にしないといけないよ。こんないい子そういないんだからね。とにかく、こんな難しい仕事をよくがんばったね。実は危ないことをさせたと思って後悔してたんだ。やはり君に任せて正解だったよ。評判になったらすぐにいい契約が取れるだろうから、とにかくいまは君たち以外のメンバーにごく簡単な仕事だけしてもらって、おとなしくしてるんだよ。いいね。それじゃあ安静にね」

 こんな調子で仕事は取れなかった。まあ、たしかにおれが動けないんじゃしょうがないか。あいつらが強いったって探索に関しちゃ素人だしな。いまはアシクに協力要請でも出して、ゆるい仕事に二次業者として参加させてもらおう。一次業者に比べて実入りは減るが、それでもしっかり稼ぎになるし、探索に出ればそれだけ慣れられる。早速明日にでも話してみよう。

 そんなこんなで寮に戻り、そういう話で落ち着いた。とくに反論もなかったし、クゥなんかはいち早く実家に仕送りがしたいから働けるならなんでもいいとせがんできた。

 そうだ、うちもわけありが多いんだった。クゥは親父さんが倒れて実家が貧乏だし、ソネは追放者で大食らいの金欠だし、そもそもおれが追放者だ。クユリはなぜか金持ってやがるが自分のためにしか使う様子はねえ。そういやこいつ、なんでこんな金持ってんだ? 旅人らしいが、荷物はキセルと金だけで、着替えのひとつも持ってねえ。いったいなにを持って日銭を稼いでいたんだか。まさか泥棒じゃあんめえな。

 おれはその夜、マナとそんなことを話していた。

 おれたちは、おれの部屋でふたりきりで、おれは全裸だった。

 おっと、変な想像しちゃ困るぜ。いやらしいことしてるわけじゃねえ。甲斐甲斐しくもマナがおれの体を湿ったタオルで拭いてくれてるんだ。ふつうなら女の子にこんなことさせて申し訳ねえし、恥ずかしくっていらんねえだろうが、これはマナの方からやるって言ったことだし、おれは四人の女にしょんべんするとこ見られて、さらにはこいつにケツの穴まで処理してもらって、もう素っ裸くれえじゃ恥ずかしくなくなっちまった。慣れってのは怖いねぇ。

 しかしこいつもよくやってくれるよな。いくら好きっつったって下の世話だぜ。愛ってのはそんなにすげえもんかね。まあ、おれも母さんが両手をダメにして困ってたら、してやったかもしれねえから、そんなもんかなぁ。

「さ、終わったぞ」

 マナはベッドの上に寝そべるおれの足先を拭い、言った。部屋は植物油のランプでオレンジ色の薄い灯りに包まれていた。

「すまねえな」

「いいって言ってるだろボケナス。それより、今日はもう遅えから今後の予定はまた明日話そうぜ」

「そうだな。ありがとう、本当に助かったよ」

「まったくだぜ。てめえちゃんと皮剥いて拭えよな。カスが溜まってたぞ」

「う、す、すまねえ……」

「まあいいよ。きれいにしたからよ。それに、まだ汚れが残ってたらおれの口できれいにしてやるからよ……」

「は?」

 マナはランプの方に手を伸ばし、ふっと灯りが消えた。

 一瞬で闇が訪れた。

「おい、マナ?」

 ――ぎしっ。

「おい……」

 ――ぎいっ。

「な、なにしてんだ?」

「わかんだろ?」

 おれの目の前から吐息混じりの声がした。

 おれに重なるように、軽い人間の重みがあった。

「わ、悪い冗談はよせ」

「……冗談でこんなことができるかよ」

「やめろ、おれにそのつもりはねえ」

「……でも、もうこんなになってるじゃねーか。おれも、そうなってるんだよ」

 ゆっくり、吐息が降りてきた。おれはまだ触れれば激痛の走る手を上げ、マナの肩であろう場所を止めた。

「だめだマナ、やめてくれ」

「なんでだよ……そんなにおれがきらいか?」

「別にきらいなんかじゃねえ。むしろお前は妹みたいで好きだ。けど、それはだめなんだ」

「好きならいいじゃねーか。おれは、本当に好きなんだよ。てめえを愛してるんだよ」

 おれの体はマナの言葉ひとつひとつに反応した。

 吐息がおれを熱くした。

 触れる手足が熱くした。

 のしかかる重みが熱くした。

 伝わる想いが熱くした。

 おれの体は熱くなって、いますぐにでもマナを受け入れるかたちになっていた。

 でも、それだけはいけない。

「悪いが絶対にだめだ」

「なんでだよ……」

 ぽつ、ぽつ、とおれの顔にこぼれるものがあった。

 ――あっ……

「……おれ、てめえが本当に好きだからなんでもできたよ。汚ねえところだって世話したよ。でもよ、別に見返りなんか求めちゃいねえよ。それでおれを好きになってもらおうなんて思ってねえよ。でもさ、こうして好きな男の裸を拭いてたら、どうしたってそういう気持ちになるよ。その体でおれのこと抱きしめてほしいって思うよ。嘘でも……嘘でもいいから、愛してほしいよ……」

「マナ……」

「そんなにおれじゃだめかよ……」

「違う……違うんだ」

「なにが違えんだよ……」

 おれは言葉に詰まった。

 わけを話したくない。だれだってひとに話したくないことがある。きっとマナにも、ほかのみんなにもあるはずだ。おれはいままでだれにも話さなかった過去がある。だれにも話したくない、暗く、陰鬱な事実がある。唯一知っているのは、知ってしまった母さんとニドネルだけだ。もちろんふたりとも秘密にしてくれると言った。それでも、おれは知られてしまったことが本当にいやだった。思い出すだけでどうにかなってしまいそうなことを、ひとに話すなんて考えられなかった。

 だが、こうなれば、もう話すしかないと思った。マナを泣かせてしまったのだから。わけさえ話せばマナにもわかってもらえるかもしれないから。

「……おれは、子供を作るのが怖い」

「……なんだよそれ」

「……だって、もし望まれねえガキが生まれちまったらどうする」

「なんだよその望まれねえガキってのは。ガキは愛し合って生まれるもんじゃねえか。ガキが欲しいって愛し合うんじゃねえか」

「お、おれは……」

 おれは口に出すのを躊躇した。口に出すのがいやだった。それでも、悲しませてしまったマナに事情を知ってもらうために、魂を絞るように言った。

「おれは、望まれねえガキだったんだ……」

「えっ……」

 おれは、口にした途端、目尻から涙がつうっとこぼれるのを感じた。体中の熱が失せていくのがわかった。マナを押さえる腕の力も、もうほとんど脱力していた。

 声が震えていた。息も震えていた。頭がぐわんと揺れた。

 ――お前なんか産まれなければ!

(やめてくれ母さん!)

 ――お前ができたから、あたしはあんな男と!

(そんなこと言わないでくれ、母さん!)

 思い出すな! 消えろ! 消えてくれ!

 ――お前なんか生まれなければよかったのに!

 やめてくれ!

 ――お前が生まれたから! お前なんか身籠ったから!

「やめてくれ、母さん! 母さん!」

「母さ――」

 おれはハッとし、現実の意識を取り戻した。

 おれは気がついたら体を起こし、マナの胸に抱きついていた。

 マナはおれの頭を強く抱きしめていた。

「……落ち着いたか?」

「はあっ、はあっ……」

 荒い息をしていた。合間に嗚咽をもらしていた。

 だが、次第にそれは落ち着き、いつもよりやや乱れた程度に収まった。

 マナはランプに火を入れ、無言のままおれに服を着せてくれた。おれはなにも言えず、ただベッドに腰掛けていると、マナは棚からシードルとコップをふたつ取り、隣に座って飲ませてくれた。あまり強くない渋みのある酒がのどを潤すと、おれは一層落ち着きを取り戻した。

「ありがとう、落ち着いた」

「いいよ、それより悪かったな。てめえがそんななのに無理やりよ……」

「いや、知らねえんだからしょうがねえ。おれの方こそすまねえ……」

 少し、無言があった。どちらも言葉を発しかねていた。

 マナがぼそりと言った。

「泣くほどいやなことがあったんだな……」

「……」

 おれは黙していた。マナはまたコップを口まで近づけ、おれはごくごく音を立てて飲んだ。

「おれの産みの親は、哀しいひとだった」

 おれはポツリと言った。

「尻の軽い女だった。だれとでも寝るようなヤツだった。親父と繋がっているときも、愛なんか感じなかったそうだ。本人が言ってたから、そうなんだろう。それで、おれが生まれたから親父といっしょになった。でも、ふたりは毎日喧嘩ばかりしてた。母親の顔はいつもあざだらけだったし、親父も切り傷だらけだった。おれもよく殴られたし、怒鳴られた。それで、喧嘩が終わるといつも言うんだ。お前なんかが生まれたから、お前がいなければあんな男なんかとって……」

 おれの声はまた震えていた。背中がガクガク言っていた。

「毎日、毎日、夜になるとおれを……毎日よぉ……」

「いい、話すな!」

 マナはまだ酒の入ったコップを手放し、おれの背中を強く支えた。

 酒がこぼれ、床と足を濡らした。

 おれは肩で息をし、痛む右手でひたいを抑え込んだ。

「おれは……おれはよぉ……」

「もういい! もう話さなくていい!」

 また涙がボロボロあふれてきた。嗚咽が止まらなかった。呼吸が止めどなく荒れた。

「もういいから……」

 足元で泡立つシードルが不規則な形状に床を這った。しゅわしゅわという小さな泡の音と、おれのしゃくりあげる声が、無音の夜に響いた。

 その日、おれはマナと並んで眠った。ひとりじゃいられなかった。忘れよう、忘れようと思えば思うほど、いやだった日々が鮮明によみがえった。

 マナは小さな声で子守唄を歌ってくれた。とてもやわらかくて、あたたかい声だった。

 おれはまどろみの中、もうひとりの母さんの夢を見た。暴力に狂ったおれを救ってくれた、やさしいやさしい、愛する母さんの夢だ。

 夢の中の母さんは、リビングでうたた寝するおれに微笑んで、そっと布団をかけてくれた。おれは、それに気づいていたけど、うれしくてわざと気づかないふりをしていた。窓から差し込む日差しが部屋に淡い影を作り、小鳥のさえずる声が聞こえた。

 やがておれは、ゆらゆらと眠りについた。

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