10 新芽は青く水の香の漂う
寮に戻ったおれたちは早速仕事が決まったことを話した。
「鹿狩り? ずいぶん簡単そうだね」
と、クゥは気楽そうに言った。しかしおれの話を聞くにつれて鹿狩りの難しさ、恐ろしさを理解したらしく、
「あはは、一発目からずいぶんこわい仕事だね」
と苦笑した。
ソネが「それよりごはん食べたい」と話を聞かない横で、クユリが、
「なるほど」
と口を開いた。
「つまり、マナとソネを守りながら狩りをするわけだな」
「その通りだ」
おれがそう答えると、クユリはたばこの灰を捨て、ぼそりと言った。
「ならわたしが護衛をしよう。動き回るのは好きじゃない。狩りはお前とクゥに任せた」
「ひとりで護衛を?」
おれはそのあまりに無茶な意見につい眉をひそめた。
「そりゃ無理だ。相手が一匹ならともかく鹿は仲間を呼ぶ。そうなると攻めより守りが圧倒的に重要になる。クゥも護衛に回そう」
「その必要はない」
クユリはふたたびたばこに火をつけ、言った。
「わたしひとりで十分だ」
「おいおい……」
おれはどうにも困ってしまった。クユリという一見冷徹に見えなくもない人物が自らチームワークを提案してくれたのはありがたいが、その作戦は素人考えと呼ぶほかない。相手は猛獣だ。人間のフットワークでは捌ききれない。クユリが単独でどれだけやれても、どうしたって敵はマナとソネにも矛先を向ける。ふたりはきっと鹿の突進は避けられないし、少なくともマナは無理だ。だから護衛には敵を牽制し、攻めっ気を持たせない陣取りが必要になる。おれはその重要性を懇切丁寧に説明したが、
「ならお前が中間をやれ」
クユリは細く煙を吐くと、氷のにおいのする目で言った。
「お前は探索者として獣相手を熟知しているのだろう。ならお前が自由な立ち位置で動けばいい。クゥは守りには向かない。遊撃に向いている。そうだろう?」
「あ〜、たしかにそうかも」
クゥは両の腰の斧を取り、簡単なジャグリングをしながら、
「あたしってほら、乱戦ばっかしてたじゃない。海賊船とかアジトとかに乗り込んで、相手を引っ掻き回して戦うのが得意だったからさ。なんて言うか、背中気にして戦うの苦手なんだよね。あっははは」
「そういうことだ。だからゴリ、お前が守りに加われ。そして必要ないことがわかったらさっさと攻めに回れ」
「まあ……そういうことならよ……」
「それと、あらかじめ言っておくがわたしは攻めには回らないからそのつもりでいろ。獲物追いかけて汗まみれになるのだけはごめんだ」
それだけ言うと、クユリは話は終わったと言わんばかりに明後日の方向に煙を吐いた。細く目を開け、雲か鳥でも見ているらしい。
おいおい、大丈夫かこれ? こんなんで当日意思疎通ができるのかよ。クゥはクゥで「大丈夫、あたしがぜんぶやっつけちゃうから」なんて調子のいいこと言ってるし、ソネはソネで「早くごはんごはん」とうるせえし。
あとでマナに言われたよ。
「あれで大丈夫なのか?」
おれは、
「まあ、なんとかなるさ」
としか答えなかった。根拠はねえが、そう答えるほかねえ。それに実際調査団なんてこんなもんだしよ。探索をやろうなんてヤツはたいてい荒くれ者かうつけ者で、言うこと聞かねえなんてザラだ。おれもそうだった。なにも知らねえくせに知った顔してハーツに盾突いてばっかでずいぶん困らせたもんだ。それにいくら綿密に作戦練ったところで、実戦がはじまりゃもう思い通りになんか動けねえ。せいぜい決められるのは役割くらいだ。それを話すとマナは、
「そうかよ」
と気に入らなさそうに自室へと消えて行った。その後の夕食のときもずいぶん不機嫌そうだった。こいつも我が強えからなぁ。食いながら明日の話をしてるときも「てめえらヘマするんじゃねえぞ」なんて喧嘩売るみてえな言い方して、クゥが場を和ませなかったらいやな感じだったぜ。まあ、そんな悪態もソネの食欲を見て真っ青になるまでのもんだったけどよ。あいつは団長だからな。収益も支払いもあいつの懐だ。え? 男のくせにメシ代を出さねえのかって? おいおい、いまの世の中男女同権なんだぜ。団長様のお仕事を部下のおれが奪うわけにはいかねえだろうよ。なあ。
そんなこんなでその日は酒も控えめに寝て、お月さんが通り過ぎて当日が来た。
「よお、アシク」
「ゴリ!」
雲ひとつない晴れ空の下、おれはアシクと顔を合わせた。アシクはおれの首根っこを抱えるように腕を回し、
「おい、驚かせやがって。なにが仕事を探すだ。昨日の今日でまさか団を結成してるとはな」
「それがいろいろあってよ。しかし……」
おれもアシクの肩に腕を回し、言った。
「まさかこんなに早くお前と仕事ができるたァ夢にも思わなかったなぁ!」
「おれもだゴリ! 心配させやがって!」
おれたちはしばし仔犬がじゃれ合うみてえに首根っこを引っ張り合った。こいつといるとついガキみてえになっちまう。もういい歳なんだぜ。それがひと目があるってのに恥ずかしげもなくバカみてえによ。アシクもアシクだ。こいつオーキーズの新人を三人も連れて来たんだぜ。そいつらの見てる前でそんな顔見せていいのかよ。まあ、それを言ったらおれも似たような境遇だけどよ。
おれたちはひとしきりバカをやり、肌にうっすら汗を浮かせて肩を並べた。東から横切る朝日の奥にそびえ立つ巨大な壁を見上げ、おれはなんともすがすがしい心持ちで言った。
「いい日和じゃねえか」
「まったくだ」
アシクはそう言って微笑んだ。
「しかし……」
背後をチラと振り返り、怪訝そうに言った。
「ずいぶんと珍しいパーティーだな」
そこにいたのはマナ、クゥ、クユリ、ソネの四人だった。全員女、しかも三人が異国人。だれがどう見たって訳ありだ。はっきり言ってふつうじゃない。
「大丈夫か?」
「まあ、やってみてだな」
おれは否定するでも肯定するでもなく言った。実際そう答えるほかなかった。だって、おれもわからねんだ。これが初陣なもんでよ。
「ま、気楽に行くとしよう。いつだってそんなもんだしな」
と、アシクはさわやかに言ってのけた。こいつもよくわかってる。この仕事長いからな。どこの調査団も団員の半数は訳ありだ。おれたちはそれをよく知っている。まともなヤツの方が少ないくらいだ。しかしこの世界をまだよく知らない若者はきっと不安に思うだろう。
「アシクさん、大丈夫ですか?」
と、ひとりの青年が言った。
青年——アラト・ワッカー。歳は十五、今年養成学校を出たばかりの新人で、先週オーキーズに入団した新卒のひとりだ。背は低めで体格もそれほどではなく、顔つきは中性的で、細目で見りゃ女にしか見えねえ。実戦はこれがはじめてというが、学校では訓練、学問ともにトップレベルで、ニダイがかなりの期待を寄せているらしい。
おれは知らなかったが、ニダイは今年三十人近い大人数を新卒から取ったそうで、以前アシクの予見した「自分より下の新人で固める」という作戦は実現に向かっているらしい。というのも、あとで聞いたが現古参メンバーはほとんどが筆記試験を白紙に近いかたちで提出しており、戦闘員のほとんどが追放される見込みだそうだ。そんな中で、このアラトという女みてえな青年はのちの幹部候補として育てるべくアシクに託されたという。
アラトはおれの仲間を一瞥して、
「こんなこと言っちゃなんですが、女ばかりというのは危ないんじゃないですか? ここは言わば戦場ですよ。足手まといがいると危険です」
「こら、あまり失礼なことを言うな。お前だってはじめてだろう」
「アシクさんだってさっき同じようなこと言ってたじゃないですか」
「おれは確認しただけだ。少しは言葉を慎め」
アラトはそうとがめられたが、少しも懲りた様子はなく、
「そうですか」
と鼻で笑ってほかの新人の元にスタスタ歩いて行った。
「すまん、あいつ口ばっかり達者で」
「気にしてねえよ」
「入団当初から生意気でな。たしかに知識はあるし、動きも見た感じけっこうよさそうなんだが、どうにも傲慢でいけない。おれもいささか手を焼いてるんだ」
「まあいいじゃねえか。探索者なんてのはみんな横柄なもんさ」
おれは肩をすくめて言った。
「最近だろ、調査団に潔癖さを求められてるのは。むかしはみんなクソやろうばっかだったじゃねえか。覚えがないとは言わせねえぜ」
それを聞くとアシクはうん、と腕を組み、
「そうだな……たしかにお前をはじめて見たとき、とんでもないクソやろうだと思ったからな」
「ちょ、お前もだろ!」
やろう言ってくれるぜ。てめえだってプライドの高えクソガキだったくせによ。おれもお前も申し分なしにクソやろうだった。出会った当初はお互いのいやなとこが鼻についてよ。やたらいがみ合って、喧嘩して、まあ、探索を重ねるうちに気がついたら無二の親友になってたんだが。
ともかく——探索者はみんなクソやろうだった。おれも、アシクも、みーんな全員だ。だから最近の礼儀正しいガキを見るとつまらねえヤツだなぁって思っちまう。そこんとこ見るとおれの仲間は優秀だ。笑ってばかりのお気楽女に、自分勝手なヘビースモーカー、食うことしか考えねえ人間胃袋に、女とは思えねえ悪口者。こりゃあ……ううん、大丈夫かなぁ?
ま、ともかくアラトっつったっけ? 生意気だが、それがいいんだ。探索者ってのはガツガツしてなきゃいけねえ。自分自分、地位、金、酒、女って思って突っ張るくらいじゃねえと話にならねえ。おれは好きだぜ。大歓迎だ。調査団を引っ張るヤツってのはああでなきゃいけねえ。
ともあれおれたちは探索に出発することにした。いまいちど顔合わせをし、オーキーズの荷車に最低限の荷物があるのを確認した。
荷車合計二台、簡易医療品よし、弓矢二丁、替えのロングソードが二丁、蓋つきバケツにきれいな水、よし。
おれはアシクにうん、とうなずいて見せると、アシクはマナ言った。
「マナ、今日はボード調査団が一次業者だ。音頭を頼む」
「音頭?」
「これから探索を開始する挨拶というか、意気込みというか……そういうものだ。だいたいは”安全第一で行くぞ”とか言って、周りが”おー”って応える感じだ」
「ふーん……わかった」
マナはわかったような顔で言った。
「てねえら、死ぬなよ!」
な、なんだそりゃ。ふつうに言えばいいんだ、ふつうに。それをそんな変な言い方して、アシクがずっこけて笑ってるじゃねえか。アラトにも呆れられてやがる。「おー」もみんなタイミングがぐちゃぐちゃでグダグダだ。
あーあー、締まらねえなぁ。ホントに大丈夫か? おれはまた心配になってきちまったぜ、まったくよぉ。頼むから無事に終わってくれよな、ホント。




