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1 その男、無学にて追放されるのこと


 人間を創ったのは神でしょうか。

 それとも悪魔でしょうか。

 フフフ……どっちだっていいですね。

 だってきっと、どっちにしたってたいして変わらないんですから。



 第一部 足湯のドラゴン



「はぁ……」

 おれはため息を吐き、”壁”を見上げていた。

 ”壁”――。

 いつだれがなんのために建てたのか。おれたちの世界には巨大な壁がある。

 見上げれば天に届くほど高く、見渡せばどこまでも途切れなく続く巨大な壁。

 近くで見るとまっすぐに伸びて見えるが、高地から見るとわずかに孤をえがいており、国境を越えて円を成している。

 一説によると、この壁は中に生息する生き物を封じ込める檻だという。

 その説はなかなかリアリティがある。

 壁には”門”と呼ばれる手彫りのトンネルがあり、中に一歩足を踏み入れると美しい大自然と共におそろしいモンスターがうようよしている。

 もしヤツらが壁を越え、外の世界にのさばるようなら、きっとふつうの動物も、おれたち人間も、たちまち皆殺しにされちまうだろう。壁が高いおかげで鳥さえ越えることはできねえし、この壁は決して崩れねえ。

 門はおよそ百年前に開通したらしいが、なんとトンネルの長さが十メートル以上もある。つまりこの壁はそれだけの厚みを持っているっつーことだ。しかも、表面は赤茶けたレンガで覆われているが、その下は硬い金属で埋め尽くされており、もはや頑丈を通り越して過剰と言っていい。

 ひとの手で作れるようなもんじゃねえ。おとぎ話じゃこの壁を作ったのは神で、神の世界である内と、人間の世界である外を隔てる境界だなんていってる。教会は口伝書に書かれてないから嘘だというが、おれはこの話をけっこう信じてたりする。

 嘘かホントか、この壁の向こうはどうなっているのか、それを調べるのがおれたち探索者だ。調査団を組み、バケモノどもと戦い、日々神の領域を探索しては、有効な資源を持ち帰ってゼニに変え、毎晩酒場で飲みたいだけ飲んじまう。それが探索者であり、調査団だ。

 もっとも、おれは今日から調査団の一員ではない。ため息を吐いたのはそのせいだ。

 今朝、おれは所属する大手調査団”オーキーズ”の事務所に呼び出された。

 なにを言われるかはわかっていた。ああ、わかっていたともさ。おれがどういう状況に置かれていて、どういう処分を下されるかも聞く前から知っていた。ただほんの少し”もしかしたら”なんて思っていたが、まあ、そんなわけなかったな。

 おれは街で一番土地代が高い大通りのど真ん中におっ立つオーキーズ事務所の前に立ち、ずいぶん古くなったなぁなんて思った。最初に門をくぐったのが十八年前だが、そのときはまだ築数年で、通りも栄えてなかったし、増築前だからずいぶん小さかったっけな。人も少なくて十人いなかった。いまじゃあ五十人を超す大調査団で、街の顔だからなぁ。まあ、一階がすべて木造の柱だから二階三階の重みで潰れちまわねえか心配だが。

 と、そんな感慨も長くは浸れなかった。なんせ、おれは団を追放されちまうんだからな。

 初代団長ハーツ・オーキーが急死して、息子のニダイ・オーキーが団長になってからというもの、改革に次ぐ改革だった。ニダイは五年前にできた探索者養成学校の卒業生で、卒業と同時に親父が倒れて団を引き継ぐことになった。周りは「十五の若造が団長なんて早い」だの「副団長を団長にするべき」だのとやかく言ったが、まあこいつがきっぱりしたヤツで、「わたしのやりかたで団を成長させ、わたしの代でオーキーズが壁の謎を解く」と言い切りやがった。親父に似たんだろうな。言い口があんまり見事なもんだから反対意見が消えちまった。いわゆるカリスマってやつだろう。

 ただ、この改革ってやつがメンドウだった。業界のなあなあでやってることをきっちりさせたり、団員の私生活に口出ししたり、正しい部分もあるんだが、なんというか教科書通りにしないと気が済まないというか、どうにも息苦しくって、それがいやで団を出てったヤツもいるくらいだ。

 まあそれくらいならよかったんだが、あのやろう今年から学校を出てるヤツと、卒業と同等の能力を証明する認定試験の合格者しか使わないとかほざきやがった。

 さすがのおれもこれにはまいった。なんせおれたちの世代はたいがい読み書きができねぇ。試験はぜんぶ筆記なんだ。

 おれたちはそれを試験一週間前に伝えられた。みんな必死に勉強したよ。おれもガラにもなくがんばった。

 けどよ、この歳になってあんなもの覚えられるわけがねぇ。もう三二なんだぜ。あーゆうのはガキのころからやらなきゃダメなんだ。二日ほど机にかじりついたが、あとの五日はいつもどおり酒場で飲んでた。当日も試験なんぞおっぽり出してやったよ。だってそうだろう。行ったってしょうがねぇんだから。

 しかしなんだね、絞首台に行くヤツってのはこんな気持ちなのかね。おれはいやだなぁって思いながら前に行きたがらねえ足を歩かせたよ。一歩いっぽ、こんなに重てえ足はないと思った。事務所に入って、階段を登って、三階奥の団長室に着くころには変な汗をかいてやがった。

 軽くノックをしてドアを開けると、そこにニダイがいた。

 まったく、たいしたヤツだよ。先代団長があれほどぐちゃぐちゃに散らかしてた部屋をきれいに整頓させちまって、ものが溢れてもう入らねえって言ってたのに、ヤツにかかれば棚に余裕ができちまってる。机も本もみーんなピシッと縦か横でさ。分度器で測りながら並べたんじゃねえかって思うくらいだ。そんで、やろうは椅子に座って待っていた。あの顔は待っていたってツラだった。幼くはないが、まだ世間の苦しみなんぞ一度も味わったことがねえって若い顔つきで、王様みたいにどっかり椅子に座って、机の上で手を組んで待ち構えていた。

「入るぜ」

 おれがそう言いながら部屋に入ると、やろう開口一番、

「わかってますね、ラミテーダさん」

 ときやがった。普通はおはようとかなんとか言うもんじゃねえか。挨拶もなしとは偉いもんだ。こいつは話し口は丁寧だが、腹ン中は真逆だ。ひとをひとと思ってねえ。道具に近い。

 そもそもおれたち探索者はファーストネームで呼び合うもんだ。よその業種は仕事仲間でずいぶん気安いと思うか知れねえが、いざというとき命を助け合うおれたちはそんな心の壁になりそうな礼儀なんてくだらねえものは取っ払っちまってるんだ。男と男、出会った瞬間から腹を割って話してるんだ。それがこいつは絶対にそうしない。

 おれはセカンドネームを呼ばれるたびにいつか言ってやろうって思ったよ。おれには”ゴリ”っつー親からもらった立派な名前があるんだ。むかしの言葉で”強くたくましい”って意味の名だ。そのおかげかおれの全身は鋼みてえな筋肉のかたまりで、やわい岩なら抱きしめて砕いちまう。もっともその分顔も岩みたいにゴツゴツして、女にゃろくにモテたことねえがな。おれは一己の人間なんだ。みんな親しみを込めてゴリって呼ぶんだ。お前がおれをひとだと思うなら、ラミテーダさんなんて堅苦しく呼ばねえで、ゴリって呼んでみやがれ——ってな。まあ、いまとなっちゃどうでもいいことだが。

 おれはそんな礼儀坊ちゃんの礼儀知らずな態度に、

「さあ、いま来たもんで、なんのことやら」

 と頭を掻いてうそぶいてやった。そしたらやろう、フフ、と笑いやがった。

「試験、行かなかったそうですね」

「ああ、あれな。そういえば昨日だったか。すっかり忘れてたよ」

「昨日の夕方ギルドに寄ったらラミテーダさんだけ来なかったと担当の方がおっしゃってましたので、まさかと思いましたが、そうですか」

 そう言ってこいつはまた、フフフ、と笑いやがった。なにがおかしいってんだ。笑うとこなんかひとつもありゃしねえだろう。

「まあ、忘れていようが、放棄だろうが、どちらでも同じですけどね。試験を受けなかったということは文句なしに落第ですから、当然”追放”です」

 追放――やはり、追放か。行きの道中もしかしたらなんて甘い妄想をしてたが、そうなっちまうか。だが追放はまずい。追放だけは避けなければならない。おれは必死に訴えた。

「なあ、ちょっと待ってくれよ。おれは文字が読めねえだけだ。紙の試験じゃ受からねえかもしれねえが、問題を口で言ってもらえればきっと全問正解だぜ。なんせ十八年も探索してんだ。学校で教えるようなことはみんな知ってるし、たぶん教科書に載ってねえことも知ってる。いざってときにはわからないことだって対応できる。そうじゃなきゃあの魔窟でこれまで生きてこれねぇ。それなのに、たかが読み書きができねえってだけで追放されちまうのか?」

「はい」

 あっさり答えやがったこのやろう。それも笑顔できっぱりと。

 おれはため息が出たよ。戦意を失っちまった。こいつ、はなから聞く気なんざねえんだ。前からそうだが、こうだと決めたら曲げねえんだ。

 団長の決定は絶対だ。もう従うしかねえ。いやだって言ったってどうせ干されるだけだ。おれは自分でもわかるくらいに肩を落として言った。

「……わかった。出ていくよ。ただ、ひとつ頼む」

「なんですか?」

「追放はやめてくれ。今日中にギルドに退団の報告をするからよ」

「その必要はありません」

「え?」

「昨日のうちにギルドに報告してあります」

「報告ってまさか……」

「ゴリ・ラミテーダ追放処分と」

「はぁ!?」

「別に同じことでしょう?」

 やろう、やりやがった!

 同じじゃねえ! 追放ってのは問題のある人間を強制的に退団させる処分だ! 追放されたヤツは危険人物とみなされ、どの団も受け入れないっつー業界のルールがある! つまり、おれはもうどの団にも所属できねえってことだ! それを……このやろう!

 おれは両手の拳をギシギシ鳴るほど握りしめた。ブン殴る寸前だった。だがかろうじてそうしなかったのは、ここで殴れば仕事を失うだけじゃ済まなくなるのと、むかしのバカだったおれに戻っちまうからだ。

 ――抑えろ! おれはチンピラじゃねえ! 勇気と誇りを胸にロマンを追う探索者だ!

 おれは固く震える全身からゆっくり力を抜き、深く深呼吸した。鎮まれ、鎮まれと、むかし先代団長に教わった通りに怒りを鎮めた。そうしてやっとのことで拳をゆるめることができた。

 おれは、ブチ切れる寸前のおれを見ても澄ました顔で座っているニダイにかたちばかりの「お世話になりました」を言って、返事も聞かずに出て行った。

 そうしていま、ため息をついて壁を見上げていた。

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