③
――フィリアが魔方陣を書き終わると、俺たちは馬車に戻り、リリア達と交代で大きな布を畳んだ。
それが終わると、リリアが荷台の上から叫んだ。
「いよいよジャイアント……ジャイアントマキシマム、マキ? …………ムキムキマンのお披露目となります! 危険ですのでお下がり下さい!」
ぐでぐでの御披露目に、何が危険なのかはさっぱり分からず、とにかく少し荷台から離れた。
「では行きます」
そう言うとリリアは詠唱を始め、自分の使い魔の小さな女の子の妖精〝シェリー〟を呼び出した。
シェリーは物を動かす力を持つ森の妖精で、魔物ではないが、魔女と主従関係にある全ての者は使い魔と呼ばれる。
リリアは呼び出したシェリーに、「お願いします」と声を掛け、荷台から飛び降りた。
シェリーは荷台の中に消え、しばらくするとメキメキという音を立て、荷台から大きな木製のムキムキマン? が姿を見せた。
その姿に俺は声を失い、恐怖した。
茶色い木製の体は、五メートルほどの長さの蜘蛛のような下半身を八本の腕で支え、胴体の両脇に四対の腕が付いている。上半身は前後両方にケンタウロスのように人の形をした体が突き出し、両腕の他に、肩甲骨に一対、わき腹辺りからも一対の腕が伸びている。頭はどんぐり型をしていて、三メートルほどの高さがあり、その顔には魂の込もっていない黒い瞳が人間と同じように付いていた。
体は重いのか動作はかなり遅く、八本の腕が亀のようにゆっくり動き進む。
そのたびに力のない上半身とたくさんの腕がカラコロンとぶつかり、ブラブラと揺れ、頭に至っては首の座らない子供のようになっていた。
「どうですか! これが私の最高傑作です!」
リリアはとても誇らし気に胸を張り、ムキムキマンを紹介した。
動く姿を初めて見るのか、ヒーもフィリアも無言でムキムキマンを見上げている。
「しか~し! これはまだ戦闘モードではありません!」
……これでまだ戦闘モードじゃない⁉ もう見た目だけで十分な戦闘能力だ! これが歩いてきたら誰も戦おうとは思わないだろう。
「今はシェリーが下半身を動かしているだけで、ムキムキマンの本当の力は、上半身を担当するこの子達にあります!」
リリアはいかにも封印、という感じの瓶を俺たちに見せ、誰も聞いていないのに説明を始めた。
「この瓶の中には、十六人の子供の浮遊霊が入っています。しかし安心して下さい! この子達はムキムキマンの中に入らなければ無害です! この子達はムキムキマンの腕を担当し、掴めるものを手当たり次第掴みます! そのため、ムキムキマンが戦闘モードに入ると危険ですので、近づかないで下さい! 下半身はシェリーが担当しているので、こちらから近づかない限り大丈夫です!」
ぐったりした上半身に比べ、力強く動く下半身を見て、ムキムキマンが人を襲う姿を想像し、これは禁忌の兵器だと思った。
そんな俺を尻目に、リリアはさらに説明を続ける。
「ボディーには物理、魔法、対聖防護を施してあり、強度は鉄と同等! さらに腕には車輪効果を加え、腕力握力ともに強化してあり、私以上の体重でも軽々持ち上げる事が出来ます! さらにさらに! シェリーが搭乗することで自立歩行が可能なうえ、状況判断も独自でしてくれます! 正に我が国の最高戦力です!」
こいつは戦争でもする気なのか! 今からこれと戦う羽目になるアンデッドが哀れに思えてきた。
「それではシェリー! 砦門の前まで進んでください!」
リリアの指示でシェリーの動かすムキムキマンは、八本の腕を滑らかに動かし、ゆっくりと歩き出した。
コロンカランとぶら下がる腕を鳴らし砦に向かう後姿は、進行方向が分かっているから後ろと分かるが、ぐったりする上半身はこちら側にも付いていて、死角のないムキムキマンに対する俺の恐怖は、怯えに変わっていた。
砦門の前でムキムキマンが足を止めると、リリアは呆気に取られる俺たちに最後の確認を取った。
「フィリア! ムキムキマンが入ったらすぐに結界をお願いします!」
「はっ、はい!」
ハッとしてフィリアが返事をする。
「ヒー! リーパー! 戦闘に備えて下さい!」
「はい!」
ヒーは力強く答える。
「リーパー! 準備はいいですか!」
アレを見て俺達を襲おうとする余裕のあるアンデッドはいないだろう。そう思ったが、もしもの時の為の心の準備をして返事をした。
「おっ、おう! いつでもいいぞ!」
俺の返事を確認すると、リリアはムキムキマンのこちら側を向く、上半身のへその辺りにある扉を開き、そこに子供たちの入る瓶を入れ、力強く閉めた。
瓶は中で割れたのかパリンと音が聞こえ、その後すぐに沢山の子供の楽しそうな声が聞こえてきた。
それを聞いたリリアは急いで馬車の荷台に飛び乗った。
しばらくするとムキムキマンの茶色い肌の上を赤い光りが血管のように走りだし、体全体に張り巡らされた。
そして、突然真っ赤になった目玉で俺達を見るように頭を上げた。
それを切欠に全ての腕がカラカラと音を立て暴れ始め、ゆっくりと砦の中へ入って行った。
その姿は正に悪魔! 俺は呼吸するのが苦しいくらいの衝撃を受け、首の頚動脈の収縮で頭が揺れるほど、心臓が一気に脈打ちだした。
「フィリア!」
リリアが大声でフィリアに叫んだ。
その声にフィリアは我に返り、慌てて詠唱を始める。
ムキムキマンの体が完全に砦の中に入ると、カラカラという貝殻を叩き合わせたような音がし、地面から赤黒い光りが煙のように立ち上がるのが幾つも見えた。
そしてそれは地面の石が吸い込まれるように集まり、人骨の兵と化し、ムキムキマンに襲い掛かった。
アンデッドは全てムキムキマンに向かい、俺達の方へ来る者は一人もおらず、フィリアの結界門は何一つ通すことなく張り巡らされた。
これでアンデッドにもムキムキマンにも襲われる事が無くなり、一瞬ホッとしたが、砦の中に目を向けると、その惨状に悪寒が走り、寒くも無いのに鳥肌が立ち、体全体が汗で湿りだした。
結界門の内側では、赤い血管を光らせるムキムキマンの腕が、アンデッドを手当たり次第掴み、その握力でバキバキと音を立て握りつぶしたり、ムキムキマンの頭より上に投げ飛ばしたり、地面を掃き掃除でもするようにアンデッドを擦りつけたりしている。
人の形をしたアンデッドが無残に破壊される姿がとても生々しく、仲間が目の前で次々殺られていくのを見ても、果敢に向かっていくアンデッドを見てとても悲しくなり、涙が零れて来た。
それでもムキムキマンの攻撃は激しさを増し、ケンタウロスの上半身がアンデッドの頭と足を掴み、ゆっくりと力を加え、引っ張り千切る姿が見えた。
その姿は、昔見たサルがバッタを食べるために殺す姿に似ていた。
それが壊れるとさらにほかの玩具を掴み、今度は雑巾を絞るようにアンデッドを捻った。
アンデッドは捻り加重に抵抗するため、手に持っていた剣を離し、必死に頭を掴む腕を掴み体を戻そうとする。しかしムキムキマンの腕はその感触を楽しむかのように徐々に力を加えていく。
許容範囲を超えたアンデッドは腕が垂れ下がり、力尽きたのが分かると一気に捻り千切り、興味が無くなったかのように投げ捨てた。
あまりの惨さに涙を隠すように目を覆ったが、子供たちのキャッキャッと言う楽しそうな声の中に、木を叩く音や、石壁に叩きつけられるバキンッという音、湿った何かがゆっくり踏み潰されるゴキゴキという音が耳に入り、余計に辛くなり耳を塞いだ。
しかしその音は手などでは防ぐ事は叶わず、お構い無しに心を抉っていく。
しばらく閉じた瞼の外で一方的な破壊の音が響き渡った。それでも徐々にその音は減っていき、最後にカラカラという何かが落ちる音が聞こえると、静寂が訪れた。
やっと終わった。と思った矢先、突然俺の横でピーッという笛のような大きな音がし、驚いて目を開けると、リリアが馬車から飛び降りる姿が目に入った。
地面に着地すると、リリアはそのまま砦門に向け歩き出した。
「リリア様‼」
フィリアがそう叫ぶより早く、ヒーはすでにリリアの下へ向かっており、叫んだフィリアもすぐに荷台から飛び降り、リリアの下へ走り出した。
俺もそれに攣られるように荷台から飛び降り、フィリアの後を追った。
リリアが何を考えているのか分からないが、俺たちはリリアの進路を塞ぐように止めた。すると、
「退けて下さい! 騎士団長が出てきました。ここから先は私が説得します!」
と真剣な顔でリリアは俺たちの妨害を拒んだ。
騎士団長が出てきたと聞いた俺は、砦の中を見た。
すると、砦門を背にするムキムキマンをアンデッドが囲み、拠城から出てきた目映い銀色の鎧を着た騎士を導くように道を作った。
格子状の顔隠しの兜を被り、紅いボロボロのマントを羽織り、片手には大きな両刃の剣を持ち、僅かに半透明な体に赤いオーラ状の魔力を湯気のように立ち上らせ、こちらに向かい歩いてくる。
その姿には生気を全く感じず、彼が生きていない者だとすぐに分かった。
「しかしまだ危険です! 私の結界では彼の攻撃には一度も耐えられません! どうかお戻り下さい!」
フィリアが諭すが、リリアは鎧の兵士を見つめたまま言う。
「ここからが私の仕事です。どうか私を信じて下さい」
目線を逸らすことなく放つ言葉は、とても落ち着いたもので、ヒーはすでに覚悟が出来ていたのか、リリアの横に立ち、共に行こうとしている。
「信じろって、アレはヤバイって! さっさと逃げようぜ!」
「ここでやめる訳にはいきません! どれほどのアンデッドが犠牲になったと思っているんですか!」
それはお前のせいだろ! そう思ったが、リリアの顔は決してふざけているわけでも無く、僅かに震える肩がその覚悟を感じさせた。
「……分かりました。しかし、リリア様のお傍に私は立たせてもらいます! よろしいですね?」
「えぇ。共に行きましょう」
フィリアはその覚悟を認めたのか、道を開けリリアの少し左後ろに並んだ。
「おっ、おい! 本気で行く気か⁉」
「リーパー、私を信じて下さい」
リリアはただそれだけ言って、再び歩き出した。
追うかどうするか迷ったが、行かないわけにはいかず、リリア達の後ろに隠れる形で砦に向かった。
その間も鎧の騎士は俺達の方へ歩いてくる。
近づけば近づくほど威圧を感じ、並みの使い手ではないことを悟った。
結界の前に着くと、ムキムキマンは左に避け、騎士団長が飛び掛ってきても俺達を守るものは結界一枚となった。
お互いの距離が三十メートルほどに来ると、騎士団長は体の右側に剣を構え、腰を落とした。
フィリアの結界では一撃も持たない。そう聞いていた俺達の間には、もの凄い緊張感が流れた。
そして、突然騎士団長が飛び掛ってきた。
それと同時にリリアは何かを取り出し、右手を突き出し相手にそれを見せた。
一瞬リリアの動作に目を取られ、騎士団長から目を逸らしてしまった俺はすぐに視線を戻したが、もう目の前まで来ている騎士団長を見て目を閉じてしまう。
すぐに衝撃に似た痛みが来ると覚悟したが、ズサーという足で地面を強く擦る音が聞こえ、そのあとのチャリンチャリンという軽い金属が揺れる小さな音で片目を開き、様子を窺った。
見ると、騎士団長がすぐそこに構えたまま立っており、右手を突き出すリリアと睨み合っている。
一体何があったのかとリリアを見ると、その手には銀色のペンダントが握られていた。
――しばらくの沈黙の後、リリアが言う。
「私はアーロ王の使いの者です! この紋様の入ったペンダントがその証拠です! 王からの命令を授かって来ました、剣を収めて下さい!」
それを聞いた騎士団全員が武器を下ろし、跪いた。
「フィリア、結界を解いて下さい」
フィリアはリリアの声に、一度首を横に振り拒否したが、黙って見つめるリリアに負け、結界を解いた。
結界が解けるとリリアは砦に足を踏み入れ、俺達もそれに続いた。
跪く騎士団長の前で足を止めると、リリアはアーロ王の命令とやらを語り出した。
「これから私が話すことは事実です。それを聞いて頂いた後、王の命令を伝えます」
リリアの言葉に、騎士団長は小さく頷く。
「……アーロ王は死にました。そして、貴方達が守っていたパトロクロスは滅びました!」
それを聞いた騎士団長は悔しそうに手を強く握り締め、周りのアンデッドからは、カタカタという小刻みに震える音が鳴る。
「その様子では分かっていたようですね?」
強く握られた拳は、そうだと答えるように震えだした。
「では、これから私が伝える、王の命令も分かりますね?」
騎士団長は俯いたまま何も示さない。ただ、カタカタと震える周りの音が、それに答えるように大きくなった。
リリアはしばらく騎士団長を見つめ、静かに口を開いた。
「貴方達の任は解かれました。もうこの砦を守る必要はありません。今までよく務めました。見事です」
その声は、赤子に母が語りかけるようにとても優しく、静かなものだった。
カタカタというアンデッドの震える音は強く、大きくなり、あちこちから崩れていく音が聞こえ出した。
周りに目線を移すと、大小さまざまな大きさの黄色い光りの玉がいくつも立ち上がり、儚く空へ向け消えていく。
「さぁ、貴方の口から、最後の命令を団員に伝えなさい」
とても優しく語り掛けるリリアの声は、悲しさを感じさせ、騎士団長はそれを聞いても跪き、下を向いたまま動かない。
それを見てリリアも跪き、騎士団長に手の平を見せ言った。
「私の手は、貴方達が守り続けた、パトロクロスの民の子孫の手です。貴方達は何も守れなかったと思っているのでしょうが、この手は……ここに居る私達は、貴方達が守った証です」
俺たちは確かにパトロクロスの民の子孫だ。カミラルはそういう民の集まりの村である。
騎士団長は泣いているのか、肩を小刻みに震わし始めた。
「もう帰る家は無いかもしれませんが、待っている家族はいます。次はその家族、その子孫を見守るのが貴方達の使命ではないのですか? 今貴方達が見なければならないのは、過去より未来です!」
そう言い終わるとリリアは立ち上がり、騎士団長に活を入れた。
「さぁ! パトロクロスのパープル騎士団長、ジョニー・ヘイエム! 貴方の、団長の指示を待つ部下に命令を!」
――騎士団長は少しの間のうち立ち上がり、兜を脱ぎ叫んだ。
「パープル騎士団は現時刻を持って解散とし、全ての団員は解雇となった! ここからは各自自由だ! 家族の下へ帰還せよ!」
兜を脱いだジョニーの顔は、きちんとした三十代前半の人間の顔をしており、さっぱりした短い黒髪に、多少の無精ひげがあり、世にしっかり揉まれてきた凛々しい顔をしていた。
その号令をきっかけに、残ったアンデッドは一斉に光りの玉となり成仏し始めた。
光りの上る様は昼間にもかかわらず幻想的で、笑い声や楽しげに叫ぶ声が響き渡り、何故だか目頭が熱くなった。
――光りの昇天はしばらく続き、その間、和やかな空気に包まれた。そして誰かが言った、「ありがとう」という言葉に、俺だけでなく、フィリアとヒー、そしてリリアまで涙を流していた。
しかしそれが終わっても騎士団長のジョニーは消えず、ほか六名のアンデッドが残っていた。
「やはり残りましたか……」
リリアはボソッと言った。
それを聞いてどういうことだ? と尋ねたかったが、今はそんな空気じゃない。
残ったアンデッド達はジョニーに近づき、まるで命令を待つように黙って立ち尽くしている。その姿がとても切ない。
「ジョニー、貴方達は何故行かなかったのですか?」
リリアが問い質す。
「俺は……私達はやはり騎士です! 王を、国を失ったと言われても、簡単には受け入れられません!」
「ではどうする気なのですか?」
責めるわけでも諭すわけでもなく、リリアが穏やかに語り掛ける姿に、優しさを感じた。
「……それは……」
ジョニー自身どうすれば良いのか分からないようだ。
当然だろう。三百年に渡り王を信じ国の為この砦を守ってきたのだ。その最後が突然、それもあんな化け物に襲われ、小娘に諭されてはそう簡単に納得は出来ないだろう。
「もし……もし私がここに新たな国を築くと言えば、貴方たちはどうしますか?」
「‼」
リリアの突然の言葉に、ジョニーは驚いた顔をし、すぐに嬉しそうに笑みを零した。それはアンデッド達も同じで、表情のないシャレコウベでも分かった。
「それは、リリア殿が王として国を築くということですか?」
「えぇ。私が王となり民を導きます!」
民? それはここに居る俺たち三人のことを指して言っているのだろうか?
ジョニーはアンデッド達を見つめ、会議をするかのように円になり、言葉以外の何かで会話をし、頷いている。
――その会議はほんの僅かな時間で終わり、たった七名になったパープル騎士団はリリアに跪き、団長のジョニーが代表して言った。
「我らパープル騎士団七名はこれより、リリア様の盾となり、剣となりお仕えしたく存じます。王も国も守る事も出来ず、行く当ても無い哀れな騎士団ですが、どうぞ御慈悲を頂きたい!」
例えアンデッドの騎士団でも、生まれて初めて騎士団に跪かれる光景には感動を憶えた。
「まだ国とも王とも言えませんが、それでも宜しければ、こちらからもお願いします。誇り高きパープル騎士団」
「この誇りと魂、全てを捧げる事を誓います!」
ジョニーは誓いを告げると、リリアの左手に軽く口付けをし、それに続いて全てのアンデッドが同じように口付けをした。
普通の感覚ならその光景は気味が悪いと思うが、彼らの誇りの高さと哀れみから、骸骨の兵士を好きになっている自分がいた。
こうして無事居城となる城を手に入れ、パープル騎士団という戦力まで加える事が出来たリリアは、王として新たな国を作る夢に向かい、大きな一歩を踏み出した。
しかし、本当に大変だったのはここからだった。