⑬
セイレーンとの交渉前夜。
リリアは大分体調を回復したが、酷いストレスのせいで顔色は悪いままだった。
それでも気丈に振る舞い、大丈夫上手くいくと皆を励ましていた。
ヒーはあれから一切帰らず、ずっとリリアの傍を離れようとしない。
フィリアは海辺を手に入れた翌日から自宅に戻り、さっき戻ってきた。
その手にはセイレーンとの交渉を迎えるリリアの為に作ったという、白と黒のツートンの高そうなローブを持っていた。
リリアはそれを貰うと試着し、嬉しそうに俺たちに披露していたが、背中と袖に魔方陣が描かれ、腹には不思議な紋様が施されているそのローブが、いざという時リリアを守るために作られたものだと分かった。
ジョニー達パープル騎士団は、新たに加わった海岸領土を守るため二名を派遣し、見回らせている。
あれからゴブリン達は戻ってくる様子も無く、セイレーンとの交渉場所は問題なさそうだった。
砦の地下から見つけた宝には皆喜び、金貨だけを換金し国費とし使い、残りの私物に関しては国宝として大事に保管される事となった。
――明日に備え皆が寝静まる頃、ヒーが布団から抜け出し外へ向った事に気付いた。
リリアとフィリアはストレスと疲労でぐっすり眠っており、二人ほどのプレシャーを感じていない俺は寝付けずにいたため、それに気付いた。
砦の外へ出てもすぐにジョニー達が止めてくれると分かっていたが、それでも心配になり、こっそり付ける事にした。
ヒーは井戸へ向かい水を汲んでいて、喉が渇いたのかと思っていたが、ナイフを取り出し水につけ、上着を脱いで肌を出した。
それを見てすぐに、ヒーが髪を切ろうとしていると直感した。
ヒーはリリアと同じ髪型にし、リリアに変わり交渉へ行くつもりだ。
俺は慌てて飛び出し、ヒーに声を掛け止めさせた。
「ヒー! お前明日リリアの変わりに行く気だろ!」
俺の声に驚きビクッとしたヒーは、少しの間のうち顔を見せた。
その顔は悲しさと悔しさが交じり合ったような表情をしており、下唇を強く噛み、助けを求めるような目をしていた。
普段は感情を顔に出さないヒーが、ここまでの顔を俺に見せた事に驚いた。
「ヒー、明日は俺達も付いて行くから大丈夫だ。だから折角伸ばした髪を切ろうとするなよ」
ナイフを取り上げ、ヒーの手の届かないよう後ろに隠した。
「どうして……どうしてリリアが行かなければならないのですか?」
そんなことはヒーだって分かっているはずだ。それでも俺に行く必要は無いと言って欲しいのだろう。
「ヒーはどうしてリリアの代わりに行こうとしてたんだ?」
あえて質問を質問で返した。
「リリアが……リリアが……いなくなってしまうかもしれないからです……」
もう俺には何も言えなかった。頭では考えきれないほどの意味と感情が込められていた言葉に、明日が来なければいいというヒーの願いさえ感じたからだ。
「それは……」
ため息しか出ない。俺自身どうすれば良いのか分からない。
明日の交渉が上手くいく保証もないし、それが成功してもこんな事が続くと思うと……どうすればいいのだろう……
「ヒー。とにかく髪は切るな! 少なくともヒーが髪を切ればリリアは悲しむ。分かるだろう?」
ヒーは俯き、涙を流し始めた。
十日ほど前にはこんな人生になるとは思ってもいなかった。
リリアが俺にセイラム砦へ行こうと言ったあの日に戻れるのなら、俺は絶対にリリアを止める。そして詰まらないが平穏な人生を送る。そんな悲観的な事を、ヒーの涙を見て思った。
涙を流すヒーを前にして立ち尽くしていると、キリアが俺たちの下へ来て声を掛けた。
「勝手に持ち場を離れ、無礼と知りつつもお声を掛けさせて頂きました。如何なる処罰も受ける覚悟で参りましたが、せめてヒー様と一言だけでもお話させて頂けませんか?」
騎士団の中で最年少のキリアは、新兵のように起立し胸に手を当て、目線を合わせぬよう空を見上げ言った。
「一言だけなんて言わないで、好きなだけ喋れば良いよ。それに俺たちに礼儀はいらない……俺には何も言えないから、キリアが変わりに言ってくれ」
俺よりも年下に見えるが、その凛々しき姿に頼もしさを感じ、キリアに頼った。
そして今日で最後になるかもしれないと思い、キリアに言いたいことを言ってもらおうと思った。
「しかし私は一兵卒です。ヒー様方王族の前で無礼は出来ません。どうかこのままでお話しすることを許可願います」
ジョニーとアントノフの教育が行き届いているのだろう、とても真面目だ。
「分かった。ヒー、そのままでいい、キリアの話を聞いてやれ」
ヒーは小さく頷いた。
キリアは俺の許可を待っているのか、空を見上げたまま起立を続けている。
「キリア、全部話せ! 一言なんて言わず、お前の想い全てヒーに伝えろ! いいな!」
「はっ! ありがたきお言葉!」
こうでも言わないと、キリアは中途半端な気持ちを残すだろう。
それはヒーにもキリアにも、俺にさえ、やり切れない。
「では僭越ながらヒー様に、私の気持ちを伝えさせて頂きます!」
姿勢は変えず、キリアは想いの内をヒーに語り始めた。
「私は、恐れ多くもヒー様に恋心を抱いてしまいました。故にヒー様が悲しむお姿に耐え切れず、お声を掛けさせて頂きました。ヒー様が悲しむ理由は、明日のセイレーンとの会合でリリア様に危険が迫り、そのお命を奪われかねない事とお見受けします。ですが、私キリアが、グリードガーデン・パープル騎士団の誇りと名に賭けて必ずお守りいたします! ですから……」
そこまで言い、キリアは言葉を選ぶように目を閉じ、しっかりと目を開きヒーを見て言った。
「ヒー様は笑っていて下さい! 私がここにいる理由はヒー様の笑顔を見るためです! 以上です!」
キリアは想いを全て伝えられたのか、跪き何かを待っている。
ジョニー達を見ると、勝手に持ち場を離れたキリアの声が聞こえているのにも関わらず、背を向け知らん振りをしている。
悪い上司だと思ったが、全ての団員がいつもはしていない胸に手を当てる後姿に、格好良さを感じた。
跪くキリアを見て、ヒーは気持ちが少しは楽になったのか、礼を言った。
「ありがとう御座います。私の命も、リリアの命も、フィリアもリーパーもウッドストックも、全ての命を貴方方パープル騎士団にお預けします。ですから、どうぞ私達非力な家族の命を護って下さい」
「はっ! 必ずやそのお約束、お守り通して見せます!」
命がけで砦を守り、その命を落としてまで砦を守り、やっと解放されてもさらに自分を責め、俺達に仕えたキリアは、ヒーに恋をし、その心を支えようと必死に声を掛けた。その姿に、俺だけでなく、ヒーも一人ではないのだと痛感させられたようだ。
ここにいる誰しもがそれぞれに不安や期待を持ち、お互いを想っている。少し無敵になった気分だった。
「キリア。もう言いたいことは無いのか?」
「はい、全てを伝える事が出来ました。何なりと処罰を言い渡し下さい」
本当に逞しく、頼もしい兵士だ。
「ヒー、お前はもう良いのか?」
キリアに勇気を貰ったヒーの顔からは、すでに悲しさと悔しさは消えていた。
「いえ。もう一つだけキリアに伝えたい事があります」
涙を拭い立ち上がり、キリアと同じ目線にしゃがんだヒーは、優しく言った。
「貴方の気持ちは伝わりました。しかし私はまだ貴方に恋心を抱いていません。ですが、貴方の手に触れてみたいと思いました。よろしいですか?」
「……はっ! 私のような者の手でよろしければ、どうぞ!」
キリアは手をヒーに差し出した。その手は緊張からなのか震えていた。
ヒーは自分の手に魔力を込め、青い光りを放つ手で、優しくキリアの手を握った。
「もう一度だけ、顔を見せて下さい」
「はっ!」
キリアは躊躇しながらゆっくり顔を上げ、ヒーと目を合わせる。
「ありがとう御座いました。貴方のお陰で私は少し強くなれました。これからもよろしくお願いします」
ヒーはゆっくり手を離し立ち上がり、キリアは再び下を向きじっとしている。
それを見て、もう下がってよい! の命令を待っているのだと分かり、今はまだ届いていない恋を知った若者を解放してあげようと、声を掛けた。
「キリア、もう見張りに戻って良いぞ」
「しかし、まだ私は罰を言い渡されていません!」
真面目だが、俺の優しさに気付いてくれないキリアは、意外と無礼だ。
だが勇気を与えてくれた礼に、キリアの望む罰を言い渡す事にした。
「じゃあ、明日のセイレーンとの交渉にはお前も護衛に付け! それもヒーの一番近くにだ。ヒーを死んでも……」
こいつはもう死んでいるんだと思い、言葉を探した。
「ヒーを……とにかく守れ! 失敗したら、お前はヒーに二度と近づけないと思え!」
こいつにはこれが一番堪えるだろうと思い、この言葉を選んだ。決して上手い言葉が浮かばなかったわけではない。
「はっ! 必ずやその命果たして見せます!」
「よし! じゃぁ見張りに戻れ!」
「はっ!」
キリアは駆け足で自分の持ち場に戻っていった。
その途中、コーランが嬉しそうにキリアの背中を叩き、励ましていた。
「ジョニー! 明日のセイレーンとの交渉には、必ずキリアを護衛に付けろ! それもヒーの専属として! 頼めるか?」
ジョニーは俺の方を振り向き、分かったと敬礼をした。




