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第5章 僕と刑事の関係

 放課後。担任に帰りの挨拶を済ませ、教室が生徒の喧騒で埋もれる。頭の上を飛び交う会話を盗み聞きしてみれば、話題は今の事件一色だった。


 刑事に取り調べをさせられたのはなにも僕だけではなく、一昨日の放課後、学内に残っていた生徒全員だ。本当に校内で人死にが出たのか疑ってしまうほどの通常授業中、三時限目の僕みたく、他の生徒も度々席を外していった。つまり刑事に呼ばれなかった生徒が、興味津々で彼らに詰め寄っているのだろう。


 こうやって根も葉もない噂が広がっていくんだと思うと……本当に怖い生き物だなぁ、人間って。


 さてさて、友達がおらず噂を広げるための歯車にもなれない僕は、早々に帰宅の準備を済ませ、席を立った。今日ばかりは『彼女』に会うつもりはない。名残惜しいが、僕にはやらねばならぬことがある。

 具体的に言えば、警察よりも早く真犯人を見つけだすことだ。


 もちろん、僕は犯人を知っている。ただ困ったことに、奴がどこにいるのか僕は知らない。誰かに協力してもらうわけにはいかないし、僕は犯人と正面から対峙するつもりはさらさらない。相手に僕の正体を晒すことなく、たった一つの忠告さえできればそれでいい。そのあとは逮捕されるなり、たとえ死んだって構わないのだ。


 死んだって? ……なるほど、それが一番確実なやり方か。


 逮捕される前に僕が奴を殺してしまえば、そもそも忠告する必要なんてない。犯人が僕の忠告を守らないという恐れもないし、何より僕は奴のことをとても恨んでいるのだから。


 そうと決まれば……ま、冗談だ。

 いくらなんでもハイリスクローリターン……いや、ノーリターンすぎる。僕は今の日常を崩したくないがために、犯人を捜索しているのだ。そのために僕が殺人犯になってしまったら、本末転倒である。


 また犯人の居所が分からないから難儀しているのに、今から犯人の処遇を決めても仕方がない。そんなものは二の次だ。まずはどうやって奴の居場所を特定するか。そしてどうすれば、できるだけ僕の正体を明かさずにできるか。

 一日悩んだ末、やはり脅迫状を送りつけることが、一番手っ取り早く、確実なんだろうか……。


「よう」


 深く思案しながら下駄箱の前を通り過ぎると、呼び止められた。

 見知らぬ人物だった。直接名前を呼ばれたわけではないので、もしかしたら僕以外の誰かを呼び掛けたのか、もしくはただの独り言だったのかもしれない。しかし周囲には僕の他に生徒はいないし、松田優作を想起させるサングラスは真っ直ぐこちらを向いている。


 足を止め呆けていると、相手もまた身体を僕の方へ向けてきたので、まあ僕に用事があるのは間違いなさそうだ。


「はあ」


 それにしても誰だろう。背は異様に高く、僕の身長よりも頭一個分抜きん出ている。制服ではなく、黒いスーツだ。だから生徒ではないし、今の渋い声はとても高校生が出せるものではない。教師だろうか?

 むぅ、困ったな。名乗ってくれないから誰だか分からないぞ。


「えっと、どちらさまでしょうか?」


 純粋に問い掛けると、相手が露骨な溜め息を漏らした。


「覚えてないのか。さっき会ったばかりだろう」

「さっき?」


 ということは教師ではなさそうだ。

 ついさっき会った長身の男といえば……あぁ、思い出した。


「……黒峰刑事、でしたっけ?」

「桜枝の方だ」


 凡ミスです。男の方が桜枝刑事で、女の方が黒峰刑事ね。うん、覚えた。


 にしても、なかなかダンディな声だ。取り調べの時は黒峰刑事としか話をしなかったけど、ここまで特徴のある声を前もって聞いてたら、間違えようもなかったのに。


「こんな所でどうしました? まさか僕を逮捕しにきたんだとか?」

「馬鹿言え。容疑者でもない一般市民に手錠を掛けたら、警察の沽券に関わるだろ」


 どうやら僕の自白は本当に真面目に捉えられていないようである。その場のノリだったとはいえ、ぶっちゃけ信じてもらわなくて助かった。


「少しだけ話がある。今から帰るんだろ?」

「ええ、まあ、一応……」


 参った。本当はまだ帰るつもりではなかった。今からやるべきことを模索していた最中だったのに。

 しかし特に用もない僕が帰らないと言い出したら、それこそ怪しまれるだろう。加えてここは教室ではなく、昇降口だ。最初から帰る意思があったと思われるのは、当然だ。


 僕は喉の奥で舌打ちを漏らし、靴を履きかえた。


 すると、彼は勝手に僕の横へと並んでくる。刑事を横に伴うなんて、連行されてるみたいでぞっとしないな。


「にしても、えらく早い帰宅だな。放課後に呆けることが趣味だって聞いてたから、最悪一時間以上待つつもりだったんだが」

「今日はたまたまですよ。刑事さんだって、たまに物凄く家が恋しくなる時があるでしょ?」

「確かにな。ただ俺の場合は二十四時間周期でやってくるが」


 毎日かよ。


 校門を出て、閑静な住宅街を、刑事を連れ添って歩く。

 我が校は住宅密集地――いわゆるニュータウンと呼ばれる地域の端にあり、僕の家はその住宅群の中の一つだ。歩いて行ける距離である。自転車を使わない理由は、坂道が辛いから。行きは快適だが、帰りは拷問に等しい肉体労働を強いられるのである。


 発展度としては、田舎とも都会とも言い難い。中央線で一駅か二駅乗ればいくつもの高層ビルが見えてくるし、真逆の方角へ十数分も歩けば、名も知らぬ小山があり、見渡す限りの田んぼが広がっている。


 ま、個人的には田舎だろうが都会だろうが僕には関係ない。交通は不便していないし、日常用品が調達できる場所が近くにあるので、僕にとってはそれで十分だった。


 通い慣れた坂道を登っていく途中、校門を出てから一分ほどは両者無言だった。つまり一分後に桜枝刑事から話しかけてきたわけだが、それまでは本当に息が詰まって窒息死するかと思ったよ。


「で、」


 僕がそろそろ妄想への逃避行でもしようか思っていると、唐突に横からダンディヴォイスが降ってきた。至福の時間を邪魔された僕は、不機嫌な表情を作って隣を睨み上げる。


「どこまで本気だったんだ?」

「何のことです?」

「昼の自白のことだよ」


 そんなことも忘れたのかと、桜枝刑事は露骨に呆れたような溜め息を漏らした。もちろん忘れたわけではないが、主語を端折りすぎなんだよ。僕とあんたは、指示語で意思疎通ができるほど親しい仲じゃないだろうに。


「全部ウソですよ。本当に殺すわけないじゃないですか」

「どうして嘘なんかついた? それはどこまで嘘だったんだ?」

「…………」


 すかさず尋問が降ってきた。

 僕は頭一個分上方にあるサングラスを睨みつける。相手もこちらを見ているかは分からないが、わずかに顎が傾いでいるから、たぶん目は合っているのだろう。にしても本当にデカい男だ。


 僕は答えようと小さく口を開いた後、結局止めた。桜枝刑事の言葉にちょっとした違和感を覚え、回答に窮してしまったのだ。


 違和感の正体はすぐに分かった。


 この男は、僕をまったく責めていない。一歩間違えば業務妨害という立派な犯罪に問われるわけだし、僕が嘘でも自白めいたことをしてしまったからこそ、通常の捜査から外れて、こんな痛々しげな子供に尋問するような貧乏くじを引かされてしまっているというのに。

 桜枝刑事の口調は、あまりにも平常平坦としていた。


「なんだ、だんまりか? だったら俺がお前の意中を射てやろう」


 僕が黙り込んでいると、桜枝刑事は得意げにそう言った。


「お前が放課後に呆けるのが趣味だといったことについては、真実かどうか知らん。知りたくもない。が、自白まがいの供述をしたことについては、そうだな……例えば、お前は犯人を知っていて、それは自分が逮捕されたとしても守りたい相手、だとか」


 なるほど。自分の言葉が、どう相手に解釈されているのか、教えてくれるのは正直ありがたい。


「もしくは犯行を目撃してしまい、犯人に脅されている。が、これはない。一般常識で考えれば、刑事に助けを求めてくるだろうしな。次に捜査を混乱させること自体が、お前の目的だった。が、これもない。お前が本当に主犯、もしくは共犯だったら、自ら疑われるような発言は何のメリットもない」

「お見事、名推理ですね」

「だが本命はそれだ。今、お前が言った通り」

「言った通り?」


 若干ながら、桜枝刑事の口ぶりが不機嫌になった。


「ただ単に、お前が俺たちを茶化したかった馬鹿だった」


 おっと、馬鹿扱いされてしまいました。ま、ほとんど正鵠を射ているので、反論はできないんだけど。


「にしても、さっきからまるで犯人がいるような物言いですね。本当に殺人事件だったんですか?」

「殺人事件だった」


 これには純粋に驚いた。不意打ちを受け、僅かながらたじろいでしまう。


「……そういうこと、一般人に話してもいいんですか?」

「いいや、ダメだな」


 なんだ、こいつ。僕を馬鹿にしてるのか?

 さっきのように、直接馬鹿と言われるより腹が立った。


「それでは今から名推理をしよう。お前には友達がいない」

「……いませんね」

「なら安心だ。誰にも伝わることはない。もし仮に黒峰あたりにチクったんだとしても、すでにお前のことなど信用しないだろうからな」

「それは名推理じゃなくて、ただ腹の内を語っただけだと思います」


 それもそうだな。と、桜枝刑事は正面を見据えて嘯いた。

 しかし何故だろう。勝負に負けたようで、ちょっとだけ悔しい。


「……死因は何でした?」

「聞きたいか?」


 僕は黙って頷いた。

 桜枝刑事は、顔を明後日の方へ向けて頭を掻く。言っていいのか迷っている仕草のような気もするが、どちらかと言えば説明文をまとめているようだった。


「あまり詳しいことは言えないし、お前も聞きたくないだろうし、高校生に言っても分からんだろう。被害者の死因のみで言えば、心筋梗塞だ」


 あぁ……やっぱりな。犯人は、アイツだ。

 僕は心の中でのっぺら坊を作り、それを犯人と仮定してナイフで刺した。


「ま、今までの話は全部ウソなんだけどな」


 コイツ……。


「俺が貴重な時間を割いてまでお前に会いに来た理由は、それだけに過ぎない。お前に鼻をあかせるためだけにな」

「あんた本当に刑事かよ」

「なんなら警察手帳でも見せようか?」


 大げさに腕を振って辞退した。これ以上、弄ばれるのは嫌だ。


「なら僕の方は本当に本当のことを言いましょう。実は僕、犯人の共犯者です」

「ふーん」

「…………」


 さて、どうしたものか。残念ながら相手の顔面は殴りにくい位置にあるし、体格差で負けるのは目に見えている。腹パンならちょうど良い位置にあるけれど、相手は刑事だしなぁ。傷害罪で捕まりたくはない。この怒り、どこにぶつければいいのか誰か教えてくれ。


「誰が殺したとか、訊かないんですか?」

「訊いたところでお前はどうせ嘘をつく。だから訊く意味はない」

「なるほど」


 無個性な住宅群に囲まれた帰路を歩みながら、少しばかり無言の時間が訪れた。

 ちなみに僕の家は、学校から徒歩で約十分だ。寂れた児童公園の隣。いつも目印にしている公園のフェンスが遠目に見えるので、そろそろ家に着く頃合いだろう。


「にしても、一年前には生徒の自殺、そして今年は殺人か。呪われてるんじゃないか? お前の学校」


 ようやく馬鹿げた問答とおさらばできると思った矢先、ポツリと独り言のような感じで桜枝刑事が呟いた。僕はチラリと彼を盗み見てからすぐに視線を前方に戻し、「はは」と曖昧に笑うことしかできなかった。


「あれが僕の家です」


 フェンス横に並ぶ住宅の一角を指で差し、それが自宅であることを示した。

 すると桜枝刑事が、先ほどみたいに不機嫌な声で「ふーん」と唸る。


「普通すぎる。何の面白みもない家だな」

「……悪かったですね」


 確かにウチは周囲の住宅と比べても、個性も糞もあったもんじゃない一戸建てだ。道を覚えるための目印にもならないだろう。表札がなければ、郵便屋のあんちゃんも困ってしまうほどだ。


 しかしだからといって僕の家は、別に他人に楽しんでもらうために建てたものじゃない。あの中で一家四人、しっかりと生きていくための宿なのだ。それをまるで滑った芸人に向ける皮肉のような桜枝刑事の言い草に、少しばかり腹が立った。


「俺が過去に会った奴らの家が個性的すぎたのかもしれないな。某夢の国の中にありそうなファンタジックな家や、ボロボロのアパートの一室で姉と二人暮らしなんて奴もいたからな」

「姉と二人暮らしとか、羨ましい限りですね」

「だろう? お前もそう思うよな?」


 なんだか桜枝刑事と初めて意気投合できたようだった。

 まあ、別に嬉しくないけど。

 そうこう話しているうちに、家の前へと辿り着いた。桜枝刑事のサングラスが、表札に向いていることが分かった。


「じゃあ僕は帰らさせていただきますけど、まだ話あるんなら入ります?」

「いやいい、やめておく。さっきも言ったと思うが、俺の目的はお前に軽口を叩くことだけだったからな」


 本当にそれでいいのか、市井の平和を守る刑事さん。

 門をくぐり玄関に手を掛けている僕とは対照的に、桜枝刑事は道路に立ったままだった。顔はこちらを向いてはいるが、早く戻りたそうに、身体は今来た道へと反転していた。


「それじゃあ、もし差し支えなければ、今後の捜査状況とか少し教えてもらえないでしょうかね? 共犯者としても、主犯が捕まるのは心が痛みますので」

「まあ……気が向いたらな」


 一生気乗りのしなさそうな、気だるい返事をされてしまった。まあ正直、僕としても以降コイツと関わりたくないとは思ってるけど。

 背の高い刑事が垣根の向こうに歩き去って行くのを見送ってから、僕は玄関を開いた。


 と――、


 家の中に引きこもろうとする僕の背中に、まるで重要なことを言い忘れたように、今さっき去っていった男の声が刺さった。


「なあ、」

「はい?」


 門の向こうから覗くサングラスの男が、僕に向けてさりげなく言葉のナイフを投げた。


「お前さ、気持ち悪いよ」


 決め台詞のようにそう言い残した桜枝刑事は、それ以上の後腐れなく颯爽と去って行った。

 僕もまた、その背中が住宅の陰に隠れるまで見送りながら、言葉なく家へと入る。

 自然と、表情が緩んだ。


「うわぁ……。バカ兄貴、なに一人で薄気味悪く笑ってんのさ。マジできしょいんだけど」

「あぁ、ちょっと思い出し笑いしてただけだよ」


 偶然廊下を通りかかった涼香が、割と本気でドン引きしていた。


 無理もないと思う。正直、笑い出すのを堪えられずに、自然と顔に出てしまった経験など、久しぶりだったから。今は鏡はないが、自分で見ても相当気色の悪い笑みが漏れてしまっていることだろう。


 桜枝刑事の言った『気持ち悪い』というのは、僕の顔を見た涼香が『きしょい』と評したのとはまた違う。彼は、あの短時間で僕の内面を見極め、そして単純にその感想を言っただけだった。


 ついつい笑ってしまった理由は二つ。一つはその指摘があまりにも的確だったこと。もう一つは、初対面の人間に、あれほどはっきりと言える刑事が僕の『敵』であること。僕はアイツを出し抜き、先に犯人を見つけなければならない。


 これから少しの間、ちょっとだけ面白いことになりそうだ。


 新しいオモチャを手に入れた子供のような狂喜を表情に浮かばせると、それを見ていた我が愚妹が、慌てた様子で奥へと逃げていった。

ボロボロのアパートに姉と二人暮らしをしている話も投稿しています。

『s_complex』 → http://ncode.syosetu.com/n1237ec/

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