第25章 僕と彼女の関係
「お前のような問題児は二度と来るな」
大学病院のロビーにて、赤木先生から出禁を宣告されてしまった。
手術するような怪我を負ったらどうするんだよーとか、赤木先生にそんな権限はないだろーとか言うつもりはない。どう考えたって、勝手に病院を抜け出した僕が悪いんだから。
「えー。でもその胸を拝みに遊びに来るくらいはいいですよね?」
「病院に遊びに来るなと言いたいし、本当にいつかセクハラで訴えるぞ、君」
舌打ちまでされてしまった。たぶん、ものすごく怒ってるんだと思う。
僕は今日でめでたく退院だった。本当はもっと短いはずだったのだが、ちょっとした無茶をして傷口が開いてしまったため、再度縫合し直し、また最初からやり直しになってしまったのだ。
後から他人に聞いた話ではあるけれど、僕が意識不明中、赤木先生はずっと僕の身を心配し、落ち込んでいたらしかった。その反動からか、僕が目を醒ましてからは、ずっとあの調子で愚痴を吐き続ける毎日だった。つまり毎日お見舞いに来てくれたわけである。いやー、モテる男は辛いね。
「じゃあそういうことで先生、また会いましょう」
「ん」
軽く挨拶を交わし、僕らはロビーで別れた。別に名残惜しくはない。だって毎月、頭の方の検査で会うんだし。
自動ドアを通って、ロータリーへと出た。空調が整った屋内から、肌を焼くほど日差しの強い外へ。そうか、もうすぐ夏か。まだ六月とはいえど、最近になって一気に暑くなってきた。どうやら今年は梅雨が短いようだな。
などと考えながら、ロータリーの隅に停めてある黒い車へと歩み寄った。
「どうも、お迎えご苦労様です」
「…………」
運転席に座る人物は、無言でこちらを見た。
あれ、マズイな。もしかして間違えちゃった? 黒い車ってことと教えてもらったナンバーが一致したから、桜枝刑事の車かと判断したんだけど、相手に反応がない。このサングラスを掛けて口元をへの字に曲げる男は、桜枝刑事じゃないのか? だったらハズカシー。
「……お前、なんか性格変わったか?」
「うわ、ビックリした。ちゃんと桜枝刑事であってるんじゃないですか。呼びかけたら返事してくださいよ」
相貌失認相手に無言で通すのは、一種の居留守と同じである。
「そりゃ性格くらい変わりますよ。僕にとって、人生が一変するほどの出来事があったんですから」
「ふーん、そうか。別に興味はないから話さなくていい」
「話すつもりはありません」
そんなやり取りをしながら、僕は助手席へと乗り込んだ。
桜枝刑事が迎えに来てくれた理由は、簡単な事後報告をするためだった。別に後日でもよかったんだけど、退院直後の僕を歩いて帰らせるのはよくないと、彼が自ら送り迎えを申し出てきたのだ。でも僕は、桜枝刑事の親切心にどうしても疑問を抱いてしまう。コイツ、ただ仕事をサボりたかっただけじゃねーのか?
「熊谷良吉の件だが……」
シートベルトを締めると、すかさず車を発進させた。
最初の信号で、桜枝刑事が口を開いた。
「殺人未遂と強姦未遂。あとは荊木小百合に対するストーカー行為か。後者はともかく、前の二つは確実な証拠があるから、間違いなく立件はできるだろう。だが……」
信号が青になり、桜枝刑事が口を噤んだ。しかし僕にはそれが、車を発進させたから言葉を切ったわけではないことに気づいた。
「どうしました?」
「いや。ただその二つだけだと、どうしても罪が軽くなる。証拠品の中でも、熊谷は殺すつもりはないと自白していたしな。裁判がどうあれ、執行猶予にはならないとは思うが……もしかしたら、お前たちが成人になる頃には出所するかもしれん。もちろん、二度とお前たちとは会えないよう、何らかの配慮はすると思うが」
「望むところです。もし襲ってきたら、次は椅子程度じゃ許しません」
そう宣言すると、「ちゃんと正当防衛になるよう配慮しろよ」と桜枝刑事は鼻で笑った。やっぱりコイツ、普通の刑事には見えないよなぁ。
ただ熊谷が捕まったことに関しては、少しだけ残念なことがある。
一年前の件だ。結局、奴には何も警告できないままだった。もし取り調べで余罪を追及されてしまったら、過去の罪を喋ってしまうかもしれない。僕の努力は、何も為さないがまま終わってしまう。
ま、そん時はそん時だ。今からどうすることもできないし、僕はすでに、彼女の呪いからは解き放たれているのだから。
「もう一つ。個人的に訊きたいことがある」
「え、僕と荊木さんの馴れ初めですか? 惚気話ならいくらでもしますけど?」
「とりあえず、こいつを聴いてくれ」
完全に無視だった。ショボーン。
走行中にも関わらず、桜枝刑事が助手席のダッシュボードを開いた。中から手の平サイズのオーディオ機器を取り出す。
「荊木小百合が録音していた、事件当時の証拠だ。コピーして持ってきた」
大切な証拠品を、そんな簡単に複製していいのか。いったいコイツにはどんな権限があるのかと疑いながら、僕は再生ボタンを押した。
雑音とともに、荊木さんと熊谷の会話が流れる。うん、間違いない。僕が最初から聞いていた会話内容と、まったく同じだった。
「ここだ。お前が熊谷を殴りつけるシーン」
「いやはや恥ずかしいことです。桜枝刑事の腕力なら、一撃でノックダウンできるでしょうね」
「お前、登場のタイミングがいやに良すぎないか?」
なんでさっきから無視されるんだろうか。ちょっと悲しい。
しかし桜枝刑事の疑問も、もっともだった。最初から聞いている限りでは、僕の声はまったく入っていない。どころか、存在があるのかも怪しい。そして荊木さんが助けを求めた瞬間、まるでタイミングを見計らったように衝撃音が鳴るのだ。
その理由は簡単。だって僕、最初からあの場にいたんだから。
「それがですね、僕、病院を抜け出してから学校へ行ったんですよ」
「学校へ? 何故だ?」
「それは内緒です」
彼女に会いたかったから。正直に言うのは、さすがに阻まれた。
「で、到着したのはいいんですけど、ついに腹の傷みが限界になりまして。保健室で寝かせてもらっていたわけです」
それと学校に到着するまではまったく脳裏になかったが、僕は最大の欠点を見落としていた。
彼女に会いたいとか思っていたくせに、僕は相貌失認だった。つまり、他人の顔を見分けることができない。彼女から歩み寄ってくる以外には、捜しようがなかったのだ。その事実に気づいた途端、すぐにやる気を失ってしまった。
「まるで気絶でもしていたかのように爆睡してて、目が醒めたら周りが暗くなってて、隣で話し声がしていたわけです」
「じゃあお前は最初からあの場にいたってことか!」
「そういうことです。まったく保険医も、眠った生徒を放置して帰るなんて、職務怠慢ですよねぇ」
またもや僕の言葉は無視され、桜枝刑事が呆れたように溜め息を吐いた。
ちなみに保健室の鍵は、保健室の机の上にそっと返しておいた。それを見つけた保険医が、職員室に返したのだろう。鍵は保険医が持つものと合わせて、二つしかない。もし僕が鍵を持ってこなければ、荊木さんと熊谷は保健室には来なかった。それが良いことだったのか、悪いことだったのかは、僕には判断できない。
「なるほどな。話は大体呑み込めた」
その言葉を皮切りに、桜枝刑事は最後まで無言を通した。
とはいっても、もう僕の自宅だ。坂を上り切り、玄関前で停車。僕はお礼を言ってから、再び暑い日差しの中へと降り立った。
「最後に一つだけ訂正しよう」
「何をです?」
「お前のことを、俺が気持ち悪いといったことだ」
「あぁ」
最初に会った日、僕を送った帰り際、確かそんな捨て台詞を残してたっけなぁ。
あれをどう改善してくれるんだろうか。ちょっとだけ期待。
「お前、頭悪いな」
「それ、ひどくなってませんか?」
僕の反論は聞き入れてくれないようで、ウィンドウを閉めた桜枝刑事は、さっさと車を走らせてしまった。なんだかなぁ。どのみち、あの人とも事情聴取やなんかで、また何度か会うことにはなるだろう。文句はその時に言ってやればいいか。
「さて……」
久しぶりの我が家を見上げた。
特に何かが変わったわけでもない。けど、病院を抜け出して帰宅した時とは、圧倒的な違いがあった。僕は期待に膨らませ、玄関を開けた。
「おっすバカ兄貴。おかえりー」
「ただいま」
いきなり我が愚妹のお出迎えである。きっと聞き慣れない車のエンジン音を耳にして、飛んできたのだろう。まったく、主人の帰りを待つ飼い犬か何かかお前は。
と、涼香が両手を腰に当てて、僕を家には上げさせんぞと言わんばかりに仁王立ちする。右手に巻かれている包帯が痛々しかったが、それはあまり気にしないことにした。
「もう、ウチもバカ兄貴が退院するところを付き添いたかったのに、なんで行っちゃダメだったのさ!」
「ごめんごめん。久しぶりに家に帰ったら誰かいる、ってシチュエーションが欲しかったからさ」
「へー……。で、どうだった?」
「すごく嬉しい」
涼香が首を傾げた。表情を認識できなくとも、彼女がはにかんだのが分かった。
家族がいるってのは、やっぱりいいものだ。ただいまがあって、おかえりがある。その当たり前の日常が今も続いているのは、彼女がいるおかげ。どんな仮面を被っていようと、彼女はすでに僕の大切な家族だった。
家族。つまりはそういうこと。
「というわけで、妹役の涼香はここらで終了してくれ」
「えー、なんで?」
「近親相姦は趣味じゃない」
「ほお。妹萌えじゃないとは、今時の高校生にしては珍しいな」
「その口調はナビエさんだね。でもごめん。ナビエさんも、今はお呼びじゃない」
「じゃあ……」
「僕は今、荊木小百合さんに会いたい」
はっきりと、そう言った。
彼女が照れているのが分かる。視線を逸らし、彼女は深く頷いた。
「はい」
小さな返事をし、彼女はすべての仮面を脱ぎ捨てた。
僕は歩み寄り、彼女の素顔をまじまじと見つめる。これが彼女の本当の顔。見分けはつかないけど、この人が僕が一番愛した人。一番大切な人。絶対に忘れない。絶対に忘れたくない。何が何でも、僕はこの顔を覚えてやる。
妄想男に誓いの言葉はいらない。決心だけで十分だ。
ゆっくりと目を閉じた彼女を抱き寄せ、僕らは熱い口づけを交わした。




