合戦訓練
「戦神アレス様も照覧あれ! 我ら『白』隊、若きスパルタ人の名に恥じぬ、勇猛果敢の戦いぶりをお目にかけ奉る!」
「オオオオオオオオォ!」
「戦神アレス様も照覧あれ! 我ら『黒』隊、父祖より受け継ぐスパルタの掟に従い、獅子奮迅の戦いぶりをお目にかけ奉る!」
「オオオオオオオオォ!」
「いやあの……えーと」
「いかがですかな、カルキノス殿!」
こめかみに一筋の冷汗を流しながら呟くカルキノスの、引きつった表情にはまるで気付かぬ様子で、隣に立ったエウバタスが上機嫌に声をかけてくる。
今、カルキノスの目の前には、これまでの人生で一度も目にしたことのない光景が広がっていた。
ここは陸地だというのに――島、である。
幅が大人の男の二跳び分はありそうな、環状の濠のなかに、直径およそ二十歩分ほどの円形の島があるのだ。
自然の地形ではありえない。
人工の島だ。
島をとりかこむ濠の底には、水が溜まっていた。
わざわざ水路を作って川から水を引き、流しこんでいるらしい。
島の両側には、それぞれ、橋がかかっている、
そして今、二手に分かれた逞しい若者たちが、それぞれの橋のたもとに居並んでいた。
競走を前にして猛り立つ悍馬のように、彼らは一様に目をぎらつかせ、足を踏み鳴らしている。
腰と拳に、それぞれの隊をあらわす色の布を巻きつけている以外には、何の武装もしていない。
「ここが、合戦訓練のための演習場です。あれをご覧ください」
『白』隊が集まる橋のたもとを、エウバタスが恭しく手で示した。
そこに、非常に立派な体つきをした男の像が建っている。
「あの方こそ、立法者リュクルゴス。スパルタに掟をもたらした方であり、この合戦訓練の創始者でもあります」
「うわあ」
反対側の像――『黒』隊が集まる側に建っている「ヘラクレス」――にも負けぬ、リュクルゴス像の筋骨隆々の肉体を見つめ、カルキノスは思わず呻いた。
「あの……あんまり、っていうか、だいぶ聞きたくない気がするんですけど、この合戦訓練っていうのは、要するに何を……」
「簡単なことですな。両側の橋から、一斉に島へとなだれ込み、敵方の隊の者を、濠の水に叩き込むのです。最後まで隊員が島に残っていた方が勝者ということですな」
「うわあ」
「敵方の体の、どこをどのように攻撃しようが、反則は一切ありません」
「無いの!?」
パンクラティオンでさえ「噛みつき」と「目潰し」は禁止されているというのに。
「戦場では、いかなることも起こり得ますからな。若者たちをそれに慣らしておく必要があります」
「慣らしておくっていうか、戦場に立つ前に、訓練で死んじゃったら意味ないですよね!?」
「なあに、恐れを捨て、勇猛にふるまえば、アレス神が必ずお守りくださいますぞ!」
男を殺す戦神とうたわれるアレス神が、本当に彼らの身の安全を「お守りくださる」のかどうか、ものすごく不安だ。
「カルキノス殿は、どちらの隊が勝つと思われますかな?」
「え? それは……いや。うーん……」
グラウコスとナルテークスは『白』隊にいた。
ナルテークスの姿は、若者たちの群のなかにちらりと見えたきりだが、グラウコスときたら、自分よりも前に出ようとする仲間たちを両方の肘でがんがん突いてまで最前列に陣取り、野獣のような雄叫びを上げまくっている。
「もちろん、どっちの隊にも健闘してほしいけど……どっちかって言うなら……じゃあ、ここは『白』隊で」
「おお、さすがはカルキノス殿! お目が高い!」
「高いの!?」
讃えられた根拠がまったく分からない。
「昨夜の《いのしし合わせ》の儀式では、『白』隊のいのししが勝ったと聞いておりますからな。昔から、合戦訓練では、持ちいのししが勝った隊が勝利をおさめる場合が多いのです」
「あ、そういう話だったんだ……」
「いざァ!」
カルキノスが呟いているあいだに、若者たちの闘志はいよいよ最高潮に達しようとしていた。
グラウコスが、ほとんど歓喜の雄叫びとしか聞こえぬ絶叫を放つ。
「アレス神よ! 我が血と、我が敵の血を、御身に捧げ奉らん!
皆、行くぞ、決して退くな! 恐れを捨て、勇猛の化身となれ! ――突撃だアァァァ!」
「ウオオアアアアアァ!」
限界まで引き絞られた強弓から、解き放たれた矢のように。
ふたつの橋から同時になだれ込んだ若者たちの集団が、島のほぼ中央で激突した。
その瞬間に響いた鈍い音に、カルキノスは思わず目をつぶった。
肉と肉、骨と骨とがぶち当たる音だ。
だが、悲鳴はひとつも聞こえない。
ただ、獰猛な唸りと、低い呻き声のみ――
一瞬、がっちりと組み合ったかに見えたふたつの隊だが、すぐさま均衡は崩れ、すさまじい乱戦が始まった。
「わっ」
一人の若者が顔面を殴り飛ばされ、錐揉みしながら濠に落ちていく。
カルキノスは思わず自分の頬を押さえて顔をしかめた。
若者の口から何かが飛んだように見えたが、まさか歯ではない、だろう、多分。唾であったことを祈る。
あちらでもこちらでも、続けざまに水しぶきが上がった。
蹴り飛ばされて、前のめりにほとんど一回転しながら落下していく者。
足をはらわれて倒れ、島のふちに思い切りぶつかってから転げ落ちていく者。
濠の底に、わざわざ水路を引いてまで水が溜めてある理由がよく分かった。
あの勢いで落ちたのでは、衝撃を和らげる水がなければ、本当に死人が出かねない。
「ウォオオオオオ」
グラウコスが、獅子のごとき咆哮をあげながら、ほぼ体格が互角の相手と真正面から殴り合っている。
互いに執拗に顔面を狙って打ち合っているのは、何か積年の恨みでもあるのか、それとも、単なる意地の張り合いか。
(どうして)
カルキノスはもはや目をおおうことも忘れて、掴み合い、蹴り上げ、殴り合う若者たちの様子を見つめていた。
(こうなると分かっていて、どうして、皆、この訓練に参加しようと思えるんだ?)
二日酔いで嘔吐し続けていた、例の若者のことを思い出した。
まっすぐ歩き続けることもできないほどの体調であるにも関わらず、彼は、頑強にこの訓練に出ようとし、仲間たちも誰ひとりとしてそれを止めようとしなかった。
だが、あんな状態で激しい運動をすれば、冗談抜きで命に関わる。
結局はカルキノスが「将軍権限」で強引に休ませたのだが、若者は、それを泣いて悲しんだのだ。
『二日酔いのために訓練を休むなど……スパルタの男として、何よりも恥ずかしいことです! そんなことになったら、俺は今後、仲間たちに顔向けができません!』
『いやいやいや』
カルキノスは、さすがに真顔でぱたぱたと手を振った。
『訓練場がゲロだらけになったら困……いや、君が倒れたら困るから。ていうか、すでに今もう倒れそうだから』
『俺は大丈夫です! 倒れるまで戦います!』
『いやそれ大丈夫って言わない……いや、うん、ほら、ね? そういうのは、本番の戦いまで取っておいてくれたまえ!
そう、君は、このたびのことを不名誉と思うかもしれないが、他ならぬ輝けるアポロン神の加護を受ける俺に勝負を挑んだのだから、こうなったのも当然というか、これくらいで済んだのは、むしろ幸運だったというか。
ともかく、今は、しっかりと体調を回復することに専念するんだ。この俺が、命令するよ。そして、今回のことを不名誉と思うのならば、本当の戦場に立ったとき、その雪辱を果たしたまえ!』
(俺なら、こんなとんでもない訓練に出ずに済むなら、これ以上の幸運はないと思うのにな……)
仮に金を払ってもらえるとしても、断じて出たくない。
むしろ、出ないためなら、こちらが金を払う。
それなのに、神の名を出してまで説得しなければ休もうとしないというのは、いったい、どういう心境なのか――
悔しげな叫びの尾を引きながら、若者がまた一人、濠に落ちていった。
(あっ)
若者が落ちていった島のふちに、ナルテークスが立っているのが見えた。
相手の爪か何かで傷ついたのか、彼は、頭から血を流している。
髪と、顔の左半分、肩までもが真っ赤に染まっていた。
ほんの一呼吸ほどのあいだ、彼は苦しげな顔でその場に突っ立っていたが、すぐに長身をひるがえし、戦いの中に戻っていった。
カルキノスの目は、自然とその姿を追った。
ナルテークスは、最も近くにいた『黒』隊の若者に飛びかかっていった。
長い腕で掴みかかり、殴りつけ、肘で打ち、膝で蹴り上げる。
相手の爪が彼の脇腹を抉り、新たな傷が走った。
それでも、彼は戦うことをやめない。
その表情はまるで、戦神アレスに凶暴な戦闘衝動を吹き込まれたかのようで――
『死は恐ろしい』
あの日、そう記した文字を何度も叩き、悲しげにこちらを見つめたナルテークスの表情が思い出された。
(何なんだ)
激しい違和感があった。
『死は恐ろしい』
あの言葉は嘘か冗談だったのではないかと思いたくなるほどの、凄まじい戦いぶり。
死を恐れる心など欠片も持っていないかのような、捨身の攻撃――
「ナルテークス、行けェ!」
急に、グラウコスの馬鹿でかい声援が耳に届く。
ふと気付けば、『黒』隊のうち、島の上に残っているのは、今まさにナルテークスと戦っている若者だけだった。
《いのしし合わせ》の儀式の結果は、どうやら的中しそうだ。
ナルテークス! ナルテークス! ナルテークス!
『白』隊の若者たち――誰もが、全身ぼろぼろだ――が、島の一角に集まって声援を送る。
ディオドロス! ディオドロス! ディオドロス!
『黒』隊の若者たち――いまや全員が濠の中だが――も、残る力を振り絞り、ただ一人残った味方に声援を送っている。
二人の若者は声も立てずに激しく組み合い、互いの首にがっちりと腕を巻きつけ、隙あらば相手を引き倒そうとしていた。
カルキノスは、我知らず、自分の首に両方の手を当てていた。
まるで乙女のような姿だが、そんなことはどうでもいい。
(俺だったら、首の骨が折れてる)
二人の戦士の顔は、真っ赤にふくれ上がっている。
今にも、どちらかの頭の血の管が破れるのではないかと、カルキノスは気が気でなかった。
食い縛った歯をむき出した凄まじい形相で、ナルテークスが、強引に相手の腕から抜ける。
相手の体が泳いだ一瞬の隙に、拳を腹の真横に打ち込んだ。
重い打撃をまともに受けた相手が、耐えきれずに身を折る。
ナルテークスは、その上から覆い被さるように相手の腰を引っつかみ、満身の力で持ち上げ、振り飛ばすようにして濠に放り込んだ。
雷鳴のような歓声が上がった。
『白』隊の勝利だ。
グラウコスがナルテークスに駆け寄り、その腕といわず背中といわず、ばんばんと叩きまくった。
常人ならば、その一発一発で骨が折れているのではないかというほどの勢いだ。
「いかがでしたか」
満足そうな顔でエウバタスが訊ねてきたが、カルキノスは、答えられなかった。
濠にはしごが下ろされ、泥水まみれの『黒』隊の若者たちが次々と這いあがってくる。
一人も、死人は出なかった。
アレス神の御加護は、確かにあったのかもしれなかった。
『白』隊の若者たちが勝鬨をあげる。
そして、敗者は悔しげに、勝者は堂々と、それぞれの方向に引き上げていく。
(あっ)
振り向いたナルテークスと、一瞬、視線がぶつかった。
半身を血に染めた彼は、先ほどまでの野獣のごとき戦いぶりが嘘のように、少し肩をすぼめ、どこか悲しげな顔でカルキノスを見た。
だが、それは本当に一瞬のことだった。
幾人もの若者たちが、次々にナルテークスの肩を叩き、興奮した様子で言葉をかける。
ナルテークスは、すぐにカルキノスから視線を外し、仲間たちとともに歩き去っていった。
「カルキノスッ!」
「うわ」
集団から抜け出したグラウコスが駆け寄ってきて、カルキノスは思わず一歩下がった。
全身が土ぼこりと飛び散った血にまみれ、髪は乱れ放題。
顔面がぼこぼこに腫れあがり、激闘の余熱でかっと目を見開いた形相には、突然出くわしたら凶悪な山賊でも悲鳴を上げて逃げ出しかねないほどの、異様な迫力があった。
「どうだ、俺たちの戦いぶりはッ! なかなかのものだったろうが、ええ?」
彼は興奮冷めやらぬといった口調でまくし立て、カルキノスの肩をばんばんと叩く。
グラウコスとしては加減をしているつもりらしいが、肩が脱臼しそうな衝撃だ。
「あだだだだ! 痛い、痛い!」
「あぁ? 馬鹿が、この程度でなァ! もっと鍛えろッ!」
「こんな程度って……え!? グラウコス! それ、折れてない!?」
「わはははははは!」
なぜか馬鹿笑いをあげるグラウコスの左手の人差し指の半ばが、異様にふくれ上がっている。
「こんなもの、かすり傷だッ! 布で巻いて固めておけば治る!」
「いや、全然、かすり傷とかじゃないから! 明らかに折れてる! 痛くないのか!?」
「スパルタの男は、痛みなど気にかけんものだッ!」
「それってつまり痛いんだろ!? すぐに冷やさないと! 湿布! キャベツ……は、ないか……じゃあ、泥で湿布だ!」
はしごはすでに引き上げられていたが、『黒』隊の若者たちが這いあがってきたあたりの濠のふちは、彼らの髪や体から滴り落ちた水でまだ湿っている。
カルキノスは左脚を折り曲げてかがみ、濡れた土をかき集めた。
「おまえは、大げさだな……」
「何が!? 指が曲がらなくなったら、どうするんだよ!」
「大丈夫だ。俺の利き手は右だ。槍は握れる」
「何の解決にもなってない!」
エウバタスは若者たちとともに立ち去り、今、この場には、カルキノスとグラウコスの二人だけが残っている。
グラウコスは適当な岩を見つけて、どっかと腰を下ろし、カルキノスに手当てをされながら、小さく顔を歪めた。
「おい、もっと丁寧にやれ」
「やっぱり痛いんじゃないか……」
カルキノスは、グラウコスの左拳に巻いてあった布をそろそろと外し、濡れた土を腫れあがった指にのせた。
手近に生えていた、できるだけ幅が広くやわらかそうな草の葉を取り、土ごと、太い指を包みこむ。
さらにその上から、そっと布を巻きつけた。
「とりあえず、これで……どうだい。少しは、ましになった?」
「ふん。もともと、痛くも痒くもないわッ」
「何なんだよ、その、ものすごい痩せ我慢は……」
骨が折れたら痛いに決まっているのだから、痛いと言えばいいのに。
二日酔いはきついに決まっているのだから、訓練を休みたいと言えばいいのに――
(ん?)
ふと、何かを思い出しそうになった。
『死は恐ろしい』
あのとき、風の吹く丘の上で、ナルテークスが記した言葉。
『俺たちは、恐れをあらわさないだけだ』
……そう、その、後だ。
その後に、彼は何と記したのだったか?
『そんなことは、許されない』
(――許されない?)
ふと、何かを思いつきそうな気がした。
明瞭な言葉に変えることができる、ぎりぎり外側に、今、それはある。
それは、本当に漠然とした予感のようなものだった。
強引に掴もうとすれば、霧散してしまいもう、戻ってはこないかもしれない――
「なあ、グラウコス」
だから、敢えて別のことを――別のことのようでいて、近いように思えることを、話しかけた。
「あぁ?」
立ち上がり、ぶらぶらと兵舎のほうへ歩き出しかけていたグラウコスが、面倒そうに相槌を打つ。
「ナルテークスも、凄かったよな、さっき」
「おう。あの一撃と、とどめの投げ技! 俺は、見ていて、血が熱くなったぞッ!」
「あっ、あんまり、興奮しないように」
せっかく応急処置で湿布をしたのに、血のめぐりがよくなりすぎれば、また腫れがひどくなるかもしれない。
「あのさ……ひとつ、気になってることがあるんだけど。前に、体育訓練場で、ナルテークスとエフェイオスが試合をしたことがあっただろ。俺がスパルタに来た日に」
「おう」
「ナルテークスは、あれほど強いのに、どうして、あんなふうに馬鹿にする奴がいるんだろう? ……やっぱり、喋れないから?」
「まあ、そうだな。……あいつ、昔は普通に喋っとったんだがなぁ」
「あ、……え? えっ!?」
グラウコスがあまりにもさらりと口にしたその言葉に、普通に頷きそうになってから、思わず訊き返す。
「昔は、喋ってた? ナルテークスは、生まれつき口が利けなかったわけじゃないのか!?」
「おう。俺たちが、まだガキだったころ、――そうだな、七つか八つのころまでは、普通に喋っとった」
「えっ。じゃあ、どうして話せなくなったんだ?」
「知らん」
拍子抜けするほどにあっさりと、グラウコスはそう答えた。
「急に、一言も喋らなくなったんだ。本当に、急にな。俺も、どういうことかと思った覚えがある。……まあ、そういう病だろ。知らんが」
適当すぎる。
「だから、奴の父上も――」
そう言ったところで、グラウコスは、ぴたりと口を閉じた。
自分が、語るべきではないことまで口に出してしまったと、急に気付いた者のように。
(何が起きたんだ)
ナルテークスとアクシネの家族に、いったい何があったのか。
カルキノスは、威儀を正した。
「グラウコス」
かたく口を引き結んだグラウコスを真正面から見つめ、問いかける。
「なあ。君は……知っているんだろう? 教えてくれ、俺に。ナルテークスとアクシネの家で、過去に、何が起きたのか。
単なる知りたがりで訊いているんじゃない。聞いても、絶対、人に言いふらしたりしない。
これほどナルテークスの世話になっているのに、俺は、まだ、彼のことをほとんど何も知らないんだ。
俺は、知りたいんだよ。ナルテークスのことを。彼がなぜ、いつも、あんなに……悲しそうなのかを」
グラウコスは、しばらくのあいだ、何も答えようとしなかった。
やがて、彼は長い鼻息を吹くと、カルキノスを睨みつけるように見下ろしながら、太い腕を組もうとした。
そして、いでっ! と小さく叫んで、顔を歪めた。
左の人差し指が折れていることを忘れていたらしい。
「だっ……大丈夫かい!? ごめん、忘れてた。すぐに、ちゃんとした治療を――」
「誰にも言うなよ?」
「言わない、言わない。君が、いでっ! とか言ってたなんて、誰にも言わない」
「馬鹿野郎! 誰が、指の話なんかしとる」
グラウコスは、無事な右拳で、ぼこんとカルキノスの頭を殴った。
棍棒で一撃されたような衝撃に、カルキノスは声もなくその場に崩れ落ちたが、
「教えてやる。だが、この話を、人前ではするな。
もちろん、ナルテークスとアクシネにもだ。俺から聞いたなんてことは、絶対に言うな」
「……えっ」
くらくらする頭を、無理に上げる。
「教えてやる、と言ってるんだ」
グラウコスの表情は、これまで見たこともないほどに真剣だった。
「おまえになら、話しておいてもいいだろう。
あいつらの家に、何があったか。あいつらの、父親のことをな――」




