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将軍カルキノス

     *     *     *

  *     *     *


 長老会ゲルーシアは、ふたたび紛糾していた。

 いや、正確に言えば、まだ「紛糾」しているわけではない。

 長老たちはこの場に招集されただけで、その目的は、いまだ知らされていなかったからである。

 だが、駆けつけてきた二十八人の老人たちの顔つきは、どれもあからさまな疑念と憤慨で彩られていた。

 名実ともにスパルタを動かす重鎮である彼らが招集された理由というのが、例の「何の役にも立たない」アテナイ人の若者だったからである。

 

「えー、皆さま。このたびはわざわざお集まりいただき」


「御託はよい!」


 カルキノスの言葉を、その十倍はありそうな声量でさえぎり、最も年嵩の老人が喚いた。


「スパルタでは、不必要の長広舌は悪徳じゃ! わしらを呼び出した用件を言え、用件を!」


「将軍としての、仕事がしたい」


 あまりにもはっきりと言い放たれたカルキノスの言葉に、一瞬にして、場が静まり返る。

 前回の集まりでは、涙と鼻水を垂れ流しながら、ぼろ布のように床にうずくまっていた若者。

 その若者は、今、まっすぐに立ち――いや、少し傾いてはいたが――、決然と顔を上げていた。

 その意気込みはけっこうだが、あれから体を鍛えたようにも、戦闘のための訓練を積んだようにも見えぬ。


「あなたがたに、お訊ねしたい!」


 その若者が、歴戦のスパルタの老人たちを相手に、弁舌を振るい始めた。


「『将軍』とは? ……将軍とは、いったい、何をする人間のことか?」


 長老たちは、顔を見合わせた。

 こいつは頭がいかれたようだ、という手つきをする者。

 大きく鼻息を吹き、首をふる者。

 失笑を隠そうともしない者。


「軍勢を率い、その軍勢のうちの誰よりも、よく戦う人間のことじゃな」


 言わずもがなという調子で、最長老が答えた。


「その、誰よりもよく戦うというのは、盾と槍とを持って?」


「無論じゃ。他に何がある?」


「なるほど」


 カルキノスは大きく頷き、


「将軍とは、軍勢を率い、その軍勢のうちの誰よりもよく戦う人間のことだと、あなたは言った。ならば、俺は、それをやってみたいと思う!」


 老人たちの二分の一の太さもない腕を広げて、そう叫んだ。


「ただし!」


 あまりの放言にあんぐりと口を開けた一同の前で、


「ご覧になれば分かるとおり、俺は、あなたがたのように、盾と槍とを持って最前線で戦うことはできない。だから、ここ(・・)を使って、やる」


 拳を作り、こんこんと自分の頭を叩いてみせる。

 それから三呼吸ほどのあいだ、完全なる無音の時間が続き、


「……頭突きか!」


「違う」


 なぜか名案のように叫んだ老人を言下に切り捨てて、カルキノスは続けた。


作戦(・・)だ。俺は、スパルタが勝つための作戦を考えた!」


「作戦じゃと!?」


 たちまち、憤激の声があちこちから上がる。


「無用じゃ! 我らスパルタの男には、くだらぬ小細工など必要ない!」


「さよう! 勝敗を決するものは、鍛え上げた肉体と、強靭な意志、そして隊列を維持する規律のみじゃ!」


「真っ向の力勝負で相手を叩き潰すのでなければ、勝ったことにはならぬ。作戦などというものは、つまるところ、卑怯者の考えることじゃ!」


「戦列を組み、前進し、真正面から敵にぶち当たって打ち破る……これが、父祖代々のスパルタのやり方よ! 貴様ら軟弱のアテナイ人とは違うのだ!」


「……頭が固すぎる」


「何?」


「今、もう、負けかけているのに、頭が固すぎる!」


 カルキノスは、怒鳴った。


「あなたたちは、勝ちたい・・・・んじゃないのか!? そのために、俺を呼んだんじゃないのか! それなのに、今までのやり方に頑固にしがみつこうとする……これだから、お年寄りは!」


「何だとォ!」


 長老たちの半数が顔を真っ赤にしてカルキノスに突進し、残る半数が必死にそれを羽交い絞めにした。


「貴様ァ! もう一度言ってみよ!」


「俺は、どうしても、スパルタを勝たせなくちゃならないんだ」


 目の前に並ぶ怒り狂った顔から、一瞬も目を逸らさず、カルキノスは言った。

 囁くようなその声は、気圧され、怯えているためではない。

 歯を食い縛り、湧き上がる怒りを抑えているからだ。


「だから、俺の提案を聞いてほしい。……聞くべきだ! だって、あなた方のこれまでのやり方では勝てなかったから、俺が今、こうして喋ってるんじゃないか!」


「こっ――」


 最長老の目が血走り、その顔が真っ赤にふくれ上がったように見えた。


「この、足萎えの、生白の、槍さえ持てぬ書生ふぜいが! 鴉のところへ行け! 貴様など、生まれたときにケアダスに送られるべきだったのだ! この――」


 そこまでで息が切れて、激しく咳き込みはじめる。


「大丈夫か!」


「このアテナイ人め、よくも……」


「いや、待て!」


 なおもカルキノスに詰め寄ろうとする同僚たちを制し、別の長老が声を張り上げた。


「聞こう! まあ、ひとつ聞いてみようではないか、こやつの考えとやらを。聞いた上で、くだらぬ考えであったなら、そのときはケアダスにでもどこにでもぶち込めばいいだろう!」


 老人たちは、押し黙った。

 物理的な圧力さえ伴っているようなその視線を、カルキノスは、真っ向から受け止めた。


「どうも」


 同僚たちを押しとどめた長老に向かって、軽く頭を下げ、


「さて」


 右脚を引きずりながら、彼は、一同の前でゆっくりと歩き回り始めた。


「思い出してもらいたい。……メッセニアの連中と戦ったとき、彼らは、槍と盾とを持っていた」


 カルキノスが発した言葉に、全員が、虚を突かれた。

 思い出すまでもないことである。

 戦場に武器と防具を帯びて来ない者が、一体どこにいるというのか?

 だが、老人たちがそう怒鳴り出すよりもはやく、


「その、槍と盾とは、どこ・・から来た?」


 カルキノスはそう問うて、一同の顔を順に見渡した。

 質問に対する答えが思いつかず、黙り込む者。

 そもそも質問の意味が分からず、ぽかんとする者。

 そして、残る一部の者たちは、はっと表情を変えた。


「俺は、スパルタに初めて来た日のことを、よく覚えてる」


 カルキノスはそう言い、ちょっと笑った。


「すごく暑かった。何日もロバに乗り続けて、尻が痛かった。あれほどの距離を歩いてきたのに、ゼノンたちには、疲れた様子もなくて……スパルタの男っていうのは、噂どおり、本当にすごいと思った」


 長老たちの幾人かが我知らず鼻を膨らませ、中には力強くうなずいた者もいた。


「俺たちは、道端で休憩することにした。俺は、ひょろひょろした無花果の木の陰に寝そべった。でも、ナルテークスもゼノンも、あと一人……えーと誰だったかな、彼も、立ったまま、全然喋りもせずに、あたりを警戒していた」


 いまや、誰も他に声を上げる者はなかった。

 ひょこひょこと歩き回りながら拳を振り、熱っぽく話し続ける若者の言葉に、全員が引き込まれている。


「そのときのことだ。彼らは、自分の槍を持ったまま立っていた。従卒たちには、決して持たせようとしなかった。そのときだけじゃない。旅のあいだ、ただの一度もだ――」


 カルキノスはぴたりと足を止め、最長老の目を見据えた。


「あなたがたスパルタ人は、奴隷には(・・・・)決して(・・・)武器を(・・・)持たせない(・・・・・)

 メッセニア人たちは、どこから、あれほどの数の武器を手に入れたんだ?」


「それは……」


 考えもしなかった、というように、長老たちはざわめいた。


「先の戦役で我らの祖父たちがメッセニアを打ち破ったとき、奴らの武器は、みな取り上げてしもうたはずじゃ」


「土に埋めるとか、川に沈めるとかして、隠し持っておったということか……?」


「あれほどの量を?」


 カルキノスは首を振り、一同を見回して言った。


「その考えは現実的じゃない。――では、買ったのか? 彼らは奴隷、大量の武器を買い入れることができるほどの財貨の蓄えなど、なかったはずだ。にもかかわらず、彼らは、武器を手に入れている! これはいったいどういうことなのか? 俺は、こう考える。どこかの(ポリス)が、彼らの反乱を支援し、武器を供給しているんだ!」


 ぎらつくほどの光を宿した目で、一同の顔を眺め渡す。


「スパルタは、メッセニアに流れ込む武器の流れを堰き止めなくてはならない。戦えば、必ず槍は折れ、盾は割れる。武器の供給さえ断てば、戦いを重ねるたびにメッセニアは弱り、スパルタは必ずや優位に立つだろう!」


 スパルタでは、雄弁はむしろ軽んじられる。

 特に、相手を説得、論破しようとする場合には、短い言葉に重い意味を込め、寸鉄を心臓に叩き込むように語るのがスパルタ人の流儀だ。

 だが、今、カルキノスの熱弁を嘲笑う者はいなかった。

 アテナイの若者の言葉は、彼らにとって、思いもかけぬ方角から射してきた理性の光にも似ていた。


「武器の供給じゃと?」


「どこだ、それは……一体、どこの市が!?」


「まだ分からない」


 カルキノスは率直に言った。


「でも、俺の考えを言わせてもらえば、このたびの戦いでメッセニア側に参戦していたエリス、アルカディア、アルゴス、シキュオンのどこかが怪しいと思う。一度目の、デライの戦いの以前から、武器の供給はあったはずだ。一度目は様子を見ていたが、その結果が引分けだったことから、メッセニアに勝機ありと考えて、今回は自分たちも参戦してきたと見るべきだろう」


 カルキノスの力強い言葉に、もはや、誰も反論しない。


「四つの市のうち、どこが企んだことであったとしても不思議はない。あなたがたのスパルタは、彼らにとって、目の上のたんこぶなんだ。何しろスパルタは、防壁も家も貧相、剣は短い、下着もろくに着られないほど貧乏かもしれないが、軍の精強さにおいてはペロポネソス半島でも随一と評判なんだから……」


「それは、誉めておるのじゃろうなっ!?」


「もちろん!」


「そうは聞こえんかったが……」


 疑わしげな長老の言葉に、後ろのほうで、誰かが派手にふき出した。


「カルキノスよ!」


 アナクサンドロス王である。

 王はこれまでずっと、いつものように沈黙を守ったまま一同の言葉に耳を傾けていたが、そこでおもむろに前に進み出ると、


「いや、カルキノス将軍よ。実に、理にかなった意見じゃ」


 親しげにカルキノスの肩を叩き、うなずいてみせた。


「しかしながら、ひとつだけ誤りがあったな」


「え?」


「そなたは、我らがスパルタをどうしようもない貧乏都市だと思っておるようじゃが、我らの蓄えは、ギリシャの大地ヘラスでも屈指のものよ」


「え!? でも……」


「我らが着るもの、食うもの、住まうところを極めて質素にとどめるのは、そのほうが心身ともに鍛えられ、よき戦士となることができるからじゃ」


「さよう!」


 長老たちも、口々に言い始める。


「衣装に凝って着膨れ、美食にふけり、飾り立てた屋敷に住めば、生白の、ぶよぶよの、吝嗇家になるに決まっておるわ。そんな者は、戦場で、ものの役に立たぬ!」


「さよう! 市を囲む壁を厚くすれば、壁を恃んで油断する心が生まれる。我らは皆、我ら自身が壁となり、スパルタを守るという気概を常に持っておる!」


「わしらの剣が他国のものよりも短いのは、戦場で刃を交わすときに、敵に対して、より深くまで踏み込むためよ」


 口々に語る老人たちの顔は、どれも、まるで若者のそれのように晴れやかな誇りに満ち、輝いていた。


(本物の、戦士たちだ)


 あまりにも頑固で、旧弊で、愚直に過ぎるという思いはある。

 だか、彼らの言葉には、これまでずっと命を張って故郷のために戦い続けてきた男たちの、本物の矜持があった。

 自分自身の考えが間違っているとは思わない。

 だが、彼らの誇りを否定することもできない。

 それは、自分にも、他の誰にも、できないことだ――


「他国の者の目に、どのように見えようと……たとえ、愚かと思われようと、我らは、父祖代々の伝統を守らねばならぬ」


「では……」


 カルキノスが囁くように言いかけるのを、王は、片手を挙げて押しとどめた。


「だが、伝来のやり方にこだわるあまり、スパルタそのものが滅びてしまったのでは、何にもならん」


「……ん?」


「長老たちよ!」


 アナクサンドロス王は、ぽかんとした表情を見せたカルキノスを置いて、ぐるりと老人たちのほうに向き直った。


「戦場において、正々堂々、敵と立ち合うは当然のこと! されど、我らはあまりにもそのことのみ考え、戦場に立つまでに、勝利を得るべく最大の努力を払うことは忘れておった。カルキノス将軍が、そのことを我らに思い出させてくれたのじゃ。

 皆、考えてもみよ! 我らは、戦の前には斥候を送り出し、戦場となる地の地勢を調べ、敵の居所を探るではないか。 これは、卑怯な計略であろうか? 否! 戦士として当然の心構えである。むしろ、それを行わぬことこそ、盾を磨き槍の穂先を研ぐことを怠るのと同様、許しがたい怠慢であるとわしは考えるが、皆の意見はどうか?」


「それは……確かに」


「王の仰せの通りじゃ」


「ならば、やろうではないか!」


 スパルタの男に似合わぬ雄弁を披露した王は、力強く続けた。


「諸国に、間諜を送り出そう! メッセニアに流れ込む武器の流れを突き止めるのじゃ!」


「間諜ですと!」


「少しばかり、響きが悪いかな? では、斥候と呼ぶこととしよう。つとめは同じじゃ」


 磊落に笑って、長老たちに頷きかける。


「我らの伝統にない小細工と感じるかもしれぬが、実際には、これまで我らがずっとやってきたことよ。地勢を探り、敵の布陣の様子を探るのと同様に、敵がいったいどこから武器を手に入れているのかを探るのじゃ! 父祖たちに恥じるところなど、何ひとつない。どうじゃな?」


「ふうむ……なるほど」


「そういうことならば……」


「こうなったら、誰を送り出すか、それが問題じゃな!」


「――将軍よ」


 やがて、しきりに議論を戦わせ始めた長老たちからすっかり取り残されたかたちのカルキノスを振り向き、アナクサンドロス王は微笑んだ。


「ここは、もうよい。将軍の作戦は、すでに動き出した。後のことは、我らに任せよ」


「あ……では、俺はこれで。どうも」


 と、一応カルキノスは皆に挨拶したのだが、長老たちは互いに唾を飛ばしながら間諜の人選について激論をたたかわせており、誰もこちらを見るものはなかった。

 ただアナクサンドロス王だけが、一瞬の目配せを送り、それから激しい議論の輪の中に戻っていった。

 カルキノスは律義に一礼すると、長老会の場を立ち去った。

 空が、青い。


(うまくいった!)


 まじめな顔を保ち、杖をついてひょこひょこと道を歩きながら、内心で拳を握る。

 話し合いは、思った通りに――いや、思っていた以上に、うまく進んだ。

 長老会(ゲルーシア)の招集以前に、カルキノスは、今の「作戦」を前もってアナクサンドロス王に打ち明け、協力を要請していたのである。

 王は、数名の長老たちと内々に連絡を取りあい、議論をいかに運ぶかについて、入念に打ち合わせをしていた。

 一部の長老たちからの激しい抵抗があることも、もちろん想定済みだ。

 異論が噴出したところで、王自身が進み出て、カルキノスからの提案をいったんは否定する。

 そうしてスパルタの伝統を立てつつも、その誇りを傷つけぬような形で「作戦」の有効性を説き、実行を長老会ゲルーシアの総意として認めさせる――

 全て、カルキノスが考えた筋書きの通りに進んだ。


(アナクサンドロス王が話の分かる人で、本当に良かったよ)


 何しろ長老会ゲルーシアは、やたらに血の気が多く、腕に覚えのじじいたちの集まりである。

 ぶっつけ本番で乗り込んで、下手に話を運んだ日には、冗談抜きで殴り殺されるおそれもあった。


(そういえば、何だか言ってたな……ケアダス、だっけ?)


 ケアダスに送ってやる、とか何とか、最長老が怒鳴っていたが、どういう意味だったのだろうか。

 ぶっ殺すぞ、という意味の、スパルタ独特の表現だろうか。


(まあいいか。それよりも、俺の仕事は、まだまだこれからだ)


 次の戦いはある。必ずある。

 そのとき、スパルタが確実に勝利を掴み取ることができるよう、打てる手は、全て打っておかなくてはならない。


(打てる手……)


 それが問題であった。


(他に、何かできることはないか)


 まだ、何も思いついていなかった。

 武器の流れを洗い出し、それを断ち切るだけで、かなりの効果はあると思う。

 だが、それだけでは駄目だ。

 他に、何か、自分にできることはないのか。


(疲れた……いったん、家に戻るか? でも、そしたらアクシネに捕まりそうだしなあ。ちょっと、歩いてみるか……)


 詩の文句を練るのに行き詰まったときには、散歩をしているうちに、ふと妙案が浮かんできたりするものだ。

 スパルタの風景をあれこれと眺めて歩けば、勝利につながる策の手がかりが、何か見つかるかもしれない。

 カルキノスは、杖を突きながら、ひょこひょこと道を歩いていった。

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