待ち人来たる
荒野に、一本の道が伸びている。
陽炎がゆらめく暑さである。
照りつける陽光はごつごつした土の道から全ての水分を消しとばし、あらゆるものの影を大地に焼きつけてしまいそうだった。
それでも生命力旺盛な植物たちは岩がちな地面をおおって茂り、大ういきょうやアザミ、名も分からぬ背の高い草などが、そこらじゅうにかたまって生えている。
そこへ突然、
「ホゥッ!」
と声をあげ、茂みのひとつを割って、勢いよく道に飛び出した人影があった。
若い女だ。
彼女とすれ違う者が十人いれば、九人は目を逸らしてそそくさと通りすぎ、あとの一人は目を丸くして凝視し、いったん行きすぎてから、もう一度振りかえって見るであろう。
それくらい、かわった女だった。
はだしで、毛織の肌着一枚を身にまとっている。
ここまでは、この地方では珍しくもない姿だったが、衣の丈が、やけに短い。
布地の仕立てはふつうだった。
つまり、本人の背が高いのだ。
どこから茂みを突っ切ってきたのか、その衣のあらゆるところに、とげとげした草の種がくっついている。
だが、彼女はそれを気にする様子もなく、爪先だって、道の伸びてゆく先を見た。
邪魔そうにかきのける黒く長い髪は、豊かではあったがぼさぼさで、手入れの後が見えない。
そして、彼女の見た目をさらに強く印象付けるものは、腰にぶら下げた一丁の斧だった。
飾りものではない。実用品だ。
その証拠に、握りの部分が黒ずみ、艶光りしている。
野山を駆け巡り、獣を引き裂くというディオニュソス神の信女だろうか?
だが、彼女は忘我の状態におちいっているのではなかった。
きらきらと光る黒い目には、明らかに、彼女自身の意志がある。
その目の上に手をかざしながら限界まで伸びあがって、道の伸びてゆく先を見つめ、
「まだ、こないなあ」
と声に出して言い、
「よし!」
と叫ぶや、あっというまに道をはずれて走り出した。
とげのある草も意に介さずに踏みつぶし、風のように走り抜けてゆく。
彼女はたちまち一本のオリーブの大木の根元にたどり着くと、迷いなくその太い幹に取りつき、樹皮の割れ目にがっちりと指をかけてよじ登っていった。
高い枝の上まで登りつめたところで、銀色の葉裏も美しいオリーブの梢をかき分け、もう一度、道の先に目を凝らす。
強い光と、乾ききった大気の下で、すべてのものの輪郭と陰影とがくっきりと見えた。
広がる荒れ地と、峻厳なすがたの山々。
人間にとっては厳しい地であった。
「うわー! きれい!」
彼女はそう叫んだ。
実のところ、彼女は昨日もここに来て、この木に登り、そう叫んでいたのだった。
その前の日にも。その前の日にも。
「とっても、きれいだなあ!」
だれも聞いていない。周囲にだれもいない。
それでも、彼女はにこにこしながら、飽かず、その風景を眺めつづけた。
何のためにそうしているのか忘れるほど、眺めつづけているうちに、
「お?」
彼女は不意に顔を前に突き出し、大きな目を転げ落ちそうなほどに見開いて、伸びてゆく道の先を見つめた。
あれは……陽炎のゆらぎか?
強すぎる光に、目がちらついているのだろうか?
いや、違う。
遥か遠く、道の先に、まるで蟻のように小さく、いくつかの人影がうごめいている。
「……きた」
破顔一笑した。
「帰ってきたあ!」
歓喜の叫びをあげると、彼女は豹のような身ごなしで木から飛び下り、すさまじい速さで駆け出した。