恋慕
艦長室に飛び込んだビアンカは、ラナに深々と頭を下げた。
「見るがよい、十四郎の戦い様を!」
船窓から見下ろすラナは十四郎の戦いに陶酔し、ビアンカの事など眼中に無かった。
「ラナ様、今一度船を寄せる許可をお願い致します」
跪いたビアンカの言葉は、興奮するラナは返事すらしなかった。
「どうされるおつもりか?」
跪いたまま顔を上げないビアンカを見ながら、困惑の表情でランスローがビアンカを見下ろした。
「私は、十四郎の元に参ります」
顔を上げたビアンカは真っ直ぐな瞳でラナを見詰めた。だが、その美しい瞳はラナの感情を逆撫でする。自分には到底出来ない事、それをビアンカがする事は我慢がならなかった。
「どうしてもと、言うか?」
押し殺した声のラナは、拳を握り締める。
「はい」
即答するビアンカの声には迷いなど微塵もなく。ラナは悔しさを溢れさせる。そして、一瞬か考えてから意地悪く言い放った。
「ならば今ここで、ランスローの妻となれ。そうすれば、そなたの望み叶えてやろう」
ラナの言葉はビアンカの胸を貫く、跪いたままビアンカは身体を震わせた。ランスローもその言葉には驚いたが、真剣な顔でビアンカを見詰めた。ビアンカは何も言わず、ただ下を向くだけだった。
「それは無理です」
同じ様に跪くリズが、直ぐに凛とした表情をラナに向けた。逆らう言葉を受けたラナは、怒りの表情で思い切りリズを睨み返した。
「誰じゃ? そちは?」
「私は近衛騎士団のリズ:ステンマイヤーと申します」
「無理な理由は?」
語尾を強め、ラナはリズを更に睨む。
「ビアンカにとって十四郎様は……」
「分かりました……仰せに従います」
リズの言葉を遮り、それまで黙っていたビアンカは強い口調で言った。
「ビアンカ! 何を言うの?! そんな事をしたら十四郎様の傍に行っても……」
「いいの、リズ……ありがとう」
またリズの言葉を遮ったビアンカは、リズの手をそっと握った。だが、リズの怒りは収まらない。今度はランスローを強く睨み、声を荒げた。
「あなたは、それで良いのですか?! こんな事ではビアンカの心は決して手に入りません!」
言われるまでもない、ランスローにも分かり切ってた。だが、跪いたまま微かに震えるビアンカが、ランスローの中で抑えられない位に大きな存在になっていた。
初めてビアンカに出会った時の衝撃、その声を始めて聞いた時の感動……ランスローは直ぐにビアンカが、脳裏に刻まれた。そう、深く確実に刻まれたのだった。だが、リズの問い掛けに返事が出来ない、プライド以前に十四郎の事が頭を過る。
怒りが腹の底から湧き出す、全身の血が逆流する。それは嫉妬と憎しみが織り交ざる、黒くドロドロとした感情だった。
「行くよっ! ビアンカ!」
急にリズがビアンカの手を取り、立ち上がった。ラナの思惑もランスローの感情もリズには関係無かった。
「私は……」
力の入らないビアンカを無理矢理立たせたリズは、頬を打った。”パンッ”と乾いた音が響き、頬を腫らしたビアンカを見詰めたリズは涙を浮かべた。
「あなたが良くても、私が嫌なの! ビアンカには幸せになって欲しいのっ!」
「……リズ」
リズの涙がビアンカには痛かった、自分の為に流される涙の重さが胸に圧し掛かる。リズは思い切りビアンカを抱き締めた後、腕を強引に引いて船長室を後にした。
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剣を抜いたリズは、真剣な表情でクックルに突き付けた。
「船を寄せなさい! 一瞬で構わない!」
「無理です! これ以上危険は犯せない!」
舵の前に立ち塞がったクックルは真剣は顔で返すが、更に大きな声でリズが叫んだ。
「危険?! 十四郎様達が倒れたら、全ては終わる! 乗り込んで来たマカラ兵によって私達は全滅だっ!」
「ならば、どうするっ!」
クックルとて、そんな事は分かり切っている、直ぐに大声で怒鳴った。
「ビアンカが行く! 彼女も法使いだっ!」
ビアンカの背中を押して、リズは高らかに宣言した。周囲のアングリアン兵が改めてビアンカに視線を向ける。潮風になびきながら太陽の光を反射して輝く金色の髪、伏目がちの透き通る瞳、誰でもが目を奪われる容姿……そこには魔法使いではなく、確かに女神が降臨していた。
「私は魔法使いでは……」
消えそうな声のビアンカの瞳に、遠く十四郎の背中が映った。遠くからでも分かる飛び散る血飛沫、荒波の音に遅れて届く悲鳴や絶叫がビアンカの目や耳に届いた。全ての十四郎の行動は、自らの命を削っている様に見えた。
「しっかりしなさい! 今行かないでどうするのっ! 一生後悔したいのっ!」
今度はビアンカに振り返り、リズは大声でビアンカの肩を揺らした。どうして力が入らないのかビアンカ自身でも分からない、否、分かっていた。自分では十四郎を救えないと、諦めかけていた。
「十四郎様が起きて最初に探したのは、あなたなのよ! ビアンカっ!」
「十四郎が……」
耳から衝撃が飛び込む、一瞬遅れて鳥肌が立った。リズが肩から手を放すと、ビアンカはゆっくりと刀を抜いた。輝く刀身、それは光を反射してビアンカの周囲を光の粒で囲んだ。
「直ぐに船を寄せて下さい」
刀を向ける訳ではないが、ビアンカは静かにクックルに言った。その声に被せる様に、何時の間にが傍に来ていたランスローもクックルに迫った。
「言う通りにしろ、姫殿下のご命令だ」
「ランスロー……」
驚くビアンカだったが、ランンスローの目にも決意みたいなものを感じた。
「寄せろ」
クックルは仕方なく操舵手に告げた。船は大きく傾くと、敵船に進路を向けた。
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ツヴァイ達にも疲労の影が襲う、幾ら倒しても船倉からは次々にマカラ兵が出て来る。
「十四郎様は疲れないのか?」
苦笑いのツヴァイは、十四郎の動きが鈍らない事に首を傾げた。
「そうだな、勢いは衰える気配すらないな」
ココも腕の力が入らず、思わず笑った。リルやノインツェーンも肩で息をして、ゼクスは顔を歪め剣を杖代わりにしていた。
だが、十四郎は刀を振り続けていた……まるで、全ての力を、命の全てを出し尽くす様に。
「これが終わったら、お前に言いたい事がある」
乱れた息でノインツェーンがリルに言った、顔は少し笑っている。
「もうすぐ、終わる……直ぐに聞いてやる」
腕が痺れながらも弓を放つ事を止めないリルは、背中を向けたまま無表情で言った。




