化身
「マカラは恐怖を感じさせないはずじゃ?」
「そのはず、なんですが……」
十四郎に視線を向けたフォトナーが、唖然と呟く。マルコスも事態の把握に戸惑った、十四郎は正眼に構えたまま動かない。それを取り囲むマカラ兵も動きを止めて、ただ睨み合う状態だった。
その光景は見た事も無い、感じた事のない不思議な感覚でマルコスを覆い尽くす。脚が震えた、弓を持つ手が震えた……何故かと聞かれても、今のマルコスは到底答えられなかった。
沈黙と静寂を破り、先に動いたのは十四郎だった。遠目には十四郎がマカラ兵の間を駆け抜けてるだけの様に見えるが、十四郎が擦れ違うだけで血飛沫が舞い上がり敵兵が倒れた。
首が飛び胴体が真っ二つに切断される様子に、フォトナーを始めアングリアンの騎士達は戦慄に包まれ、誰も言葉を発しない。
「まさか、これ程とは……」
言葉に出したつもりでも、マルコスの声は波の音に消された。頭の中には戦いの神アレスが浮かぶが、普段の十四郎も同時に浮んだ。どちらの十四郎が本物なのか……震えが止まったマルコスは、ぼんやりと考えていた。
「十四郎様!」
駆け付けたツヴァイが、十四郎と背中合わせになった。
「あなた達まで……」
背中で呟く十四郎の声は少し掠れ、ツヴァイに前回の戦闘を思い出させた。
「ゼクス! ノインツェーン! 十四郎様に敵を近付けさせるな!」
「任せろっ!」
「分かった!」
ツヴァイが叫ぶと、ゼクスとノインツェーンが分かれて敵に向かう。ツヴァイも直ぐに戦闘に参加するが、以前とは違った。マカラ兵と戦うのは初めてではない、倒し方も急所も把握済みで次々に倒して行った。
何より強い使命感がツヴァイを突き動かす。十四郎を守る、二度と眠りには就かせない、その思いがツヴァイの原動力だった。
ゼクスとノインツェーンは今度は共同歩調は取らない、ゼクスはツヴァイと同じ様に力技で相手を倒し、ノインツェーンは先に相手の脚を狙って動きを封じた後に、確実に心臓を一突きして止めを刺す。
当然、鎧の者にはツヴァイとゼクスが向かい、ノインツェーンは何も着けてない者へと役割分担は言わずとも決まっていた。
「リル! あまり近付けさせるな!」
ココは接近戦になりがちなリルに叫ぶ。自分は確実に至近距離から心臓を射ぬき、鎧の者でも弾かれる事無く貫いていた。
ツヴァイ達が加わる事で形勢は有利になったと思われた時、船倉の格子が開いて新たな敵兵が現れた。
「きりが無いな……」
「ああ、前より増えてるかもな……」
背中合わせになったツヴァイとココが、お互いに薄笑みを浮かべた。だが、その集団に一人で十四郎が突っ込んだ。
「無茶よ! 十四郎様!」
一番近くにいたノインツェーンが叫んで後を追おうとするが、ゼクスに腕を掴まれた。
「待て! お前では足手まといになる!」
「でも!」
腕を振り解こうとするノインツェーンに、今度はツヴァイの言葉が飛んだ。
「周囲を見ろ! 十四郎様に近付く奴から確実に倒すんだっ!」
「そうだ、十四郎様の近くは、私とリルに任せろ!」
ココも叫びながら、十四郎に迫る敵兵を確実に倒した。
「ワタシは夢中になると、周囲が見えない。援護を頼む」
走ってノインツェーンに近付いたリルが、目を伏せながら頼んだ。素直にリルが頼んだ事にも驚くが、ノインツェーンは質問は後回しにた。
「分かった! 背中は任せろ!」
叫んだノインツェーンは、リルの背後を守る位置に付いた。
_________________________
ビアンカが甲板に出ると、敵船は少し離れた位置で荒波に揺れていた。敵船からの弓矢の攻撃は既に無く、味方の騎士達は固唾を飲んで状況を凝視していた。
見回しても、十四郎どころかツヴァイ達の姿は無くてビアンカは心臓が止まりそうになった。
「ビアンカ、待ってよ」
やっと追い付いたリズが声を掛けても、ビアンカは返事もせずに立ち尽くした。
「十四郎様は?」
「それが……」
フォトナーを見付けたリズが詰め寄るが、フォトナーは言葉を濁し俯いた。今度は直ぐにマルコスに向かい、リズは同じ事を聞いた。
「敵船に……」
マルコスも同様に俯くが、ビアンカは突然叫んだ。
「船を寄せてっ! 私も行きます!」
「無茶よビアンカ!」
静止するリズを振り解き、ビアンカはマルコスに詰め寄った。
「ツヴァイ達が行くのを、一度だけ許可してもらいました。船長は……一度だけだと」
マルコスの重い声はビアンカに、無理だと現実を突き付ける。だが、ビアンカは踵を返すとラナのいる艦長室へと走った。直ぐにリズも後を追うが、マルコスやフォトナーは黙ったまま敵船を睨み続けた。
_______________________
「前より……速くなっている」
十四郎の背中を追いながら、ツヴァイは呟いた。
「確かにそうだな……それに、迷いを感じない」
弓を射続けながら、ココも同意した。態勢や姿勢さえ崩さずに、十四郎は戦っていた、刀を振る度に敵兵は引き裂かれ、一撃で絶命する。返り血さえ浴びる事なく、十四郎は見えない速度で刀を振るった。
十四郎の刀が一閃され、一呼吸置いて敵は血飛沫を上げる。物理的に斬ると言うより、魔法の杖を振れば、敵の命が消えるといった具合に見えた。
「まるで、魔法……」
唖然と呟くノインツェーンの肩口から、リルが自分に言うように言葉を続ける。
「そうだ、あれが十四郎の魔法……なんだな」
だが、本来なら身も凍るような光景がリルには違って見えた。横顔の十四郎の瞳が、とても悲しそうだったから。