姫殿下
「魔法使い様、ご一緒出来て光栄です」
フォトナーは連れて来た部下と共に、神妙な顔で跪いた。
「お顔をお上げ下さい。こちらこそご一緒出来て光栄です」
笑顔で迎える十四郎に、フォトナーは胸の高鳴りを感じた。祖国の存亡を掛けた使命に参加出来る喜びに、武者震いしていた。
ダニー達は国政に反旗を翻す立場でありながら、国の治安を守る騎士達との同行に違和感を感じ、顔を強張らせていた。
「今は何も考えるな……目的は一つ、国の存亡だ」
近くに来たマルコスは、ダニーの耳元で囁いた。
「分かりました……」
ダニーは他の仲間に目配せし、仲間達は小さく頷いた。
「不穏な雰囲気だったが、流石だな」
ダニー達の動揺を一瞬で沈めたフォトナーを見て、少し笑ったツヴァイがココに言った。
「俺達の師匠だからな、十四郎様でも一目置いてる」
ココもなんだか嬉しそうに、ツヴァイに笑顔を向けた。相変わらずリルとノインツェーンはどちらが十四郎の傍に付くかで揉め、苦笑いのゼクスが仲裁に入っていた。
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「この方向でいいんですか?」
出発して直ぐにビアンカはマルコスに聞いた、明らかにイタストロアの国境とは逆方向だったから。
「そうですよ、こっちは港に行く道です」
リズも同様に首を捻る。
「言い忘れていましたが、国境は船で越えます。現在、イタストロアとの国境は何処も小競り合いが続き、通るのは不可能なのです」
「それに、馬車では抜け道は使えません」
マルコスの言葉をココが補足した。
「船で……」
ビアンカは、改めてマルコスの知恵に感服した。幾ら大道芸人を装っても交戦中の敵国に入るなど、無理ではないかと内心は思っていた。第三国経由なら成功しても、エスペリアムに行くにはイアタストロアかアルマンニを通るしかないのだ。
「でも、海路は海賊が……」
リズは心配そうな顔をマルコスに向けた。
「普通の船では危ないですね、それに我が国の船ではイタストロアに入国出来ません」
マルコスの表情には自信が見えた。ビアンカは不思議な感覚で包まれ、疑問は更に湧く。
「それならば、どうしますか?」
「アングリアンの軍艦で行きます」
確かにそれなら海賊に襲われる危険も少ないし、アングリアンは今の所中立だからイタストロアへの入港は可能だ。
「軍艦に大道芸人団は、不自然でありませんか?」
「我々がアングリアンからの使節としてなら、全てに辻褄が合います。アグリアンから派遣され、イタストロア各地を巡業しエスペリアム向かいます」
確かに辻褄が合う。しかし、ビアンカには最大の疑問が残った。
「我が国とイアタストロアの内情は知られているはず。中立な立場のアングリアンが、そんな片棒を担ぐ様な事をすれば……」
最悪の場合を考えると、ビアンカはアングリアンが協力するリスクの大きさを恐れた。
「我々の正体がイタストロアに知れた場合、アングリアンは非常にまずい立場に置かれます。最悪、戦争に巻き込まれる可能性も……」
リズも最悪の可能性を考え、顔を強張らせた。
「はい。確かにリスクは大きいですが、我々の申し出を姫殿下は快諾されました」
マルコスの言葉はビアンカに、驚きと記憶を同時に思い起こさせた。皇女ライア:エリザベート:スライヤーの事を。
「まさか、ライア姫ですか?」
「はい」
「あの姫殿下の事、何かあるに決まってます」
興奮したリズの顔色が変わり、マルコスは苦笑いした。
「条件は、姫殿下も同行させる事です。我々には選択の余地はありません」
「そんな、万が一の事になればアングリアンが戦争に巻き込まれるどころか、我が国に宣戦布告する事になるかもしれません」
幾ら選択権がないと言っても、あまりにリスクが大き過ぎビアンカは背筋を凍らせた。
「十四郎殿に、守ってもらうと……」
少し呆れた様にマルコスは呟いた。あの姫なら言いかねない……ビアンカもまた、大きな溜息を付いた。だが、十四郎は他人事みたいに笑っている。
「まさかとは思いますが、姫としてではなく……芸人としての同行ですか?」
恐る恐る聞くリズは、マルコスの答えに緊張した。
「……はい」
大きな溜息を付くマルコスに、顔を見合わせたビアンカとリズは唖然とした。
「十四郎、大丈夫ですか?」
十四郎に向き直ったビアンカは、強張る表情を向けた。
「はい、大丈夫です」
即答する十四郎の笑顔は、ビアンカに不思議な感覚をもたらす。多分十四郎は姫殿下でも、名もなき村人の娘でも、命を懸けて守るだろう……でも、自分の言を一番に……そんな考えが頭を過るビアンカは、なんだか自分が汚れているみたいな気分になった。
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港で見た軍艦は、想像を超えていた。屈指の海軍力を誇るアングリアンの旗艦、プリセス・オブ・ライアの雄姿は全ての人々を圧倒していた。船首像は羽を広げたライアそのものであり、純白の船体は威厳に満ちていた。
フォトナーや、その部下は直立不動で敬意を表し、ツヴァイ達は皇族に対面するのは初めてで銅像みたいにカチカチになっていた。ココやリルは平然とし、ダニー達は複雑な表情でライアを見詰めていた。
更に驚いたのは、馬車や物資を積み込む時に姿を見せたライアの格好だった。皇女のドレスではない、普通の庶民の恰好は以前とは別人に見えた。
その気の強そうな雰囲気は損なわれていないが、女なのビアンカから見ても気品に溢れ、皇女の姿の時とは違った美しさを醸し出していた。
「お、お久しぶりです、十四郎」
十四郎の前で顔を赤くするライアに一同は固まるが、リズにはその気持ちが手に取る様に分かった。だが、振り向きビアンカ達に対すると、態度は一変した。
「妾は、これよりラナと名を変える。其方達も、そう呼ぶがよい」
全員が跪き、頭を下げるとラナ? は満足した顔で頷いた。思い遣られる……冷や汗を流しながら、ビアンカは脳裏で呟き、リズは唖然とした表情で固まった。
「私もお供致します……なんとか、姫様をお諫め致しますので」
バンスは冷や汗を拭きながら、丁寧に頭を下げた。
「姫殿下、この度は我が国の窮地に際し、ご尽力頂き、誠にありがとうございます」
跪き、頭を下げたまま、ビアンカは凛として礼を述べた。
「誰が貴国の為になど、動くものか」
ビアンカを睨んだラナは、言葉を吐き捨てた。
「ならば、どの様な理由で?」
食い下がるビアンカを、真っ青になったリズが必死で止めた。
「ビアンカ! よしなさいっ!」
「知れた事よ……」
不敵な笑いを浮かべるが、十四郎の一言でラナの態度は激変した。
「ラナ様、必ずお守り致します。ゆえに、ラナ様もご身分が知れぬ様に、お気遣いをお願い致します」
「分かりました……」
頬を染め俯くラナの姿に、ビアンカは目をテンにした。
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出航した船は、大海原に乗り出す。潮風に髪をなびかせ、ビアンカは十四郎と共に水平線を見ていた。
「海か……潮風が気持ちいいな」
「海はいいですね」
手摺にもたれた十四郎の横顔に、頬が赤くなったビアンカは慌てて顔を背けた。どんな困難が待ち受けていたとしても、今のビアンカには怖いものなんて存在しなかった。
十四郎が傍にいる……それだけで、なんとかなる。ビアンカは、またそっと十四郎の横顔に視線を流した。
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「アルフィン、海だよ、全部水だよ、深いのかな? 塩からいのかな?」
船倉で興奮したシルフィーがアルフィンを質問攻めにした。アルフィンもアングリアンから来る時に一度船に乗っただけだが、興奮するシルフィーが可愛いと思った。
「そうね。海はどこまでも広くて、どこまでも続いているんだよ」
「そうなの?」
「ええ」
笑顔で答えるアルフィンだったが、胸の奥には不思議な暖かさがあった。アングリアンの港を出る時の悲しさと心細さ、暗い船倉で涙が止まらなかった。だが、今は胸がドキドキして嬉しくて楽しくて仕方がなかった。
どんな冒険が待ち受けているのかを想像すると、ワクワクが止まらなかった。どうしてかと考えるまでもない。それは十四郎やビアンカ、そして大切な友達、シルフィーの存在だとアルフィンはとうに気付いていた。




