トリップ 15
闇の中、歩き続けていた十四郎は物凄い胸騒ぎに立ち止まった。胸が引き裂かれる激痛に、思わず手を当てた。そして、視線を落とすとその手は血塗れだった。
だが、暖かいはずの血は氷の様に冷たく、鼻を突く生命の臭いだけが生々しく頭の中を刺激する。
「戻らなくていいのか?」
ローボの声は穏やかに耳に残った。だが、振り向いてもやはり姿は見えない。
「私は……」
十四郎は、まだ言葉に出来なかった。ローボの声は、憐れむ様に続けた。
「お前の傷は、癒える事はないだろう。人を助ければ助ける程、その傷からは血が流れる……永遠に痛みからは逃れられない」
傷の痛みが十四郎の体を蝕む、精神が崩壊しそうな痛みに膝を付いて耐えた。
「痛みは、あなたを苦しめます……ここにいれば、これ以上傷は大きくはならないでしょう。ですが……」
ブランカの声は悲しみが混ざっていた。だが、最後の言葉が余韻となって、十四郎の瞼を刺激した。顔を上げると、淡い光が目の奥を刺激する。
ぼやけていた視界が、ゆっくりと像を結ぶ。その姿が認識出来ると、十四郎の傷からは更に血が噴き出した。
「まさか……ビアンカ殿」
声が掠れた、体全体が震えた。そこには後ろ手に縛られ、銃で狙われているビアンカがいた。
「傷を忘れ、痛みから逃げる事は出来ます……ですが、あなたは目の前で失われる大切な人の命と、自分の痛みを引き換えられますか?」
ブランカの問い掛けは、十四郎の体の奥深くに浸透した。出来るはずはない、そんな事が出来るはずはない。十四郎は胸から流れ出る血を押さえ様ともしないまま、立ち上がった。
俯いていた顔を上げる、その視線は遥か遠くを目指す。迷いなど、躊躇など存在しない……そこにあるのは、一途な想いだけだった。
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意識が身体の中に落ちて来る。ゆっくり目を開くと、ぼやける視界がはっきりと像を結び綺麗な天井が見えた。
「ここは……」
掠れる声を発し、起き上がろうとするが全身が痺れた様な感覚で力が入らなかった。
「気が付かれたんですね」
そこには見覚えの無い顔が、心配そうに覗き込んでいた。
「私はエミリーです。ビアンカ様のお屋敷に奉公させて頂いておりますメイドです」
「ビアンカ殿は?」
「お嬢様、さっきまでいらしたんですよ。今は、気分転換にお出かけになっています」
「そうですか……」
十四郎は夢だった事に安心して、そっと力を抜いた。
「お付きの人に知らせて参ります」
満面の笑みを浮かべ、エミリーは部屋を出て行った。直ぐにツヴァイ達が駆け込んで来て、取り囲まれた。
「十四郎様……本当によかった」
「信じておりました」
「私は……」
ノインツェーンは涙を浮かべ、ゼクスも肩を震わせ、ツヴァイは言葉を詰まらせた。
「ご心配をお掛けしました」
十四郎はぎこちない笑顔を三人に向けるが、そこにココとリルが飛び込んで来た。
「十四郎様、本当によかった」
「もう、大丈夫なのか? 十四郎」
満面の笑みのココの陰から、リルは目を潤ませて呟く。
「十四郎様を呼び捨てにするな!」
「十四郎がいいって言った」
直ぐに始まるノインツェーンとリルの喧嘩。十四郎はなんだか、ホッとした気分に包まれた。
「ところで、お願いがあるのですが」
すまなそうな声の十四郎に、全員が一斉に振り向く。
「すみませんが、ビアンカ殿を探してはもらえませんか?」
「はっ、ただいま」
一礼したゼクスを先頭に、直ぐに他の者も続いて部屋を出て行った。最後まで残ったリルは、少し寂しそうな顔で十四郎に呟く。
「本当に大丈夫か?」
「はい。大丈夫です」
十四郎が精一杯の笑顔を向けると、リルの顔がミルミル笑顔に変わった。
「直ぐにビアンカを連れて来る!」
走り去るリルの弾む背中、十四郎は起き上がると窓の外の景色に目を細めた。決意が胸の奥深くから湧き出す。手を当てても、今は傷には痛みを感じなかった。だが、痛みや後悔など今の十四郎にはどうでもよかった。
「ビアンカ殿……」
呟いた十四郎の視線の先には、微笑むビアンカの笑顔が確かに見えた。
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「銃? ……」
ビアンカは初めて聞く言葉に疑問符を漏らす、視線の先にはクォレルに似た棒状の武器を構える姿が見えた。それは、小さな煙を燻らせ嫌な臭いを発散していた。思わず見とれたビアンカは、足を止めてしまった。
動きの止まったビアンカは、格好の標的となる。銃を構えた男は、ビアンカの足に狙いを定める。指が引き金に掛かり、人差し指が動いた瞬間に轟音と閃光が広間に響き渡った。
聞いた事の無い雷の様な轟音、立ち上る硝煙にビアンカは驚きを隠せず足元が揺れた。だが、落ち着いて考えると、自分の足は何ともない。瞬間、思考は混乱するが直ぐに解決した。
視線を移すと、ビンカを狙っていた男から銃をもぎ取り床に叩き付ける狼の姿があった。
「どうして?……」
「帰るのだろう? 十四郎の元に」
「うん……」
思い掛けない狼の言葉。それは、今までとは違う優しさに包まれていた。狼は後二人の銃を持つ男に襲い掛かり、銃をもぎ取り破壊した。そして、素早くビアンカの元に来た。
「天井を見ろ、あの小さい穴が銃の跡だ。あれは、お前の身体など簡単に貫通する。手足ではなく身体に当たれば、即死する場合もある」
ビアンカの後ろに回り、縄を食い千切りながら狼は言った。威力と言われてもビアンカには実感は湧かず、恐れより狼が来てくれた事が嬉しかった。
「ありがと……名前、聞いてなかったね。私はビアンカ」
縄の痕を摩りながら、ビアンカは狼に聞いた。
「ロウ……」
小さく呟いたロウはビアンカの前に出る、丸腰のビアンカを守る為に。
「何だ? どうなってる……」
突然狼が乱入し異国の女を助け、今は自分達と対峙している。信じられないと半次郎は目を見開き、脳裏に大口真神の事が過る。
「お頭……まさか、あれは……真神様」
手下の一人が声を震わせると次々に畏怖は伝染し、手下達は尻込みした。それ程にロウは威圧感と神秘性があり、唸りを上げ牙を剥くと更に恐怖は増大した。
「そんな訳があるかっ! ただの狼だっ! 逃げる奴から先に斬るっ!」
手下の動揺に半次郎がブチ切れる。その凄まじい怒号に手下達は奮い立つ、恐怖の対象は目の前の狼より確実に半次郎だった。
「お頭! 新手ですっ!」
今度は違う手下が走って来て報告した。半次郎は自ら怒りに油を注ぎ、更に大声で怒鳴る。
「誰だっ!!」
「男が二人、女が一人!」
「たった三人だと? 構わねぇ、やっちまえ!」
怒鳴る半次郎の言葉が、ビアンカの胸に突き刺さった。
「まさか……」
口元から洩れる言葉は、確かに繋がっていた……小夜達と。




