トリップ 14
ビカンカは半次郎の恫喝にも臆す事はなかった。それどころか、半次郎に対する怒りで体が震えた。
「……お前など、只の人斬りだ」
押し殺した声で、ビアンカは半次郎を睨み付けた。
「売るのは止めだ……今、この手で……」
刀を抜いた半次郎の形相は、最早人ではなかった。止めに入った手下二人を雄叫びを上げながら斬り捨てた。そのまま、刀を振り上げビアンカに突進した。
後ろ手に縛られ事由の効かないビアンカは、身体ごと逃げるしかないが半次郎の動きは思ったより速かった。
半次郎は避けるだろう方向を予測し、渾身の刀を振り下ろす。ビアンカの瞳の中に、鈍く光る刀が瞬間に転写される。絶体絶命の瞬間、だがビアンカは諦めない、咄嗟に自分から地面に転び初太刀を躱す。
勢い余った半次郎の刀が床に突き立てられるが、お構い無しに手首を返すと逆袈裟切りで斬り上げる。後ろに跳べば、手首を返し二の太刀が来ると瞬時に判断、ビアンカは体ごと半次郎に体当たりした。
想定外のビアンカの反撃、肩でビアンカのタックルを受けた形で半次郎は後ろ向きに倒される。だが、肩の激痛ぐらいでは半次郎の動きは止められない。
「このアマぁ!!」
叫びながら起き上がろうとした半次郎の顔面に、ビアンカは渾身のカウンターで踵を落とした。
二三本の歯が宙を舞い、鮮血が飛び散る。先にビアンカ起き上がり距離を取るが、半次郎も刀を杖に物凄い形相で起き上がった。見守る手下達が加勢に入らないのは、ビアンカにとっては幸運だった。
一応に顔を強張らせる手下達は分かっていたのだ。下手に止めても、ましてや手助けでもしようものなら即座に斬り捨てられる、と。
「簡単には殺さねぇ……切り刻んで……苦しめ抜いて、自分から殺してくれと言わせてやる」
口から血を流し、半次郎は怒りの言葉を絞り出す。身構え体制を低くするビアンカは次の攻撃に備えながら、なんとか縄を解こうとするが太くて頑丈な縄は簡単に解けそうになかった。
「お前も鬼斬りを名乗るなら、縛を解いて勝負しろ!」
ビアンカは挑発するが、半次郎は血の滴る口元で寒気のする笑みを浮かべる。
「縄を解けだと? 命乞いのつもりか?」
「怖いのか? 縛られ、武器持たない女が怖いのか?」
更にビアンカは挑発する。
「まずは、減らず口を叩けなくしてやる」
半次郎の構えが変わった。刀を鞘に納めると、右足を大きく前に出して曲げ、左足を後ろに伸ばして膝を地面すれすれ構える。鯉口に左手を添え、右手で柄頭を握った。そして、見る間に右手の上腕二頭筋が盛り上がる。
「バットウジュツ……」
十四郎や勇之進の型とは違うが、呟いたビアンカは身構えた。刀の速さは大体予測出来るが、その異様な構えは嫌な予感を加速し、次の半次郎の言葉が最悪を予想させた。
「銃で女の足を撃て」
直ぐに火縄銃を構えた手下が、ビアンカを狙った。
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小夜は不安で胸がはち切れそうだった。だが、激しいムネツキの振動の中、そっと握った真桜の暖かい手が小夜の不安を優しく緩和した。
「タマは、凄いですね」
真桜は小夜の耳元で囁く。タマを、そして自分を直ぐに信じてくれた真桜に小夜は胸が熱くなり、我慢していた事を聞いた。
「どうして、信じてくれたのですか?」
「小夜さんはタマを信じ、心からビアンカさんを信じていましたから。私も、そんな小夜さんを信じます」
「真桜さん……」
嬉しさで小夜は言葉を失うが、真桜は握った手を握り締めて今度は凛として言う。
「万が一、斬り合いになった時はタマを連れて離れて下さい」
「はい。そうします」
聡明な小夜には直ぐに理解出来た。薙刀の心得があるとは言え、自分はまだ子供。足手まといになれば、真桜や勇之進、士郎の負担になる。
自分が出来る事はビアンカの無事と皆の無事を祈り、決して戦いに関与し無い事だと真桜の言葉を理解し、きちんと頷いた。
勇之進もまた、不安が大きくなっていた。街道に差し掛かり、人気が少なくなると更に不安は増大する。
「この辺りで、人さらいが頻繁に現れるそうです!」
並び掛けて来た士郎が叫んだ。確かに逃げ場の無い一本道、三峯神社に参拝するにはこの道しか無い。片側の田んぼは何時しか途切れ、只の荒地になっていた。そして、反対側の川に沿った土手には身を隠す茂みは幾らでもあった。
否が応でも嫌な緊張が勇之進の胸を圧迫するが、並んで走る士郎の毅然とした姿は、勇之進を奮い立たせた。
暫く走ると、街道を逸れ森へと向かう小道に先頭の真桜達が方向を変えた。道はどんどん細くなり、やがて薄暗い森の中に入った。
「そろそろね」
真桜は小夜の手を握り締める。小夜もまた握り返すが、その手は微妙に震えていた。
「ビアンカさん、きっと無事ですよね……」
震える声で聞く小夜は、真桜の返事に期待した。
「勿論です、きっと無事ですよ。必ず、助けます」
期待した言葉、言って欲しかった言葉を、真桜は当然の様に笑顔で小夜に向ける。真桜に対する信頼感が母親、姉、それ以上の大きさで小夜を包み込んだ。
そして全員の嫌な予感は現実となった。目の前に現れた古寺は、怪しげな雰囲気を全体から醸し出し、遠目に見えた如何にもという男達が予感を決定的にさせた。
真桜は一旦、手綱を引くと脇の死角にムネツキを止まらせ、小夜と共に降りる。勇之進と士郎も止まり、馬を降りた。
「小夜さん、ここで待って下さい」
真桜は小夜に優しく微笑んだ後、勇之進達に向き直る。
「行きましょう」
薙刀を小脇に抱え小夜は走り出し、勇之進は小夜に頷き後に続く。
「大丈夫ですから」
士郎もそう言い残すと走り去った。残された小夜はタマを抱き締め、皆の背中を不安そうに見送った。
「すまん、ムネツキ。ここにいて一緒に小夜を守ってくれ」
タマの懇願する様な情けない顔に、黙ってムネツキは頷いた。




