トリップ 13
暗い牢に微かな光が差したのも束の間、ビアンカは物凄い殺気に振り向いた。そこには銀色の狼が、鋭い視線で見据えていた。一瞬、ローボと錯覚するが一回りは小さくて、何より視線には強烈な棘を感じた。
少女達は一斉に牢の隅に逃げ、一か所に集まり震えていた。ビアンカは格子越しに狼と正対するが、狼は何も言わずビアンカの瞳を凝視していた。
「……大口真神様ですか?」
視線を逸らさず、ビアンカは呟く。
「そのような者ではない」
狼の声は低く揺らぎ、牢の床に落ちた。内心の期待は狼の鋭い視線で打ち消され、疑問にとって代わった。
「それでは、何の用ですか?」
胸騒ぎに似た不快な雰囲気。やはり狼の視線が気になり、ビアンカは質問した。
「お前には、あいつの臭いがする……あいつを知っているのか?」
狼は逆に質問する。ビアンカから視線を外さないまま。
「あいつ?」
思い当たらないビアンカは、狼を見詰め返した。
「柏木十四郎だ」
「十四郎を知ってるの?」
狼の言葉はビアンカに衝撃を与え、思わず声が震えた。
「聞きたいには、こちらだ」
落ち着いてはいるが、狼の声のトーンは十四郎に好意を持ってる様には感じず、ビアンカは言葉を濁した。
「知っては、いる」
「奴は今、何処にいる?」
狼は矢継ぎ早に質問を返す。
「先に、教えて。あなたと十四郎の関係」
ビアンカは引かなかった、どうしても十四郎と狼の接点を知りたいと思った。狼は、それまでの鋭い視線を少し弱め、口角を上げた。
「いいだろう……ずっと前から、変わった奴だと思って見ていた……戦いに於いて、奴は相手を殺さなかった。だが、暫くすると人が変わった様に殺し始めた。まさしく鬼だった、その凄まじさは今でもはっきり覚えている。その後、奴がどうなるか、何処に行くのか興味があった……だが、奴は忽然と消えた。何の痕跡も残さずに……探した、国中探したが奴は何処にもいなかった」
狼は言葉を噛み締めながら、ゆっくりと話した。最早鋭い視線は無く、ビアンカは不思議な感覚に包まれた。
「見つけて、どうするの?」
「どうもしない。ただ、見ているだけだ」
「そう……十四郎の今いるのは、多分こことは別の世界。私は、その世界から来た」
狼の印象が変わったビアンカは紡ぐ様に静かに呟き、狼は表情を変えずに聞いていた。
「……お前は何故この世界に来た?」
かなりの沈黙の後、狼は静かに口を開く。
「分からない。でも、私が知りたいのは帰る方法」
俯いていた顔を上げたビアンカは、真っ直ぐ狼を見詰めた。
「来たのに、帰り方が分からないのか?」
初めて見せた狼の薄笑みは、ビアンカを妙に安心? させた。
「分からない……知らないうちに来たから……」
小さく首を振りながら、囁く様にビアンカは呟いた。
「そうか……あいつは今、どうしてる?」
狼の声も、心なしか穏やかに聞こえた。
「眠ってる……私のせいで沢山、ココロに傷を負って」
震えた、ココロと声が震えた。
「…………そうか……」
長い間の後、狼は小さな声で呟く。そして、一呼吸置いて独り言みたいに言った。
「出口と入口は同じなんだがな……だから、出入り口と呼ばれる」
狼は言葉を終えると、少し寂しそうに去って行った。ビアンアカは、一瞬ハッとするが、狼と入れ替わりに来た男達がビアンカを連れ出した。連れて行かれるビアンカは、振り返ると牢の隅でまだ震えていた少女に笑顔を向けた。
「大丈夫よ、必ず助けてあげるから」
その言葉は少女だけにではなく、自分にも言い聞かせたビアンカだった。
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士郎が用意出来た馬は、二頭だけだった。直ぐに小夜はムネツキの元に行き、深々と頭を下げた。
「お願いします。私をビアンカさんの所へ連れて行って下さい」
当然、ムネツキには何を言っているのか分からず、唖然とタマを見る。
「小夜は心からビアンカの事を心配している。乗せてやって、くれないか?」
タマは尻尾を縮め頭を下げた。小夜とは確かに繋がってるんだなと、ムネツキは少し羨ましかった。
「分かったよ。だが、俺の走りは荒い。大丈夫なのか?」
「私が一緒に乗ります」
ムネツキが危惧の言葉をタマに向けると、丁度やって来た真桜がムネツキの方を見て言った。当然ムネツキには通じないが、タマが驚いた顔で通訳する。勿論、タマだって真桜の言葉は分からないが、ニュアンスでなんとか理解出来た。
「真桜も一緒に乗るって……確か、真桜は乗馬は得意のはず」
「ああ、そうか。分かった」
何とも不思議な気分になったムネツキは、小夜と真桜を乗せて走り出した。真緒が手綱を握り、後ろに小夜が乗り、タマは小夜の肩にしがみ付いていた。走り出しすと、真桜が直ぐに叫ぶ。
「道はお任せします!」
「任せるって!」
タマが大声で通訳すると、ムネツキはなんだか嬉しい気分になり、速度を上げた。勇之進と士郎は訳も分からず付いていくが、特に勇之進は悔しさを滲ませていた。
当然、真桜と二人で乗る事を想定し、士郎が二頭だけ連れて来た時は”でかした!” と心で叫んでいたから。
勇之進の脳内では、タマは乗って来た馬で道案内し、士郎は小夜を乗せ自分は真桜の体温を背中で感じ……だが、先を走る真桜達の真剣な行動は、勇之進の心根を刺激した。
不安な胸騒ぎがした。確かに真桜の前では緊張し、会えるだけで心が揺れる……嬉しさは全ての事柄に勝り、優先されるはずだった。
しかし、次第に大きくなる胸騒ぎに、勇之進は強く頭を振り気合を入れた。そして、万が一の事態備えて手綱を握り締めた。
「勇之進さん! 嫌な予感がします!」
きっと士郎も同じ感じがするのだろう、大声で呼び掛けて来た。振り向いた勇之進は、更に大きな声で叫んだ。
「俺も同じだ! 気を抜くな!」
「はいっ!!」
士郎は負けないくらい大きな声で返事した。
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アジトは使われなくなった、大きな寺だった。宗教的にもビアンカには初めてだったが、古くて崩れかけの退廃的な雰囲気は、精神をを威圧した。
連れて行かれた広間には、大勢の男達がギラギラした目で待ち受けていた。そして、頭と呼ばれる男は嫌な記憶を甦らせた。
武闘大会でのレオン、聖域の森のエルゴ、イタストロアのベルッキオ……十四郎が戦いの果てに倒した男達だった。共通するのは”狂気”それは、不快と言う言葉以上にビアンカに嫌悪感を与えた。
「ほう、たいした美しさだ……売りに出すのは惜しいな……名前は?」
頭と呼ばれた男の声は、耳の奥にも不快感を残しビアンカは顔を顰めた。
「モネコストロ王国、近衛騎士団。ビアンカ:マリア:スフォルッア」
答えるビアンカは、自然と吐き捨てる様な口調になる。
「俺は由良半次郎。鬼斬り半次郎とは俺の事だ」
半次郎の言葉は、ビアンカの胸を抉る。”鬼斬り”と言う渾名はビアンカは好きではなかった。だが、他人に名乗られると、無性に腹が立った。
そして、鬼斬りと七子に呼ばれた時の十四郎の顔が思い浮かんだ。その顔は曖昧な悲しみが混ざり、見ている方が切なくなる程に痛々しかった。
「お前が鬼斬り? 本当に鬼斬りと呼ばれる男は誰よりも強く、限りなく優しい」
ビアンカは半次郎を睨むと”本当に”という言葉のアクセントを強める。
「俺の他に、何処に鬼斬りがいる?」
薄笑みを浮かべていた男の顔が、広間の後方にある凄い形相の木彫りの像と変わらない、怒髪天を突く様な形相になった。




